西洋近世(1500-1700)

最終更新:2019-12-31(前回更新2015.11.06)掲載:2014.03.30 作成:三成美保

年表

1299~1922 (西アジア)オスマン帝国

1368~1644 (中)明朝

1392~1910 (朝鮮)李氏朝鮮

1504/16-55 スペイン女王ファナ(狂女王)即位(-56)

1510 グラツィア・ナスィ(ユダヤ人追放令後にイベリア半島のユダヤ人を救った女性・豪商)

⇒*【女性】ユダヤ人女性グラツィア・ナスィ(1510-1569)とイベリア半島のユダヤ人追放(三成美保)(スペインのユダヤ人追放令についても解説)

1517 宗教改革

1523 (独)ルターがカタリーナと結婚

ルイーズ・ラベ

1525-66 (仏) 詩人・言語学者・音楽者ルイーズ・ラベ、フランス初のサロンを開く。

1526~1858 (印)ムガル帝国

1530 (独)帝国ポリツァイ条令

*【法制史】ポリツァイ条令

1532 (独)カロリナ刑法典(神聖ローマ帝国)

*【法制史】(史料・解説)カロリナ刑法典(1532年)

1532(アメリカ)ピサロがインカ帝国を征服

1533 (仏) カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王太子と結婚

【女性】フランス摂政母后カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)(三成美保)

1533 (英)国王ヘンリー8世がスペイン王女キャサリンと離婚⇒アン・ブーリンと再婚

【女性】ヘンリー8世と6人の妻たち(離婚に反対したトマス・モアについても解説)

1534 (英)国教会設立

1534 (カトリック)イエズス会結成

1535 聖ウルスラ修道会設立(世界最初の女子教育修道会)

1539 (仏)「平和女王」マルグリット・ド・ナヴァール公妃、コレージュ・ド・フランス(高等教育機関)を設立支援

1542 (仏) マルグリット・ド・ナヴァール公妃、『エプタメロン(7日物語)』執筆開始

マルグリット・ド・ナヴァール公妃

1542-67(英) スコットランド女王メアリ1世即位(-67)

1543 (日)鉄砲伝来

1545-63 (ローマ教会)トリエント公会議

1546 (伊) 肖像画家ソフォニスバ・アンギッソラ(国際的名声を得た初の女性画家)、高貴な家柄出身で絵画・ラテン語・音楽を学ぶ

1549 (日)キリスト教の伝来(ザビエルが鹿児島に上陸)

1553 (英) 女王メアリ1世即位(-58)

1558 (英) 女王エリザベス1世即位(-1603)

8-6.エリザベス神話(テューダー朝の略年表付き)

【女性】メアリ1世とエリザベス1世ー王位継承権をめぐって

エリザベス1世

1561-74 (仏)摂政母后カトリーヌ・ド・メディシス(シャルル9世)

【女性】フランス摂政母后カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)(三成美保)(サン・バルテルミの虐殺についても解説)

1572(仏)サン・バルテルミの虐殺

1573(日)室町幕府滅亡

1587 (英)スコットランド女王メアリ1世斬首

1589~1792 (仏)ブルボン朝

1592(日)朝鮮出兵(文禄の役~93)

1593-1653頃 (伊) 画家アルテジミア・ジェンティレスキ

【女性】女性画家アルテミジア・ジェンティレスキの絵画(三成美保)

1597 (日)朝鮮出兵(慶長の役~98)

1603~1867 (日)江戸幕府

1603 (日)出雲の阿国が京都でかぶき踊りを演じる

○17世紀 風俗犯罪の処罰強化(婚前交渉を処罰するなど)

*【セクシュアリティ】近世ドイツのセクシュアリティー風俗犯罪(三成美保)

○17世紀前半、魔女裁判がピークになる

*【法制史】糾問主義ー魔女裁判の手続き(三成美保)

1609-60 (フランドル)画家ユーディト・レイステル

1610 (仏) 母后マリー・ド・メディシスがルイ13世の摂政となる(-17)。

1613(露)ロマノフ朝の成立

【年表】ロシア史(9世紀~1917年)

1616 (英)ポカホンタスが洗礼を受けてイギリス宮廷を訪問。

1617 (日)遊郭江戸吉原の開設

1618~1648(欧)30年戦争

1623~1651 (日)将軍家光

1624(日)スペイン人の来航禁止

1632 (スウェーデン)スウェーデン女王クリスティナ即位(-1654)

1635 (日)日本人の海外渡航・帰国の禁止

1636~1912 (中)清朝

1639 (日)ポルトガル人の来航禁止

1640-89 (英) アフラ・ベーン(英最初の女性プロ作家・男性ペンネームで出版)

1643 (仏) 母后アンヌ・ドートリッシュがルイ14世(当時4歳)の摂政となる(1643-1651)。

【女性】摂政母后アンヌ・ドートリッシュ(1601 – 1666)

父はスペイン王フェリペ3世、母は同族でオーストリア大公カール2世の娘(神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の妹)マルガレーテ。フェリペ4世、枢機卿フェルナンドは弟、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の皇后マリア・アナは妹である。

1615年 14歳でルイ13世と結婚。ルイ13世とは不仲。
アンヌは、夫ルイ13世の母后マリー・ド・メディシス(かつての摂政母后)からは無視された。アンヌは16年間も世継ぎをもうけることができないままであった。
ルイ13世はリシュリュー枢機卿を重用し、1624年に宰相に任命した(リシュリューの外交政策の基軸はフランスを両面から包囲するハプスブルク家=スペインと神聖ローマ帝国との対抗であり、ハプスブルク家出身の王妃アンヌとは対立)。

1638年 ルイ(のちのルイ14世)を出産。

1643年 ルイ14世が即位、アンヌは摂政母后となる(ー1651年)。ルイ13世は自分の死後に王妃アンヌが摂政に就き、実権を握ることを防ごうして、摂政の権限を制限して摂政諮問会議を設置するよう遺言を残していた。1642年にリシュリューが死去しており、アンヌの相談役となったのがマザラン枢機卿(カトリック聖職者のため独身だが、5人の子がおり、それぞれを政略結婚に利用している)。摂政アンヌとマザランはパリ高等法院の支持を受け、ルイ13世の遺言を破棄して摂政諮問会議を廃止した。アンヌはマザランを摂政会議の座長(実質的な宰相)に抜擢して全権を委ねた。その後もアンヌとマザランはきわめて親密であり、1661年にマザランが死去するまで、アンヌは政治的影響力を持ち続けた。

1659年 ピレネー条約が結ばれてフランスとスペインとの戦争が終わった。

1660年 アンヌの姪のスペイン王女マリア・テレサ(マリー・テレーズ)とルイ14世との婚姻を成立させ、両国の和平を固めた。

1661年、次男のフィリップには、ヘンリエッタ・アン(夫ルイ13世の姪であり、イングランド国王の娘)を妻として迎えた。

1661年3月 マザランが死去するとルイ14世は親政を開始。王太后アンヌも排除した。

1648-95 (メキシコ) ファナ・イネス・デ・ラ・クルス尼(哲学的著作・女性教育擁護)

1661 (仏) 国王ルイ14世親政開始(-1715)

1674 (英)『コーヒー反対を公衆の思慮に訴える女たちの請願――人体をひからびさせ、衰弱させる、かの液体の過度の飲用が、彼女らの性に及ぼす大いなる不都合』

○紅茶文化の成立

 ⇒*【特論13】たかが紅茶、されど紅茶――女たちが「国民の嗜好」を決めた!?(井野瀬久美惠)

1678 (仏)ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』刊行

【女性】ラファイエット夫人とヘンリエッタ・マリー

1680~1709 (日)将軍綱吉

1688 (英)名誉革命

1689-94 (英) 女王メアリ2世

○啓蒙時代

【年表】啓蒙の世紀(1700~1780)

関連ページ

*8.近世ヨーロッパ社会(16~18世紀)

○大航海時代
*8-2.大航海時代(略年表・地図)

○15-16世紀 ローマ法の継受
*【法制史】ローマ法の継受(三成美保)

○16世紀 帝国改革
*【法制史】神聖ローマ帝国とその諸機関(三成美保)