カタリーナ(ルーカス・クラナッハ画:1526年)

カタリーナはザクセン貴族の出身。5歳のときに教育目的で叔母が院長をつとめる女子修道院に預けられ、ラテン語を学んだ。やがて、修道院生活を批判するルターの著作を読んで共感し、1523年、8人の修道女とともに修道院を脱出した。実家に連れもどされるのを恐れる彼女たちをルターは修道士たちと結婚させ、自身はカタリーナと結婚した。1525年、ルター41歳、カタリーナ26歳であった。夫妻は3男3女(1女は早世)に恵まれ、カタリーナは学生たちの宿泊の面倒をみるなどルターを支えた。1546年、ルターが亡くなる。ルターは妻カタリーナを単独相続人に指定する遺言書を残していたが、ザクセン法は遺言を認めず、血族相続しか許さなかったからである。ザクセン選帝侯の強権的介入によってカタリーナは遺産を相続できることとなり、侯から経済的支援も受けて、晩年の暮らし向きは良くなった。(図:クラナッハ父、1528)