補論:チンギス・カンの母ホエルンと妻ボルテの謎

掲載 2018-06-15 執筆 宇野伸浩

チンギス・カンをとりまく女性

モンゴル帝国時代に生きた女性の中で最も有名な女性は、チンギス・カンの母親ホエルンとチンギス・カンの妻ボルテである。この二人について、モンゴル帝国研究の基本史料『元朝秘史』と『集史』に書かれているエピソードには実は大きな違いがある。モンゴル語で書かれている『元朝秘史』は、チンギス・カンを研究する上で、かつてはもっとも重要と考えられていた史料であるが、研究が進み脚色が多い史料であることが分かり、現在ではペルシア語で書かれた『集史』の方が史料的価値が高いと考えられている。

チンギス・カンの母ホエルンの再婚

チンギス・カンの母ホエルンについて最大の謎は、ホエルンの再婚である。夫イェスゲイが亡くなり寡婦となったホエルンは、チンギス・カンが即位したころに、コンゴタン族のモンリクと再婚したと『集史』に書かれている。しかし、『元朝秘史』にはそのことは一切触れられていない。なぜであろうか。

即位前のチンギス・カン、つまりテムジンは、1203年ごろ、それまで家臣として仕えていたケレイト王国の王オン・カンとの間で対立が生じ、生涯最大の危機に陥った。あやうくオン・カンの策略にはまり捕えられそうになった時、チンギス・カンを引き留めて救ったのがモンリクである。チンギス・カンは、1206年の即位後にモンリクに右翼21位の千戸長の位を授け、モンリクを母ホエルンの再婚相手とした。当時のモンゴル族には、寡婦が亡夫の弟や実の子ではない亡夫の息子と再婚するというレヴィレート婚の風習があった。父系制社会であったモンゴルでは、寡婦になっても、亡夫の弟などと再婚することによって、亡夫の親族集団内に留まるのが普通であった。したがって、チンギス・カンの父イェスゲイの属するキヤト族に嫁いだホエルンが、再婚してコンゴタン族に嫁ぐというのは異例の再婚である。おそらく母親に異例の再婚をさせてまで、自分を危機から救ったモンリクの功績に最大限に報いたかったのであろう。

しかし、その後、モンリクの息子であるシャーマンのテブ・テンゲリとチンギス・カンの関係が悪化し、ついに、チンギス・カンは弟のカサルと協力して、テブ・テンゲリを殺害してしまった。いわばチンギス・カンは実の弟と協力して、義理の弟を殺害したのである。おそらく、このチンギス・カンにとって不名誉な事件を隠すために、ホエルンの再婚は『元朝秘史』に書かれなかったのであろう。

チンギス・カンの妻ボルテの略奪事件とジョチの出自の真相 

チンギス・カンの妻ボルテについての最大の謎は、長子ジョチの出自である。テムジンとボルテの婚姻については、『元朝秘史』には、テムジンがまだ十代の時にコンギラト族のデイ・セチェンに気に入られ、デイ・セチェンの娘ボルテがテムジンの許嫁になったと書かれている。しかし、これはおそらくフィクションであり、『集史』に書かれているように、テムジンがボルテと結婚しようとしたとき、ボルテの父デイ・セチェンが反対したが、弟のアルチ・ノヤンのとりなしでやっと二人の結婚が許可されたというのが真相らしい。

テムジンとボルテが結婚してまだ子供がいなかった頃、テムジンはメルキト族に襲撃され、妻ボルテをメルキト族に略奪されてしまった。幸い、ケレイト王国のオン・カンは、テムジンの父イェスゲイと盟友(アンダ)の誓いをした仲であったことからテムジンに協力し、オン・カンがメルキト族からボルテを引き取って保護し、ボルテは無事テムジンのもとに戻ってきた。その帰り道で、ボルテは長子ジョチを出産した。『元朝秘史』によると、出産時の経緯からジョチはイェスゲイの子ではなく、メルキト族の子であることを疑われ、チンギス・カンの晩年に、長子ジョチと次子チャガタイの間で後継者争いが生じたとき、チャガタイは、ジョチを「メルキトの紛れもない申し子」と言い、ジョチの出自が怪しいことを非難したという(254節)。この話は有名で、井上靖『蒼き狼』においても、小説の重要なテーマの一つになっている。当時のモンゴルには略奪婚の習慣があり、強い部族が弱い部族の女性を略奪することや、戦いに勝った部族が負けた部族の女性を妻にすることは普通のことであった。オン・カンの助けがなければ、ボルテはメルキト族の男の妻になっていてもおかしくない。これは、当時のモンゴルにおいて、女性が略奪の対象になっていたことを示す事件である。

しかし、ジョチの出自にまつわるこの話は、史実ではないらしい。なぜなら、『集史』第1巻モンゴル史第1部部族誌には「メルキト族が、好機を得てチンギス・カンの家を略奪したとき、彼らは、ジョチを身籠っていたチンギス・カンの妻を、当時メルキトとオン・カンの間で和平が樹立されていたので、オン・カンのもとへ送った」(英訳41頁)と書かれていて、メルキト族に襲われた時、ボルテはジョチを妊娠していたことがわかるからである。実は、陳舜臣『チンギス・ハーンの一族』には「(ジョチの)母親は彼がお腹の中にいるとき、メルキト族に奪われたのである」と書いている。これは、史料に基づく正確な描写である。そうであれば、ジョチの父親はテムジンであり、ジョチが出自を疑われる理由はない。『集史』には、長子ジョチと次子チャガタイが対立したときのことも書かれているが、チャガタイがジョチの出自が怪しいと非難したとは書かれていない。ジョチがメルキトの子だという話は、『元朝秘史』の作者が作り出したフィクションらしいのである。

参考文献

小澤重男訳『元朝秘史』(上下)岩波文庫

元朝秘史(上) (岩波文庫 青411-1)

Compendium of Chronicles, part 1, tr. By W.M.Thackston, 1998

井上靖『蒼き狼』新潮文庫

蒼き狼 (新潮文庫)

陳舜臣『チンギス・ハーン一族1草原の覇者』中公文庫

チンギス・ハーンの一族〈1〉草原の覇者 (集英社文庫)

宇野伸浩「チンギス・カン前半生研究のための『元朝秘史』と『集史』の比較考察」『人間環境学研究』7, 2009年

小長谷有紀「現代日本文学におけるチンギス・ハーン利用」『滋賀県立大学人間文化学部研究報告』24, 2008年