【略年表】ゲルマン社会とフランク王国

最終更新2018-11-23 掲載2014.09.16 作成:三成美保

【略年表①】ケルト社会・ゲルマン社会・ゲルマン諸国家

★(日本:12000年前ー前400 縄文文化)

◆新石器時代(ヨーロッパ)

ヨーロッパについては、前7000年頃(初めて農耕社会がギリシアに現れた時期)から前1700年頃(北西ヨーロッパで青銅器時代が始まった時期)までを「新石器時代」とよぶ(新石器時代の期間は地域によって異なる)。

  • 南東ヨーロッパの新石器時代:前7000~前3000
  • 北西ヨーロッパの新石器時代:前4500~前1700

◆青銅器文化から鉄器文化へ

前2300頃~前800 青銅器文化

前1200~前500 ハルシュタット文化(前800頃に青銅器文化から鉄器文化に移行=狭義のハルシュタット文化はケルト鉄器文化にあたるC期とD期をさす)

  • ハルシュタットA期(青銅器文化):前1200~前1000年
  • ハルシュタットB期(青銅器文化):前1000~前800年
  • ハルシュタットC期(ケルト第一鉄器文化):前800~前650年
  • ハルシュタットD期(ケルト):前650~前475年

前500~前50 ラ・テーヌ文化(ケルト第二鉄器文化)

前509~前27 共和政ローマ

★(日本:前400頃 水稲耕作の普及→弥生文化)
★(日本:前1世紀 倭国、100余国に分立)

ケルト文化(黄色~茶色はハルシュタット文化、緑はラ・テーヌ文化、大陸中央部は二つの文化が重なる)

前58-前51 カエサルのガリア遠征
前50頃 カエサル『ガリア戦記』=ガリア(ゴール)にいたケルト人(ゴール人)社会の記録

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前58年頃のガリア(ケルト=緑色)とゲルマニア(ピンク色)・黄色はローマ帝国(クリックすると拡大)

前27~後395 帝政ローマ

9 トイトブルクの戦い(ローマ軍がゲルマン軍に惨敗)

98頃 タキトゥス『ゲルマーニア』
○古代ゲルマン社会
○神判
○ゲルマンの神々(北欧神話)
★(日本:239 邪馬台国卑弥呼が魏に遣使)

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ゲルマン人の大移動(クリックすると拡大)

375 フン族が東ゴートを支配
→西ゴートが移動を開始(ゲルマン人の大移動)

395 ローマ帝国が東西に分裂

434 アッティラ(406?-451)がフン族の王(兄との共同王)として即位
436 アッティラがブルグンド王国(第1ブルグンド王国)に侵攻
445頃 アッティラが単独で王となる

○ゲルマンの諸王国が成立
418-711 西ゴート王国
429-534 ヴァンダル王国
443-534 ブルグンド王国
449-829 アングロ=サクソン7王国
481-751 フランク王国(メロヴィング朝)
493-555 東ゴート王国
568-774 ランゴバルド王国

8世紀末ー11世紀 ヴァイキング(第2次民族移動)

フランク王国(地図)

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メロヴィング朝

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カロリング朝

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ヴェルダン条約

フランク王国の版図の変化

 

【略年表②】フランク王国

○フランク時代の法と社会
481 クローヴィス即位(位:481-511)→メロヴィング朝の成立(481-751)

496 カトリックに改宗
○メロヴィング王妃たちの攻防:クローヴィス王妃クロティルダ(475-545)

507-511 サリカ法典(フランク族の部族法典)の成立
★(日本:538 百済より仏教伝わる)
★(日本:630 遣唐使の始まり)
★(日本:645 大化の改新)
★(日本:710-784 奈良時代)

732 トゥール=ポワティエの闘いでイスラーム勢力の進出を阻止(宮宰カール=マルテル)

751 ピピン(3世)即位(位:751-768)→カロリング朝の成立

756 教皇領を寄進

768 カール大帝即位(位:768-814)
★(日本:794-12世紀末 平安時代)

800 カール大帝の戴冠

843 ヴェルダン条約(東・中・西フランクの3王国に分割)

855 プリュム条約(中フランク王国を3つに分割)

857 ロタリンギア国王ロタール2世(位:855-869)と王妃テウトベルガ(835/40-875)の離婚事件

330px-Teilung_Lotharingiens【ロタール2世と王妃テウトベルガの離婚事件】

ロタール1世(位:843-855)の死後、中フランク王国(ロタールの王国)は、3人の息子(ロタール2世、カール、ルートヴィヒ2世)に分割された(855年プリュム条約)。王国は相続財産として扱われていたからである。
ロタール2世(位:855-869)はテウトベルガと855年に結婚したが、子がいなかったため王妃テウトベルガと別れ、すでに子をなしていた愛妾ワルドラダと結婚しようとした(857年以降)。ロタール2世は、テウトベルガが兄フクベルトと近親相姦を行ったと自白させて離婚しようと死ぬまで努力し続けたが、ローマ教皇らの反対にあって実現しなかった。その結果、ロタール2世は嫡出子がないままに死去し、メルセン条約(870年)によって王国が改めて分割されることになった。

(→事件について詳細は、ファルク他『ヨーロッパ史のなかの裁判事例』Case6、ミネルヴァ書房、2014年を参照)

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メルセン条約(870年)

870 メルセン条約

911 東フランク王国でカロリング朝が断絶→神聖ローマ帝国(962-1806)の成立

987 西フランク王国でカロリング朝が断絶→フランス・カペー朝(987-1328)の成立