目次
8-4.宗教改革とセクシュアリティ管理の強化
掲載:2019-12-30 執筆:三成美保
【法制史】中世末期~宗教改革期の国家と社会
⇒*【特集8】法制史(西洋)(執筆:三成美保/初出:三成他『法制史入門』、一部加筆修正)
宗教改革と国家
中世社会を決定づけていた普遍的教権と普遍的帝権という観念は、ルネサンスと宗教改革(1517年)により崩壊していく。ボダン(1530-1596年)の主権論、マキアベリ(1469-1527年)の国家理性の思想、ホッブス(1588-1679年)の絶対君主制擁護論などをへて、イギリスやフランスでは、17-18世紀に絶対主義国家が実現する。いっぽう、ドイツでは、帝国を犠牲にして領邦国家レベルで主権国家形成が進められる。新たな国家には、平和と法のための責任と、福祉と社会秩序維持のための責任が負わされることになる。
宗教改革により生じたカトリックとプロテスタントの宗派対立は、帝国を宗教戦争にまきこんだ。帝国の分解をふせぐためにとられた妥協策が、アウグスブルクの宗教和議(1555年)である。これは、帝国等族にルター派(カルヴァン派については 1648年以降)への改宗権を認め、領民は領邦君主の選んだ宗派に属することを定めたものである(その地の宗教は統治権者の宗教によって決定される)。プロテスタント地域では、領邦教会制が組織されていく。また、帝国教会法により新旧両派同権の原則が定められ、帝国諸官庁では二宗派に平等な人的構成がとられた。しかし、宗教的寛容は、18世紀に啓蒙思想の影響が強まるまで保障されなかった。
プロテスタント国家では、いちはやく国家の世俗化が進む。聖職者の影響力ができるだけ排され、法律家が行政・司法で積極的に登用されはじめた。かつて教会が独占していた婚姻と道徳の監督もまた、世俗国家に委ねられる。ただし、ツヴィングリ派やカルヴァン派に属したスイスの諸都市では、むしろ、神政一致が極端な形で進められた。いっぽう、バイエルンなどカトリックにとどまった領邦では、カトリックの改革をとなえるイエズス会が、しばしば宗教と教育を独占した。
【関連項目】⇒*【文化】活版印刷術の発展ーグーテンベルク(三成美保)
経済と社会
新航路の発見により、ヨーロッパの商業路は大変化をとげた。商業の中心が、地中海から大西洋に移ったのである。大西洋交易とインド航路により利益を得たのは、スペイン・ポルトガル、のちには、イギリス・オランダであった。ドイツは、この経済変化に遅れをとったばかりか、最後にして最大の宗教戦争である30年戦争(1618-1648年)の戦場となったことで、壊滅的被害をうけた。中世以来の諸都市は、国際的競争力を失ってしまう。ツンフト手工業は閉鎖化して、人材登用にも、新技術導入にも消極的になる。その結果、毛織物業や綿織物業などの新しいタイプの産業は、17世紀後半以降、農村工業として展開することになる[プロト工業]。
北東部では、ハンザ同盟が崩壊し、東部の穀物輸出の担い手は、騎士農場主にかわる。とりわけエルベ以東では、15-16世紀以降、農場領主が市場を独占するべく、農民を世襲隷属身分に落としていった。グーツヘルシャフト(農場領主制) の成立である。農民たちは、自己の土地から追放され[農民追放]、かつての自由身分を失い、土地緊縛とゲジンデ奉仕(領主のための強制労働)を義務づけられていったのである。農場領主は、農場内の唯一の土地領主かつ体僕領主であるとともに、下級裁判権と警察権をも掌握した。
【地図】1618年頃の中欧における宗派分裂の状況
●ドイツ北部はルター派(薄オレンジ色)
●オランダはカルヴァン派(濃いピンク色)
●スイスはツヴィングリ派(薄茶色)
●ボヘミア(ベーメン)はフス派(ピンク色)
●カトリック(藤色)
●カトリックが多い地域(薄い藤色)
【略年表】
14世紀 ウィクリフの改革(イングランド)
1415 フス処刑
1419-1436 フス戦争(フス派が神聖ローマ帝国皇帝と争う)
1494-1498 サヴォナローラの改革(フィレンツェ)と処刑
1516 エラスムス『校訂版 新約聖書』刊行
1517 ルターの「95ヶ条の論題」(ドイツの宗教改革始まる)
1520 ルター『キリスト者の自由』(信仰義認説の確立)『ドイツ貴族に与える書』『教会のバビロニア捕囚』
1521 ルターのヴォルムス帝国議会への召喚、ヴァルトブルク城に遁れる
1522-1523 騎士戦争
1524 エラスムス『自由意志論』(ルターと論争)
1524-1525 ドイツ農民戦争(ミュンツァー殉教)
1526 シュパイエル帝国議会でルター派を容認
1527 ローマ略奪
1527 ヴェステロース全国身分制議会、ルター派宗教改革を承認。グスタフ1世によるスウェーデンの宗教改革開始
1529 シュパイエル帝国議会でルター派を再禁止
1529 第1次カッペル戦争(スイス)
1531 第2次カッペル戦争(スイス)
1534 檄文事件(フランス)
1534 ロヨラらによりイエズス会設立
1536 カルヴァン『キリスト教綱要』刊行、ジュネーヴで改革に協力(-1538年)
1536 ヘンリー8世、国王至上法を公布(イングランド)、これを批判したモアは翌年殉教
1536 伯爵戦争終了。クリスチャン3世によるデンマーク=ノルウェーの宗教改革開始
1536 スウェーデンで教会の福音派国教会宣言(スウェーデン国教会創設運動)
1541 カルヴァンがジュネーヴに戻り改革に取り組む
1545-1563 トリエント公会議
1546-1547 シュマルカルデン戦争(ドイツ)
1553 三位一体を否定した異端の神学者セルヴェが火あぶりになる(ジュネーヴ)
1554 フィンランドの牧師アグリコラによる教会改革
1555 アウクスブルクの宗教和議
1562-1598 ユグノー戦争(フランス)
1568 ネーデルラント諸州の反乱(八十年戦争)
1572 サン・バルテルミの虐殺(フランス)
→*【女性】フランス摂政母后カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)
1573 ルター派と正教会との間で書簡のやり取りが開始される
1580 ルター派と正教会との間での書簡のやり取りが止む
1598 ナントの勅令(フランス)
1600 スウェーデンでリンチェピングの血浴。カトリック教徒を粛清、ルター派国教を確立
1618-1648 三十年戦争(ドイツ)
1648 ヴェストファーレン条約
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