パルテノン神殿浮彫のジェンダー解釈(森谷公俊)

掲載:2017-06-05 執筆:森谷公俊

はじめに

森谷公俊

古代に作られた宮殿や神殿などの公共建造物は、王や皇帝あるいは国家自身が建造したもので、建物とそれに付属する美術作品には権力者の政治的意図が反映しています。美術作品の制作にあたっても、何を目的としてどんな主題を選び、どう配列するかという計画=図像プログラム自体が、重要な決定事項でした。出来上がった作品群は、ちょうど今日の大統領がテレビを通じて演説するのと同じ、政治意志の表明だったのです。ここでは紀元前5世紀、最盛期のアテネ(アテナイ)に建てられたパルテノン神殿の浮彫を取り上げ、これをジェンダー視点から分析します。これを通じて、浮彫に込められた古代アテネ人の政治思想が、彼らの女性観と不可分であったことを明らかにします。

1.メトープ浮彫の概要

パルテノン神殿(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Parthenon

パルテノン神殿の軒下にあたる、細長い帯状の部分はメトープと呼ばれ、合計92面の浮彫がはめ込まれています。各面は一辺がほぼ1.3メートルの正方形の大理石板です。保存状態がいいのは南側だけで、東・西・北の浮彫は神殿がビザンツ教会に改修された時に削り取られ、ごくおおまかな輪郭が素描でわかるにすぎません。各々の主題は次の通りです(マキアとは戦いという意味のギリシア語)。

①東14面:神々と巨人族の戦い(ギガントマキア)

②西14面:アテネ人とアマゾン族の戦い(アマゾノマキア)

③南32面:ラピタイ人とケンタウロス族の戦い(ケンタウロマキア)

④北32面:トロイ落城物語

各主題について簡単に説明します。

①ギガントマキア

巨人族は、ギリシア神話において巨大な身体をもつ一族で、ゼウスを中心とするオリュンポスの神々と戦って敗れ、地下に閉じこめられました。この戦いは、前者が体現する混沌たる闇の勢力と、後者が体現する宇宙の秩序との闘争を象徴しています。

②アマゾノマキア

アマゾン族は女性戦士からなる民族で、黒海周辺からスキタイ地方にかけて住むとされました。他国の男と交わって子を生むと、男児は殺すか不具とし、女児だけを育てました。弓術にすぐれ、矢を射る邪魔にならないよう右の乳房を切り取ったと言われます。

③ケンタウロマキア

メトープ南面:ケンタウロスの戦い

ケンタウロスは、上半身が人間で下半身が馬という怪物です。山野に住み、好色で、野性・野蛮・獣欲の象徴とされました。テッサリア地方に住むラピタイ人の王が自分の結婚式にケンタウロスを招いたところ、彼らは初めて酒を飲んで酔っ払い、花嫁や他の女性たちに乱暴します。このため戦いが起こり、ケンタウロスは追放されました。

④トロイ落城物語

トロイは小アジア北西部にあった王国です。王子パリスがスパルタを訪れ、絶世の美女といわれた王妃ヘレネを連れ帰りました。スパルタ王メネラオスは妻を取り戻すため、ギリシア中から軍勢を集めてトロイを攻めます。包囲攻撃は10年におよび、ギリシア軍は偽りの講和条約を結び、木馬の計略でトロイを陥落させました。

2.メトープが表象するもの

これらの浮彫は全体として何を語っているのか。以下では次の研究に依って述べていきます。D. Castriota, Myth, Ethos, and Actuality; Official Art in Fifth-Century B.C. Athens, Madison, 1992, Chapter 4: The Persian Wars and the Sculptures of the Parthenon

4つの主題はすべて神話・伝説における戦いです。勝利したのはオリュンポスの神々、アテネ人、ラピタイ人、ギリシア人であり、敗北したのは巨人族、アマゾン族、ケンタウロス、トロイ人です。勝者と敗者にはそれぞれ共通の特徴があります。勝者は秩序・正義・法の守り手であるのに対し、敗者は無秩序・混沌・野蛮を象徴しています。個々の特徴をみると、アマゾン族は女性が支配者であるため、男性社会を脅かす存在です。よって女戦士の敗北は、男性が女性を抑圧することによってポリス(ギリシアの都市国家)が成り立っているという事実を表象します。またケンタウロスは主人と客人との友好関係を破り、結婚式を汚したことで、社会の根本的なルールを破壊しました。トロイ戦争の原因も、王子パリスが客人でありながら主人の妻を攫い主人を侮辱したことにあります。それゆえトロイ人の敗北もまた、賓客関係や結婚生活に対する無法な行為の報いと解されます。

メトープの浮彫が持つこうした意味内容は、これを見上げるアテネ人には直ちに了解できることでした。しかも神話・伝説の世界にとどまらず、これらの主題はもっと現実的な意味を帯びていました。それはペルシア戦争の意味づけです。前480年、ペルシア王クセルクセスは大軍を率いてギリシアに侵入し、アクロポリスを占領して、建設途中だった旧パルテノン神殿を破壊しました。アテネ人から見れば、これは神々を汚す行為です。クセルクセスはケンタウロスらと同じく傲慢かつ無法であり、ギリシア人の勝利は正義と秩序の勝利にほかなりません。それから半世紀、前432年に完成した新しいパルテノン神殿は、何よりもペルシア戦争の勝利を象徴する建物だったのです。

3. アマゾノマキアが表象するもの

伝説における初代のアテネ王テセウスはアマゾン族の国に遠征し、女王の妹アンティオペを捕虜にして妻とします。アマゾン族は彼女を取り戻すためアテネに侵入しますが、テセウスがこれを撃退し、アテネ人は国土を守ることができました。アマゾン族侵入の図像は、ペルシア軍のアテネ侵攻の記憶にぴたりと重なります。さらにアマゾン侵入伝説が作られた背景には、アテネ人は自分たちの国土を征服して得たのでなく、もとからこの地に住んでいたとする主張がありました。彼らは自身の自生性・土着性に大きな誇りを抱いていたのです。それゆえアテネ人男性は生まれながらにして、国土に侵入する異民族=アジア的なるものへの対立者でした。

アマゾン族は女性なので、ここに男女の対立がからみます。侵入してきた異国の女性と、それを撃退した自生的な男であるアテネ人。これに関連するのが、神殿の破風に描かれた場面です。西破風の主題はアテネの保護権をめぐるアテナ女神とポセイドンの争い、東破風の主題はアテナの誕生です。これら二つの破風との関連で、アマゾン族の図像を位置づける必要があります。

4.西破風におけるアテナ女神の物語

西破風:アテネとポセイドンの戦い

西破風では、中央の左側にアテナ、右側にポセイドンが立って向かい合います。アテナ女神の左後ろにはケクロプス王、ついで河神たちがおり、右側には子供たちを伴ったアテネ人女性たちがいます。両者の争いについて、アウグスティヌス『神の国』18巻9章は次のように述べています(岩波文庫『神の国(四)』369~370頁を要約)。

アテネの国土に突然オリーブの樹が現われ、別の場所から水が吹き出た。ケクロプス王が神託を伺うと、市民の権限でアテナ女神と海神ポセイドンのどちらかから都市の名前をつけるように言われた。そこで王が全アテネ人を招集し票決を行なったところ、男はポセイドンに、女はアテナに投票した。ただし女が一人だけ多かったので、アテナが勝者となった。怒ったポセイドンは洪水を起こしてアテネの国土を氾濫させた。彼を宥めるため、男たちは女から投票権と子供の命名権を奪った。

別の伝説によると、ケクロプスが結婚制度を創始する以前は、女たちは気ままに男と交わっていたので、誰も自分の父親を知らなかったといいます。ケクロプス王はそれまでの女たちの性的放縦を抑制し、一夫一婦制を確立して、男系制と男性中心の社会秩序を創りあげました。よって結婚制度は、ポセイドンを宥めるために女たちに課せられた罰ということになります。

女神アテナの立場は複雑です。彼女はアテネ女性たちの支持で勝利し、彼女にちなんでこの都市にアテネという名前をつけることができました。ところがポセイドンの怒りを宥めるため、彼女は女たちの権利が奪われることに同意したのです。一体彼女はどういう神なのでしょう。

5.アテナ女神の性格と役割

東破風:アテネの誕生

アテナ女神は主神ゼウスとメティス(思慮)の娘です。ゼウスは、メティスから生まれる男子が自分の王座を奪うとの予言を受け、妻を飲み下します。臨月になってヘファイストス(鍛冶の神)の斧で自分の額を割らせたところ、完全武装したアテナが飛び出したのです。東破風の中央には、生まれたばかりのアテナがゼウスの右側に立ち、左右に並んだ神々がこの光景を見て驚いています。

女神アテネ

純潔を守り戦いを好むアテナは完全に男性志向であり、ゼウスと共に男性の側に立ちます。彼女は女性性の象徴でもなければ、母親の利害の守り手でもありません。それどころか、ゼウスは彼女を生むことで、子どもを生むという母親の権利を我が物とします。さらに女たちの支持で勝利したはずのアテナが、ほかならぬ女たちの権利を奪いました。

アイスキュロスの悲劇『エウメニデス』の中で、アテナは自分を次のように語ります。

私を生んだいかなる女親も存在しない(中略)結婚生活のことは別としても、これ以外のことではすべて、男の世界を心からよしとするものであり、ただただ父ゼウスから生まれた者である。(736~738行、橋本隆夫訳、『ギリシア悲劇全集1』岩波書店)

西洋美術史の若桑みどり氏は『象徴としての女性像』(筑摩書房、2000年)において、上の台詞を引用しながら次のように述べています。

アテナの誕生は男性の支配と女性の従属を決定的にしたのである。(中略)彼女こそ最も代表的な象徴の女性像である。彼女は文明が男性によって生み出されるということと、女性の真の親が父であることの双方を象徴した。姿形が女性であるアテナが本来男性のものである正義や秩序を象徴するようになったのは、「女性をして」男性の秩序を語らせるためである。それこそは男性なるものの最終的な勝利ではないだろうか?(28頁)

パルテノン神殿に安置されたアテナの彫像は完全武装の戦士で、兜をかぶって盾を持ち、右の手のひらに勝利の女神像を載せています。これこそアテネ国家の守護神にふさわしい姿なのでした。

6.アテネ男性の勝利宣言

あらためて破風と西メトープの関連に注目してみましょう。

東の破風は、アテナ女神が男から生まれたことを語り、西の破風は、彼女が男の側に立って女性に一夫一婦制を強要し、男性優位の社会をもたらしたことを表わします。この西破風のすぐ下のメトープに描かれたのがアマゾノマキアです。アマゾンの女戦士たちは、男の統制を受けないために好色かつ放縦であり、父系制に欠かせない純潔を拒否した点で野獣的だと見なされます。このイメージは、結婚制度ができる以前のアテネ女性にも共通します。アテネの男たちにとって、アマゾン族は外からの脅威であり、自立した女性たちは内なる脅威です。アマゾン族を撃退して国土を守ることと、その国土の中で女たちを抑圧することが並行関係にあるのは明らかです。二柱の神々の争いの結果、アテネの社会は母系制と乱婚から父系制と単婚へと移行しました。それはアテネ人の生まれを、母親の子宮から父系の血統に移し替えます。その血統はアテネの大地、すなわちアテネ人が土着し自生してきた父なる国土に結びつく。アテネ人男性の勝利は、内と外における女たちの性的放縦に対する勝利であり、両者をつなぐのは、男性たちの土着性・自生性という原理なのでした。

こうしてパルテノン神殿の西破風と西メトープは、ポリスの内と外において、国土に自生する男たちが女たちの無法と放縦を抑制したことを表象しました。それはペルシア戦争と重ねあわされた、アテネ人男性の勝利宣言であったのです。

図の出典:中尾是正『図説パルテノン』グラフ社、1980年

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