目次
【年表】アフリカ史(1ー①)人とモノの移動・伝播
掲載:2016-05-05 執筆:富永智津子
アフリカ史年表―サハラ以南を中心に(テーマ別・地域別・国別)
*赤字は女性史関連事項
【サハラの気候変動】
- 紀元前1万1000~8000年・・・・・・ 完新世気候変動期
- 紀元前8000~5000年・・・・・・・・完新世湿潤第一期
- 紀元前5000~4500年・・・・・・・・ 急劇な乾燥期(サハラの乾燥化)
- 紀元前4500~3000年・・・・・・・・完新世湿潤第二期
- 紀元前3000~300年・・・・・・・・ 完新世乾燥期
- 紀元前300~紀元300年・・・・・・・ 急劇な乾燥期
- 紀元300~1100年・・・・・・・・・ 湿潤安定期
- 紀元1100~1550年・・・・・・・・・気候変動期 (出典:竹沢2014:22)
【人類の起源】
- 700万年前
サヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ猿人とも。チンパンジーと分岐して間もない猿人頭骨、かつてのチャド湖岸で出土) - 600万年前
アルディピテクス・カダバ(エチオピアで出土)・オロリン・トゥゲネンシス(ケニアで出土) - 440万年前
ラミダス猿人(原始的なチンパンジーとヒトとの特徴を併せ持つ。エリトリア、ジブチ、エチオピアにまたがる大地溝帯の一部で出土) - 420~410万年前
アナメンシス猿人(アウストラピテクスに属す。エチオピア高地で多くの化石出土) - 400万~300万年前
アウストラピテクス・アファレンシス(エチオピアのアファール地溝帯で出土。「ルーシー」と命名された女性の化石が有名) - 380万年前
足跡の化石(タンザニアで発見された二足歩行を確認できる足跡。家族で移動していたことも確認されている) - 250万年前
ガルヒ猿人(石器を使用・肉食の新種猿人。ヒト属の祖先の種の競争相手のひとつ。エチオピアで出土) - 200~300万年前
アウストラピテクス・アフリカヌス(正確な生息年代は未確認だが、類人猿と猿人の特徴を合わせもち、人類の進化の仮説に大きな修正をもたらした。南アフリカで出土) - 200万年前
ジンジャントロプス・ボイセイ(タンザニアのオルドヴァイで出土。猿人の特殊化したもの)、 - 170万~150万年前
ホモ・ハビリス(現人類への進化の過程を示す。タンザニアのオルドヴァイ峡谷)
*********** - 猿人類=アウストラピテクス
- 原人類=ホモ・エレクトゥス(更新世中期を中心に長期にわたって栄えた原人)
- 旧人類=ホモ・サピエンス・ネアンデスターレンシス
- 新人類=ホモ・サピエンス・サピエンス
(関連記事)⇒*1.先史時代の世界(人類の起源・移動地図・年表)
【先史文化】
250万年前~150万年前:前期石器時代前半<オルドヴァイ文化>
- 250万年前 ・最古の石器群(未定型から定型石器への過渡期。エチオピアのウェストゴナ遺跡)
- 193±10万年前 ・シュングラ文化相(未定型から定型石器への過渡期、エチオピアのオモ渓谷で出土)
- 180万年前 ・定型化が進んだ石器(ケニアのコービフォーラで出土)
- 175±3万年前 ・石器の多様化と定型化進む(タンザニアのオルドヴァイで出土)
180万年前ころ~6万年前:前期石器時代後半
- <アシュール文化>(ホモ・エレクトゥスの文化)
アフリカから西アジア、ヨーロッパまで広く分布し、人類の拡散を担った文化。アフリカのほぼ全域で確認されている。
紀元前4万1000年~紀元前3万8000年前:前期石器時代末期から中期石器時代まで
- <サンゴ文化>
ウガンダのヴィクトリア湖西岸のサンゴベイ遺跡を標式とする文化。両面加工石器や根茎類を掘るピックを主体とする。 - <ファウアスミス文化>
南アフリカオレンジ州のファウアスミス付近で採集された石器群を指標とする文化。現在のソマリアから南アに至る内陸高原地帯で展開。
紀元前3万6000年ころ~紀元前1万年前ころ:中期石器時代
- <ルペンバ文化>
サンゴ文化に起源を持ち、コンゴ盆地を中心に東西に広く拡散。 - <スティルベイ文化>
ファウアスミス文化に起源を持ち、ケープのスティルベイ遺跡を標式とする文化。ケープから現在のソマリアに至るサバンナ・草原地帯に分布。 - <マゴシ文化>
ウガンダ北東部のマゴシを標式とする文化で、紀元前1万5000年ころからサハラ以南に伝播。
紀元前1万年~紀元前8000年:後期石器時代
- <ケニア・カプサ文化>
ケニア、タンザニアの東部地溝帯内部に分布 - <イシャンゴ文化>
コンゴ民主共和国東国境のエドワード湖周辺に分布 - <エルメンティタ文化>
東部地溝帯地域に分布 - <スミスフィールド文化>
南アフリカで、紀元前1万年~紀元前8000年ころに出現 - <ウィルトン文化>
南アフリカから東アフリカにかけて出現 - <ナチクフ文化>
ジンバブウェやザンビアの森林やサバンナ地帯に紀元前8000年~紀元後1600年ころ出現
紀元前25世紀~紀元前4世紀
- <プント文化>
ジブチ、エチオピア、エリトリア、北部ソマリア、スーダン紅海沿岸に出現 - <オナ文化>
アフリカの角地域に牧畜や農業によって形成された都市文化。アスマラ近郊にセムベル遺跡がある。
【土器文化】
- 前8000年ころ
現在のニジェール北部のサハラ砂漠中央高地で出土 - 前7000~5000年ころ
現在のスーダンの首都ハルツーム近郊のカデロ遺跡から、モロコシ、シコクビエ、トウジンビエなどの穀粒痕のある土器出土 - 前3500年ころ
現在のマリ共和国で出土 - 前900年ころ
現在のナイジェリア中部にノク文化(粘土の一種であるテラコッタ製の素焼きの人像で知られる)
(出典:竹沢2014)
【鉄器文化】
- 起源
ナイル川上流のクシュ王国の首都メロエの鉄の加工技術が西アフリカに伝えられたという説、あるいは北アフリカに進出したフェニキア人から伝えられたという説、アフリカ独立発生説などがあるが、いずれも十分な証拠を欠いている。 - 紀元前500±100年~紀元200±80年ころ
この頃に栄えたノク文化(ナイジェリア北部)や、サハラ南側のサバンナ地帯に古い鉄器の使用のあとが確認されている。
・ガボンのオゴウェ川流域からノク文化とほぼ同時期の鉄精錬の痕跡出土 - 前4世紀~後4世紀
北部スーダンのクシュ王国の首都だったメロエに大規模な鉄精錬の遺跡あり。 - 紀元前
東アフリカのヴィクトリア湖周辺から、紀元前にさかのぼる鉄器使用の痕跡出土 - 2~4世紀
この200年の間に、初期鉄器文化、約200キロ南下し、現在の南アフリカのナタール州にまで到達 - 紀元1000年ころまでに
中部、東部、南部アフリカ諸地域に鉄器の使用ひろまる。
*アフリカでは、エジプトなど一部を除くと、青銅器文化を経ずに鉄器文化がひろまったことが特色である。
【車輪文化】
- 紀元前1500年ころ
サハラに二輪車の岩絵(ヨーロッパでは紀元前3000~2000年紀の遺跡にスペインからスカンジナビア半島にいたるほぼ全域で同じタイプの戦車の図が残っている)
*ちなみに、「車輪文化」は、サハラ以南には伝播しなかった。
【アフリカ起源の栽培植物】
- 4500年前
西アフリカのマリ・ティレムジ渓谷で、栽培化された最古のトウジンビエの考古学的証拠出土(年間雨量600ミリ以下の乾燥した地域―マリ、ニジェール、ブルキナファソ、ナミビア、アンゴラ、ジンバブウェ―でのもっとも重要な主食用作物で、アフリカ起源の穀類のなかでモロコシに次ぐ重要性を持っている)
- 前4000年以前
アフリカ北東部でモロコシの栽培化始まる(アフリカ原産のモロコシが4000年前のインドの遺跡から発見されている)
- 2000~3000年前
アフリカイネ、西アフリカのニジェール流域で栽培化(推定)。アジアイネが普及した。今日でも味がよいとして、栽培されている。奴隷貿易によってアメリカ大陸にもたらされていたことが明らかになっている。 - 2000年前~
アフリカ北東部で栽培されているテフ(穀類)の最古の考古学的証拠、エチオピア北部で出土。(長さ1ミリほどの極小の穀類、エリトリアやエチオピアに乳酸発酵させたインジェラと呼ばれるクレープ状のパンケーキにした食文化として根付いている)
- (栽培され始めた時期不明)
エチオピア高原あるいは東アフリカ太湖地方起源と推定されるシコクビエ、冷涼な湿潤地帯で栽培化。ただし、インド亜大陸では固粥にして食するが、アフリカでは主として地酒の原料として利用されている。
- (栽培されはじめた時期不明)
西アフリカのサバンナ・ウッドランド地帯に穀粒の極めて小さいフォニオ(セネガルからチャドにかけての一帯)とブラックフォニオ(トーゴからナイジェリアにかけての高地の一部)、アニマルフォニオ(セネガル川とガンビア川流域のフータ・ジャロン高地)の栽培化。このうち、主食作物として局所的な重要性を持つのはフォニオのみ。
- (栽培され始めた時期不明)
ギニアヤムの栽培化。西アフリカとエチオピア高地など、多元的に栽培化がなされてきた可能性あり。 - (栽培され始めた時期不明)
エンセーテ(バショウ科の多年生植物で根茎を食用とする)、エチオピア南部の湿潤な高地で栽培化
【写真提供:藤岡悠一郎氏】
【写真提供:藤岡悠一郎氏】
*その他のアフリカ原産の栽培植物
ギニアアブラヤシ、オクラ、スイカ、ゴマ、ヌグ(エチオピアの油性植物)、タマリンド、アフリカバオバブ、コーラ
【外来栽培植物】
- 紀元前2000~1700年
ナツメヤシ栽培、アラビア半島からエジプトに伝播 - 紀元前1000年
ナツメヤシ栽培、リビア南西部に伝播
- 紀元前~
プランテン(料理用バナナ)、インド洋を経由した何度かの伝播の波あり。その他にも、歴史言語学の立場からプランテンのアフリカへの伝播は紀元後だとする説や、東アフリカでは栽培化されず、タロイモやヤムイモと一緒に西アフリカへ直接運ばれて栽培化されたとの説などあり。 - 紀元前後
東アフリカ・ヴィクトリア湖周辺にプランテン到来するも食料として利用されず。
→紀元500~900ころ:ようやく料理用プランテンの栽培化はじまる
→800~1300年ころ:人びとのプランテンへの依存度高まり、プランテンを中心とする農耕が確立。
→1300~1500年:プランテン栽培、ガンダ王国などの国家形成を支える。中部アフリカの熱帯雨林にプランテンがもたらされ、その栽培文化がアフリカで最初に発達。
- 1世紀~5世紀ころ
プランテン、原産地である東南アジアからインド洋を経てマダガスカルへもたらされる - 1世紀
アジアを栽培起源地とするタロイモ(サトイモ科)、エジプトで栽培化
- 11~15世紀
ヤムイモ(ヤム)の栽培種のひとつダイジョ、マダガスカルに伝播。
- 12世紀以前
数次にわたる東南アジアからの人びとの移住によって、アジアイネが海路マダガスカルにもたらされ、北部の沿岸部にひろまり、その後中央高地へと伝播。 - (時期不明)
マダガスカルを介して、あるいは直接インドからアジアイネが東アフリカにもたらされる。 - (時期不明)
西アフリカに、ヨーロッパ人によってアジアイネがもたらされる - 16世紀
ガーナ以西のプランテン、この頃、ポルトガルがコンゴからサントメ経由で持ち込まれたという説あり。
西アフリカでヤムイモの栽培化。
キャッサバ(マニオク)、ポルトガル人によってコンゴに持ち込まれる。
キャッサバ、ポルトガル人によって東アフリカ沿岸部に持ち込まれる。
ポルトガル人、サツマイモをアフリの大西洋岸にもたらす。 - 16世紀中葉
コンゴ盆地と南のウッドランドにまたがって繁栄していたコンゴ王国とポルトガルとの交流のなかで、キャッサバ(マニオク)栽培が王国周辺で広がる
カーポヴェルデ諸島で、メキシコ原産のメイズ(トウモロコシ)栽培に関するアフリカ最初の記録。
- 17世紀までに
大西洋岸、インド洋沿岸、南部アフリカにおけるトウモロコシの栽培事例に関する報告増加。 - 19世紀以降
アフリカでのジャガイモの本格的栽培はじまる。
・東アフリカ・ザンジバル島へのクローブ(丁子、モルッカ諸島原産)栽培の導入
*その他の外来植物
ココヤシ(原産地や伝播経路に関しては諸説あり)、インゲンマメ(アメリカ大陸原産)、ラッカセイ(南米原産)、トウガラシ(中南米原産)、トマト(南米原産)、カシューナッツ(南米原産)
*アフリカでは、エジプトとエチオピアの一部を除き、サハラ以南にはコムギとオオムギの栽培は伝わらなかった。これらが栽培されるようになるのは、西欧諸国による植民地化以降である。
【主な出典:石川博樹・小松かおり・藤本武編2016】
【家畜文化】ウシ、ヤギ、ヒツジ、ラクダ、ウマ、ロバ(全種、西アジア原産)
- 前8000年年紀
北アフリカ一帯に広がっていた牧畜民、サハラの砂漠化の結果、ウシを連れて南方と東方に移動 - 前5000年紀はじめ
スーダンのハルトゥーム郊外のナイル川沿いにあるカデロ遺跡から、大量のウシ、ヤギ、ヒツジの骨出土。 - 4500~4000年前
ケニア北部に牛牧畜文化の成立(担い手は南クシ系の人びと) - 3000年前
牛牧畜文化、タンザニアに南下 - 2000年前
牛牧畜に先行して、南部アフリカにヒツジの飼育が広まる - 紀元1000年紀
南下したバントゥー系の諸集団の移動と拡散とともに牛牧畜がアフリカ南端にまで達する。 - 7世紀~
北アフリカの家畜が、さまざまなルートで次第にアフリカ諸地域に拡散
→7世紀以降、アラブ人によってゼブ牛が導入されるも北アフリカとエチオピア以外では、農耕用としては使用されなかった。この他に西アフリカ森林地帯に、ンダマと呼ばれる小型牛などいくつかのタイプの牛が導入されている。
→11世紀のガーナ帝国でロバが運搬用に使用されていたとの記録あり
→ウマは15世紀には西アフリカの王侯貴族によって戦闘用あるいは威信財として重用されていた(ちなみに東アフリカには導入されなかった)
【人の移動・アフリカ大陸内】
- 約5000年~3000年前
南クシ語系の人びと(食糧生産民)、エチオピア高原の南端から、それまで狩猟採集民の世界であったケニアとタンザニアに移動 - 約3000年前
バントゥーの原集団、ナイジェリア南東部からカメルーン西部にかけての原郷から移動を開始 - 約3000~2000年前
ケニア北西部のトゥルカナ湖畔に居住していた東クシ語系の人びと(食糧生産民)、南部スーダン、ウガンダ北部、ケニア北部に移動 - 2000年以上前
南ナイル系の人びと、南部スーダンから南下し、ケニア、ウガンダの国境沿いから、さらにタンザニア北部に移動(ダトーガ、カレンジンなど) - 1500年前
東ナイル系の人びと(現在のマサイの原集団)、タンザニア北部に移動 - 600年前ころ
西ナイル系の人びと(ルオ)、南部スーダンから移動を開始し、ヴィクトリア湖畔に到達 - 2~7世紀
バントゥー諸民族、東アフリカ、および南部アフリカ(リンポポ川南部まで)に移動 - 12世紀初め
コモロ島民がマダガスカルに移住 - 12世紀末
アフリカ西部で、アカン人の南方移動、フルベ人の東方移動 - 13世紀後半
フルベ人がボルヌー地方に到着 - 14世紀ころ~
現在のマラウィのチェワ民族の先祖として知られるマラビ人、現在のコンゴ共和国のある地域から、病気や社会的騒乱から逃れるためにマラウィ湖の北側地域まで移住 - 14~15世紀
バントゥー諸語を話す人びと、南部アフリカのナタールにまで移動。 - 15-18世紀
ナイル系の人びと、南スーダンからケニア・ウガンダへ移動 - 15世紀初め
アフリカ南部でングニがナタール地方へ移動を開始 - 15世紀後半
アフリカ北東部で、ソマリ人がソマリア全域に移動、それに押されてオロモがエチオピアとケニア方面に移動 - 16-17世紀
ナイル系のルオ民族がヴィクトリア湖畔から現在のケニア西部とタンザニア西部に侵入。 - 1600年ころ
現在のブルンジへの牧畜民ツチの移住第2派(~1700) - 1675年
この頃、マサイ人、現在のケニアまで南下 - 17世紀半ば
ツワナ人の南下により、ブッシュマンがカラハリ砂漠へ追われる。 - 17世紀末
ベンバ人(バントゥー系)、現在のアンゴラとコンゴ民主共和国周辺から、現在のザンビア北部州のカサマに移動(杉山 2016:256)。 - 18世紀
・モール人(西サハラのアラビア語の方言であるハッサニーヤ語を話す人々の総称)、現在のモーリタニアとセネガルの国境のセネガル川を渡り、黒人居住地域に侵入しはじめ、聖職者はイスラームを広め、奴隷交易や商業にも従事した。モール人の南下は、余剰人口を他所に排出せざるを得なかった砂漠の環境に由来する。(盛2012:39)。
・ 南部アフリカで、バントゥー系のソト人、北方より移住し、先住民ブッシュマンを追いやって定着、バスト王国を建設。 - 1819年ころ
南部アフリカでンゴニの北上始まる→1835年ころ:ンゴニ指導者の姪Nyamazana(1890年頃没)、ンゴニ分派のリーダーとして活躍(→世界女性史年表) - 1834年
南部アフリカにおいて、ボーア(ブール)人のグレートトレック(大移動)はじまる。
【参考文献】
石川博樹・小松かおり・藤本武編 2016 『食と農のアフリカ史―現代の基層に迫る』昭和堂
小田英郎他監修 2010 『新版アフリカを知る事典』平凡社
川田順三編 2009 『アフリカ史』山川出版社
杉山祐子 2016 「祖霊・呪い・日常生活における他者の諸相ーザンビア農耕民ベンバの事例から」
河合香吏編 2016 『他者ー人類社会の進化』京都大学学術出版会
竹沢尚一郎 2014 『西アフリカの王国を掘る―文化人類学から考古学へ』臨川書店
盛恵子 2012 『セネガル・漁民レブーの宗教民族誌―スーフィー教団ライエンの千年王国運動』明石書店