更新:2016-05-08
目次
【年表・地図】オスマン帝国(1299ー1922年)
【年表】
1299 オスマン帝国の建国、オスマン1世(1258-1326:位1299-1326):妻Malhun Hatun(https://en.wikipedia.org/wiki/Malhun_Hatun)
1326 オルハン(1281ー1362:位1326-1362)
1362 ムラト1世(1326-1389:位1362-1389):妻Kera Tamara(ブルガリア王女)https://en.wikipedia.org/wiki/Kera_Tamara
○14世紀後半 イェニチェリ(スルタン直属の奴隷からなる常備歩兵集団。鉄砲を利用した集団戦法をとる)成立
1389 バヤジット1世(1360ー1403:位1389-1403)
1403 メフメット1世(1381-1421:位1413ー1421)
1421 ムラト2世(1404-1451:位1421ー1444)
1444 メフメット2世(1432-1481:位1444-1446/1451-1481):3人目の妻Sittişah Hatun(バヤジット2世の母)https://en.wikipedia.org/wiki/Sitti%C5%9Fah_Hatun
トプカピ宮殿の造営を開始⇒*【女性】オスマン帝国の内廷とハレム
1453 コンスタンティノープルを占領し、遷都する(ビザンツ帝国の滅亡)→イスタンブール
1481 バヤジット2世(1447-1512:位1481-1512)
1512 セリム1世(1465/66/70-1520:位1512-1520)
1517 マムルーク朝(エジプト)をやぶる。全アラブを属領化し、サファヴィー朝と対立。スルタン=カリフ制の成立。
→*【女性】ユダヤ人女性グラツィア・ナスィ(1510-1569)とイベリア半島のユダヤ人追放(三成美保)
1520 スレイマン1世(1494-1566:位1520-1566)=帝国の全盛期
【女性】ロクセラーナ ( ヒュッレム・ハセキ・スルタン)(1506-1558年)ースレイマン1世の皇后
第一側室から皇后へ:Hürrem Sultan(ヒュッレム/ロクセラーナ)
スラブ系でロシアかポーランドの出身。奴隷として買われて、スレイマンに献上された。
ロクセラーナは、オスマン帝国の慣習(妃は2人以上の男子を産めない)を破ってスレイマン1世との間に5人の男子をもうけ、法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一婦の関係を築いた。また、ロクセラーナは、スルタン・ワーリデ(スルタンの母后)や第一カドン(側室)、宦官らハレムの住人たちが権謀術数を巡らせ、オスマン帝国の政治を支配する「カドンラル・スルタナティ(女人の天下/女性の統治)」と呼ばれる時代をはじめたとされる。
(英)https://en.wikipedia.org/wiki/Roxelana
1571 レバントの海戦で、スペイン=ヴェネティア連合艦隊に敗れる。
1811 エジプトがオスマン帝国から事実上独立
1839 オスマン帝国の近代化(タンジマート)
1922 オスマン帝国の滅亡
→*13-7.【年表】トルコ近代化改革と女性解放
○オスマン帝国史の概略については→「世界史の窓」オスマン帝国*http://www.y-history.net/appendix/wh0803-009_1.html#wh0803-009_1
◆オスマン帝国の拡大
◆1900年頃のオスマン帝国