東南アジアの家族・親族

掲載:2023-09-15 執筆:桃木至朗

東南アジア史年表(202309桃木至朗作成)

180万年~4万年前 ジャワ原人などのヒト属が生息。

前4000年紀 大陸部で農耕社会始まる。島嶼部は前2000年紀から。

前2000年紀後半 金属器文化の出現(バーンチェン文化など)。

前500ころ~後1~2世紀 雲南~ベトナム北部や東北タイで鉄器使用と初期国家の形成が始まる。平野部では双系制的な家族・親族構造が一般的なので、王権も個人のカリスマや能力に依存する「マンダラ」の特徴を帯びるのが普通。

前3~2世紀 中国の秦・漢が南方に領域を拡大し、漢は華南・北部ベトナムと雲南を支配下に入れる。

前2?~後1? 海路を利用して、漢とインドの黄支国(インドのカンチープラム)との間で使者が往来。海路に沿って各地に港市が成立。

後40~42 北部ベトナム(交趾郡)で、ハイバーチュン(徴姉妹)が後漢に対し反乱。

166 大秦国王安敦(ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスか)の使者が日南郡(中部ベトナム)に至る。

2世紀末 中部ベトナムで林邑が自立(のちのチャンパー)

2?~7世紀 メコン下流域で港市オケオが東西貿易の拠点として繁栄、そこを支配する国家扶南が成立。

4世紀後半~5世紀 東南アジアの初期国家群において、仏教やヒンドゥー教、サンスクリット語やインド系王権神話などを核とする「インド化」が進む(サンスクリット語のほか、インド系文字による現地語の碑文も多数作成される)。そのころ、ベンガル湾から南シナ海に至るモンスーン航海が確立。

6~8世紀 メコン中下流域の真臘、チャオプラヤー流域のドヴァーラヴァティ、エーヤーワディー流域のピューなど、一定の農耕基盤をもつ国家が発展。

7世紀~9世紀前半 マラッカ海峡を抜ける交易ルートが発展、スマトラ島・マレー半島の港市連合シュリーヴィジャヤ、ジャワ島の農業国家(シャイレンドラが現れ9世紀前半に密教建築ボロブドゥルを建設、他方でヒンドゥー教の古マタラムも繁栄)などが強大化する。そのころ雲南では南詔が勢力拡大。

9世紀 カンボジアのアンコール王権が成立・発展(13世紀初頭の全盛期まで拡大を続け、12世紀のアンコールワットなど巨大建築群を残す)。そのころ島嶼部にはイスラーム商業ネットワークが広がり(対抗して中国人も海上新出)、そこで占城(チャンパー)、三仏斉(ジャーヴァカ。シュリーヴィジャヤを引き継いだ港市連合)などが繁栄。このころから14~15世紀にかけて、近世以降の国家によって国のかたちの原型とみなされたような国家群が各地に出現(憲章国家)。

10世紀 ジャワの政治中心がクディリなど東部に移動。中国支配下の北部ベトナムでは大越が自立。1010年には最初の父系王朝李朝がタンロン(昇龍)都城を建設。

11世紀 エーヤーワディー流域にビルマ人が南下、バガン(パガン)などの王朝を建てる。

13-14世紀 大陸部北部でタイ系諸民族が勢力拡大、各地にタイ、ラオスその他のもとになる盆地国家群を形成。

13世紀後半 モンゴル帝国が雲南・大陸部北部山地、大越、チャンパー、ジャワなどにつぎつぎ出兵。軍事的にはあまり成功しなかったが、東・南シナ海からインド洋以西につながる海上交易ルートは発展。

14世紀 地球寒冷化、季節風の変動などの「14世紀の危機」が東南アジアにも大きく影響。大陸部ではカンボジアが衰退(15世紀にアンコールを放棄)、逆にジャワのマジャパヒトなど強大化する勢力も出現するが、全体にヒンドゥー・大乗仏教的文明は衰退し、大陸部の上座部仏教化(パーリ語を用いる)、島嶼部のイスラーム化が本格化する。

15世紀 前半に鄭和の航海、琉球との貿易など明の海禁・朝貢体制の影響が東南アジアに及ぶ。これを利用して発展したムラカ(マラッカ)は、明が消極化した世紀後半にはインド洋のイスラームネットワークと結び、西方への香辛料輸出などで繁栄。他方、明の侵攻を撃退した大越では、中国型の官僚制国家(法典『国朝刑律』の編纂も)が発展し、南方・西方への勢力拡大とともに、王権の父系継承が定着。父系親族集団(ゾンホ)の形成も始まる。

1511 ポルトガルがムラカ(マラッカ)を占領。そこからマルク(モルッカ)諸島にも進出したが、マラッカ海峡域ではジョホール・アチェなどイスラーム勢力との抗争が続く。

1521 マゼランがセブ島で首長ラプラプに敗死。

1565 スペインがフィリピン植民地化を開始。ガレオン貿易でメキシコから大量の銀がマニラを経由してアジア各地に運ばれる。その影響と倭寇対策などを背景に、明の海禁が緩和に向かう。

16世紀半ば ヨーロッパ式銃砲の普及も背景に、大越が分裂(17~18世紀には北部「黎鄭政権」と中南部の阮氏の対立が固定化)、強大化したビルマのタゥングー朝が北タイのチェンマイ、ラオスのルアンパバーン、タイのアユタヤをすべて占領する(16世紀末には復興したアユタヤの反攻により瓦解)など大陸部で大きな政治変動が起こる。ジャワのマタラムなどの軍事商業政権が各地で発展し、そこで都市や世界宗教も発展。

17世紀前半 ネーデルラント(オランダ)のVOC(連合東インド会社)がバタヴィア(ジャカルタ)を拠点としてアジア各地を結ぶ貿易を展開し、ポルトガル・スペインなどの勢力は後退。中国人・日本人の交易活動(日本の朱印船貿易)は発展し、各地に日本町が成立(鎖国後も中国人やオランダの手によって大規模な貿易が継続)。アユタヤはサファヴィー朝やフランスなどとも結んで繁栄。外来の人々(ほとんど男性)は女性の経済活動や財産所有が当たり前だった状況下で、「現地妻」を通じて商売をするのが普通。

17世紀後半 地球寒冷化などを背景とした「17世紀の危機」。ヨーロッパ香辛料市場は低迷、明清交替期の動乱や日本市場の本格的な閉鎖化(1680年代以降)などが重なり、東南アジアの遠隔地貿易は衰退。その打撃も受けて、ラーンサーン(ラオス)、マタラムなど分裂・衰退が各地で起こる。

17世紀末~19世紀初頭(長い18世紀、華人の世紀)ブギス人の活躍などはあるが全体に土着勢力による交易活動は衰退、島嶼部ではヨーロッパ人による面的な植民地支配とそこでの商品作物栽培の強制(ルソン島のサトウキビ、ジャワ島のサトウキビ・コーヒーなど)、それに中国人による未開地域の農業・森林資源や鉱山の開発などが進む(大陸部北部も同じ)。大陸部では18世紀中葉に再度の大動乱がおこるが(ベトナムのタイソン反乱、ビルマのコンバウン朝によるシャムのアユタヤ朝滅亡など)、その終結後には現代国民国家につながる三大王国(阮朝越南、シャムのラッタナコーシン王朝、ビルマのコンバウン朝がインドシナの覇権を争う状況が出現、それに挟まれたカンボジア・ラオスは弱体化。これらの全体で、内向きの文化統合や世界宗教・外来の文化芸術などのローカライズが進み、植民地支配下を含めてそれぞれの「伝統文化」が結晶してゆく(女王が続いたアチェやパッタニーなどもあり、世界宗教が持ち込んだ家父長原理は直線的には普及しない)。

1819 英、シンガポールを領有(26ペナン・ムラカと合わせ海峡植民地)。

1824 英蘭ロンドン条約でマレー半島はイギリス、スマトラ島はオランダの勢力範囲とされ、イギリスはマレー半島の小国をつぎつぎ保護国化して英領マラヤを形成(1888ボルネオ島の3領土も保護下に入れる)、オランダもスマトラ・ボルネオその他の小国を支配下にいれ、20世紀初頭にオランダ領東インドが完成。同時期にスペインによるフィリピン群島南部の支配も進む。

1824-26 第一次イギリス・ビルマ戦争 1885までに全ビルマが英領(インドの一部、1923年分離)となる。

1830 オランダがジャワ島で政府管掌栽培(強制栽培)制度を施行。1860年代以降につぎつぎ廃止。このころからインド人や中国人の労働力の大量導入(日本の「からゆき」など女性の性労働とセット)も含めて、各地で人口が急増。少人口世界としての東南アジアの特徴が徐々に消失する。

1855 シャムが英とバウリング条約を結ぶ。以後、列強と不平等条約を結び従属化する一方で、王室主導の上からの近代化と国民国家化を進め(近代家族モデルも導入を図る)、不平等条約改正を段階的に進める。

1858 フランスのベトナム侵略開始、1867年に南部(コーチシナ)、1884年に中部・北部を支配し阮朝を保護国とする(清仏戦争後に天津条約で清の宗主権を放棄させる)。カンボジア・ラオスと併せ1887年にフランス領インドシナ連邦(仏印)を設立。

1896 フィリピン革命始まる。1898独立を宣言するが、米西戦争でフィリピン統治権を引き継いだ米がこれを鎮圧、アメリカ式教育などを推進。

20世紀初頭 植民地国家体制が整備され開発が進む一方で、第一次大戦後にかけて、各地で民族運動が強まる(フィリピン以外にベトナム、ビルマ、オランダ領東インド[アジアで最初の共産党も成立]など)が、それは男性指導者中心で近代家族モデルに近づくものが多かった。

1930年代 世界恐慌下で植民地権力と民族運動の対立が激化。インドシナ共産党や、スカルノらのインドネシアの運動が拡大。シャムでは1932立憲革命により絶対王制が廃止される。30年代末には南進政策を決めた日本(1940 日本が北部仏印に進駐して「日仏共同統治」 41南部にも進駐)と、ビルマのアウンサン、タイ(シャムから改称)のピブンなどの民族運動指導者が日本に接近。

1941 日本軍が英領コタバルとハワイ・真珠湾を奇襲攻撃(タイ領ソンクラーにも無断上陸)してアジア太平洋戦争が始まる。42にかけてシンガポール占領など全域を支配下に入れ軍政を敷く(タイは「同盟国」)。それにともない、男女の作家などを派遣した「宣撫工作」、軍属による各種技術などの指導が展開される一方で、「慰安婦」問題やハイパーインフレによる経済困難も広がる。

1943 大東亜会議でフィリピン・ビルマの「独立」を承認。45には「仏印武力処理」でフランス人を追放しインドシナ三国も「独立」させるが、日本の劣勢挽回には至らず、左派系抗日ゲリラ活動、対日協力政権内部で連合国に内通する動きなどが広がる。

1945~ 日本が降伏すると、インドネシア(8月17日)、ベトナムの独立宣言(9月2日)など各地で素早い動きがおこるが、米領フィリピン(1946独立)を除き東南アジア植民地の独立を認めていたわけではない連合軍の進駐により、各地で独立戦争(1945~49インドネシア独立戦争、1946~54インドシナ戦争など)や反乱が起こる。日本の講和と賠償は西側および中立諸国に対してのみ行われる。

1945~ 話し合い独立を認める方針の英は1948にビルマ連邦を独立させるが(62から軍政)、英領マラヤでは交渉がこじれ、1957独立のマラヤ連邦を経て1963発足のマレーシアも、65シンガポール分離など不安定が続く。

1954 ジュネーヴ協定でフランスがインドシナから撤退するが、アメリカが代わって介入するなかで、南北分裂が固定化。60ベトナム南部解放民族戦線のゲリラ戰が始まる。

1965 アメリカのベトナム直接介入(~73)。その後戦火はラオス・カンボジアにも波及、ベトナム南部では韓国軍による虐殺・性犯罪なども起こり、2000年代にその和解が課題となる。

1965 インドネシア9.30事件で中国・北朝鮮に接近していたスカルノ政権が倒れる。

1967 ASEAN(東南アジア諸国連合)結成。その時期から「開発独裁」(シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアなど)の経済成長と、日本の企業進出が本格化し、各地に日本人の「駐在員社会」も成立。

1975 インドシナ三国の親米政権が相次いで倒れ、社会主義政権が成立するが(76南北正式統一によりベトナム社会主義共和国となる)、カンボジアのポル・ポト政権による大虐殺、ベトナムからの大規模な難民流出なども起こる。

1975 東ティモールがポルトガルから独立するが、インドネシアが侵攻して併合を図る。

1978 ベトナムがカンボジアに侵攻してポル・ポト政権を倒すが、米中などがこれを認めず「カンボジア紛争」が続く。79中国がベトナムに出兵(中越戦争)。

1984 ブルネイ・ダルサラーム国が独立。

1986 ソ連のペレストロイカ、中国の改革開放政策などにならいベトナムのドイモイ(刷新)、ラオスの「新思考」など市場経済化と国際社会への参入の路線が始まる。完全中立のビルマ(ミャンマー)軍政も開発独裁に接近を開始。

1991 カンボジア和平パリ協定調印。93新生カンボジア王国が成立するが、実権は徐々に親越政権の首相だった元ポル・ポト派のフン・センが握る。

1997 タイ・インドネシアなどを巻き込んだアジア通貨金融危機(インドネシアではスハルト政権が倒れ民主化)。

1999 カンボジアの加盟でASEAN10が実現(ベトナム・ラオス・ミャンマーもそれぞれ90年代に加盟)。日中韓とのASEAN+3など外交対話も推進。2010年代には加盟諸国のほぼ全部が中所得国以上となる。

2002 国連暫定統治を経て東ティモールが独立。

2004 シンガポールでリー・クワンユー(首相1959-90)の長男のリー・シェンロンが首相となる。カンボジアのフン・センが長男に実権委譲(2023)など、世襲の動きも顕在化。インドネシアのメガワティ・スカルノプトリ(大統領2001-04)、フィリピンのコラソン・アキノ(大統領1986-92)とグロリア・アロヨ(同2001-10)など、有名指導者の妻や娘が選挙で大統領などに選ばれる例も続いている。

2004 スマトラ沖地震・津波でマレー半島西岸を含め大きな被害が出る。

2007 東南アジア共同体を目ざすASEAN憲章を採択、15にはASEAN経済共同体も発足する一方、域内外の人身売買的な労働力移動(日本の技能実習生も)、南シナ海をめぐる中国の圧力の強化などの問題を抱える。

2015 ミャンマー総選挙で軍政支持派が敗れ、アウンサン・スーチーを事実上の指導者とする政権が成立。しかし2021クーデタで再度軍政がしかれ、彼女は拘束される。

2016 第二次大戦後に開発政治や民主化運動も利用しながら王権の再強化に成功したタイのプーミボン国王(ラーマ9世。位1946-2016)が死去。後継の長男ワチラロンコーンの権威は弱く王制の危機が懸念されている(王室典範で一夫一婦制と男子のみの継承を定めたため跡継ぎに苦しむ点は日本と同じ)。関連して選挙で選ばれた政権を最高裁などが無理につぶすことが繰りかえされ、政情不安が続いている。

2018 マレーシア総選挙でUMNOを中心とする国民戦線が初めて敗北、野党となる。マレーシアではイスラーム色が強まりジェンダー規範も変化しているとされる(タイ・インドネシアなどで性的少数派の権利承認を求める動きが広がるのとは対照的)。 

東南アジア(地図)

東南アジア

(出典)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Southeast_asia.jpg

上座部仏教

上座部仏教(赤)
仏教の主要な3つの分類を表した図。赤色がパーリ語仏典を用いる上座部仏教。黄色は漢訳仏典、青色はチベット語仏典を用いる大乗仏教

(出典)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Buddhist_sects.png

アンソニー・リード

アンソニー・リード(Anthony Reid、1939年~ )は、オーストラリアの歴史家。東南アジア史の研究で知られる。

世界史のなかの東南アジア【上巻】―歴史を変える交差路― 単行本 – 2021/12/10

アンソニー・リード (著), 太田 淳 (翻訳), 長田 紀之 (翻訳), 青山 和佳 (翻訳), 今村 真央 (翻訳)
世界史のなかの東南アジア【下巻】―歴史を変える交差路― 単行本 – 2021/12/10

アンソニー・リード (著), 太田 淳 (翻訳), 長田 紀之 (翻訳), 青山 和佳 (翻訳), 今村 真央 (翻訳)
大航海時代の東南アジア〈1〉貿易風の下で (叢書・ウニベルシタス) 単行本 – 1997/10/1

アンソニー リード (著), Anthony Reid (原名), 平野 秀秋 (翻訳), 田中 優子 (翻訳)

大航海時代の東南アジア〈2〉拡張と危機 (叢書・ウニベルシタス) 単行本 – 2002/3/1

アンソニー リード (著), Anthony Reid (原名), 平野 秀秋 (翻訳), 田中 優子 (翻訳)

参考文献

東南アジア史

東南アジアを知る事典 単行本 – 2008/6/1

池端 雪浦 (監修), 桃木 至朗 (編集), クリスチャン ダニエルス (編集), 深見 純生 (編集), 小川 英文 (編集), & 5 その他
歴史世界としての東南アジア (世界史リブレット) 単行本 – 1996/12/1

桃木 至朗 (著)
中世大越国家の成立と変容 ハードカバー – 2011/3/10

桃木至朗 (著)

海域アジア史研究入門 単行本 – 2008/3/26

桃木 至朗 (編集)
ものがつなぐ世界史 (MINERVA世界史叢書 5) 単行本 – 2021/3/22

桃木至朗 (編集), 中島秀人 (編集)

グローバルヒストリー

グローバルヒストリーと帝国 (阪大リーブル) 単行本(ソフトカバー) – 2013/4/5

秋田 茂 (編集), 桃木 至朗 (編集)
グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育 -日本史と世界史のあいだで (阪大リーブル72) 単行本(ソフトカバー) – 2020/4/7
秋田茂 (編集), 桃木至朗 (編集)

グローバルヒストリーと戦争 (阪大リーブル056) 単行本(ソフトカバー) – 2016/4/22

秋田 茂 (その他), 桃木至朗 (その他)

市民のための世界史

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013) 単行本(ソフトカバー) – 2009/4/10

桃木 至朗 (著)
 
市民のための歴史学―テーマ・考え方・歴史像 単行本(ソフトカバー) – 2022/4/11

市民のための世界史 単行本(ソフトカバー) – 2014/4/1

桃木 至朗 (著), 荒川 正晴 (著), 秋田 茂 (著), 栗原 麻子 (著), 坂尻 彰宏 (著), 大阪大学歴史教育研究会 (編集), & 10 その他

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