【文化】活版印刷術の発展-グーテンベルク(三成美保)
更新:2016-03-05 掲載:2014.12.21 執筆:三成美保
中世写本
図①:1475年頃の写本 Der Heiligen Leben Winterteil, Seite aus einer Handschrift aus dem Benediktinerstift Weihenstephan, vermutlich um 1475
図②:写本ー手書きによる書物の作成(15世紀)
図③:6~15世紀のヨーロッパ・ロシアにおける写本の増加(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Manuscript#mediaviewer/File:European_Output_of_Manuscripts_500%E2%80%931500.png)
図④-1:12世紀の写本(自由学芸7科の中央に君臨する哲学) „Die Philosophie thront inmitten der Sieben Freien Künste“ – Darstellung aus dem Hortus Deliciarum der Herrad von Landsberg, 12. Jahrhundert
図④-2:羊皮紙製造職人(1425年ドイツ)Pergamentmacher in den Nürnberger Hausbüchern um 1425(出典:Anonym - Hausbuch der Mendelschen Zwölfbrüderstiftung, Band 1. Nürnberg 1426–1549. Stadtbibliothek Nürnberg, Amb. 317.2°, via http://www.nuernberger-hausbuecher.de/)
活版印刷術
*グーテンベルク
図⑥ー4:ヨハネス・グーテンベルク(1400頃~1468)(16世紀の想像画)
ヨハネス・グーテンベルクは、ドイツ中部の帝国都市マインツの都市貴族(上層市民)の家に生まれた。13世紀以降、グーテンベルク一族は冶金業と商業に従事していた。ヨハネスは、貨幣鋳造職人としての才能を高く評価されていたが、母方祖父が都市貴族ではなかったため、貨幣鋳造業ギルドへの加入が認められなかった。1450年頃までには印刷所の経営を始めていた。ラテン語文法書の印刷などで利益をあげながら、聖書印刷に乗り出す。聖書印刷(「42行聖書」)の出資者に借金を返せず、訴訟を起こされ、破れた結果、いったん印刷技術等を引き渡すことになった。出資者側はその後、印刷業をビジネスとして成功させる。ヨハネスはふたたび資金を集めて、聖書印刷(「36行聖書」)を行った。印刷にはたいへんな手間がかかり、1ページの活字をそろえるのに半日はかかったとされる。
書籍印刷術の普及については以下を参照(ドイツ語)⇒ http://de.wikipedia.org/wiki/Ausbreitung_des_Buchdrucks
*インキュナブラ(incunabula、単数形はincunabulum:揺籃印刷本)
ヨーロッパにおける初期(グーテンベルク聖書以降1500年まで)の活字印刷物をさす。非常に貴重で、揺籃印刷本の所蔵点数が、図書館の格を左右するともいわれるほどである。「インキュナブラ」に属する作品は27,500件とされ、およそ550.000点の印刷物があったと見積もられている。
○インキュナブラ 西洋印刷術の黎明(国立国会図書館電子展示会)
→http://www.ndl.go.jp/incunabula/index.html
*グーテンベルク聖書(1455年)
「インキュナブラ」のなかでももっとも貴重なものが、グーテンベルク聖書である。同書は、世界最初の活版印刷(図⑤)による聖書であった。テキストとしては、当時もっとも広く流通していたラテン語聖書(ヴルガータ)を用いている。ほとんどのページが42行の行組みであるため、「四十二行聖書(42-line Bible、42B)」(図⑥)とも呼ばれる。現存するのは、48部(2006年現在)である。慶応大学が、アジアで唯一の完本(紙版)を所蔵している。印刷は、1455年2月23日に開始された。当初は羊皮紙に印刷され、45部が作成された。羊皮紙版のうち、現存するものは完全なものが4部と不完全なものが8部の合計12部である。紙には135部印刷されたと考えられている。紙版は完全なものが17部、不完全なものが19部現存している。
図⑤:活版印刷術(16世紀)
図⑥ー1:もっとも有名なグーテンベルク聖書 Gutenberg-Bibel, der bedeutendste Druck von Johannes Gutenberg
図⑥-2:グーテンベルク聖書の1ページ目(このページは40行である。印刷はモノクロでなされ、あとで手書きで彩色された。)
図⑥ー3:グーテンベルク聖書(拡大)
*書籍印刷の普及
揺籃印刷本は、主にドイツとイタリアで印刷された(図⑧)。使用言語はほとんどがラテン語である(図⑨)。15世紀後半のうちに、印刷所はヨーロッパ中に広まった(図⑦)。活版印刷術の発明は「印刷革命」とよばれ、その後、出版物は急速に増えていく(図⑪)。
図⑦:15世紀における印刷所の普及 Verbreitung des Buchdrucks im 15. Jahrhundert (出典:http://de.wikipedia.org/wiki/Buchdruck#mediaviewer/File:Druckorte_Inkunabeln.svg)
図⑧:揺籃期本(初期印刷本)の地域分布(出典:http://de.wikipedia.org/wiki/Geschichte_des_Buchdrucks#mediaviewer/File:Verteilung_der_Inkunabeln_nach_Regionen.png)
図⑨:揺籃期本の使用言語(出典:http://de.wikipedia.org/wiki/Geschichte_des_Buchdrucks#mediaviewer/File:Verteilung_der_Inkunabeln_nach_Sprachen.png)
図⑩:印刷業者の組合紋章(ドイツ)
図⑪:1450ー1800年のヨーロッパ・ロシアにおける出版物の増加 (出典:http://de.wikipedia.org/wiki/Buchdruck#mediaviewer/File:Europ%C3%A4ische_Produktion_von_gedruckten_B%C3%BCchern_ca._1450%E2%80%931800.png)