大航海時代(大交易時代)ー16世紀の世界

更新:2016-07-15 掲載:2014-09-17 作成;三成美保

【高校世界史教科書から】

16世紀の世界ー大交易時代の世界

アジアではすでに10世紀ころから、ムスリム商人によるインド洋交易、中国商人による南シナ海交易がさかんで、16世紀にはオスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国、明の諸帝国が繁栄していた。
15世紀末になると、ポルトガル、スペインは香辛料などのアジアの豊かな物産を求めて、アジアへの新航路の開拓にのりだした。両国は地中海にかわって大西洋経由でアジアにいたる航路を探し、その過程でアメリカ大陸を「発見」し、アジアに到達した。強大なアジアの帝国を前にして、ポルトガルは各地に要塞を築き、港に商館を設置して通商活動を行った。アジアに輸出する物産のないポルトガル、スペインは、アメリカ大陸産や日本産の銀をアジアに大量にもちこむかたちでアジアの交易に参入したのである。
アメリカ大陸では、中央アメリカにアステカ帝国、南アメリカにインカ帝国が独自の文明を誇っていたが、鉄砲、馬を用いたスペイン人に滅ぼされた。スペイン、ポルトガルの植民地となったラテンアメリカでは、鉱山で先住民が酷使され金銀が採掘された。やがて、ブラジルやカリブ海の島々ではサトウキビのプランテーションが開発されていく。こうして16世紀には、それまで孤立していたアメリカ大陸も、ユーラシア大陸やアフリカ大陸の歴史に結びついた。アフリカでは、西アフリカのソンガイ王国が最盛期を迎え、中心都市のトンブクトゥが栄えていた。まもなく、ベニン王国などがあるアフリカ西海岸には、ラテンアメリカで使役する奴隷を集める奴隷商人があらわれるのであった。」(東京書籍『世界史B』2007年、222-223ページ)※緑字は三成による。
※注:なお、山川『詳説世界史B』では「大航海時代」という語を用いているが、東京書籍『世界史B』では「大交易時代」という語を用いている。

(1)地図ー移動・交易

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鄭和の南海遠征

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コロンブスの航路(クリックすると拡大)

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マゼランの世界一周(クリックすると拡大)

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16世紀のポルトガル(青)とスペイン(白)の交易ルート(クリックすると拡大)

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倭寇のルート

(2)交流・交易・侵略に関する略年表(14世紀半ば~17世紀半ば)

★は日本の動向

*【年表】西洋近世(1500~1700)

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コルテスの隣に立つマリンチェ(16世紀の絵)

1368 中国、(1368-1644)

7-3.明清中国のジェンダー秩序ー明(年表1368-1644)

○14-16世紀 倭寇

★1404-1551 (日本)勘合貿易

1405 中国、鄭和(ムスリムの宦官)の南海遠征(7回:1405-1433)

4-5.前近代中国の外戚と宦官

○14世紀末-1511 マラッカ王国(鄭和の海軍力を利用して勢力拡大、中国との朝貢貿易)

【年表】イスラーム世界(600~1550)

1474 スペイン、イザベル1世即位(位:1474-1504)

1479 スペイン王国(1479-1931)

1484 ラス・カサス(1484-1566)

1485 アフリカ、ベニン王国(12世紀-1897)にポルトガル人探検家が到着→西欧との交易開始(ヨーロッパに胡椒・象牙・奴隷を輸出し、火器を輸入。奴隷狩りにより勢力を拡大)

【年表】アフリカ史(2)ー奴隷貿易

1492 コロンブスがサンサルバドル島に到着

1492 スペイン、ユダヤ教徒追放令

ユダヤ人女性グラツィア・ナスィ:スペインのユダヤ教徒追放令1492年

1494 トルデシリャス条約

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Treaty of Tordesillas

トルデシリャス条約による分割線 (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tordesillas

ポルトガル帝国 (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tordesillas

スペイン帝国 (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tordesillas

1650年頃の南アメリカ (出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Vertrag_von_Tordesillas

1498 ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓

1501 サファヴィー朝(1501-1736)

1506 スラブ系(現ウクライナにあるルテニアの司祭の娘、タタール人に捕らえられ奴隷として売られた)のロクセラーナ(ヒュッレム:1500/06-1558)→オスマン皇帝スレイマン1世の后となる(セリム2世の母)

【女性】オスマン帝国の内廷とハレム

7-6.オスマン帝国のジェンダー秩序(年表・地図)

1517 宗教改革開始

【法制史】中世末期~宗教改革期の国家と社会(三成美保)

8-4.宗教改革とセクシュアリティ管理の強化

1519-21 アメリカ、コルテス(1485-1547)がアステカ王国(1375王族→アステカ三国同盟:1428-1521)を征服

1519 アステカ王国、20名の女奴隷が恭順の印としてコルテス率いるスペイン勢に差し出される。その1人がマリンチェ(1502頃-1527、村長の娘で通訳として活躍)→1523年頃、マリンチェはコルテスの息子を出産

3-5.南北アメリカー古代文明~近代中南米

1519-22 マゼラン一行、世界周航

1526 インド、ムガル帝国(1526-1858)

7-7.インド中世・近世社会の諸相

1532-33 アメリカ、ピサロ(1478頃-1541)がインカ帝国(クスコ王国:13世紀-1438→インカ帝国:1438-1533)を征服

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天正遣欧使節(1586年アウグスブルグ印刷:京都大学図書館蔵)。伊藤(右上)、千々石(右下)、中浦(左上)、原(左下)、メスキータ神父(中央)

1534 イエズス会設立

1542 ラス・カサス「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」→インディアス新法

★1543 (日本)ポルトガル人、種子島に漂着(鉄砲伝来)

1543 コペルニクス「天球の回転について」(地動説)

【年表8】人文学と科学・技術の歴史

1545 アメリカ大陸、スペインがポトシ銀山の採掘開始

★1549 (日本)イエスズ会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着

★1550 (日本)ポルトガルが平戸に商館を設置(1550-1639)

1558 イギリス、エリザベス1世即位(位:1558-1603)

【女性】メアリ1世とエリザベス1世ー王位継承権をめぐって

⇒*エリザベス神話

1562 中国、徐光啓(1562-1633)

★1563 (日本)細川ガラシャ(1563-1600)

★1573 (日本)安土桃山時代(1573-1603)

1577 イギリス、ドレークの世界周航(1577-80)

1581 ネーデルラント連邦共和国(1581-1795)

★1582 (日本)天正遣欧使節(1582-90):伊藤マンショら少年4名

★1587 (日本)秀吉、バテレン追放令

1588 アルマダの海戦(スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れる)

○16世紀後半~17世紀前半 魔女裁判がピークに達する

【法制史】糾問主義ー魔女裁判の手続き(三成美保)

【女性】マリア・ホル裁判(1593-94年ドイツ):魔女裁判事例(三成美保)

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ポカホンタス(1616年)

1600 イギリス、東インド会社設立

1602 オランダ、東インド会社設立

1602 中国、マテオ・リッチ『坤輿万国全図』

1604 フランス、東インド会社設立

★1603 (日本)江戸時代(1603-1867)

1607 アメリカ、ヴァージニア植民地建設

★1609 (日本)オランダが平戸に商館を設置

★1613 (日本)家康、全国に禁教令

★1614 (日本)キリシタン大名高山右近ら148名を国外追放

1616 ポカホンタス(1595?-1617、1614年にジョン・ロルフと結婚)がイギリスに来る

1618 三十年戦争(1618-48)

1625 オランダ、グロティウス『戦争と平和の法』

【法制史】近世自然法(三成美保)

★1625? (日本)日伊ハーフとして春が生まれる(じゃがたらお春(1625?-1697)→離日してジャカルタへ(1639)

1637 フランス、デカルト『方法序説』

★1637 (日本)島原の乱

★1639 (日本)鎖国令(ポルトガル船来航禁止)

★1640 (日本)宗旨人別帳を作成

★1641 (日本)オランダ人を長崎出島に移す

1648 ウェストファリア条約