エジプト(プトレマイオス朝:前305-前30)の男女共同統治

更新:2017-11-23 掲載:2014.05.25 作成:三成美保

【年表】プトレマイオス朝(前306-前30)~7世紀(ローマ帝国・ビザンツ帝国による支配)

(参考)⇒【女性】古代エジプトの女王たち(年表付き)

前323 アレクサンドロス大王が死去⇒ディアドコイ戦争(将軍たちの争い)

前306 プトレマイオス1世即位(プトレマイオス朝)。公用語はギリシア語。首都はアレクサンドリア。アレクサンドリアには、学堂(ムセイオン)やその付属施設であるアレクサンドリア図書館がつくられた。アレクサンドリア図書館は古代有数の図書館となり、王家の庇護を受けて多くの書物を収蔵し、多数のすぐれた学者が図書館に集まった。

アルシノエ1世

前288 プトレマイオス2世即位。

○最初の妻は、トラキア王リュシマコス(アレクサンドロス大王のあとをついだディアドコイの一人)の娘アルシノエ1世 (前305/295-前279以後)。セレウコスの台頭に脅威を感じたリュシマコスがプトレマイオスと手を結ぶためにおこわれた政略結婚であった。ふたりの間には、息子のプトレマイオス3世エウエルゲテスとリュシマコス、娘のベレニケ・フェルノフォラスの3人の子が生まれた。アルシノエ1世との離婚後、プトレマイオス2世は、王妃アルシノエ1世の父リュシマコス王の未亡人となっていた同母姉のアルシノエ2世と再婚(キョウダイ婚・共同統治)した。

 

アルシノエ2世 (前316 – 前270/260)ー3度の結婚・壮絶な権力争い

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アルシノエ2世

○1番目の夫リュシマコス(マケドニア王)

15歳のときにリュシマコスと結婚(子は3人)。息子たちを玉座に座らせるために、アルシノエ2世は反逆を企てたかどで夫の長子アガトクレスに毒を飲ませ処刑。リュシマコスは前281年の戦い(コルペディオンの戦い)で死去。

○2番目の夫プトレマイオス・ケラウノス(異母兄弟)?ー前279、マケドニア王(在位:前281-前279)

2番目の夫プトレマイオス・ケラウノスは、プトレマイオス1世とその前妻エウリュディケの子供の一人であり、アルシノエ2世にとっては異母兄弟になる。リュシマコスが息子アガトクレスを処刑すると、ケラウノスはアガトクレスの妻リュサンドラに味方して、シリア王セレウコス1世に支援を求めた。セレウコスは、リュシマコスが支配していた小アジアに侵攻し、前281年のコルペディオンの戦いで彼を敗死させた。

その7ヶ月後、ケラウノスは、セレウコスを暗殺し た。ケラウノスは王位につくことを願っていたが、セレウコスがこれを支援しなかったからである。セレウコス暗殺をケラウノスはリュシマコスの復讐としてアピールし、マケドニアの王位に就くことを宣言した。彼はリュシマコスの後継者としての地位を固めるためにリュシマコスの寡婦アルシノエ2世と結婚したのである。

2人の関係は長続きしなかった。プトレマイオス・ケラウノスがさらに力をつけはじめると、アルシノエ2世はその勢いを抑え、前夫との息子たちとともに夫に反旗を翻す時期だと判断した。しかし、陰謀が露見し、プトレマイオス・ケラウノスはアルシノエ2世の2人の息子リュシマコスと ピリッポスを殺害するが、長男のプトレマイオスは北へ脱出し、ダルダニア人の王国に逃れた。アルシノエ2世も弟プトレマイオス2世の庇護を求め、エジプトのアレクサンドリアへ逃れた。

プトレマイオス2世とアルシノエ2世

○3番目の夫プトレマイオス2世(同母弟)(前308 - 前246、在位:前288 – 前246)

エジプトで、アルシノエ2世は8歳下の同母弟プトレマイオス2世をそそのかして、彼の最初の妻であるアルシノエ1世に夫の暗殺疑惑の濡れ衣を着せて離婚させ、南エジプトに追放させた。

アルシノエ2世は、プトレマイオス2世と結婚(キョウダイ婚)し、エジプトの共同統治者となる。彼女は弟のもつ肩書き全てを自らも名乗り、女王に捧げられた街や崇拝者、その肖像を象った貨幣ができるなど、強い影響力をもった。外交政策にも深く関わったとみえて、それは中東でセレウコス朝と対峙した第一次シリア戦争(紀元前274-271年)でのプトレマイオス2世ピラデルポスの勝利にもつながった。

女王アルシノエ2世の死後もプトレマイオス2世は公文書でたびたびその名に触れており、貨幣や礼拝もかつてのままにさせ、さらにアルシノエ2世を女神として崇めさせた。それはそのまま自らの神格化につながった。

アルシノエ2世については、以下の記事もごらんください。
【女性】アルシノエ2世ー初期プトレマイオス朝エジプトの女王(森谷公俊)

前221 プトレマイオス4世フィロパトル即位。プトレマイオス3世とベレニケ2世の子。同母姉妹のアルシノエ3世キョウダイ婚、共同統治した。

前204 アルシノエ3世が暗殺される。

前175 クレオパトラ1世死去。

前174 プトレマイオス6世が、妹クレオパトラ2世キョウダイ婚

クレオパトラ2世

プトレマイオス6世フィロメトル及びプトレマイオス8世フュスコンの姉妹で、それぞれの后となった。

前173 第1の結婚(キョウダイ婚:プトレマイオス6世フィロメトルと結婚
前170 夫の弟プトレマイオス8世フュスコンとの共同統治の下、セレウコス朝のアンティオコス4世との戦争に臨む。
前168 ローマの援助もあり、シリアの侵略を退けることに成功。その後、夫とフュスコンの権力闘争が激化し、ローマ調停の下で夫フィロメトルがエジプトの統治者となる(前163)。
前145 第2の結婚(キョウダイ婚:夫フィロメトルが死去。キュレネ王となっていたフュスコンと結婚、統治者とした。この際、プトレマイオス7世はフュスコンとクレオパトラ2世の結婚式の日に殺害されたと言われる。
前142 夫が自分の娘と結婚:フュスコンが、クレオパトラ2世の娘クレオパトラ3世コッケを后としたため、フュスコン・コッケとの関係が悪化。
前131 夫への反乱・夫と娘を追放:クレオパトラ2世は夫に対する反乱を起こし、フュスコンとコッケを追放して、フュスコンとの子プトレマイオス・メンフィティスを王と宣言した。メンフィティスはまもなくフュスコンに殺害され、彼女はシリアのデメトリオス2世と同盟を結んだ。
前127 シリアへ逃走。
前124 三頭体制:フュスコンとの和解が成立。フュスコン・コッケとの三頭体制が復活。
前116 夫の死後まもなく死去。

前145 プトレマイオス8世即位。姉クレオパトラ2世及び彼女の娘クレオパトラ3世と同時にキョウダイ婚(母娘と同時に婚姻)をおこない、3人が共同統治者となる。

前116 プトレマイオス8世死去。遺言により、王妃クレオパトラ3世がエジプトを譲り受ける。

前107 プトレマイオス8世の息子プトレマイオス9世が母クレオパトラ3世の殺害を企てたとして告発され、キプロスに逃亡。弟プトレマイオス10世が王位につく。プトレマイオス10世は、兄プトレマイオス9世の娘ベレニケ3世と結婚(叔父=姪結婚)。

前88 プトレマイオス10世は、キプロスに逃亡する途中で、アレキサンドリア総督によって殺害される。プトレマイオス9世が王位に復帰。

前80 プトレマイオス9世死去。娘ベレニケ3世が女王となる(単独統治)。6ヶ月の統治期間の最後に、プトレマイオス10世の息子プトレマイオス11世(母はベレニケ3世とも別の女性とも言われる)と結婚して、共同統治するが、結婚19日目に殺害される。これに怒ったアレキサンドリアの人々によって、プトレマイオス11世は処刑される。

前80 プトレマイオス9世の息子プトレマイオス12世が即位。妹のクレオパトラ5世(6世:前95頃-前57/在位:前79-前57)とキョウダイ婚共同統治者となる。

前58 プトレマイオス12世が追放される。娘ベレニケ4世は母クレオパトラ5世共同統治した(クレオパトラ5世はまもなく死去)。

前55 ローマの支援を得てエジプトに帰還したプトレマイオス12世は、長女ベレニケ4世を処刑。

前51 プトレマイオス12世死去。彼の遺言により、娘クレオパトラ7世と息子(クレオパトラ7世の6歳下の弟)プトレマイオス13世がキョウダイ婚を行い、共同統治者として即位。

前49 プトレマイオス13世がクレオパトラ7世を追放。

前48年 エジプトに入ったカエサル(前100-前44)の愛人となったクレオパトラは、彼の支援を得る。カエサル52歳、クレオパトラ 21歳。

前47 クレオパトラは10歳下の末弟プトレマイオス14世(前59頃-前44/在位:前47-前44)とキョウダイ婚をなして、共同統治者となる。カ エサルを後ろ盾にもつクレオパトラが実権を握った。

紀元前30年頃のアレクサンドリア https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Alexandria

前44 カエサルが暗殺される。クレオパトラは急遽ローマからエジプトに戻る。プトレマイオス14 世の死(毒殺説もある)により、クレオパトラの息子カエサリオン(前47-前30:父はカエサルとされるが、異説もある)がプトレマイオス15世(在位: 前44-前30)として即位し、母王との共同統治者となった。

前42 アントニウス(前83-前30)とクレオパトラは愛人関係になる。アントニウス41歳、クレオパトラ27歳。両者の間には、3人の子 (双子の姉妹と男子)が産まれた。アントニウスは、オクタウィアヌス(前63-後14/皇帝アウグストゥスとして在位:前27-後14)の姉オクタウィア (前69-前11)と離婚し、ローマ市民の支持を急速に失っていく。

前31 アクティウムの海戦。アントニウス=エジプト軍はオクタウィアヌス=ローマ軍に敗れる。

前30 クレオパトラは自害し、プトレマイオス朝は断絶。エジプトはローマ帝国の支配下に入る。公用語はギリシア語のまま。

3世紀 キリスト教がエジプトに伝播する→コプト教会の成立。

青は6世紀ユースティニアヌス帝時代の版図

395 ローマ帝国分裂により、エジプトはビザンツ帝国に編入される。

商品の詳細

DVDアレクサンドリア 販売元: 松竹、発売日 2013/11/27、時間: 127 分

415 アレクサンドリア図書館がキリスト教徒によって略奪され、女性数学者ヒュパティアもまた「異教徒」としてキリスト教徒によって虐殺された。
【参考】ヒュパティアの活躍と死を描いた映画『アレクサンドリア』(DVD)
【年表】古代オリエント~地中海世界(BC3500~AD500)

618-628年 エジプトはササン朝ペルシアに占領される。

イスラームの拡大:えんじ(622–632年)→薄赤(632–661年)→薄茶(661–750年) https://de.wikipedia.org/wiki/Byzantinisches_Reich

7世紀以降 エジプトのイスラーム化が進む。

 

 

プトレマイオス朝王家の婚姻

◆男女共同統治

プトレマイオス朝の領土

プトレマイオス朝は、ギリシア・マケドニア系のエジプト王朝である。アレクサンドロス大王の側近で将軍のプトレマイオス(前367-前282/在位:1世:前305-前282)が、「ディアドコイ(後継者)」の一人として創設した。クレオパトラ7世(前69ー前30/在位:前51-前30)の自害によって断絶する。

プトレマイオス朝では、代々「プトレマイオス」と名乗る男王(ファラオ)が、姉・妹・叔母・姪などにあたる「ベレニケ」「アルシノエ」「クレオパトラ」という名の女王(ファラオ)と共同統治した。

古代エジプトでは、王位は父王から第一王子に継承された。その場合、キョウダイ婚(兄弟と姉妹間の婚姻)が理想的とされた。父娘間の婚姻も存在した。しかしながら、キョウダイ婚夫婦や父娘夫婦の間に性的関係は必ずしもなく(性的関係が存在する場合もある。キョウダイ婚で産まれている子は多いが、父娘婚で子が産まれるケースは少ない)、結婚は形式的な場合もあった。

◆キョウダイ婚と父娘の戦い

クレオパトラ7世の父プトレマイオス12世(前117-前51/在位:前80-前58)は、妹のクレオパトラ5世(6世:前95頃-前57/在位:前79-前57)と結婚、共同統治者となった。両者は性的関係をもち、子をなした(ベレニケ4世)。プトレマイオス12世の子どもたちは、ベレニケ4世(前77-前55/在位:前58-55)、クレオパトラ7世、アルシノエ4世、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世。

前58年、父王が追放されると、ベレニケ4世は母クレオパトラ5世と共同統治した(クレオパトラ5世はまもなく死去)。前55年にローマの支援を得てエジプトに帰還したプトレマイオス12世は、長女ベレニケ4世を処刑する。

クレオパトラ7世(前69ー前30/在位:前51-前30)

◆クレオパトラとキョウダイとの結婚・対立

クレオパトラ7世

商品の詳細

出演: エリザベス・テイラー, リチャード・バートン, レックス・ハリスン, ロディ・マクドウォール 監督: ジョセフ・L・マンキーウィッツ 販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 発売日 2014/05/16 時間: 251 分

【弟王との結婚・敵対】

前51年、父王の死により、最年長子のクレオパトラ7世が6歳下の弟プトレマイオス13世(前63-前47/在位:前51-前47)とキョウダイ婚を行い、共同で王位に就いた。しかし、ローマとの同盟関係を重視するクレオパトラ7世とローマからの独立を求めるプトレマイオス13世は敵対し、クレオパトラは幽閉された。前48年にエジプトに入ったカエサル(前100-前44)の愛人となったクレオパトラは、彼の支援を得る。カエサル52歳、クレオパトラ21歳であった。

【弟王・妹王との対立】

妹アルシノエ4世(在位:前48-47)はプトレマイオス13世の共同統治者となったが、弟王との主導権争いにより、エジプト軍は敗走した。前47年、ナイルの戦いで、プトレマイオス13世をはじめ、彼の一派の指導者は全員死亡してしまう。アルシノエ4世はローマ軍の捕虜となり、ローマに連行されて、市内を引き回された。

【末弟王との再婚・息子王との共同統治】

前47年、クレオパトラは10歳下の末弟プトレマイオス14世(前59頃-前44/在位:前47-前44)とキョウダイ婚をなして、共同統治者となる。カエサルを後ろ盾にもつクレオパトラが実権を握った。前44年、カエサルが暗殺されると、クレオパトラは急遽ローマからエジプトに戻る。プトレマイオス14世の死(毒殺説もある)により、クレオパトラの息子カエサリオン(前47-前30:父はカエサルとされるが、異説もある)がプトレマイオス15世(在位:前44-前30)として即位し、母王との共同統治者となった。

◆オクタウィア(アントニウスの妻)

8106 - Roma - Ara Pacis - Ottavia Minore - Foto Giovanni Dall'Orto - 30-Mar-2008.jpg

オクタウィア

前42年、アントニウス(前83-前30)とクレオパトラは愛人関係になる。アントニウス41歳、クレオパトラ27歳であった。両者の間には、3人の子(双子の姉妹と男子)が産まれた。アントニウスは、オクタウィアヌス(前63-後14/皇帝アウグストゥスとして在位:前27-後14)の姉オクタウィア(前69-前11)と離婚し、ローマ市民の支持を急速に失っていく。 前31年、アクティウムの海戦で、アントニウス=エジプト軍はオクタウィアヌス=ローマ軍に敗れる。前30年、クレオパトラは自害し、プトレマイオス朝は断絶した。カエサリオンは処刑されたと伝えられるが、クレオパトラとアントニウスの間に生まれた3人の子は、オクタウィアによって養育された。

オクタウィアは、オクタウィアヌスの同母姉である。同時代のローマ人からも、後世の人びとからも「ローマ女性の美徳」(貞淑・忠実)を体現する女性として賛美された。彼女とアントニウスの結婚は政略結婚であり、オクタウィアは再婚(初婚の夫は死亡)、アントニウスは4度目の結婚であった。

【参考文献】

ギャリー・J・ショー(近藤二郎訳)『ファラオの生活文化図鑑』原書房、2014年

A.J.スペンサー編(近藤二郎訳)『図説大英博物館古代エジプト史』原書房、2009年

ジョイス・ティルディスレイ(吉村作治監修)『古代エジプト女王・王妃歴代誌』創元社、2008年