2-7.ローマ市民の生活と家

掲載:2016-01-01 執筆:三成美保

*【法制史】古典期ローマ法(三成美保) 

【年表】帝政期

○元首政(前27~284)

前27  オクタヴィアヌス、元老院よりアウグストゥス(尊厳者)の称号を授けられる。帝政の開始。

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アウグストゥスの娘ユリア。「淫婦」と言われた。

前18 ユリア法(婚姻や性風俗に関する勅法)アウグストゥスが発した婚姻法(Lex Iulia et Papiaの一つ(もう一つは9年)

前12  ローマ軍、ゲルマニアに進軍。
2  元老院がオクターウィアーヌスに「国家の父」(pater patriae)の称号を与える。
6  ドナウ川流域の属州パンノイアで大反乱がおこる。

9 Lex Papia

9 現ドイツ領内のトイトブルクでローマ軍が大敗。これを機に侵略戦争を行なうことが極端に減り、内政を充実させる。
14  オクタヴィアヌスが死去。ティベリウスが即位(〜37)。元老院がアウグストゥスを神格化する決議を下す。

30頃 イエス処刑→キリスト教の成立

37  カリグラが即位(〜41)。
41  カリグラが暗殺され、クラウディウスが即位(〜54)。
13  クラウディウスがブリタンニアに遠征。属州ブリタンニアを設置。
54  クラウディウスが暗殺される。ネロが即位(〜68)。

【解説】ネロと母(小)アグリッピナ・妻オクタヴィア・愛人ポッパエア
  • 母の(小)アグリッピナ(15/16-59)

    37年12月15日   アンティウム(現在のアンツィオ)にて出生。父はアントニウスの直系子孫で、母アグリッピナはアウグストゥスの直系子孫。

    • 母アグリッピナは、悪評が高いが、息子ネロにすぐれた側近をつけるなど教養高い女性であった。政治的才能があったとみえ、クラウディウス帝時代にはさかんに政治的行動をとっている。息子ネロに対しても政治的干渉を行ったが、やがてネロに疎まれ、殺害された。
  • 40年 皇帝カリグラ(母アグリッピナの兄)によって亡父の財産が没収され、母は追放される。
  • 41年 カリグラが暗殺され、母がローマに帰還。皇帝クラウディウスの皇妃(3番目の妻)メッサリナは、男性歴史家によって「淫乱」として酷評されている。
  • 48年 メッサリナと元老院議員シリウスによる皇帝暗殺事件が起こる→メッサリナは殺害される。
  • 49年  母アグリッピナがクラウディウス帝と再婚(法律では禁じられていた叔父=姪婚)。
  • 50年  帝の養子となり、ネロ・クラウディウスと改名する。
  • 51年   母アグリッピナの意向で通常より2、3年早く成人式を挙げる。
  • 53年 オクタヴィア(40-62:クラウディウス帝とメッサリアの娘)と結婚。
  • 54年10月13日  クラウディウスの死により即位。
    • ネロの治世初期の5年間は、家庭教師でもあった哲学者セネカや近衛長官であったブッルスの補佐を受け、名君の誉れが高かった。
  • 55年  義弟ブリタンニクス(メッサリナの子)死去(ネロが殺害指示か?)。

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    ポッパエア(30-65)

  • 57年 – 元老院属州と皇帝属州を合わせ国庫を一本化する。
  • 59年 – 妻との離婚・愛人ポッパエアとの再婚に反対していた母アグリッピナを殺害。
  • 62年 – 妻オクタウィア自殺。愛人ポッパエア・サビナと再婚。
    • オクタウィアは不妊を理由に離婚された。さらに、ネロはアニケティアという者とオクタウィアが不倫関係にあったとでっち上げた上で、オクタウィアを姦通罪によってティレニア海の孤島パンダテリア島(現在のヴェントテーネ島)に幽閉した。6月9日、 オクタウィアは縄で縛り上げられ、手足の血管を切り開かれて自殺させられた(自死の伝統的儀式にのっとった方法)。また、ポッパエアへ見せるためにオクタウィアの首は切断され、ローマへ運ばれ た。
  • 64年 – ローマの大火。その跡地に黄金宮殿(ドムス・アウレア)を建設。
  • 65年 – ピソの陰謀。セネカが自死。
  • 67年 – コリントス運河の開削を試みるも成功せず。
  • 68年6月9日 – 反乱を受けて自殺。

64  ローマの大火。ネロによるキリスト教徒迫害。
65  ピーソーの陰謀発覚。セネカがネロによって陰謀加担の疑惑をかけられ、自殺。

66  第一次ユダヤ戦争(〜70)。

69  ローマに内乱がおこり、ネロが自殺。ウェスパシアヌスが即位(〜79)。
70  ティトゥス指揮下のローマ軍がエルサレムを破壊。ユダヤ反乱を鎮圧。
77  アグリコラがブリタニア・カレドニアに遠征。
79  ティトゥスが即位(〜81)。ウェスヴィオ火山が噴火して、ポンペイ等が埋没。大プリニウス没。

80  ローマのコロッセウムが完成。

81  ドミティアヌスが即位(〜96)。
96  ドミティアヌスが暗殺される。ネルウァが即位(〜98)。五賢帝時代が始まる(〜180)。

○五賢帝時代(96-180)

  • 96 – 98 ネルウァ(元老院から選出される。後継者にトラヤヌスを指名)
  • 98 – 117 トラヤヌス(「至高の皇帝」。最大領土を現出。ダキア、アラビア、アルメニア、メソポタミア、アッシリアを占領して属州を置き、帝国領土は東はメソポタミア、西はイベリア半島、南はエジプト、北はブリテン島にまでおよんだ)
  • 117 – 138 ハドリアヌス(パルティアと和平してアルメニア、メソポタミア、アッシリアから撤退し、東方国境を安定させる。全属州を視察。内政の整備と、ブリタンニアのハドリアヌスの長城に代表される防衛体制の確立に努めた)
  • 138 – 161 アントニヌス・ピウス(内政の改革や財政の健全化に努めた)
  • 161 – 180 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(「哲人皇帝」。ストア哲学を熱心に学んだ。晩年は各地の反乱や災害やゲルマン人ら異民族の侵入に悩まされ、各地を転戦、陣中で没した)
  • 161 – 169 ルキウス・ウェルス(マルクス・アウレリウスと共同皇帝、パルティア戦争に従事。その後の蛮族の侵攻の最中に食中毒で病死)
  • 180 – 192 コンモドゥス(マルクス・アウレリウスの嫡子、ローマ帝国で二例目の直系継承を果たしたが悪政の末に暗殺されネルウァ=アントニヌス朝は断絶した)

98  トラヤーヌスが即位(〜117)。
101  ダキア戦争(〜106)。
106  トラヤーヌスがダキアを属州とする。
117  トラヤーヌスが、アルメニア・メソポタミアを併合。ローマが最大版図になる。トラヤーヌスはその帰還途中にトラキアで死去。
ハドリアヌスが即位(〜137)。

【解説】ハドリアヌス帝(在位:117-13)とアンティノウス

アンティノウス(111-130)

  • 117  ハドリアヌス帝即位
  • 122  ブリタンニアに「ハドリアヌスの長城」を建設。
  • 124  焼失していたローマのパンテオンの再建が完成(今日見ることができるパンテオン)。
  • 130 ハドリアヌス帝は、寵愛していたアンティノウスがナイル川で溺死したことをひどく悲しみ、アンティノウスを神格化した。
  • 130 エルサレムを視察。エルサレム市をローマ風の都市に建設、自らの氏族名アエリウスにちなんで植民市「アエリア・カピトリーナ」と命名し、さらに132年には割礼を禁止した。そのため、ユダヤ人の大規模かつ組織的な反乱が発生した。これが、バル・コクバの乱である。

    ハドリアヌス帝

  • 132-135  バル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)
    • ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶をはかった。ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害された。律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。ハドリアヌスは徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものである。現代まで続くパレスティナの名前はここに由来している。

138  アントニヌス・ピウスが即位(〜161)。
161  マールクス・アウレーリウス・アントーニヌスが即位(〜180)。
162  パルティアがローマ帝国内に侵入開始。
165  天然痘が流行。
180  コンモドゥスが即位(〜192)。五賢帝時代が終わる。
189  天然痘が流行。

193  コンモドゥス暗殺される。ペルティナクス、ディディウスユリアヌスの短い在位の後、内乱が勃発。
194  イッソスの戦い。セプティミウス・セヴェルス、ニゲルを滅ぼす。
197  セプティミウス・セヴェルス、アルビヌスを滅ぼしローマを再統一。
211  セプティミウス・セヴェルス、スコットランドで病死。カラカラ、ゲタが帝位を共同相続。
212  カラカラ、アントニヌス勅令を発布。ローマ領内の全自由民にローマ市民権を付与。
215  カラカラ、アレクサンドリアの住民数千人を虐殺。
235  アレクサンデル・セヴェルス、ゲルマニアで惨殺される。

軍人皇帝時代(235-284)

238  マクシミヌス・トラクス、アクレイアで暗殺される。プピエヌス、バルビヌスの両帝が、親衛隊兵士に殺害される。
251  デキウス、アブリトゥスでゴート族との戦闘中に戦死する。
260  エデッサの戦い。ヴァレリアヌス、ササン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ捕虜となる。ポストゥムス、ガリア帝国を建設しローマから独立。
268  ガリエヌス、僭帝アウレオルスが籠城するミラノを攻囲中に暗殺される。
269  パルミラのゼノビア、ローマから離反し東部属州を占領。
273  アウレリアヌス、パルミラを占領。
274  アウレリアヌス、ガリア帝国をローマに再統合。

○専制君主政(284-476)

284 ディオクレティアヌス即位。軍人皇帝位時代の終わり。
286  ディオクレティアヌス四分統治を開始。(西マクシミヌス、コンスタンティウス、東ディオクレティアヌス、ガレリウス)
304  ディオクレティアヌス、ガレリウスの連名でキリスト教禁止令を発布。最後のキリスト教徒迫害。
305  ディオクレティアヌス、マクシミヌス退位。第2次四分統治体制。(西コンスタンティウス1世、セヴェルス、東ガレリウス、マクシミヌス・ダイア)
308  カルヌントゥム皇帝会議。ディオクレティアヌスの仲介も四分統治体制の崩壊は決定的に。第3次四分統治体制。(西セヴェルス→マクセンティウス、コンスタンティヌス1世、東ガレリウス→マクシミヌス・ダイヤ、リキニウス)
312  ミルウィウス橋の戦い。コンスタンティヌス1世がマクセンティウスを破り西方を支配。
313  リキニウスがマクシミヌス・ダイヤを滅ぼし、東方を支配。コンスタンティヌス1世、リキニウス共同でミラノ勅令を発布(キリスト教を公認)。
324  コンスタンティヌス1世がリキニウスを滅ぼし、ローマを統一。
325  ニケーア公会議。コンスタンティヌス1世、キリスト教の教義論争に介入。アリウス派を異端とし、アタナシウス派を正統と決定する。
330 コンスタンティヌス1世、ビザンティウムに新都コンスタンティノポリスを建設。
337  コンスタンティヌス1世の死後、クーデターで皇族の大量粛正。帝国は三分割される。(コンスタンティヌス2世、コンスタンティウス2世、コンスタンス1世)
340  コンスタンティヌス2世がコンスタンス1世の統治するイタリアに侵入するも戦死する。コンスタンティヌス2世の旧領はコンスタンス1世が占領。
350  ゲルマン人のマグネンティウスがコンスタンス1世を暗殺し、帝位を僭称。ムルサの戦い。コンスタンティウス2世、僭帝マグネンティウスを破り帝国を統一。
363  ユリアヌス、ペルシア戦線で戦死。ユリアヌスの異教復興の試みは挫折。
364  ヴァレンティニアヌス1世、ヴァレンスと帝国を分割統治。
375  フン族、東ゴート族を服属させる。ゲルマン民族大移動の始まり。
376  西ゴート族、ドナウ河を渡河しローマ領内に侵入。
378  ハドリアノポリスの戦い。フルティゲルン率いる西ゴート族がヴァレンスのローマ軍を撃破。ヴァレンスは戦死。
382  テオドシウス1世、西ゴート族と同盟部族条約を結び、トラキアでの定住を許可。

390 テッサロニカの虐殺
392 キリスト教の事実上の国教化
394  テオドシウス1世、西方でエウゲニウス、アルボガストを滅ぼし、帝国最後の統一を達成。

【解説】キリスト教の公認・国教化とソドミー罪

アンブロジウスとテオドシウスAnthonis van Dyck(1620)

「キリスト教の公認(三一三)、国教化(三九二)と歩調をあわせるように、ローマ帝国では、四世紀以降、「受け身の同性愛」を禁じる法律が発布されるようになる。三四二年、「男でありながら女のようにつがう」受動側の男性(おもに男娼)を「人目をはばかる犯罪」を犯したとして処罰する法令が出された。三九〇年、テオドシウス帝(位三七九~三九五)は売春宿でからだを売る男娼すべてを火刑に処すと定めたが、これによって生じた騒動は、「テッサロニカの虐殺」として知られる。
三九〇年、ギリシアの都市テッサロニカで同性愛行為の罪で戦闘馬車レースの有名な御者が逮捕され、憤った観客が暴動を起こし、守備隊指揮官を惨殺した。激怒したテオドシウス帝は報復を命じ、観客を含む市民七〇〇〇人が虐殺されたと言う。ミラノ司教アンブロジウスは皇帝に対して魂を救済する代わりに公的な謝罪を求めた。教会の影響力は決定的となり、三九二年、キリスト教は国教となった。四三八年には、受動役に回ったすべての男性を火刑に処すとまで処罰対象が拡大された。能動側も含めて同性間性交が死刑相当となったのは、東ローマ皇帝ユスティニアヌス帝(位五二七~五六五)の時代である。五三三年、「本来の性に反した行為をして」良心の呵責なき者は死刑と定められた。とくにターゲットにされたのは、皇帝・皇后の敵対者と男色聖職者である 。」(執筆:三成美保)
(出典)三成美保編『同性愛をめぐる歴史と法ー尊厳としてのセクシュアリティ』明石書店、2015年
【紹介】三成美保編『同性愛をめぐる歴史と法―尊厳としてのセクシュアリティ』 (世界人権問題叢書) 明石書店、2015/9/1

○ローマ帝国分裂(395-476)

395  ローマ帝国の東西分裂。テオドシウス1世の死後、アルカディウス(東)、ホノリウス(西)が帝国を分割継承。
409  ヴァンダル族、アラニ族、スエビ族、ガリアからローマ領内に侵入。
410  西ゴート王アラリック、ローマを占領、略奪。
418  西ゴート王アタウルフ、南ガリアのナルボンヌに定住。
431  エフェソス公会議。ネストリウス派は異端とされ、ネストリウスは追放される。
439  ヴァンダル王ガイセリック、カルタゴを占領し、ヴァンダル王国を建設。
451  カルケドン公会議。ネストリウス派、単性論を異端とする。
カタラウヌムの戦い。アエティウス、西ゴート族、フランク族と協力して、アッティラ率いるフン族を撃退。
453  アッティラ急死。フン族の王国解体。
455  ヴァンダル王ガイセリック、ローマを占領、略奪。
471  レオ1世、アンテミウスの東西ローマ軍、ヴァンダル族に敗退する。
476  オドアケル、ロムルス・アウグストゥルスを退位させ西ローマ帝位をゼノンに返還。西ローマ帝国の滅亡。

481 フランク王国の建国

527 (東ローマ帝国)ユースティニアーヌス帝即位。

○すべての道はローマに通ず

ハドリアヌス帝時代の街道(125年頃) https://de.wikipedia.org/wiki/Via_Appia