目次
セクシュアルハラスメント概念の成立と制度化
掲載:2024-03-09 執筆:北仲千里
本記事は、『<ひと>から問うジェンダーの世界史』第1巻「身体・セクシュアリティ・暴力」(大阪大学出版会、2024年)の関連記事です。
第5章 性暴力と性売買 2)性暴力の歴史
③セクシュアルハラスメント概念の成立と制度化(北仲千里)
(内容)◆アメリカで産まれたセクシュアルハラスメント概念 ◆アメリカでの主要なセクシュアルハラスメント事件 ◆日本におけるセクシュアルハラスメントの法制度化と概念 ◆セクシュアルハラスメントと性別 ◆セクシュアルハラスメント以外のハラスメント ◆セクシュアルハラスメントの犯罪化
【補論】ジャニー喜多川による性加害事件(北仲千里)
【概要】
男性タレント、アイドルグループが多数所属する「ジャニーズ事務所」(株式会社ジャニーズ事務所、以下「同社」)の創設者で代表取締役社長を長年つとめていたジャニー喜多川(2019年7月没)が、多数の男児、男性に性加害を行っていたことが告発された事件。
知人の子らに対する70年前(1950年代)の性暴力や、芸能学校の受講者、そして数多くの芸能界を目指す「ジャニーズJr.」と呼ばれる少年たちに対し、身体接触、口腔性交、肛門性交などを含む同意のない性行為の強要が長期間にわたり、常習的に行われていたと言われている。
加害は、2023年8月29日に公表された同社の「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書(公表版)[i]では、「ジャニー氏の性加害の事実が1950年代から2010年代半ばまでの間にほぼ万遍なく存在していたことが認められた。」「被害者のヒアリングからは、少なく見積もっても数百人の被害者がいるという複数の証言が得られた。」とされている。SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)公式ウェブサイトでの公表情報によると、2024年1月31日現在で補償受付窓口への申告者数 948人であるという[ii]。
同調査報告者や報道によると、10代以下や10代前半までの少年が加害対象とされ、10回、20回、50回、100回と繰り返し被害を受けたという訴えもなされている。また、ジャニー氏以外にも、ジャニーズ事務所の社員による性加害もあった。少年らが寝泊まりする「合宿所」や、TV局内などで多くの加害は行われていた。
これらの加害行為は、1965年の訴訟、1980年代の複数の暴露本の出版などにより、何度か問題にされ、1999年~2000年の「文芸春秋」誌による集中的報道、2000年の国会質問などでも取り上げられることなどがあり、同社が文芸春秋を相手取り名誉棄損を訴えた裁判においては2004年、性加害の真実性を認める判決が確定していた。にもかかわらず、2023年までは大きな問題として社会的な注目を集める状況には至らず、同社はジャニー氏死去後も問題を認めることなく多くのタレントによる芸能事業を続けていた。
2023年3月イギリスの公共放送局BBCが、ドキュメンタリー「J-Popの捕食者 秘められたスキャンダル」(“Predator: The Secret Scandal of J-Pop”)を放送したこと、そして、被害者カウアン・オカモト氏が4月に実名で取材に応じ、日本外国特派員協会で記者会見を行ったこと、それに続き何人もの被害者がメディアの取材を受けるなどして告発したこと、さらに、国連の人権理事会(Human Rights Council)の「ビジネスと人権」作業部会が、来日調査時にこの事件についても調査し、会見をしたことなどによって大きく状況が変化した。同社は外部専門家による調査をふまえ問題の所在を認め、被害補償などの動きが開始された。これにより、日本のエンターテインメント業界に非常に大きな影響力をもっていた同社は「解体的出直し」を迫られ、社名変更し補償を行う会社への転換やタレントの流出、所属タレント・マネージメントの別会社設立などが起こることとなった。
【この事件の特徴や特筆すべき点】
1.性暴力としての論点
(1)権力・影響力を背景とした性暴力であり、多くのケースは企業におけるセクシュアル・ハラスメントであること
ジャニー氏はタレントのマネージメントについて絶大な影響力、権力をもっており、被害者たちは支配され、手なづけられていった。2023年7月施行の刑法性犯罪規定の改正までは、このような地位・関係性により同意していない性行為を拒否できない状態が「犯罪」として扱われない状況であった。
(2)男性、少年に対する性暴力であること
幼く若い少年たちにとって、されている行為の意味がわからなかったり、また、社会の男性同性愛への偏見によって男性間の性的行為の経験を恥と捉えたり、「笑い話」にすべきことと認識するなどのことがあり、一層、被害申告や告発が難しい状況にあった。しかし、この事件の告発を受け、男性の性暴力被害者も深刻な心理的な後遺症や人生への影響を受けているということへの社会の理解が進んだ。男性・男児の被害者が安心して相談できる相談窓口の整備が国の政策にも掲げられるようになった。
(3)児童性虐待であること
大人から子どもに対する児童性虐待でもあるが、日本の児童虐待の防止等に関する法律上では、「児童虐待」を、保護者がその監護する児童について行う行為としており、対策が不十分な状態にある。
(4)二次被害、被害者非難
性暴力被害者に対しては常に社会から訴えを疑うこと、本人の落ち度を責めるなどの二次加害行為が行われるが、この事件に対しては、ジャニーズのタレントのファンの中から、告発を疑ったり責めたりする言説が現れ、被害を申告した人に対する攻撃も深刻化し、それが原因とも思われる被害者の自死事案も発生している。
2.問題を隠蔽し、継続させた背景
(1)ジャニーズの業界への支配力
日本のエンターテインメント業界を同社が強力に支配していたため、問題を指摘し、同社のタレントの採用をしないなどの行動をマスメディアやスポンサーがしなかったこと
(2)日本国内メディアの沈黙
報道や訴訟などがあっても、同性愛への偏見や、ジャニーズ事務所の影響力の大きさなどから、主要メディアが深く取材し取り上げる動きが2023年までなかったこと
(3)企業のガバナンス、不作為
未成年や児童を多く採用する会社であるにも関わらず、同社の経営組織や規程整備などコンプライアンス・ガバナンス体制が非常に脆弱で、被害相談に対しても適切に対応しないなどの事業所としての不作為があったこと。また、こうした企業の人権を守る社会的責任という考え方が近年まで特に日本においては弱かったこと などが挙げられる。
注
[i]調査報告書(公表版)調査報告書(公表版).pdf (saihatsuboushi.com)
[ii] https://www.smile-up.inc/s/su/group/detail/10010?ima=5528
アメリカのセクシュアルハラスメント事件
アニタ・ヒル事件(1991年)
アニタ・ヒル(1956~):アメリカ合衆国の弁護士、法学者。専門は社会政策、法律学、女性学。
アニタ・ヒルは、1991年、教育省及び雇用機会均等委員会の元上司である、当時最高裁判事候補クラレンス・トーマスをセクシャル・ハラスメントで訴えた。
本件はアメリカ社会にセクシャル・ハラスメントを認知させた事件と言われる。
翌1992年に行われた選挙では、女性候補者と当選者数が史上最多となるなど、アメリカ社会に影響を与えた。
#Me Too
日本
男女雇用機会均等法
第二節 事業主の講ずべき措置等
(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置等)
第十一条 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。
2 事業主は、労働者が前項の相談を行つたこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
3 事業主は、他の事業主から当該事業主の講ずる第一項の措置の実施に関し必要な協力を求められた場合には、これに応ずるように努めなければならない。
4 厚生労働大臣は、前三項の規定に基づき事業主が講ずべき措置等に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(次項において「指針」という。)を定めるものとする。
5 第四条第四項及び第五項の規定は、指針の策定及び変更について準用する。この場合において、同条第四項中「聴くほか、都道府県知事の意見を求める」とあるのは、「聴く」と読み替えるものとする。
(職場における性的な言動に起因する問題に関する国、事業主及び労働者の責務)
第十一条の二 国は、前条第一項に規定する不利益を与える行為又は労働者の就業環境を害する同項に規定する言動を行つてはならないことその他当該言動に起因する問題(以下この条において「性的言動問題」という。)に対する事業主その他国民一般の関心と理解を深めるため、広報活動、啓発活動その他の措置を講ずるように努めなければならない。
2 事業主は、性的言動問題に対するその雇用する労働者の関心と理解を深めるとともに、当該労働者が他の労働者に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる前項の措置に協力するように努めなければならない。
3 事業主(その者が法人である場合にあつては、その役員)は、自らも、性的言動問題に対する関心と理解を深め、労働者に対する言動に必要な注意を払うように努めなければならない。
4 労働者は、性的言動問題に対する関心と理解を深め、他の労働者に対する言動に必要な注意を払うとともに、事業主の講ずる前条第一項の措置に協力するように努めなければならない。
日本の#Me Too
(参考)BBC News Japan(2018年4月25日) 日本の #MeToo:沈黙を破り始めた女性たち - BBCニュース