「やまとなでしこ」賛美と女性選手

掲載:2024/03/09 執筆:來田享子

本記事は、『<ひと>から問うジェンダーの世界史』第1巻「身体・セクシュアリティ・暴力」(大阪大学出版会、2024年)の関連記事です。

第1章 5)さまざまな「らしさ」
②「やまとなでしこ」賛美と女性選手(來田享子)
(内容)◆「やまとなでしこ(大和撫子)」という言葉の意味 ◆「やまとなでしこ」と形容された女性選手たち ◆少女雑誌や婦人雑誌が補完した女性選手のイメージ ◆戦後の「やまとなでしこ」と女性選手

言葉が消えても残る影響ー渡邉すみ子選手の場合(本文記事の追加)

◆言葉が消えても残る影響

「撫子」の花の名称は、子(女性)を撫でるようにしてかわいがる様に由来するという。1932年ロサンゼルス大会に出場した渡邉すみ子を報じた記事は、年齢の若さ、身長・体重の小ささを強調する本文に「大和撫子」の見出しを付けたものであった。「撫子」の文字がひときわ大きく印字されていた。女性選手を男性選手に比して矮小化するメディア報道は、現在でも問題視されている。「やまとなでしこ」の語は用いられずとも、そこに含まれていたジェンダー規範が女性選手を抑圧する事例があることには留意が必要である。

渡邉すみ子(1916ー2010年)
※1932年ロサンゼルスオリンピックに15歳で出場した。陸上競技のオリンピック日本代表選手としては最年少(2021年現在)。女子100M、女子400メートルリレー。中京大学体育学部教授(専門は陸上競技)を務め、また中京大学陸上競技部女子部の初代部長を監督兼任で務めた。1964年の第18回東京オリンピックでは女子チーム強化コーチを担当した。
(1932年写真)
(出典)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sumiko_Watanabe_1932.jpg
当時の新聞記事(1932年)

やまとなでしこ

カワラナデシコ(ヤマトナデシコ)
秋の七草の一つ
(出典)File:カワラナデシコ Dianthus superbus var. longicalycinus.JPG - Wikimedia Commons

女性選手

日本の女性選手

人見絹枝(1907-31年)(1928年オリンピック時の写真)
1928年アムステルダムオリンピックに日本女子選手として初出場(陸上競技)
(出典)File:Kinue Hitomi 1928.jpg - Wikimedia Commons
前畑秀子(1914ー95年)(1936年オリンピック時の写真)
1936年ベルリンオリンピックで日本初のオリンピック女子金メダリスト
(出典)File:Maehata Hideko 1932.jpg - Wikimedia Commons

当時の新聞報道ー「やまとなでしこ」への言及

人見絹枝選手の記事(1928年)
渡邉スミ子選手の記事(1932年)

参考文献

小石原美保(2014)「1920ー30年代の少女向け雑誌における「スポーツ少女」の表象とジェンダー規範」『スポーツとジェンダー研究』12巻