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(補遺)古代マケドニア王家の一夫多妻制
掲載 2018-06-15 執筆 森谷公俊
◆古代マケドニア王家
古代マケドニア王国は前7世紀に成立し、ギリシア北部の豊かな平野と森林地帯を支配した。マケドニア人は広義のギリシア人の一派であるが、バルカン半島南部の先進ギリシア人からは遅れたバルバロイ(夷狄)と見なされた。王家はアルゲアダイ(アルゲアス家)といい、ギリシア神話の英雄にさかのぼる系図を作って、自分たちが生粋のギリシア人であると主張した。前4世期中頃にフィリッポス2世のもとで強大となり、前338年にギリシア世界を征服した。
◆一夫多妻制
王家は一夫多妻制をとっていた。その目的は①後継者の確保、②隣国との同盟による安全保障にある。①は戦争と狩猟による王族の死亡が多かったこと、②はマケドニアが開けた地形で、周辺民族の侵入を受けやすかったこと、に由来する。
複数の妻たちの間には正妻と側室の区別はなく、法的には対等であった。ただし彼女らの出自、出身国とマケドニアとの関係、とりわけ後継者となる息子を生んだかどうかによって、事実上の序列が生まれた。王位継承には長子相続のような原則がなく、後継指名は王の意志のほか、大貴族の支持やその時々の政治情勢に依存した。このため複数の妻から生まれた複数の息子同士が対立し、しばしば激烈な王位継承争いが生じた。王位をめざす息子と、王としての威信を求める母親が強く結びつき、父王に対して一個の政治単位を形成する。即位した王は自分のライバル、特に異母兄弟を殺害あるいは追放するのが常だった。
◆ギリシア人作家の誤解と偏見
一夫一婦制をとっていた古代ギリシア人は、マケドニア王家の一夫多妻制をまったく理解できなかった。彼らはマケドニア王の妻たちを正妻と妾に区別したり、王が結婚するたびに前の妻は離婚された、などと誤解した。現存するギリシア人作家の記述は数々の偏見に満ちている。たとえば前5世紀末のアルケラオス王の母親は、王家の「奴隷女」と呼ばれた。フィリッポス2世の3番目の妻はギリシア人貴族の出身なのに、「踊り子」「娼婦」「身分の低い卑しい女」などと言われた。こうした記述には、王位継承争いでライバルを貶めるための宣伝も混じっており、アレクサンドロス大王も異母兄弟を「庶子で精神薄弱」呼ばわりしたと言われる。
近代の古代ギリシア史研究者もこうした史料を文字通りに受けとって、古代人の誤解を受け継いできた。ようやく一九八〇年代からこのような誤った解釈が正され、一夫多妻制についての正確な理解が進むようになった。
(森谷公俊)
◆マケドニア王家の結婚
①主なマケドニア王の結婚
マケドニア王 | 妻 | 妻の出自と結婚の目的 |
アミュンタス3世
(在位、前393~370年) |
2人 | 1人は王族、もう1人は周辺国の王家出身でイリュリア系(マケドニア北方の異民族) |
フィリッポス2世
(在位、前359~336年) |
7人 | 6人はマケドニア周辺の王家・貴族の出身で、目的は同盟の締結。大王の母オリュンピアスは4番目。7人目はマケドニアの貴族出身 |
アレクサンドロス3世(大王)
(在位、前336~323年) |
3人 | ロクサネは中央アジアの貴族出身で、目的は2年におよぶ平定戦の終結と民族融和。あとの2人は旧ペルシア帝国の王族で、アカイメネス朝の継承者としての正統性確保が目的 |
②王位継承をめぐる軋轢
アレクサンドロス大王には、自分の王位継承権が危機にさらされた経験がある。彼は哲学者アリストテレスから帝王教育を受け、16歳で父に代って国事を預かり、18歳でギリシア連合軍との会戦に参加して、父王フィリッポス2世のギリシア征服に貢献した。異母兄弟のアリダイオスには知的障害があり、誰の目にも彼が王位継承者と見えた。ところが前337年、父王がマケドニア貴族の娘を7番目の妻に迎えた結婚式で、騒動が起きる。花嫁の後見人アッタロスが杯をかかげ、「二人から正統の世継ぎが生まれるよう神々に祈ろう」と呼びかけた。アレクサンドロスは自分が庶子呼ばわりされたことに激怒し、アッタロスに杯を投げつけた。ところがフィリッポスはアッタロスを擁護して、息子に謝罪を求めた。このためアレクサンドロスは母親を連れて国を出てしまう。彼の継承権は危ういものとなった。
この騒動の原因は何か。フィリッポスは対ペルシア遠征に向けて、万一に備えてもう一人男子を得たいと思っていた。しかも先発部隊の指揮官にはアッタロスを任命していた。それゆえ彼はアッタロスの側についたのである。しかしアレクサンドロスは、この花嫁が男子を生めばライバルとなり、自分の継承権が脅かされると感じた。こうして父に対する疑心暗鬼におちいったのである。この騒動は、一夫多妻制が王家にもたらす軋轢を生々しく示している。
③アレクサンドロス大王に後継者はいたか
前323年にアレクサンドロスが急死した時、妻のロクサネはまだ身重で、二カ月後に男子を生んだ。異母兄弟のアリダイオスは知的障害があり、大王の年長の従兄弟は大王が即位した時すでに処刑されていた。これ以外に王族の成人男子はおらず、結局アリダイオスと嬰児が名目だけの王位につき、将軍の一人が摂政となる。一夫多妻の目的は後継者の確保にあるが、アレクサンドロスは結局これに成功しなかった。それから十数年後、マケドニア王家は後継者戦争に巻き込まれ、断絶したのである。
参考文献:森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』講談社学術文庫、2016(初版は2007)