アマゾン族ー女王タレストリスとアレクサンドロス大王
掲載:2016-03-20 執筆:森谷公俊
アマゾン族
アマゾン族は、ギリシア神話における女性戦士のみからなる民族で、黒海沿岸からコーカサス、スキタイにかけての地域に住むと考えられた。女王をいただいて狩猟と戦争に従事し、弓を引く邪魔にならないよう右の乳房を切除した。征服したり捕虜とした男を奴隷とし、生まれた子どもは女児のみを育て、男児は殺すか不具にしたと言われる。
最近アマゾン族に関する包括的な研究書が現れ、古代の神話と歴史書から現代の考古学的成果までを広く渉猟して、その実像に迫っている。
Adrienne Mayor, The Amazons; Lives & Legends of Warrior Women across the Ancient World, Princeton, 2014
メイヤーによると、アマゾン族の原型は遊牧スキタイ人で、ヘロドトス『歴史』第4巻110~117章に描かれたサウロマタイ人(Sauromates)にその姿が反映しているという。スキタイ人は前7世紀からコーカサス、アナトリア、トラキア地方へ侵入し、前六世紀にはコーカサスから中央アジアを支配した。一方ギリシア人は前8世紀から前6世紀にかけて黒海沿岸に植民都市を建設し、スキタイ人と直接の接触を開始する。そして女性が男性と同じく騎乗して弓矢を使い、狩猟と戦争に従事することを知る。こうしてギリシア人は実在する遊牧民から、武装して性的にも自由で危険な女性戦士という神話を作り上げた。
騎乗の女性戦士が実在したことは考古学的に証明できる。古代スキタイ人と関連諸部族の墓が1000基以上発掘されており、女性の骨と共に鎧、兜、盾、槍、矢などの武具・武器が出土している。女児や少女の墓でも同様な副葬品がある。骨にはしばしば戦斧や矢による傷痕が残っている。スキタイ女性の墓の少なくとも4分の1が戦士に分類できる。黒海西岸から中国北部に至る広大なユーラシアステップで、1000年以上にわたり、狩人にして戦士でもある騎乗の女性は確かに実在したのである。
現実の遊牧民に照らし合わせると、ギリシア人が架空の観念を作り上げたことも明白になる。女性のみの集団は存在せず、実在したのは男性・女性・子どもからなる社会であった。弓を射るための乳房を切除することはあり得ず、否定の接頭語a+ 乳房mazonという言葉遊びにすぎない。男児を不具にしたというのも、騎乗に伴う骨格の変形や落馬による骨折が男子に多いことに由来する誤解である。生まれた男児を引き取らないのは、遊牧集団間での養子の交換を表わしている。実際、養子縁組は婚姻と同じく、民族間の友好の手段であった。
アレクサンドロス大王とアマゾン女王
アレクサンドロス大王がアマゾンの女王と出会ったとの伝承がある。それによると、前330年、大王がヒュルカニア(カスピ海南岸地方)に滞在中、アマゾンの女王タレストリスが300人の女性戦士を伴って彼を訪問した。彼女は、彼の子どもを生みたい、自分は最も優れた女であり、彼も最も優れた男であるから、二人の間から最も卓越した子供が生まれるだろう、と言った。大王が応じると彼女は13日間滞在し、それから国へ帰った。この話は、プルタルコス「アレクサンドロス伝」第46章、クルティウス「アレクサンドロス大王伝」第6巻5章24~32節、ユスティヌス「地中海世界史」第12巻3章5~7節などが伝えている。
研究者の多くはタレストリス女王の来訪に否定的である。しかし大王の滞在中、黒海南東部からコーカサス山脈南麓にかけてのスキタイ系遊牧民が大王を訪問した可能性は十分ある。その中に騎乗の女性が含まれていたら、マケドニア人がこれを伝説のアマゾン族と受け取っても不思議はない。しかも大王がヒュルカニアの首都ザドラカルタに滞在したのは15日間であった(アリアノス「アレクサンドロス大王東征記」第3巻25章1節)。こうしてアレクサンドロスに対する遊牧民の臣従という事実が、アマゾン女王来訪伝説の核になったと考えられる。
(参考)▶*2ー5.ヘレニズム時代の社会と女性(付:年表・地図)
ギリシアの伝説では、英雄たちはアマゾンを敵と見なし、女王と戦えば相手を倒す。伝説のアテネ王テセウスは女王の妹を誘拐し、アテネに侵入した女王の軍隊を撃退した。英雄アキレウスもトロイ戦争で女王ペンテシレイアを殺した。これに対し大王とタレストリスの伝承は、2人が対等な立場で相手を尊重し、友好を結ぶという点で特異なものである。古代の伝承は、アマゾン女王との邂逅を大王の東方協調政策に結び付けていたとも解釈できる。
(本記事は、2016年3月14日科研費研究会における森谷報告の1部である)
(参考)▶*【女性】アレクサンドロス大王とその母オリュンピアス
(参考)▶*【女性】アフリカの女性戦士「アマゾン」(19世紀)(富永智津子)
(参考)アレクサンドロス大王(かなり詳細な記事)