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【略年表】ビザンツ帝国(東ローマ帝国:395-1458)
(2014.09.16作成:三成)
【年表】ビザンツ帝国(395-1458)
(※赤字は女性)
395 ローマ帝国、東西に分裂
401 皇妃アテナイス=エウドキア(401-460):非キリスト教徒であるアテナイの哲学者の娘、テオドシウス2世の皇后(井上『皇妃列伝』1)
497頃 皇妃テオドラ(497頃-548):踊り子出身、ユスティニアヌス1世の皇后(井上『皇妃列伝』2)
527 ユスティニアヌス帝(1世)即位(位:527-565)
534 ヴァンダル王国征服
537 聖ソフィア大聖堂再建
534 ユスティニアヌス法典(ローマ法大全)完成
555 東ゴート王国征服(→イタリア征服)
605? 皇妃マルティナ(605?-641以降):ヘラクレイオス1世の姪であり、同帝の皇后(井上『皇妃列伝』3)
610 ヘラクレイオス1世即位(位:610-641)
○テマ制(軍管区制)
○ギリシア語を公用語とする
717 レオン3世即位(位:717-741)
726 偶像禁止令
752頃 皇妃エイレーネー(752頃-803):レオーン4世の皇后、コンスタンティノス6世の母、ビザンツ最初の女帝(井上『皇妃列伝』4)
797 女帝エイレーネー即位(位:797-802):息子コンスタンティノス6世の目を潰して帝位から追放
941頃 皇妃テオファノ(941頃-976以降):酒場の娘、ロマノス2世の皇后(井上『皇妃列伝』5)
978頃 皇女ゾラ
988 ロシアがキリスト教(東方正教会)を国教として導入。ウラジーミル1世が東ローマ皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚。
1054 キリスト教会の東西分裂(→ギリシア正教会の成立)
1067 皇妃エイレーネー・ドゥーカイナ(1067-1133?):名門貴族の娘、アレクシオス1世の皇后、アンナ・コムネナの母(井上『皇妃列伝』6)
1081 アレクシオス1世即位(位:1081-1118)
○プロノイア制の導入
1083 皇女アンナ・コムネナ(1083-1153/54)
→皇女アンナ・コムネナ(1083-1153/54)(中世キリスト教社会における唯一の女性歴史家、『アレクシオス1世伝』の著者)
1095 ローマ教皇に救援を要請
1096 十字軍
1171/2 皇妃アニェス=アンナ(1171/2-1204以降):フランス王女、アレクシオス2世の皇后(井上『皇妃列伝』7)
1204 第4回十字軍→ラテン帝国(1204-61)
1261 ビザンツ帝国再興
15世紀 皇妃ヘレネ・パライオロギナ(?-1450):マヌエル2世の皇后、ビザンツ最後の皇帝コンスタンティノス11世の母(井上『皇妃列伝』8)
1453 オスマン帝国によってビザンツ帝国滅亡
【地図】ビザンツ帝国の変化
文献紹介
●井上浩一『ビザンツ皇妃列伝ー憧れの都に咲いた花』白水Uブックス、2009年
1993年に著者がつとめる大阪市立大学で行われた講義「ビザンツ皇妃列伝」をもとにした書物(新書版)。初版は1995年。上記年表に記した8名の皇妃を扱っている。非常に読みやすく、生き生きとした筆致で、まるで小説を読んでいるかのよう。想像力が一気に膨らむ。ビザンツ帝国では、皇妃はしばしば美人コンテストで選ばれたが、才色兼備の女性たちが、帝国でいかに生き抜いたか。帝国1千年の歴史が、女性を通して語られる。遠い世界だったビザンツが、本書でいっきょに身近になるだろう。(コメント:三成)