目次
女性の社会運動ー第一波フェミニズム
掲載:2023-09-15 執筆:姫岡とし子
初期フェミニズムーフランス革命期
オランプ・ドゥ・グージュ(1748~93年)
グージュについては→https://ch-gender.jp/wp/?page_id=1598
グージュ「女権宣言」(1791年)については→https://ch-gender.jp/wp/?page_id=1667
メアリ・ウルストンクラフト(1759~97年)
メアリ・ウルストンクラフトについては→https://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Wollstonecraft
ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792年)については→https://en.wikipedia.org/wiki/A_Vindication_of_the_Rights_of_Woman
ドイツのフェミニズム
ルイーゼ・オットー・ペータース Louise Otto-Peters (1819~95年)
Louise Otto-Peters ( Luise Otto-Peters,1819~95)は、ドイツのフェミニスト、雑誌編集者、著述家。1849年に、ドイツ初の女性による新聞『女性新聞』を編集・刊行した。
【参考】デジタル・ドイツ女性アーカイブ(Das Digitale Deutsche Frauenarchiv=DDF)
DDFのWEBサイトをご参照下さい→https://www.digitales-deutsches-frauenarchiv.de/start
【紹介】デジタル・ドイツ女性アーカイブ(DDF)は、ドイツ語圏の女性・レズビアン運動の歴史に関する専門ポータルサイトであり、女性運動の歴史から選りすぐった資料を、デジタル化された形でインターネット上で一般公開しているものです。DDFは連邦家族・高齢者・女性・青年省(BMFSFJ)から資金援助を受けて、デジタル化プロジェクトを推進しています。(参考:https://www.digitales-deutsches-frauenarchiv.de/ueber-uns)
アメリカのフェミニズム
ルクリシア・モット(1793~1880年)
エリザベス・スタントン Elizabeth Cady Stanton (1815~1902年)
エリザベス・スタントンの生涯と業績については、以下のWikipedia記事が詳しい。日本語版は英語版の翻訳である(一部は未翻訳)。
英語版 https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Cady_Stanton
1868年のワシントンD.C.の女性参政権会議におけるエリザベス・キャディ・スタントンのスピーチ
「憲法第16条の修正を求めます。理由は「男性の選挙権」あるいは男性の政府は市民にとって宗教上もさらに社会的にも一致していないからです。男性の要素は破壊的な力であり厳しく利己的で増強を求め、戦争を愛し暴力と征服と獲得を求め、物質社会でも道徳社会でも不和と障害、病気や死をふやすものです。血と残酷さに満ちた歴史の記録を見てください! 奴隷制度と虐殺と犠牲、追究と投獄、苦痛と迫害、黒い規約と暗い信条によって人類の魂は何百年にもわたって苦しみ、慈悲の女神は顔を覆い、すべての心は枯れて愛することも希望を託すこともできずに来たのです!」
英語版 https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Cady_Stanton
日本語版
スピーチの締めくくりはこうなる。
「自然界であれば、暴力と混乱の均衡を維持しようと絶え間ない努力が見られます。自然は愛情深い母親のように陸と海、山と谷をそれぞれのあるべき場所に保とうとしますし、暴風と高波を静め、酷暑と極寒あるいは大雨と干ばつという両極端のバランスをとろうとし、平和と調和と美が極みまでいきわたるように計らいます。物質と精神の間には驚くべき類似性があり、現代社会の混乱が鳴らす警鐘とは、女性をその座から追い落としたせいで暴力の要素が解き放たれ、女性に備わった抑制する力を台無しにしました。現代の文明社会が参政権の拡大を求めるならば、片方の性のみではなく確かに教育を受けた最も高潔な男性と女性の政府が全体を代表するならば、あらゆる利益を保護するでありましょう。」
英語版 https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Cady_Stanton
日本語版