ギリシア神話の女神たち

更新:2016-06-21 掲載:2016-03-20 執筆:三成美保

(1)ギリシア神話の成立と特徴

オデュッセイアとセイレン

ギリシア神話は、古代ギリシア人によって生み出された物語群をさす。世界の始まり・神々の物語・英雄譚の3系統に分かれる。

もともとギリシア神話は、各地を遍歴する吟遊詩人が音楽を奏でながら暗唱していた口承文学である。このため、ギリシア神話には、聖書のような特定の聖典はない。

ギリシア神話の神々についてまとまった記述を残したのが、ホメロス(前8世紀)とヘシオドス(前8~前7世紀)である。

ホメロス『イリアス』は10年間に 及ぶトロイヤ戦争を描き、『オデュッセイア』はトロイヤ戦争で活躍した英雄オデュッセイアの10年にも及ぶ帰還物語である。物語のなかには、魔女キルケ怪物セイレンが登場する。キルケは、気に入った男を島に引き入れては養い、飽きると豚やロバなど動物の姿に変えていた。キルケはオデュッセイアを愛し、彼の子を産む。セイレンは、上半身が女、下半身が鳥の怪物で、美しい歌声で船乗りを死に至らしめる存在であった。

一方、ヘシオドス『神統記』は、ギリシア神話の基礎的作品とされ、神々の誕生や系譜が描かれている。

【解説】ゼウスとヘラの「聖婚」ー地中海型母神信仰とインド=ヨーロッパ語系型父神信仰の合体

Hera Campana Louvre Ma2283.jpg

女神ヘラ

古代ギリシア人が南下する以前の地中海先住民社会の宗教は、のちのギリシア神話にも継承されたが、かなり変容された。

ミケーネ線文字B文書(前1450~前1375頃)には、すでにほとんどの神々が登場している。しかし、ゼウスよりもポセイドンのほうが重視されており、アポロン、レト、 アフロディテなどいくつかの神はあらわれていない。先住民社会で崇拝されたのは、「豊穣」「多産」「永遠の生命」の3つであった。すなわち、地中海社会に共通する大地母神信仰が強かったのである。

これに対して、ギリシア神話では、多くのインド=ヨーロッパ語系神話と同じく、天空神たる父神(ゼウス)が最高神とされた。ゼウスは、家父長制社会にふさわしい族長的な男神であ り、絶対的支配者であった。重視されたのは、戦争・農耕・繁殖であり、「救済」の宗教として崇拝された。王や貴人たちは、来世でも「英雄」扱いされる。他方、地中海起源の女神たちは、繁殖を司る神としてギリシア神話にも継承された。

大地母神信仰が強い地中海型の宗教と父神信仰が強いインド=ヨーロッパ語系型の宗教との融合は、ギリシア神話におけるヘラとゼウスの「聖婚」として表象された。神話では、ヘラとゼウスは、喧嘩の絶えない「仲の悪い夫婦」とされる。また、二人は、姉弟であり、恋人であり、母子であり、夫婦であるという関係として描かれた。最高神夫婦のこのような関係は、2つの宗教の融合の困難さとそれを克服する努力をあらわしている。

【参考文献】ピエール・レベック(青柳正規訳)『ギリシア文明ー神話から都市国家へ』(知の再発見双書18)創元社、1993年、42-48頁

(2)「ヨーロッパ」の語源ーフェニキア王女エウローペー(ギリシア神話)

「ヨーロッパ」の語源となったエウローペーは、テュロス(ティルス)のフェニキア王アゲーノール(エジプト王エパポスの娘リビュエーと海神ポセイドンの子)と妻テーレパッサの娘であった。テュロスは、フェニキア人の都市として成立し、 前11~前9世紀に最盛期を迎えた町である。テュロスの植民都市としてカルタゴが建設された。

 

エウローペーとゼウス(白い牡牛):ポンペイ出土のフレスコ画(1世紀)

エウローペーはその美しさ故に、ゼウスに一目惚れされる。ゼウスは、白い牡牛に姿を変えて、エウローペーのそばに近づいた。エウローペーは、侍女たちと花を摘んでいた。おとなしい白い牡牛に心を許したエウローペーがその背にまたがると、牡牛はエウローペ-を乗せたまま、波間に消えてしまう。ゼウスがエウローペーを連れ去るとき、ヨーロッパ中を駆け巡ったことから、その地を「ヨーロッパ」を呼ぶようになった。ゼウスは、エウローペーをクレタ島に連れて行く。その地で、彼女はゼウスと交わり、ミノスたち3人の息子を得た。エウローペーはクレタ王アステリオスと結婚し、アステリオスは、エウローペーが産んだゼウスの息子たちの義父となる。ミノスは、やがてクレタ王となり、クノッソスの都を創った。ミノス王と妻パーシパエーの息子が、牛頭人身の怪物ミノタウロスである。

パーシパエーと息子ミノタウロス Pasiphaë and the Minotaur, Attic red-figure kylix found at Etruscan Vulci (Cabinet des Médailles, Paris)

エウローペーがゼウスにさらわれたとき、父王アゲーノールは息子たちに捜索を命じた。発見するまで帰るなと言われていたが、相手がゼウスだったため、妹を見つけることができなかった。このため、息子たちは各地に移住することになる。

エウローペーの兄弟のうち、カドモスは母テーレパッサとともにトラキアに渡り、のちにテーバイを建国した。フェニキア文字をギリシアにもたらしたのはカドモスとされる(ヘロドトス)。また、キリクスはキリキアに、ポイニクスはフェニキアに、タソスはタソス島にそれぞれ移住した。

エウローペーやカドモスの神話は、初期のギリシア文化がアジア(とくにフェニキア)からの影響を受けていたことを示している。

「たとえば、人物の名前自体がフェニキアの影響を思わせる。カドモスは、セム語のgedem(東)と似ており、エウロパは、日没を意味するセム語(すなわち「西」)から来ている。ギリシアの古典時代の文化が西アジアからの影響を受けていたことは、現在では広く認められており、美術品だけでなく、神話にもメソポタミアの叙事詩のエピソードにきわめて似たものがある。」(ロバート・モアコット、桜井万里子監修、青木桃子訳『古代ギリシアー地図で読む世界の歴史』河出書房新社、1998年、58-59頁)

【図像】古代ギリシア時代(前5世紀)に描かれたエウローペーとゼウス(牡牛)

Europa and bull on a Greek vase. Tarquinia Museum, circa 480 BCE

Terracotta figurine from Athens, c. 460–480 BCE

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