中世ヨーロッパ社会の成立とジェンダー秩序

更新:2016-04-25 執筆:三成美保

【概説】

ヨーロッパ社会の中世は、1000年間続いた。中世は、およそ3つ(前期・中期・後期)に分けることができる。ヨーロッパ中世」の特徴はつぎの3点である。

キリスト教社会であること。
キリスト教は、中世前期に王侯貴族に受け入れられたが、庶民には広がらなかった。庶民にまで広くキリスト教が浸透するのは中世中期である。

身分制社会であること。
ゲルマン社会は、原則として自由農民社会であったが(貴族的有力者や首長は存在した)、中世前期に農民が荘園に縛られて不自由身分となっていく。これにより、貴族身分と農民身分が分離した。中世中期に都市が成立すると、「貴族・市民・農民」の3身分が形成された。聖職者は特権身分に属し、高位聖職者は領主として農民を支配した。中世中期には農民の隷属性は緩和されはじめたが、中世後期に封建貴族が財政危機に陥ると、農民支配が強化され、農民の抵抗運動が頻発した。

家父長制社会であること。
全体として、すべての身分に家父長制が貫かれたが、性差よりも身分差のほうが重視された。人びとの生活の中心は「家」と「共同体」であった。「家」には、しばしば血縁以外の奉公人が含まれ、生産=経営単位であった。生産身分(農民・市民)では、家の長(家父長男性)が「共同体」(都市共同体・村落共同体)の正式メンバーとなった。世俗貴族の場合、婚姻政策を通じて家門の発展をはかった。しかし、養子制度がなく、厳格な一夫一婦制をとったため、婚外子に相続権も王位継承権も認められず、しばしば家門は断絶した。貴族では、男子が優先されたものの、男子がいない場合には女子にも領地相続権が認められた。有力家門にも多くの女性相続人が存在し、彼女たちは領民に対しては領主であった。他方、教会では、男性聖職者によるヒエラルヒー(聖職者階層制)が構築され、女性は司教や司祭職から排除された。

上記①②③は、ドイツやフランスでは18世紀末(近世末)まで続く。中世と近世の大きな違いは、近世では、①キリスト教社会が分裂して世俗化・合理化が進んだこと、②身分制が動揺し、貴族が没落しはじめたこと、③家父長制原理は、16世紀の宗教改革以降、プロテスタントのほうで強まったこと(現世における権威への服従が求められたため)である。

時期区分 年代 各時期の特徴
中世前期
(初期)
500-1050 自然経済中心・王国は国王の領土・生活の中心は家・男女を含む分割相続(土地は男性優先)
中世中期(盛期) 1050-1250 気温上昇・貨幣経済への移行(経済発展)・都市の成立・開墾の拡大(農業生産力の上昇)・荘園制度の変化(貨幣地代への移行)・人口増加・大学の成立・騎士制度の成立
中世後期(末期) 1250-1500 危機の時代(飢饉と疫病蔓延)・都市経済の成熟(女性も経済活動に参加)・一揆多発・農民の階層分化・教皇権の失墜

*【年表】ヨーロッパ中世(500~1500)

【地図】ヨーロッパ

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ヨーロッパの諸国家(現代)(クリックすると拡大)

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ヨーロッパの地形

【系図】フランク王国時代

●【参考】フランク王国の王妃(リスト)

●【参考】カロリング朝の家系図

(出典:フランク王国(カロリング家)~ヴァロア朝の王家家系図

●【地図】6世紀頃のフランク王国