目次
古代東アジアの女帝
掲載:2023-09-15 執筆:河上麻由子
日本古代の女帝(6世紀末~8世紀後半)
系図(濃いオレンジが女帝)
新羅の女帝(善徳女王・真徳女王:7世紀前半)
系図
地図
武則天(中国唯一の女帝)(位:690~705年)
武則天(中国唯一の女帝)(624~705年、位:690~705年)
637年 第2代皇帝太宗(592~649年、位:626~649年)の後宮に入る。
655年 第3代皇帝高宗(628~683年、位:649~683年)の皇后となる。→ 皇帝に代わって「垂簾聴政」を行う。
683年 中宗(武則天の実子)が皇帝位につく。→ 実権は、武則天が握る。
684年 睿宗(中宗の弟、武則天の実子)が皇帝位につく。→ 実権は、武則天が握る。
690年 武則天みずから皇帝位につき、国名を「周」とする。
705年 中宗が復位(唐の復活)。武則天の死去。
武則天時代の唐
参考文献
河上麻由子「則天武后の権威の多元性」を収録
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*国際シンポジウムアジア・ジェンダー研究ウェビナーシリーズ第4回:消えた女王ー東アジア社会の父系化をめぐって(2023年3月11日)
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義江明子「4-3 平城京と女帝の時代」(『歴史を読み替えるージェンダーから見た日本史』大月書店、2015年)
小浜正子「4-2 中国貴族制社会の女性の活躍」(『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』大月書店、2014年)