トマジウス『魔女罪論』(三成美保)

掲載:2020-02-11 執筆:三成美保

クリスチャン・トマジウス

クリスチャン・トマジウス(1655~1728年)は、ドイツを代表する自然法学者(法律家・哲学者)である。彼がドイツ語で講義をおこなったことがドイツ啓蒙主義のはじまりとされ、「ドイツ啓蒙主義の父」と言われることもある。啓蒙主義の立場から、魔女裁判や拷問の廃止を訴えた。

父は、哲学者ヤーコプ・トマジウス(Jacob Thomasius , 1622~1684年)である。父ヤーコプは、ライプツィヒ大学学長をつとめた。もっとも有名な彼の教え子が、ライプニッツと息子トマジウスである。ヤーコプは、当初は家庭教師のもとで学んだが、その後、ライプツィヒ大学とヴィッテンベルク大学で学び、1643年に哲学修士(ライプツィヒ大学)となった。

トマジウスは、1669年(14歳)からライプツィヒ大学哲学部で学びはじめ、1672年(17歳)で哲学修士となった。その後、父ヤーコプがフーゴー・グロチウス(Hugo Grotius , 1583年 – 1645年)の『戦争と平和の法』De jure belli ac pacis.(1625年)について講義しているのを聴いて法学に興味をもつようになった。他の大学で学んだあと、トマジウスは、1679年にライプツィヒに戻ってきた。

ライプツィヒではおもに弁護士として活動し、ライプツィヒ大学では、グロチウスとサミュエル・フォン・プーフェンドルフ(Samuel von Pufendorf , 1632年 – 1694年、主著は『自然法と万民法』De iure naturae et gentium.1672年)について私講義を担当した。1680年に、同い年の女性と結婚(子どもは6人)。

【法制史】近世自然法(三成美保)

ドイツ啓蒙主義のはじまり

トマジウスは、1684年にライプツィヒ大学で自然法の教授職を得た。1687年10月31日(宗教改革記念日=1517年10月31日にルターがヴィッテンベルク城教会の扉に『95ヶ条の論題』を張り出した)、トマジウスは、ライプツィヒ大学教会の扉に、1687~1688年の冬学期にドイツ語で講義を行う旨の掲示を出した。これが、ドイツ啓蒙主義の始まりとされる。一方、トマジウスは、1688年からドイツ語雑誌「月刊対話(Monatsgespräche)」を刊行していた。このようなトマジウスの挑戦的な行動は、大学からも教会からも貴族からも反発をうけ、トマジウスは、ザクセン選帝侯国での出版・教授禁止処分を受け、ハレに移住した。

【解説】啓蒙主義の比較(英・仏・独)(三成美保)

ハレ大学

ハレは、ブランデンブルク選帝侯国の田舎町であった。1690年、トマジウスは、選帝侯フリードリヒ3世(のちのプロイセン国王フリードリヒ1世)の顧問官に任命され、ハレの騎士学校(リターアカデミー)で法学と哲学の講義を担当するようになる。このハレ騎士学校を前身としてハレ大学が創設されるが、トマジウスはその法学部創設メンバーとなった。

1694年にハレ大学が開校する。ハレ大学は最初の「近代型大学」であり、のちに創設されたゲッティンゲン大学(1737年設立)とともに、名声を博した。両大学は、ともにプロテスタント系の大学で、改革の主眼は、神学部の影響力の削減・排除と、貴族的教育の重視、学問・教育の自由におかれた。プロイセンのハレ大学は、18世紀前半にはなばなしい成功をおさめたものの、敬虔派がつどう神学部と世俗的な法学部との対立を克服できず、しだいにかげりをみせはじめる。かわって、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、ドイツでもっとも著名な教師を多数あつめ、先進的な大学として知られたのが、ゲッティンゲン大学である。成功の原因は、なによりも法学部重視策にあった(1)。

(1)三成美保「大学の貴族化と法学部-ゲッティンゲン大学の創設をめぐって-」(単著:pp.263~290)『ステイタスと職業-社会はどのように編成されていたか-』(前川和也編著)ミネルヴァ書房、1996年12月

魔女罪論(1701年)

(出典)黒川正剛「呪術的実践=知の歴史的諸相―西欧近世の魔女信仰の視角から」Contact Zone 2014特集論文

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/209802/1/ctz_7_211.pdf

「トマジウスは1701年に『魔術の罪について』を出版し、魔女と悪魔の契約、魔女の空中飛行、サバトなどの魔女信仰の中心的な要素を否定し、物質世界に対して悪魔が影響力を行使できるという考え方を批判した[Burns 2003: 301]。このようなトマジウスの主張は無神論者との誹りを受けるものであったため、翌年、批判に答えるため大学での講義をもとに覚書を発表した。トマジウスはその覚書のなかで次のように述べている。「私は次のことを信じることができないので、断固として否定する。悪魔に角、爪や鉤爪があること、もしくは人々が悪魔を描くときのように悪魔がパリサイ人や修道士や怪物として現れること。悪魔が物質的な身体をまとうことができ、様々な形態で人間のまえに現れること。悪魔が人間と契約を結び、人間に契約書を書かせること、また性交を行うこと、箒や山羊に乗せてブロッケン山〔サバトの場所〕に運ぶことなどである」[Kors & Peters 2001: 446]。トマジウスの視線が悪魔の物質性に向けられていることは明らかであろう。このような見解は、近代哲学の祖デカルトの哲学の影響を受けたものであった[Burns 2003: 301]。デカルトにとって重要だったのは、推理の確実性と明証性を特徴とする数学であり(『方法叙説』1637年)、世界は数学という言語により特徴づけられる普遍的な自然法によって支配されるものであった。デカルトの機械論的自然観に霊的存在である悪魔が介入する余地はなかった。

「悪魔の物質性=現実性」に対する懐疑は、「魔女の呪術的/魔術的実践」の「現実性」に対する懐疑と通底している。そしてこの懐疑を担保するものこそ、視覚なのであった。トマジウスはこう述べている。「たとえば人間の耳から取り出された魚の鱗がてんこ盛りに盛られた椀を私が見たとしよう。初めのうちは、私自身、これは悪魔の助力と魔術によってのみ行われたことだと考えるだろう。しかし現実にことをより深く調べるとき、異議を唱える人にどのように答えるべきなのか途方にくれるのである。その人は、これが自然の病気だと決して考えることができない。なぜなら、それは人間の感覚に矛盾するからである。人間はそのようなことを理解できない。また悪魔も自己矛盾することをもたらすことはできない。なぜなら何よりも偉大な神の力でさえ、自己矛盾することをもたらすことができないのだから。よって私はさらに注意深く見ることによって、次のように結論せざるをえない。すなわち、この事例においてさえ、悪魔が行ったのだというよりはむしろ、このことがどうやって起こったのかわからないと述べたいのである。なぜなら2×3=6であるのが確実なことであるのと同様に、自分が知らないことはわからないというのは確実なのだ」[Kors & Peters 2001: 447]。ここで言及されている「人間の感覚」が、人間の小さな耳穴から出てくる大量の鱗を問題にしていることから「視覚」を意味していることは明らかである。そして「視覚」と矛盾することがらを「深く調べること」「注意深く見ること」が力説されるのである。魔女裁判を批判するに際して、「調査・観察の重視」、「視覚の特権性」が18世紀初頭のトマジウスの言説に見られるわけだが、このような変化はいつ、何ゆえに起こったのであろうか。この問題に答えるためには、17世紀に起こった「自然」認識の変容について考えなければならない。」(221-222ページ)(※黄色マーカーは三成による)

著書

  • Lehrbuch des Naturrechtes (1687)
  • Von der Nachahmung der Franzosen (1687)
  • Institutiones iurisprudentiae divinae (1688)
  • Einleitung zur Hoff=Philosophie (1688)
  • Monatsgespräche (1688–1690)
  • Von der Kunst Vernünfftig und Tugendhafft zu lieben. Als dem eintzigen Mittel zu einen glückseligen/ galanten und vergnügten Leben zu gelangen / Oder Einleitung Zur SittenLehre. Salfeld, Halle 1692. (Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv)
  • Das Recht Evangelischer Fürsten In Theologischen Streitigkeiten (Digitalisat) Dissertation von Enno Rudolph Brenneysen
  • Ausübung der Sittenlehre. Salfeld, Halle 1696. (Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv)
  • Einleitung zu der Vernunfft-Lehre. Salfeld, Halle 1691. (Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv)
  • Ausübung der Vernunfft-Lehre. Halle 1691. (Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv)
  • Versuch vom Wesen des Geistes (1699)
  • Summarischer Entwurf der Grundregeln, die einem studioso juris zu wissen nöthig (1699)
  • 魔女罪論 De crimine magiae (1701; 全文は以下→Volltext der Bibliotheca Augustana)
  • Fundamenta iuris naturae et gentium (1705)
  • Kurtzer Entwurff der Politischen Klugheit (1705)
  • Selecta Feudalia (1708)
  • Vom Recht des Schlafens und Träumens (1710)

講義

  • Christian Thomas eröffnet Der Studirenden Jugend zu Leipzig in einem Discours Welcher Gestalt man denen Frantzosen in gemeinem Leben und Wandel nachahmen solle? ein Collegium über des Gratians Grund-Reguln/ Vernünfftig/ klug und artig zu leben. [Leipzig] [ca. 1690]. Digitalisierte Ausgabe der Sächsischen Landesbibliothek – Staats- und Universitätsbibliothek Dresden, Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv im Deutschen Textarchiv
  • Christian Thomas Eröffnet Der Studierenden Jugend Zu Leipzig In einem Discours Von denen Mängeln derer heutigen Academien, absonderlich aber der Jurisprudenz Zwey Collegia Ein Disputatorium über seine Prudentiam ratiocinandi und ein Lectorium nach einer sonderbaren methode über die Institutiones Iustinianeas. Halle 1688. Digitalisierte Ausgabe der Staatsbibliothek zu Berlin
  • Christian Thomas Eröffnet Der Studierenden Jugend zu Leipzig/ In einem Discours Von denen Mängeln der Aristotelischen Ethic, und von andern das Ius publicum betreffenden Sachen/ Zwey Collegia Uber die Christliche Sitten-Lehre und über das Ius Publicum. Leipzig 1688. Digitalisierte Ausgabe der Staatsbibliothek zu Berlin
  • Christian Thomas Eröffnet Der Studierenden Jugend Einen Vorschlag/ Wie er einen Jungen Menschen/ der sich ernstlich fürgesetzt/ Gott und der Welt dermahleins in vita civili rechtschaffen zu dienen/ und als ein honnet und galant homme zu leben/ binnen dreyen Jahre Frist in der Philosophie und singulis Jurisprudentiae partibus zu informiren gesonnen sey. Halle 1689. Digitalisierte Ausgabe der Staatsbibliothek zu Berlin
  • Christian Thomas/ ICtus und Chur-Brandenb. Rath eröffnet Der studierenden Jugend in Halle in einen gemischten Discurs Fünff neue Collegia die er nach der Leipziger Oster-Meße daselbst anzufangen gesonnen. Halle [1691]. Digitalisierte Ausgabe der Staatsbibliothek zu Berlin