近世ドイツのポリツァイ条令
(執筆者:三成美保/初出:三成他『法制史入門』)
ポリツァイ条令
宗教改革者のなかでも、ドイツに大きな影響をあたえたルターは、教会改革をふくめた社会全体の改革を領邦君主に期待した(⇒*【法制史】中世末期~宗教改革期の国家と社会(三成美保))。以降、ルター派地域では、公共の秩序を維持するのは領邦君主単独の任務とみなされる。こうした考え方は、しだいにルター派地域以外にもひろまり、近世ヨーロッパを特徴づける絶対主義理念を支えるものとなるのである。
秩序維持を担うべき近世の帝国・領邦君主・都市当局が行政・立法の指針としたのが、「良き秩序とポリツァイ」という理念である。ここでのポリツァイは、警察ではなく、近代以降の国家にあたるような、公益を守る機関、ならびに、良き公的秩序そのものを意味する。
良き公的秩序を維持するための法が、ポリツァイ条令である。ポリツァイ条令がそれまでの法と異なる点は、立法形式上、これが協約ではなく、君主・当局が発した法命令であるということにある。法命令としての性格は、法の運用にも影響を与えた。ポリツァイ条令違反にかんしては、中世的な当事者主義の原則がしりぞき、職権による捜査・尋問・判断の手続きが前面にでている。いまや、中世のように被害者が直接、裁判所に訴えて決着をつけるのではなく、被害者は、官憲への申立によって、問題の解決を期待することができたのである。公的秩序維持の名目のもと、人びとの日常生活への公的監視が強まり、官憲の権限が肥大化していく。
条令の内容は、人びとの生活全般に及び、刑事・民事の双方にわたる。芸人・乞食・ジプシーといった非定住者の取り締まり、内縁や姦通などの性風俗の乱れの監視、賃金・価格統制、金貸しや独占業者の処罰などのほか、衣服・宴会・冠婚葬祭の規制にいたるまで、こと細かい規定がずらりとならんでいる。