目次
【女性】メアリ1世とエリザベス1世ー王位継承権をめぐって
更新:2016-11-04 掲載:2014.05.25 執筆:三成美保
メアリ1世もエリザベス1世も、父母の婚姻関係が変化したことに伴い、いったん婚外子の地位に落とされたが、最終的には女王位についた。サリカ法典を根拠に女性の王位継承権を禁じたフランスとは異なり、イングランドやスコットランドでは女性にも王位継承権が認められた。しかし、嫡出子でなければ、王位継承権はない。宗教改革のなかで、二人の女性の法的地位は二転三転した。
メアリ1世(1516-1558年/在位1553-1558年)
1533(18歳) ヘンリー8世は、当初、メアリに「プリンセス・オブ・ウエールズ」(王位継承者)の称号を与えていた。しかし、ヘンリーがメアリ生母のキャサリン・オブ・アラゴンと離婚(婚姻無効)した結果、メアリは婚外子の地位となる。
1544(29歳) 11歳年下のスペイン王太子フェリペ(2世:1527-1598年/在位:1556-1598年)と政略結婚(フェリペは生涯に4人と結婚。メアリは2番目の妻)。
この結婚は、メアリがフェリペの父母双方にとってイトコにあたるという近親婚であった。結婚にあたって、フェリペと先妻(死別)との間の子にはイングランド王位継承資格を認めないこと、フェリペのイングランド共同統治者の資格はメアリとの結婚期間のみとすることなどが取り決められた。これは、イングランドをスペインの属国にしないための配慮であったとされる。二人は別居状態が長く続いた。
1546(31歳) 王位継承法が改正され、メアリは異母弟エドワード(6世)に次ぐ王位継承権を認められた。しかし、メアリが婚外子なのか、嫡出子なのかの判定は、曖昧なままとされた。
1553(38歳) 弟エドワード6世の死により、王位継承順位ではメアリやエリザベスより下位のジェーン・グレイ(1537-54年)が女王(在位9日間)となる。メアリ派が反撃して、ジェーン夫妻を処刑し、メアリが女王に即位した。メアリは熱心なカトリック信者としてプロテスタントを弾圧したため、「血のメアリ」と呼ばれた。
1558 病に冒されたメアリは、しぶしぶながら異母妹エリザベスを王位継承者に指名して、翌日死去。
エリザベス1世(1533-1603年/在位1558-1603年)
1533 ヘンリー8世の第2王女として生まれる。母はアン・ブーリン。
1536 母アン・ブーリンの処刑により、エリザベスは婚外子となる。
1543 父王ヘンリー8世が、6番目の王妃キャサリン・バーを迎える。
1543 第三王位継承法(メアリーとエリザベスの王位継承権が復活する。同法の成立に尽力したのは、ヘンリー8世の第6王記キャサリン・パー)
○キャサリンの配慮により、9歳のエリザベスは、質の高い教育を受けることができた。
⇒エリザベスは、英語・フランス語・イタリア語を流暢に話し、ギリシア語とラテン語を正確に読み、書き、話すことができた。キケロの全作品、リヴィウスのほとんどの作品を読破し、ギリシア語の新訳聖書を読み、ギリシア古典を読んでいた。(石井2012:37頁)
1547 ヘンリー8世死去。エドワード6世(9歳)即位。キャサリンがトマス・シーモア(1508頃ー1549)と再婚。
⇒13歳のエリザベスは、トマス・シーモアから性的誘惑を含む行動をとられて噂が立ち、キャサリンがこれを心配して、エリザベスを別邸に移す。キャサリンが出産後、死去。(石井2012:44-45頁)
1549 トマス・シーモアが大逆罪で処刑。罪状の一つは、エリザベスとの結婚を画策したこと。(石井2012:46頁)
1553 エドワード6世死去。ジェーン・グレイが女王に擁立されるが、翌年処刑。メアリー1世即位。
1554-1555 エリザベス幽閉される。
1554 メアリー1世がスペインのフェリペと結婚。
1558 メアリー1世死去、
1559 エリザベス戴冠。
1587 メアリー・スチュアートの処刑。
1588 スペイン艦隊を破る。
1600 東インド会社設立
1603 死去
参考
こちらもお読みください
*【特論13】たかが紅茶、されど紅茶―女たちが「国民の嗜好」を決めた!?(井野瀬久美惠)
参考文献
石井美樹子『図説エリザベス一世』河出書房新社、2012年