古代ギリシアの女性神官                          

掲載 2017-08-23 執筆 桜井万里子

古代ギリシア人の生活は宗教と深く結びついていて、政治も社会も宗教と切り離されて存在することはなかった。古代ギリシアに特徴的な都市国家であるポリスは、祭祀共同体でもあって、各ポリスにはかならず守護神を祀るアクロポリスがあった。たとえばアテナイの場合、有名なパルテノン神殿は守護神アテナのための住いであり、八月に開催されるパンアテナイア祭は、全アテナイ人のために挙行される祭典であった。

国のレベルだけでなく、地方共同体のレベルでも、あるいは伝統的血縁集団においても、個々の市民の家においても、大小さまざまな祭儀が年間を通じて挙行されていた。それぞれの祭儀が挙行される聖所や神域の多くは神官が管掌していた。神官には男性も女性もいた。史料残存の関係でもっともよく事例が残っているアテナイの場合、前古典期(前8~6世紀)には神官は世襲制で名門出身で、任期も終身が多かった。古典期に入り、民主政が導入されると、一般市民のあいだから選出される、任期1年の神官職が創設される。たとえば、アテナ・ニケの女神官(後述)も新設の神官職だった。

(1)女神官の幾つかの事例

①アテナ・ポリアスの女神官

「リュシマケ、ドラコンティデスを父とする生まれにして、88年の生涯なり。4人の子供をもうけし後、都合64年にわたり女神アテナに奉仕せり。フリュア区の(数字欠・・)エオスの母リュシマケ」(『ギリシア碑文集成』(IG II2 3453、前360年頃)

・・・アテナイの名門エテオブタダイ家出身の女性のあいだから選出されたこのリュシマケは、64年間もアクロポリスのパルテノン神殿の主であるアテナ・ポリアスに仕え、人々に尊敬されていたらしい。アリストファネス『女の平和』の女主人公リュシストラテのモデルだったのではと推測する者もいる。

②デメテルとコレの女神官

 「デメテルの女神官は、小秘儀の時には各ミュステスより1オボロスを受け取るべきこと。」「(受け取った)オボロスの総額は、1600ドラクマを除き2柱の女神のものたるべきこと。そしてこの1600ドラクマからデメテルの女神官は年度期限内に支出された額を、支出された額通りに支払うべきこと。」(『ギリシア碑文集成』(IG I3 6.92-103、前460年頃)

・・・エレウシスの秘儀を司る女神官。名門フィレイダイ家出身の女性の間から選出され、終身。

秘儀は毎年大々的に開催され、国内ばかりでなく、ギリシア各地から参加者が参集する八日間の祭儀で、最終日の儀礼については参加者は口外を禁じられていた。

③プルタルコスの記述

プルタルコス『アルキビアデス伝』22章に以下のような記述がある。「アテナイでは、欠席裁判のままアルキビアデスに有罪宣告をし、財産を没収し、さらに男女の神官が一斉にアルキビアデスに対し呪いをかけるよう追加決議が出された。しかし、アグリュレ区民メノンの娘テアノだけは、「私は祈りの神官で、呪いの神官ではありません、」と主張し、決議に抗った。」

④アテナ・ニケの女性神官

「アテナ・ニケ女神のために全アテナイ人女性から女神官を抽選で任命し、神殿に扉を設けること・・・。」(『ギリシア碑文集成』(IG I335.(前427-424?)

アテナイの民主政が最盛期を迎えた時に創設されたアテナ・ニケ神殿を管掌する女神官。全アテナイ人の女性から抽選で選出する、という方法が民主的。

⑤コラルゴス区のテスモフォリア祭担当の女性神官に関する職務規定

「委員両名は共同で女神官の資格でテスモフォリアの祭儀のためおよびその職務遂行のために、[以下を]提供すべきこと。大麦半ヘクテウス、小麦半ヘクテウス、挽き割り大麦半ヘクテウス、挽き割り小麦半ヘクテウス、干しイチジク半ヘクテウス、葡萄酒1クウス、オリーブ油半クウス、蜂蜜2コテュレ、白ゴマ1コイニクス、黒ゴマ1コイニクス、ケシの実1コイニクス、チーズ、それぞれ1スタテルをくだらない大きさのを2個、ニンニク2スタテル、2オボロスをくだらぬ松の枝、銀4ドラクマ。以上を両委員は提供すべきこと。コラルゴス区のために今後久しきにわたり記されたとおりに行われるように、石柱を建て、ピュティオンにてこの決議を石柱に刻み記すこと、・・・」(『ギリシア碑文集成』(IG II2 1184(=LSS 124)

(2)事例解説

上記事例①に挙げたアテナ・ポリアスの女神官の場合、社会的に尊敬を集めた名士だった。②のデメテルとコレの女神官の場合、秘儀の開催には多くの神官がその運営に携わっていたが、彼女はヒエロファンテス(男性)と並んで最高位を占めていた。祭儀の財政面を統括する重要な役職であったことを、上記引用の前460年ごろの碑文史料は伝えている。それほど大きな権限を掌握するこの女神官の存在は、アテナイ市民が女神官に寄せていた信頼と期待の大きさを物語っている。

前5世紀末にこの女神官の職にあったテアノについては、③のプルタルコス『アルキビアデス伝』22章に彼女への言及がある。アルキビアデスとは、当時アテナイの名門出身の眉目秀麗な若者だったが、無節操で、しばしば世間を騒がせ、前415年にアテナイ海軍がシチリアへ遠征に出発する直前に起こった市中のヘルメス像を毀損するという事件の主犯と目された人物である。彼は裁判にかけられる直前にシチリアに向けて出征してしまうが、欠席裁判でアルキビアデスに有罪宣告が出て、財産は没収されることになった。そのうえ男女の神官が一斉にアルキビアデスに対し呪いをかけるようにと、追加決議が出された。ただし、アグリュレ区民メノンの娘テアノだけは、「私は祈りの神官で、呪いの神官ではない、」と主張し、決議に従わなかった、という。

④は、アクロポリス上の西南端に位置するアテナ・ニケの神殿で女神に仕える女神官の役職を創設する決議である。名門出か否かに関わりなく、すべてのアテナイ人女性のあいだから選出されるという民主政に相応しい女神官職だった。

⑤は、地方の行政区であるコラルゴス区の女性のあいだから選出されたテスモフォリア祭の世話役を担当する女神官(あるいは委員)に関する規定である。テスモフォリア祭はデメテルとコレの2女神のための祭りで、国レベルのテスモフォリア祭と地方の区のレベルで挙行されるテスモフォリア祭とがあり、ここではコラルゴス区の祭りに関する規定である。コラルゴス区の市民の妻たち、つまり互いに顔見知りの女たちのあいだから選ばれた二人の世話役というべき女神官は、祭りの経費を負担することを期待されている。当然、その経費を負担するのは夫たちである。これだけの費用の負担を求められるということは、夫はかなりの富裕者であっただろう。夫にとっては、自分が所属する区のための公共奉仕(レイトゥルギア)を意味した。

(3)事例研究の可能性

古代ギリシアでは女性に政治参加の道は閉されていたことはよく知られている。経済活動も少額の取引のみに限られていて、多くは男性後見人に依存せざるを得ない存在だった。ところが、宗教の分野での女性の役割は大きく、公的祭儀における女性神官の存在感も大きいことが史料から認められる。史料に現れたアテナイの女性神官について精査すれば、ポリス社会において女性に求められていたものが明らかになるのではないか。前近代のどの社会でも同様だが、古代ギリシアの社会も女性には次世代の担い手である子供を産むことがまず求められていた。しかし、それとは別に、ポリス社会において女性に果たすべき役割があったとすれば、それは何か。女神官の具体例からそれをさぐることができるのではないだろうか。今後の課題である。