目次
【朝鮮史(年表)】朝鮮半島(三国~高麗時代:300-1400年)
更新:2016-03-23(前回更新:2015-12-15)
【朝鮮史年表:300-1400年】
●三国時代(4~7世紀)
313 (高句麗)楽浪郡・玄菟郡を滅ぼして支配下に入れる。
372 (高句麗)仏教を国教とする。
369 任那日本府(369-562)の設置。
→*【年表5】日本史①古代1(600以前)
414 (高句麗)広開土王碑の建立
503 (新羅)斯盧国が新羅と国号を改める。
528 (新羅)仏教が新羅の国教となる。
632 (新羅)善徳女王(ぜんとく)が新羅第27代王として即位(新羅初の女王:在位632-647)
654 (新羅)武烈王の即位(武烈王即位からその血統が絶えるまでの間である654-780年を「中代」とよぶ=新羅の国力がもっとも充実していた時期)
660 (新羅)百済を滅ぼす(金庾信キム・ユシン)
663 唐軍が白村江にて倭国の水軍を破る(白村江の戦い)
668 (新羅)唐軍によって高句麗が滅亡。新羅が協力。
●統一新羅(674ー935年)・渤海(698ー926年)
698 渤海建国(698 - 926)
846 張保皐(チャン・ボゴ)の反乱
●高麗(918建国→936半島統一→1392滅亡)
918 王建(ワンゴン)が高麗を建国。
933 後唐の冊封を受ける。
935 新羅の敬順王、高麗に国を譲渡し、滅亡。
936 後百済を滅ぼし朝鮮半島統一。
976 田柴科制の創設。
1010 契丹の侵入を撃退。
1018 契丹の再侵入。姜邯賛の活躍により契丹軍を殲滅(亀州大捷)。
1033 千里長城の建設開始。
1126 李資謙の乱。 金に服属。
1135 妙清の乱。
1170 庚寅の乱。以後武人政権が続く。
1196 崔忠献によるクーデター。崔氏政権の始まり。
1232 モンゴル帝国の侵略始まる(→モンゴルの高麗侵攻)。
1259 高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、モンゴル帝国(元)の属国化。
1260 忠烈王は、大ハーンに即位したフビライの娘婿となる。
これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル貴族や時には皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、父の死後、高麗王に任命されるのが習慣となる。4代の高麗王は元皇族の娘婿となる。
⇒*7-2.モンゴル帝国の皇后とチンギス家の婚姻戦略
1270-1273 武人派の軍隊三別抄のモンゴルに対する反乱。日本に対し軍事的援助を要請。
1274・1281 忠烈王の要請に応えた元の協力を得ての2度の日本侵攻(元寇文永の役、弘安の役)への侵略出兵により、逆に甚大な被害を受ける。
1289 元の征東行省が常設され、元朝の領土化。
1350 この頃より倭寇に悩まされるようになる(「前期倭寇」~15世紀前半)。
1315頃 - 1369/1370以降 奇皇后
○高麗から元に送られた貢女。元朝最後の皇帝(北元の初代皇帝)である惠宗(順帝)トゴン・テムル(在位1333~1368)の食膳の給仕などをしていたが、次第に順帝の寵愛を得る。
1353年、生んだ皇子アユルシリダラ(北元の第2代皇帝)が皇太子になる。最後には皇后の位についた。高麗内では、奇皇后の一族が政治的権力を強め、1356年、恭愍王により、一族は抹殺された。
○元は、1368年に北方に遷都し、北元(1368-1388)となる。
1351 恭愍王即位(~1374)。
1354 共愍王による反元運動が始まる。
1356 元軍が高麗から撤退(双城総管府を回復)。
1365 辛盹による改革政治(~71)。
1374 恭愍王が暗殺される。禑王が即位(~88)。
1388 親明派の武将李成桂(女真族ともいわれる)がクーデターを起こし実権者になる(威化島回軍)。
1391 科田法の制定。
1392 鄭夢周が暗殺される⇒李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝を樹立。
⇒*7-5.朝鮮王朝時代の文化(【年表】李氏朝鮮1393-1897)