目次
中世ヨーロッパの女性医療者
掲載:2018-07-09 執筆:小川眞里子
今世紀になって中世の女性医療者に関する研究はめざましく、邦語文献はその進展に追いつかないほどである。研究が進んでも彼女たちの数は増えず、中世の公認医療者の5%未満だろうとされている。この理由は、出典に女性の名前が上がらないことに関係しており、遺言や裁判記録、ギルドの記録などからは女性の姿が見えない。しかし中世の医学テキストの中には、女性医療者を想定して書かれていることもあり、多面的なアプローチで明らかになっている近年の成果を紹介する。
◆トロトゥーラからトロータへ
研究の進展に伴い歴史は書き換えられるべきもので、近年医学史家を驚かせる変更があった。南イタリアのサレルノ大学の女性医師トロトゥーラはその存在を巡って論争はあったものの、彼女の名前を冠した医学文書とともに実在の人物として少なくとも500年間ほど信じられてきた。しかし実はトロトゥーラは人名ではなく、定冠詞をつけて呼ばれるべき文書の総称で、『トロトゥーラ文書』は匿名の男性医師2名と女性医師トロータによって執筆された独立の三文書の合冊であることが明らかになった。マニュスクリプトの錯綜する系譜を辿って明らかにされた大きな成果である。それに伴いトロータの活躍時期は12世紀となった。彼女は著述が今日に伝わるきわめて稀有な女性である。
◆女性の健康は女性の仕事か
中世における医療分野の性役割分担について、これを修正すべき多くの指摘が上がってきている。男性医師が女性の診察・治療に関与する、女性医師が男性の診察、治療に関与するケースなどの事例。著作はなさなくても、読み書きのできる女性の存在があれば、女性の医療を扱う本に一定の需要があった。
◆外科分野でも活躍する女性
医療技術を学ぶのに、サレルノは別として女性が大学教育を受けられなかった時代に、多くの女性は父親、夫、親戚の男性たちから知識を得ていた。父親や夫の死後にそれを引き継ぐ女性もいた。たとえば眼科を中心に外科医として活躍したCostanza Calenda (fl. 1415)の父親はサレルノやナポリ大学の教授であり父親からの薫陶は無視できない。ナポリにはライセンスを持つ女性外科医の名前を上げられる。Francesca (fl. 1308) はMatteo de Romanaの妻でナポリのカラブリア公カルロから認可を得た外科医であった。またフランスのPerretta Petone (fl. 1411)の活躍もよく知られる。その活躍ぶりから裁判にかけられたが、多くの女性がそうした活動をしていると証言していた。
◆図
①男性医師が女性の乳房や男性性器の嚢胞を診察している絵
②男性医師が、帝王切開に立ち会って、産婆に指示を与える図
参考文献
- Green, Making Women’s Medicine Masculine: The Rise of Male Authority in Pre-Modern Gynaecology (Oxford: Oxford University Press, 2008)
- Green, Women’s Healthcare in the Medieval West (Aldershot: Ashgate, 2000)
- Whaley, Women and the Practice of Medical Care in Early Modern Europe, 1400-1800 (New York: Palgrave Macmillan, 2011)