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【中国史】古代中国ー父系社会の形成(古代文明~三国時代[220])
更新:2017-09-25 前回更新:2017-09-08 作成:三成美保
【解説】中国史の時代区分中国の歴史は大きく3期に区分される。[石岡他2012:p.3-4] ①前帝政国家期(~前221:秦の統一)=前近代中国 ②帝政国家期(前221:秦の統一~1912:清滅亡)=前近代中国 ○帝政国家前半期(前221~前202:秦⇒前202~後6:前漢⇒25~220:後漢⇒220~280:三国時代⇒420~581:南北朝時代⇒581:隋の成立) <法>律令格式(りつれいかくしき)と五刑(笞[ち]・杖[じょう]・徒[と]・流[りゅう]・死[し])の成立 法発展については、南北朝時代が転換期 ○帝政国家後半期(581~618:隋⇒618~907:唐⇒960~1127:北宋⇒1127~1279:南宋⇒1271~1368:元⇒1368~1644:明⇒1636~1912:清) <法>律令格式と五刑の完成・変容 <経済>「唐宋変革」(唐後半~宋) ③民主政国家期(1912:中華民国成立~現在)=近代中国・現代中国 (参考文献) |
【年表】
前500000頃 北京原人が現在の華北地域に生息する
前14000頃 長江文明が起こる
前7000頃 黄河文明が起こる
前2070頃 夏が起こる
前1600頃 夏滅亡。殷の成立(神権政治)
○殷王朝末期:紂王(帝辛)
○妲己(だっき):殷最後の王である紂王の妃とされるが、実在の可能性はきわめて低い。
【解説】「酒池肉林」説話が流布した背景と殷王朝滅亡の理由
司馬遷『史記』(前90年に成立)殷本紀に、殷王朝について詳しい記述がある。しかし、「『史記』における殷王朝の記述には虚実が入り交じっており、特に各々の王の事績は、ほとんどが後代に作られた物語である」(落合2015:4頁)。物語のなかでも、殷王朝最後の王である紂(ちゅう=帝辛ていしん)にまつわる「酒池肉林」の話が有名であるが、これも史実とは考えられない。『史記』の記述を相対化するのに役だったのは、甲骨文字の発見である。甲骨文字は、殷王朝後期(前13~前11世紀)に作られたものであり、殷王朝に関する第一次資料である。
▼史料:『史記』(殷本紀)の記述
「天下之を紂(ちゅう)と謂う。…(略)…酒を好み淫楽し、婦人を嬖(へい)し、妲己を愛し、妲己の言に是れ従う。…(略)…賦税を厚くし、以て鹿台(ろくだい)の銭を実(み)たし、而して鉅橋(きょきょう)の粟(ぞく)を盈(み)たす。…(略)…鬼神を慢(あなど)る。大いにあつめて沙丘(さきゅう)に楽戯(らくぎ)し、酒を以て池と為し、肉を縣けて林と為し、男女をして裸にして其の間を相い遂(そ)わしめ、長夜の飲を為す。百姓怨望(えんぼう)して諸侯に畔(はん)する者有り。是(ここ)に於いて紂乃(すなわ)ち刑辟(けいへき)を重くし、炮烙(ほうらく)の刑有り。…(略)(引用は、落合2015:184頁)
▼落合2015の解説(甲骨文字史料を利用)
○「先に結論を言えば、これらはすべて後代の創作である。…実際には、帝辛は頻繁に狩猟や祭祀を実行しており、、「酒池肉林」などをする暇はなかったのである。」(落合2015:185頁)
紂王(帝辛)は、文武丁にはじまる集権化政策(軍事力強化・祭祀強化)を継承した。(落合2015:210頁)
○狩猟 「当時の狩猟は、殷王の直轄地である王畿の都市でおもにおこなわれ、軍事訓練や視察を兼ねており、また王の権力を人びとに見せる働きもあった。」(落合2015:186頁)
○祭祀 「祭祀も王の宗教的権威を高める役割があり、これも王の政治的な行動であった。」(落合2015:187頁)
殷代の宗教は多神教で、「自然神」や「祖先神」を崇拝するものであった。(落合2015:80頁)
○「酒池肉林」説話はいつごろ作られたか?
原型は、『韓非子』(前3世紀後半)であり、物語の完成は『史記』が作られた前漢代と思われる。(落合2015:188頁)
○なぜ、「酒池肉林」説話が後世に作られのか?(西周次代の金文史料をもとに)
「酒池肉林」説話は、西周よりも後の創作であるが、西周金文(青銅器への刻印文字)では、殷王朝の滅亡の理由を支配層が酒に溺れたからだと記録している。
「殷代後期には、周は殷王朝の支配下にあったので、客観的に見れば、周が殷を滅ぼしたことは一種のクーデターにすぎない。現実としては、殷から離反した勢力を周が吸収し、最終的に武力で討伐したことが勝因なのである。しかし、それでは正統な王朝として認知されない。そこで、周は自己が主神とする「天」への信仰を利用し、殷が「天命(天の命令)」を失ったと主張することで、自己の行為を正当化したのである。」(落合2015:222頁)
○殷王朝が滅亡した原因
紂王などが行った集権化政策に対する地方領主の反発が原因と考えられる。(落合2015:223頁)
(参考文献)落合淳思『殷ーー中国史最古の王朝』中公新書、2015年
前1046年 周のはじまり(西周)
○周の封建制
前771 犬戎(けんじゅう)の侵入により、西周が滅亡
前770 西周から東周(首都は洛邑)に変わり、春秋戦国時代に入る
○春秋時代(前770~前403)
○楚(そ :?- 前223)
○斉(せい:前1046 - 前386)
○晋(しん:前11世紀 - 前376)
○驪姫(りき:? -前651):晋の献公の寵姫。献公との間に生まれた息子(奚斉)を太子にするため、他の公子達を抹殺し、重耳(のちの文公=「春秋五覇」の代表的人物)と夷吾(のちの恵公)の兄弟も晋から逃亡した(驪姫の乱)。この政治的混乱により晋の国力は大いに低下したが、献公が没してまもなく、献公の部下(里克)が反乱を起こして、驪姫・奚斉は一族とともに殺害された。
○宋(そう:前1100ごろ-前286)
○秦(しん:前778 - 前206)
前500 儒教が生まれる
○諸子百家
○戦国時代(前403~前221)
○呉(ご:前585頃 - 前473)
○夫差(ふさ:? - 前473)
⇒呉越の確執→故事「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
(出典)故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/ka/gashinsyoutan.html
○意味:臥薪嘗胆とは、仕返しのため、または目的を達成するために、長い年月の間苦労にじっと耐えることのたとえ。
○春秋時代、越王の勾践に敗れた父である呉王の闔盧の敵を討つため、夫差は毎夜薪の中に寝ては仇討ちの心をかきたてた。三年後、ついに会稽山で勾践を降伏させたが、勾践は復讐の念を忘れないため苦い胆をなめて、苦難の末に夫差を打ち破ったという故事に基づく。「臥薪」とは、堅くて痛い薪の上に寝ること。「嘗胆」とは、苦い肝をなめること。(出典『史記』十八史略)
○越(えつ:前600頃 - 前334)
○勾践(こうせん:? - 前465)
○范蠡(はん れい:生没年不詳):越王勾践に仕えた政治家・軍師
○西施(せいし:生没年不詳):越王勾践が呉王夫差に献上した美女の一人
前221 秦が中国を統一
○趙姫(ちょうき:? - 前228):秦の荘襄王の王妃、始皇帝の生母
○始皇帝(位:前221-前210)
前214 華北に万里の長城が着工される
前209 陳勝・呉広の乱
前206 秦滅亡。西楚と前漢が分裂し楚漢戦争が始まる
○虞美人(? - 前202?):項羽の愛妾
前202 西楚滅亡。前漢建国
○高祖劉邦(位:前202-前195)
○呂皇后(呂雉:りょ・ち)
○王皇后 (漢景帝の皇后):武帝の生母
前141 武帝(位:前141-前87)
○陳皇后(武帝の従妹)
○衛皇后(衛子夫:えい・しふ)
前140 前漢の張騫が西域に出発し領土拡大
前108 衛氏朝鮮滅亡。楽浪郡設置
前100 朝鮮半島に三韓が設置される
前37 朝鮮半島に高句麗が建国
前18 朝鮮半島に百済が建国
→【朝鮮史(年表)】朝鮮半島(三国~高麗時代:300-1400年)
前7-前1 哀帝(前25-前1)/位:前7-前1)
○断袖:男色を意味する「断袖(だんしゅう)」という語は、寵愛する董賢(とう けん:前22 - 前1)と一緒に寝ていた哀帝が、哀帝の衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないようにするため衣を切って起きた、という故事に基づく。董賢は哀帝から侯に任ぜられるなど、破格の待遇をうけたが、哀帝の死後は財産を没収され、妻とともに自殺。享年21歳。
○王 政君(おう せいくん:前71 - 13):前漢の元帝(劉奭)の皇后で、成帝(劉驁)の生母。王莽の姑母にあたる。
8 前漢滅亡。新成立
○王莽(位:8-23)
23 新滅亡。後漢成立
○光武帝(位:25-57)
○光烈皇后 陰麗華
57 倭の奴国王が後漢に入貢し、光武帝より「漢委奴国王」の印綬を下賜される
64 西域から、後漢へ仏教伝来と推測されている
184 黄巾の乱が起こる
200 官渡の戦いが起こり、曹操が華北地方を制圧する
208 赤壁の戦い
220 後漢滅亡、魏建国⇒三国時代
221 四川に蜀が魏から独立
222 江南に呉が魏から独立
【参考文献】
コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール(工藤元雄訳)『古代中国文明』創元社「知の再発見双書」、1999年
中国北方新石器文化研究の新展開【詳細報告】「東北アジアにおける先史文化の交流」 王 巍(中国社会科学院考古研究所・副所長)
落合淳思『殷ーー中国史最古の王朝』中公新書、2015年
佐藤信弥『周ーー理想化された古代王朝』中公新書、2016年
宮本一夫『神話から歴史へー神話時代夏王朝』(中国の歴史、第1巻)講談社、2005年
稲畑耕一郎監修、劉煒編(
訳)『中国文明史図説1:文明への胎動』創元社、2006年石岡浩・川村康・七野敏光・中村正人『史料からみる中国法史』法律文化社、2012年
【関連サイト】
→*4.東アジア世界(220:三国時代のはじまり~960:宋の成立)