目次
1.先史時代の世界
今回更新:2022-02-16(前回:2019-07-01)掲載:2014.06.07 作成:三成美保
【高校世界史教科書から(要約)】
人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカである。その後、人類は、猿人(約500万年前に出現:アウストラロピテクス)・原人(約180万年前に出現:ホモ=エレクトゥス)・旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人)・新人(約4万年前に出現:クロマニョン人など)の順に進化してきた。文字が生まれたのは、紀元前3千年ごろである。人類が文字をもつ以前を先史時代(紀元前3千年以前)、以後を歴史時代(紀元前3千年から現代までのおよそ5千年)と呼ぶ。先史時代については多くが謎に包まれているが、考古学や人類学、民族学の発展によって、かなりのことがわかってきた。≪コメント≫「旧人」は、2000年前後の研究成果を受けて今日まったく使われていないにもかかわらず、2012年検定済みの世界史教科書でもまだ用いられている→下記(1)ー②参照。
→*【宇宙史】ビッグ・バンから地球誕生まで
→*【地球史】地球46億年の歴史
(1)ヒト上科・ヒト科・ヒト亜科・ヒト族・ヒト亜族
①ヒト属(Homo)
生物は、「界>門>綱>目>科>属>種」に分類される。現生人類の「ホモ・サピエンス」は、「動物界>脊索動物門(>脊索動物亜門)>哺乳綱>サル目(>直鼻猿亜目)>ヒト上科(>ヒト科>ヒト亜科)>ヒト族Hominini(ヒト亜族Hominina)>ヒト属Homo>ホモ・サピエンス種Homo Sapiens」である。「ホモ・サピエンス」は「種名」であり、亜種として、「ホモ・サピエンス・イダルトゥ」(絶滅)と「ホモ・サピエンス・サピエンス」(狭義の現生人類)に区分される。ちなみに、「アウストラロピテクス」は「ヒト亜族」の下位である「属名」で、「アウストラロピテクス・アファレンシス」が「種名」である。現在の研究では、ヒト属(ホモ・ハビリス)とアウストラロピテクス属は同時代に併存していたと考えられている。(参考:溝口2011:p.20ff.)
②名称
今日では、「猿人・原人・旧人・新人」という名称は外国ではほとんど使われない。とくに「旧人」という名称はまったく使われていない。ホモ・サピエンス(いわゆる「新人」)が、ネアンデルタール人(いわゆる「旧人」)よりも古い時代から棲息していたことがわかってきたからである。(溝口2011:p.39)
③類人猿
「ヒト上科」に属するテナガザル科・オランウータン科・ゴリラ属・チンパンジー属の4種が「類人猿」とよばれる。遺伝学上、ヒトにもっとも近いのは、アフリカに住むチンパンジーであることがわかっている。「人類の祖先」を探るということは、「ヒト亜族」Homininaの登場を探ることであり、チンパンジー属とヒト属の分化の時点を探ることである。
【チンパンジー属(学名:Pan )】
チンパンジー属、哺乳類- サル目(霊長目)のヒト科に分類される1属。チンパンジー(学名:Pan troglodytes)とボノボ(学名:Pan paniscus)の2種からなる。チンパンジーとボノボとが分岐したのは約300万年前と推定されている。チンパンジーよりもボノボのほうが体型が細い。また、ボノボは、胴体に比べて頭が小さく、手足が長い。ヒト族からチンパンジー亜族とヒト亜族とに分岐したのは約700万年前と推定されている。
(2)化石発見の年表
1891-1893 ジャワ原人 ピテカントロプス・エレクトゥス(オランダの解剖学者デュポワがジャワ島で発見)→今日では「ピテカントロプス」という属名は否定されており、「ホモ・エレクトゥス」という。
1921-1929 シナントロプス・ペキネンシス(北京原人)(スウェーデンの地質学者アンダーソン、同古生物学者ベーリン、カナダの学者ブラック)
1929 アウストラロピテクス・アフリカヌス(南アフリカの解剖学者ダート)=アフリカヌス猿人
1926-1959 パラントロプス・ポイセイ(あるいはアウストラロピテクス・ポイセイ)(当初は、発見者であるイギリス人リーキー夫妻によって「ジンジャントロプス・ボイセイ」と名付けられた)(リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷で発見)=ロブストゥス猿人
のちに、リーキー夫妻は、ホモ・ハビリスも発見した。
1974 アウストラロピテクス・アファレンシス→化石人骨女性(318万年前)は「ルーシー」と名付けられる(ジョハンソンたちがエチオピアのハダールで発見) =アファレンシス猿人
1990年代 アナメンシス人(ミーブ・リーキー)
1994 ラミダス猿人(諏訪元など)
2000/2001 猿人オロリンの発見
2001/2002 猿人サヘラントロプスの発見
(3)ヒトの進化
①起源
ヒトとチンパンジーの遺伝子は、90数%が共通する。しかし、ヒトがサルと決定的に異なるのは日常的に「直立二足歩行」をしている点にある。ヒトとチンパンジーの祖先が分化したのは、かつては500万~450万年前(「アウストラロピテクス」の登場)であるとされていたが、2000年以降に「サヘラントロプス」や「オロリン」の化石が発見された結果、今では1000万~700万年前とされている。
【参考】溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』ソフトバンク新書、2011年、12頁以下。
②猿人
◆700万~400万年前 アルディピテクス属(はじめて直立二足歩行をした)
- 700万~600万年前 サヘラントロプス Sahelanthropus tchadensis
- 610万~580万年前 オロリン Orrorin tugenensis
- 580万~520万年前 アルディピテクス・カダッバ
- 400万年前 アルディピテクス・ラミドゥス
○700万~600万年前(ヒトがチンパンジーと分岐したころ、あるいはその直前)
サヘラントロプス([学名]サヘラントロプス・チャデンシス:中央アフリカのチャドで発見された)
- 脳320~380cc、身長120~130㎝。
- 頭骨の形状から、直立二足歩行をしていたと考えられる(議論がある)。
- 発見されたのは、2001/02年.
○610万~580万年前 オロリン([学名]オロリン・トゥゲネンシス)
- 二足歩行をしていた証拠が残るもっとも古い化石。
- 発見されたのは、2000/01年。
○580万~440万年前 アルディピテクス(エチオピアで生活)
- 約440万年前のアルディピテクス・ラミドゥス=ラミダス猿人]と約580万~520万年前のアルディピテクス・カダッバの2種がある。
【解説】アルディ(約440万年前のラミダス猿人の女性)
アルディ (Ardi) は、約440万年前のアルディピテクス・ラミドゥス(ラミダス猿人)の女性と見られる化石人骨(化石人類最古の人身骨格)に与えられた愛称である。猿人の全身骨格として最初に発見されたルーシー(約318万年前)や、現存最古の幼児の全身骨格であるセラム(約332万年前)などより、100万年以上もさかのぼる。
発見は1994年、研究成果公表は2009年(『サイエンス』に発表)。
アルディピテクス・ラミドゥスのメスの平均身長は120㎝、体重は50kg。
(参考)the Smithsonian Institution’s National Museum of Natural History http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/ardipithecus-ramidus
◆420万~210万年前 アウストラロピテクス属(「華奢型猿人」ともよばれる)
○420万~390万年前 アウストラロピテクス・アナメンシス
○385万~295万年前 アファレンシス猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)
もっとも長く生存した種(90万年)の一つで、東アフリカの広範囲で化石人骨が発見されている。オスの平均身長は151㎝、体重は42㎏、メスの平均身長は105㎝、体重は29㎏。「ルーシー」は、このアファレンシス猿人に属する。(出典)http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/australopithecus-afarensis
○330万~210万年前 アフリカヌス猿人(アウストラロピテクス・アフリカーヌス)Australopithecus africanus
◆270万~120万年前 パラントロプス属(「頑丈型猿人」ともよばれる)
顎と臼歯が巨大化→固い植物を食べていたと推測される。アウストラロピテクス属及びホモ・ハビリスと併存していた。
○270万~230万年前 パラントロプス・エチオピクス Paranthropus aethiopicus
1985年発見。
○230万~120万年前 パラントロプス・ボイセイ Paranthropus boisei
1959年発見(メアリー・リーキーが発見)。オスの平均身長は137㎝、体重49㎏、メスの平均身長は124㎝、体重は34㎏。(出典)http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/paranthropus-boisei
ジンジャントロプス・ボイセイ(「くるみ割り人間」とも呼ばれる)=パラントロプス・ボイセイ
【解説】リーキー一家
1950年代から60年代にかけて、古人類学者ルイス・リーキー(Louis Seymour Bazett Leakey、1903 - 1972年)とメアリ・リーキー(Mary Douglas Leakey、1913 –1996年) の夫妻は、多くの重要な化石を発掘した。1959年、メアリは、ジンジャントロプス・ボイセイの化石を発見した。1976年、メアリは、タンザニアのラエトリで足跡を発見した。これは、360万年前のもので、ホモ・エレクトスが出現するはるか以前に人類の系統で直立二足歩行が生じたことの証拠である。1972年、夫妻の息子リチャード・リーキーは、ホモ・ルドルフエンシスの頭骨(KNM-ER 1470)を発見した。リチャードの妻ミーヴと娘のルイーズは、2008-2009年に、ケニアのクービフォラで頭骨化石を発見した。これは「KNMーER 62000」と名付けられ、ホモ・ルドルフェンシスの代表とされた(2012年に「Nature」に発表)。
(参考)イ・サンヒ、ユン・シンヨン『人類との遭遇ーはじめて知るヒト誕生のドラマ』早川書房、2018年、197-206頁。
Natureの記事については⇒https://www.nature.com/articles/nature11322
○180万~120万年前 パラントロプス・ロブストゥス Paranthropus robustus
1938年発見。
③ホモ属(ヒト属:Homo)の登場(260/240万年前)→旧石器時代(200~1万年前)の開始
○260/240万~140万年前 ホモ・ハビリスHomo habilis(猿人と原人の過渡期:「器用な人」の意)
ホモ・ハビリスは最初のヒト属(Homo)である。1960年発見。平均身長は100~135㎝、体重は32㎏。
200万前にホモ・ハビリスは石器(礫石器)を使っていたとされるが、同時代にはパラントロプス属も棲息して、石器も発見されていることから、石器がホモ・ハビリス特有のものであったかどうかは疑わしい。(参考)http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/homo-habilis
石器の利用がはじまった時代以降を「旧石器時代」(200万年前~1万年前)とよぶ。
○190万~180万年前 ホモ・ルドルフェンシス Homo rudolfensis
1972年に古人類学者リチャード・リーキー (Richard Leakey) と妻の動物学者ミーブ・リーキー (Meave Leakey) が率いた探検隊のメンバーだったバーナード・ンゲネオ (Bernard Ngeneo) が、ケニアのトゥルカナ湖東岸で発見。1986年に、「ホモ・ルドルフェンシス」という学名がつけられた。発見された頭骨は「KNM-ER 1470」とカタログ番号がつけられた。約190万年前のものと推定されている。
○189万~14万3000年前 ホモ・エレクトゥス Homo erectus
1891年発見。アフリカからアジアにまで広がる。
○70万~20万年前 ホモ・ハイデルベルゲンシス Homo heidelbergensis
1908年発見。ホモ・エレクトゥスのうち、アフリカを出てヨーロッパに向かったグループ。
○40万~4万年前 ホモ・ネアンデルタ-ルHomo neanderthalensis
1829年発見。最近の研究により、ホモ・サピエンスとの混血が確認された(下記④参照)。
○30/20万年前~現在 ホモ・サピエンス(唯一の現生人類)
1)アフリカで誕生(アフリカ単一起源説)。最古の化石は、19万5000年前のものとされてきたが、下記⑤の通り、30万年前の化石が見つかった。
2)ホモ・サピエンスの遺伝子は多様性に欠けている。それは、ある時点で個体数が激減したからだとされる(1000人以上、10000人以下と推定される)。個体数激減の理由としては、巨大噴火(7万5000年前のインドネシア・スマトラ島噴火)による気温低下などが考えられる。ホモ・サピエンスがアフリカを出た時期について確かなことはわかっていないが、およそ7万~5万年前にアラビア半島を経てユーラシア大陸に渡ったとする説が有力である。「出アフリカ」の地理的分断によって、4つの人種が生まれた。コイサン語族(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ人)、モンゴロイド(アジア~アメリカ先住民)、アボリジニ(オーストラリア先住民=4万年前にオーストラリアに渡る)である。(参考)ロイド(2012)『137億年の物語』119-123ページ。
3)16万4000年前までには、ホモ・サピエンスは、魚貝類を集めて調理するようになり、9万年前までには、漁撈の道具を生み出していた。1万2000年前には、植物の栽培をはじめ、家畜を飼うようになって自ら食料を生産するようになった。その結果、人間をとりまく環境も、地球環境も劇的に変化していくことになる。(参考)http://humanorigins.si.edu/evidence/human-fossils/species/homo-sapiens
○10万~5万年前 ホモ・フローレシエンシスHomo floresiensis
2003年発見。インドネシアのフローレス島で発見された。きわめて小柄で(身長106㎝、体重30㎏)、脳容量も小さかったが、狩りをして、火を使った。小柄であった理由としては病気説もあり、新種とする説には疑問も出されている。
(参考)以上のホモ属に関する年代・情報については、以下を参照。http://humanorigins.si.edu/evidence/human-family-tree
◆ホモ・エレクトゥスについて
○200万年前 原人の登場
原人の登場は200万年前と言われる。猿人と異なり、原人は体格が大きく、脳容量も大きく、石器を作り、火を利用した。原人の時代に、ヒトはアフリカから出て、各地に広がっていく。
○190万~7万年前 ホモ・エレクトゥス
東アフリカに原人ホモ・エレクトゥスがあらわれた。ホモ・エレクトゥスの一部はやがてアフリカを出る。
▶「(原人の)出アフリカ」
「原人は100万年前ごろにアフリカを出た」という通説は、1999/2001に発見された3つの頭蓋化石によって否定された。グルジアのドマニシで 180万~170万年前の化石、インドネシアで180万~90万年前の化石が見つかったことにより、原人は180万年より前にアフリカを出たと推測されるようになったからである(溝口2011:p.46)。
▶各地に分散したホモ・エレクトゥス
190万~140万年前 ホモ・エルガスター(アフリカに残ったホモ・エレクゥス)
180万年前 ≪出アフリカ≫?
180万~170万年前 ジャワ原人(化石年代は 170万~180万年前ごろ)
78万~68万年前 北京原人(化石年代は78万~68万年前ごろ)
60万~20万年前 ホモ・ハイデルベンゲンシス
※ヨーロッパの原人ホモ・エレクトゥスは、ホモ・ハイデルベルゲンシス(化石年代は60万年前から40万年前)とよばれる。
(関連記事)⇒*【年表】アフリカ史(1)ー地域別
④ネアンデルタール人と現生人類の併存・混血
ネアンデルタール人とホモ・サピエンス(現生人類)は、かつては「異種のため、混血できない」とする考え方が有力であったが、2010年5月7日の『サイエンス』に、ホモ・サピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているとの説が発表された。両者は生殖活動を行い、共通の子孫を残したのである。
ネアンデルタール人は、約23万年前(あるいは13万年前)に出現し、3万年前に絶滅したが、その理由は解明されていない。彼らは、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで広く分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。他方、ホモ・サピエンスがホモ・ハイデルベンシスから分離したのは、20万~10万年前とされる。
また、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスの直接の先祖でないことが確認されて以降(1997年)、「旧人」「新人」という表現はほとんど使われない。
⑤ホモ・サピエンスの登場
【2017年6月8日CNN及び朝日新聞記事をもとに要約】2017年6月8日、イギリスの科学誌『ネイチャー』に、ドイツ・マックス・プランク進化人類学研究所などの研究チームが以下の内容を発表した。
- (発見内容)アフリカ北部モロッコで、約30万年前のものとみられる初期の現生人類ホモ・サピエンスの骨を発見した。見つかったのは青少年期の3体と青年期の1体、推定8歳の子ども1体の計5体の化石で、頭蓋骨の一部や下あごの骨などが含まれていた。同じ地層からは石器や動物の骨、たき火の跡も発見された。頭蓋骨は顔の特徴が現代の人類とよく似ているが、頭蓋は細長い形状で、初期の人類の原子的な特徴を備えていた。
- (従来の通説)ホモ・サピエンスの化石のうち、もっとも古いものはアフリカ東部のエチオピアで発見された19万5千年前の化石であった。これをもとに、ホモ・サピエンスは20万年前にアフリカ東部で出現したとする説が有力であった。
- (画期的な点)ホモ・サピエンスが東アフリカに限られていたとする定説を覆した。
- ホモ・サピエンスの化石はこれまで南アフリカや東アフリカで発見されていたが、北アフリカで見つかったのは今回が初めてである。これによって、「人類の揺りかご」がアフリカ大陸全体に広がったことになると研究チームは解説している。
- 30万年前ごろには、初期のホモ・サピエンスが既にアフリカ全土に分散していたと思われる。(33万年~30万年前のアフリカにはサハラ砂漠も存在せず、ほかの大陸とつながる部分もたくさんあったと推定される)。
(参考)https://www.asahi.com/articles/DA3S12977657.html
【解説】クロマニョン人(ホモ・サピエンスの一種)
クロマニョン人という呼称は、人骨発見の地名(フランス)にちなむもので、種名ではない。クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ・サピエンス(Homo sapiens) に属し、コーカソイドに入ると考えられる。およそ4万~1万年前に棲息。しかし、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。 また、精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残した。
→*【図像】地母神・女性像
⑥アフリカ単一起源説
かつては、各地に広まった原人から旧人・新人へと発展したという説(多地域多系統同時進化説)が通説であったが、最近では、「アフリカ単一起源説」(地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、その後世界中に伝播していったとする説)が主流になっている。とくに、分子系統解析の進展(いわゆるミトコンドリア・イブやY染色体アダムなど)によって、人類は20万~14万年前に共通の祖先を持つことがわかり、これは「アフリカ単一起源説(=新しい出アフリカ説)」を強く支持するものである。他方、ミトコンドリアDNAの分析では、現代人の共通祖先の分岐年代は14万3000年前±1万8000年であり、ヨーロッパ人とアジア人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定された。
【参考文献】大貫・前川・渡辺・屋形『世界の歴史1』中央公論社、1998年
【参考】『サイエンス』Science2010年5月7日号ハイライト
「ネアンデルタール人のゲノム配列Neandertal Genome Sequenced
出典:http://www.eurekalert.org/pub_releases/translations/sci050710jp.pdf
(4)石器時代の区分
旧石器時代の区分 | 年代 | 特徴 | 人類 |
前期旧石器時代 | 260万年前 ~30万年前 | ハンドアックスがひろく用いられた。 | ホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流。 |
中期旧石器時代 | 30万年前 ~3万年前 | 剥片石器が出現した。 | ネアンデルタール人が広がった。極東アジアの中期石器文化は、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された可能性が大きいとされる。 |
後期旧石器時代 | 3万年前 ~1万年前 | 石器が急速に高度化、多様化した。 | クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流。 |
(5)気候の変化/人類の起源と移動
2万2000年前 最終氷河期が寒さのピークを迎える→海面の低下。
1万4000年前 氷河期の終わり(間氷期:現在まで)→氷河の融解がピークを迎える(8000年前まで融解が続く)→気温の上昇(7度上昇)+海面の上昇(25㍍上昇)[ロイド2012:140ページ]
(6)洞窟壁画
【補足】ショーヴェ洞窟壁画(フランス南東部)(2022年2月16日掲載)
1994年に発見された。2014年に世界遺産に登録された。
2016年の研究(年代測定)によれば、この洞窟の利用は2期に分かれる。前期は37000~33500年前、後期は31000~28000年前。2020年の研究で、最古の壁画は36,500年前と測定された。
(出所)下記の絵とも、https://en.wikipedia.org/wiki/Chauvet_Cave(2022年2月16日閲覧掲載)
クロマニョン人の洞窟壁画
ラスコー洞窟壁画は、世界遺産「ヴェーゼル渓谷の先史的景観と装飾洞窟群」の1つに指定されている。今は保存のため、閉鎖されている。
アルタミラ洞窟壁画も、世界遺産に登録されている。こちらも保存上の理由から、非公開である。
絵は、光の届かない洞窟の奥深くに描かれており、何らかの呪術的目的をもっていたのではないかと考えられる。
顔料は、粘土・酸化鉄・動物の脂肪(粘りけを出すため)などから作られた。
①ラスコー洞窟壁画
ラスコー洞窟壁画(南西フランス)は、17,300年前頃のものと推定されている。旧石器時代のもので、クロマニョン人が描いた。絵の数は2000点ほどに及ぶ。
②アルタミラ洞窟壁画
アルタミラ洞窟壁画(スペイン北部)は、ソリュトレ期に属する約18,500年前頃のものと、マドレーヌ期前期頃の約16,500年前~14,000年前頃のものが含まれる。洞窟の長さは約270mほどである。落石により入り口が封鎖された結果、保存された。
これらの壁画は、1879年に、この地の領主(法律家・アマチュア考古学者でもある)マルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵(Marcelino Sanz de Sautuola)の12歳の娘マリアによって偶然発見された。
(7)旧石器時代の日本
4万年前までには、ホモ・サピエンスは日本に到達していたと推測される(溝口2011:p.122)。
旧石器時代(200万年前~1万年前)
○1949年、相沢忠洋が、岩宿(現・群馬県みどり市)で関東ローム層中から旧石器を発見した。日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。砂原遺跡(約12万年前)で前期旧石器、金取遺跡(9~8万年前)で中期旧石器が発見されている。現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代に残されたものである。
○約27000年前 「(復元された)国内最古の顔」 沖縄県立埋蔵文化財センターの発表(2018年4月20日)によると、沖縄県石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で見つかった旧石器時代の人骨(約2万7千年前)の生前の顔がデジタル復元された。30代から40代の男性の顔で、「復元された国内最古の顔」とされる。顔立ちは、いわゆる「南方系」の顔立ちに近く、鼻の付け根が落ち込む彫りの深いもので、中国南部や東南アジアの古人骨や、のちの縄文時代人と似ている。(参考:2018年4月21日朝日新聞デジタル記事)
【旧石器時代と日本】(2022年2月16日掲載)
2003年に、日本旧石器学会が発足した。→日本旧石器学会のHP http://palaeolithic.jp/index.htm
同学会は、次のように設立趣旨を説明している。
「2000年11月に発覚した前・中期旧石器時代遺跡捏造問題については,その後の日本考古学協会および地元の学会・自治体等の検証作業により,20数年間にわたって捏造が行われていたことが明らかにされました。この間,考古学界は捏造を防止できなかったことについて厳しい世論の批判をあびてきました。とりわけ日本列島における旧石器時代の研究が,蓄積されつつある膨大な資料のなかで地域ごとの研究や個別テーマの研究を深化させた一方で,研究の方法論的な点検,地質学・人類学・古生物学・古植生学等の隣接科学分野との連携,海外研究者との交流の推進に必ずしも十分な配慮を行ってこなかった等の点は,強く反省しなければならないところです。(以下略)」(出所:http://palaeolithic.jp/purport.htm 閲覧引用:2022年2月16日)
同学会では、下記の通り、研究成果を公表している。そのうち、日本の旧石器時代・縄文時代草創期の全遺跡を示す地図を以下に転載する。詳細は、『日本列島の旧石器時代遺跡』を参照されたい。
縄文時代(約1万5,000年前~約2,300年前)
中石器時代ないしは新石器時代に相当する。かつては、縄文時代には稲作はなかったとされていたが、最近の考古学的研究により、縄文時代における稲作の痕跡が多数確認されている。
弥生時代
前1000年頃あるいは前300年頃(見解が分かれている)~後3世紀中頃までの時代(次の時代を古墳時代という)。農耕が安定的に開始した。
【参考文献】
溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』ソフトバンク新書、2011年
大貫・前川・渡辺・屋形『世界の歴史1』中央公論社、1998年
クロストファー・ロイド『137億年の物語ー宇宙が始まってから今日までの全歴史』文藝春秋、2012年
日本旧石器学会編『(データベース)日本列島の旧石器時代遺跡』2010年、http://palaeolithic.jp/data/index.htm