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市民的名誉とジェンダー
掲載:2024/03/09 執筆:姫岡とし子
本記事は、『<ひと>から問うジェンダーの世界史』第1巻「身体・セクシュアリティ・暴力」(大阪大学出版会、2024年)の関連記事です。
第1章 4)近代国家の市民権と男性性
②市民的名誉とジェンダー(姫岡とし子)
(内容)◆名誉とジェンダー ◆決闘 ◆戦争と名誉
決闘
「恥」とジェンダー・皮膚の色
「黒い汚辱」(「ラインラントの私生児」)
「黒い汚辱」(「ラインラントの私生児」)とは、第一次世界大戦後のラインラントで、駐留軍たるフランス植民地兵と現地ドイツ人女性との間に混血児が多数産まれたことを「ドイツの恥」とみなす世論・マスコミキャンペーンである。皮膚の色に基づく差別と女性差別が交差している事例と言える。
第一次世界大戦後に締結されたヴェルサイユ条約(1919年6月28日)に伴い、フランス軍がラインラントに駐留した。ドイツは植民地兵の駐留を拒んだが、フランスはこれを強行し、当時フランスの植民地だったアフリカの北部や西部から約2万人の植民地兵が送られた。その際、一部の黒人兵が現地のドイツ人女性と関係を持ち、約6~800人の混血児が生まれた。その結果、ドイツでは連合国によるラインラント占領を「国辱」と捉える世論が高まった。1920年春頃から、ドイツの新聞は 「黒い汚辱」(Schwarze Schmach、Schwarze Schande)という名の下に、セネガル出身のフランス兵によるドイツ人女性への強姦が頻発していると主張する記事をしばしば掲載するようになった。これに伴う形で「ラインラントの私生児」(Rheinlandbastard)という造語が生まれた。混血児は「黒いペスト」と呼ばれて差別され、混血児を産んだ女性も差別された。実際には混血児の出生はレイプによるだけではなく、売春や合意のケースもあり、「黒い汚辱」キャンパーンには当時から反対の声もあった。
ドイツではアフリカ系住民の人口比率はきわめて低かったにもかかわらず、ナチスは、アフリカ系住民を義務教育の対象から除外し、一部の職業に就くことや白人との恋愛・結婚を禁止し、原則としてドイツ国籍を与えないなどして迫害した。
(参考)原田一美「「黒い汚辱」キャンペーン : 「ナチズムと人種主義」考(2)」『大阪産業大学人間環境論集』第6号、大阪産業大学、2007年、1-21頁、ISSN 13472135、NAID 110006978811
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参考文献
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