目次
エリザベス神話
高校世界史教科書の記述から
「自立するイギリス
国家主導で宗教改革を行い、カトリック世界からの自立をはかったのがイギリスであった。王妃との離婚を教皇に反対されていたヘンリ8世は、1534年、議会の協賛を得て国王至上法(首長法)を定め、国王を最高の長とするイギリス国教会を成立させ、教皇と絶縁した。王は修道院を解散し、その土地や財産を没収して、国民に払い下げた。地主のジェントリはこの土地を手に入れて勢力をのばした。おりから牧羊のため共有地の囲い込み(第1次囲い込み)が進行していて、多くの農民が土地を失い、社会不安をまねいた。
その後、メアリ1世がスペインのフェリペ2世と結婚してカトリックを復活させた。しかし、つぎのエリザベス1世は、1559年に信仰統一法(統一法)によりプロテスタントの国教会を再建した。女王は、イギリスの主要産業である羊毛生産や毛織物行などを保護し、ホーキンズやドレークに私掠特許状を与えて、スペインの銀の輸送船や商館を攻撃させた。さらにオランダの独立を支援したので、イギリスは1588年、強国スペインの無敵艦隊(アマルダ)の来襲を受けた。」(東京書籍『世界史B』2007年、229-230ページ)
【略年表】テューダー朝(1485-1603)
1485 ヘンリー7世即位(位:1485-1509)→テューダー朝(1485-1603)の開始
1486 ヘンリー7世、エリザベス・オブ・ヨーク(ヨーク朝エドワード4世の娘)と結婚
○15世紀末 第1次囲い込みはじまる
1501 キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン女王イザベル1世の末子)が王太子アーサーに嫁ぐ
1509 ヘンリ8世即位(位:1509-47)→キャサリンはヘンリ8世と再婚(→ヘンリ8世と6人の妻たち)
1533 王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻解消(婚姻無効)、ヘンリ8世とアン・ブーリンとの結婚、エリザベス(1533-1603)生まれる
1534 国王至上法(首長法)(→史料)発布→イギリス国教会成立
1535 トマス・モア処刑
1536 アン・ブーリンの処刑→第1王位継承法(→史料)によりエリザベスは婚外子とされ、王位継承権を剥奪される
1542 王妃キャサリン・ハワードが姦通罪で処刑される
1543 第3王位継承法(→史料)によりエリザベスの王位継承権が復活
1547 エドワード6世即位(位:1547-53)
1553 ジェーン・グレイ即位(位:1553:9日で廃位)
1553 メアリ1世即位(位:1553-58)(→メアリ1世とエリザベス1世ー王位継承権をめぐって)
1554 メアリ1世、スペイン王子フェリペ2世と結婚→民衆は反発
1555 カトリックを復活→「血のメアリ」
1558 エリザベス1世即位(位:1558-1603)
1559 統一法(→史料)公布→イギリス国教会確立
1564 ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)
1577 ドレーク(1545?-96)の世界周航(1577-80)
1587 スコットランド女王メアリ・スチュアートを処刑
1588 スペイン無敵艦隊を撃破
1598 グローブ座(シェイクスピア戯曲の多くが初演された劇場)の設立→イギリス・ルネサンス演劇の隆盛(宗教改革~ピューリタン革命による劇場閉鎖[1642年]まで):劇作家も俳優もすべて男性
1600 東インド会社設立
1601 エリザベス救貧法(→史料)制定
1603 ジェームズ1世即位(1603-25)→スチュアート朝の成立
(作成2014.09.16:三成)