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1.先史時代の世界(人類の起源・移動地図・年表)

1.先史時代の世界

今回更新:2016-03-26(前回2016-03-06)掲載:2014.06.07 作成:三成美保

【高校世界史教科書から(要約)】
人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカである。その後、人類は、猿人(約500万年前に出現:アウストラロピテクス)・原人(約180万年前に出現:ホモ=エレクトゥス)・旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人)・新人(約4万年前に出現:クロマニョン人など)の順に進化してきた。文字が生まれたのは、紀元前3千年ごろである。人類が文字をもつ以前を先史時代(紀元前3千年以前)、以後を歴史時代(紀元前3千年から現代までのおよそ5千年)と呼ぶ。先史時代については多くが謎に包まれているが、考古学や人類学、民族学の発展によって、かなりのことがわかってきた。

≪コメント≫「旧人」は、2000年前後の研究成果を受けて今日まったく使われていないにもかかわらず、2012年検定済みの世界史教科書でもまだ用いられている→下記(1)ー②参照。

【宇宙史】ビッグ・バンから地球誕生まで
【地球史】地球46億年の歴史

(1)ヒト上科・ヒト科・ヒト亜科・ヒト族・ヒト亜族

①ヒト属(Homo)

生物は、「界>門>綱>目>科>属>種」に分類される。現生人類の「ホモ・サピエンス」は、「動物界>脊索動物門(>脊索動物亜門)>哺乳綱>サル目(>直鼻猿亜目)>ヒト上科(>ヒト科>ヒト亜科)>ヒト族Hominini(ヒト亜族Hominina)>ヒト属Homo>ホモ・サピエンス種Homo Sapiens」である。現生人類は、ホモ・サピエンスという種の一つで、学名を「ホモ・サピエンス・サピエンス」という。他のホモ・サピエンスはすべて絶滅した。ちなみに、「アウストラロピテクス」は「ヒト亜族」の下位である「属名」で、「アウストラロピテクス・アファレンシス」が「種名」である。現在の研究では、ヒト属(ホモ・ハビリス)とアウストラロピテクス属は同時代に併存していたと考えられている。(溝口2011:p.20ff.)

②名称

今日では、「猿人・原人・旧人・新人」という名称は外国ではほとんど使われない。とくに「旧人」という名称はまったく使われていない。ホモ・サピエンス(いわゆる「新人」)が、ネアンデルタール人(いわゆる「旧人」)よりも古い時代から棲息していたことがわかってきたからである。(溝口2011:p.39)

③類人猿

「ヒト上科」に属するテナガザル科・オランウータン科・ゴリラ属・チンパンジー属の4種が「類人猿」とよばれる。遺伝学上、ヒトにもっとも近いのは、アフリカに住むチンパンジーであることがわかっている。「人類の祖先」を探るということは、「ヒト亜族」Homininaの登場を探ることであり、チンパンジー属とヒト属の分化の時点を探ることである。

2-8.フェミニズムが変える先史時代(小川眞里子)

PrimatesTreeJa.svg

https://ja.wikipedia.org/wiki/人類の進化

(2)化石発見の年表

1891-1893 ジャワ原人 ピテカントロプス・エレクトゥス(オランダの解剖学者デュポワがジャワ島で発見)→今日では「ピテカントロプス」という属名は否定されており、「ホモ・エレクトゥス」という。

1921-1929 シナントロプス・ペキネンシス(北京原人)(スウェーデンの地質学者アンダーソン、同古生物学者ベーリン、カナダの学者ブラック)

1929 アウストラロピテクス・アフリカヌス(南アフリカの解剖学者ダート)=アフリカヌス猿人

1926-1959 ジンジャントロプス・ボイセイ(イギリス人リーキー夫妻がタンザニアのオルドヴァイ渓谷で発見)=ロブストゥス猿人

のちに、リーキー夫妻は、ホモ・ハビリスも発見した。

ルーシーの復元模型:国立科学博物館の展示。ポーズの状況設定は「突然、現代につれてこられて、非常に驚いている」。

1974 アウストラロピテクス・アファレンシス→化石人骨女性(318万年前)は「ルーシー」と名付けられる(ジョハンソンたちがエチオピアのハダールで発見) =アファレンシス猿人

1990年代 アナメンシス人(ミーブ・リーキー)

1994 ラミダス猿人(諏訪元など)

2000/2001  猿人オロリンの発見

2001/2002  猿人サヘラントロプスの発見

(3)ヒトの進化

①起源

猿人化石の発見地域(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Ardipithecus

ヒトとチンパンジーの遺伝子は、90数%が共通する。しかし、ヒトがサルと決定的に異なるのは日常的に「直立二足歩行」をしている点にある。ヒトとチンパンジーの祖先が分化したのは、かつては500万~450万年前(「アウストラロピテクス」の登場)であるとされていたが、2000年以降に「サヘラントロプス」や「オロリン」の化石が発見された結果、今では1000万~700万年前とされている。
【参考】溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』ソフトバンク新書、2011年、12頁以下。

②猿人

サヘラントロプスの復元(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Sahelanthropus

○700万~600万年前(ヒトがチンパンジーと分岐したころ、あるいはその直前)
サヘラントロプス([学名]サヘラントロプス・チャデンシス:中央アフリカのチャドで発見された)

  • 脳320~380cc、身長120~130㎝。
  • 頭骨の形状から、直立二足歩行をしていたと考えられる(議論がある)。
  • 発見されたのは、2001/02年.

○610万~580万年前 オロリン([学名]オロリン・トゥゲネンシス)

  • 二足歩行をしていた証拠が残るもっとも古い化石。
  • 発見されたのは、2000/01年。

○580万~440万年前 アルディピテクス(エチオピアで生活)

  • 約440万年前のアルディピテクス・ラミドゥス[=ラミダス猿人]と約580万~520万年前のアルディピテクス・カダッバの2種がある。
【解説】アルディ(約440万年前のラミダス猿人の女性)

アルディの復元予想図(出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Ardi

アルディ (Ardi) は、約440万年前のアルディピテクス・ラミドゥス(ラミダス猿人)の女性と見られる化石人骨(化石人類最古の人身骨格)に与えられた愛称である。猿人の全身骨格として最初に発見されたルーシー(約318万年前)や、現存最古の幼児の全身骨格であるセラム(約332万年前)などより、100万年以上もさかのぼる。
発見は1994年、研究成果公表は2009年(『サイエンス』に発表)。

○420万~200万年前 アウストラロピテクス(「華奢型猿人」ともよばれる)
アファレンシス猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)
「ルーシー」は、このアファレンシス猿人に属する。

250万~150万年前のアフリカには、ロブストゥス猿人アフリカヌス猿人(アウストラロピテクス・アフリカーヌス)が併存していた。

パラントロプスの復元模型

○200万~120万年前 パラントロプス(「頑丈型猿人」ともよばれる)
顎と臼歯が巨大化→固い植物を食べていたと推測される。

 

 

 

 

 

 

猿人(サヘラントロプス)からヒト属(Homo)までの進化とおよその棲息年代:下部数字は「今から○百万年前」をさす。濃エンジは化石等から確実とされる年代、薄エンジは推測年代。(出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Stammesgeschichte_des_Menschen

③ヒト属(Homo)の登場(250万年前)→旧石器時代(200~1万年前)の開始

○250万~150万年前 ホモ・ハビリス(猿人と原人の過渡期)
ホモ・ハビリスは最初のヒト属(Homo)である。
アフリカヌス猿人と似た特徴をもつのが、200万年前のアフリカにいたホモ・ハビリス(「器用な人」)である。ホモ・ハビリスは石器(礫石器)を使っていた。石器の利用がはじまった時代以降を「旧石器時代」(200万年前~1万年前)とよぶ。

(出典) https://de.wikipedia.org/wiki/Stammesgeschichte_des_Menschen

○200万年前 原人の登場
原人の登場は200万年前と言われる。猿人と異なり、原人は体格が大きく、脳容量も大きく、石器を作り、火を利用した。原人の時代に、ヒトはアフリカから出て、各地に広がっていく。

ホモ・エレクトゥスとホモ・ハイデルベルゲンシスとホモ・サピエンスの分岐。左数字は「○百年前」をさす。40~10万年前には複数の人種が併存していたと考えられる。(出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Genfluss_archaischer_Menschen_zu_Homo_sapiens

○190万~7万年前 ホモ・エレクトゥス
東アフリカに原人ホモ・エレクトゥスがあらわれた。ホモ・エレクトゥスの一部はやがてアフリカを出る。

「(原人の)出アフリカ」
「原人は100万年前ごろにアフリカを出た」という通説は、1999/2001に発見された3つの頭蓋化石によって否定された。グルジアのドマニシで 180万~170万年前の化石、インドネシアで180万~90万年前の化石が見つかったことにより、原人は180万年より前にアフリカを出たと推測されるようになったからである(溝口2011:p.46)。

▶各地に分散したホモ・エレクトゥス
190万~140万年前 ホモ・エルガスター(アフリカに残ったホモ・エレクゥス)
180万年前 ≪出アフリカ≫?
180万~170万年前 ジャワ原人(化石年代は 170万~180万年前ごろ
78万~68万年前 北京原人(化石年代は78万~68万年前ごろ)
60万~20万年前 ホモ・ハイデルベンゲンシス
※ヨーロッパの原人ホモ・エレクトゥスは、ホモ・ハイデルベルゲンシス(化石年代は60万年前から40万年前)とよばれる。

(関連記事)⇒【年表】アフリカ史(1)ー地域別

【人類の移動・拡散】黄=ホモ・エレクトゥス、橙=ネアンデルタール人、赤=ホモ・サピエンス、数字は移動の年代(~年前)をさす。 (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Early_human_migrations

④ネアンデルタール人と現生人類の併存・混血

ネアンデルタール人の男性(復元模型:ドイツのNeanderthal Museum)

ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(現生人類)は、かつては「異種のため、混血できない」とする考え方が有力であったが、2010年5月7日の『サイエンス』に、ホモ・サピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているとの説が発表された。両者は生殖活動を行い、共通の子孫を残したのである。
ネアンデルタール人は、約23万年前(あるいは13万年前)に出現し、3万年前に絶滅したが、その理由は解明されていない。彼らは、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで広く分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。他方、ホモ・サピエンスがホモ・ハイデルベンシスから分離したのは、20万~10万年前とされる。
また、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスの直接の先祖でないことが確認されて以降(1997年)、「旧人」「新人」という表現はほとんど使われない。

 

ホモ・ハイデルベンシス(原人)[]と初期ネアンデルタール人[]の主要遺跡箇所。点線はホモ・ハイデルベルゲンシスと初期ネンデルタール人の棲息予想範囲。(出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Neandertaler

ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)・ネアンデルタール人(Neandertaler)・クロマニョン人(Cro-Magnon)の登場段階 (出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Neandertaler

【解説】クロマニョン人(ホモ・サピエンス)

クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ・サピエンス(Homo sapiens) に属し、コーカソイドに入ると考えられる。しかし、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」とも言う。死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。 また、精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残した。
【図像】地母神・女性像

クロマニョン人の女性(復元模型)ドイツのNeanderthal Museum

ネアンデルタール人(青)・クロマニョン人(濃ピンク)・現生ホモサピエンス(薄ピンク)の推移 ※Hoehlenmalerei(洞窟壁画)(出典)https://de.wikipedia.org/wiki/Cro-Magnon-Mensch

⑤アフリカ単一起源説

かつては、各地に広まった原人から旧人・新人へと発展したという説(多地域多系統同時進化説)が通説であったが、最近では、「アフリカ単一起源説」(地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、その後世界中に伝播していったとする説)が主流になっている。とくに、分子系統解析の進展(いわゆるミトコンドリア・イブやY染色体アダムなど)によって、人類は20万~14万年前に共通の祖先を持つことがわかり、これは「アフリカ単一起源説(=新しい出アフリカ説)」を強く支持するものである。他方、ミトコンドリアDNAの分析では、現代人の共通祖先の分岐年代は14万3000年前±1万8000年であり、ヨーロッパ人とアジア人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定された。
【参考文献】大貫・前川・渡辺・屋形『世界の歴史1』中央公論社、1998年

父系(Y染色体ハプログループ)から推定した人類の分岐と拡散を表す図:出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/アフリカ単一起源説

【参考】『サイエンス』Science2010年5月7日号ハイライト

Homo-Stammbaum, Version Stringer.jpg: Chris Stringer (Nature, Band 485, 2012)出典:https://de.wikipedia.org/wiki/Genfluss_archaischer_Menschen_zu_Homo_sapiens

「ネアンデルタール人のゲノム配列Neandertal Genome Sequenced

国際研究チームがクロアチアの洞窟から発掘されたネアンデルタール人3人の錠剤大の骨粉標本を用いて、ネアンデルタール人のゲノム配列解析を実施した。研究者らは、ネアンデルタール人のゲノムとさまざまな地域の現生人類5人のゲノムの比較を行った。その結果、ネアンデルタール人との共通祖先から分岐後に現生人類の間で急速に拡がった少数の遺伝子など、現生人類に特有のさまざまな遺伝子が明らかになった。したがってこの研究成果は、ヒトであることを確認する鍵を握ると思われるゲノム領域と遺伝子の一覧を提示している。」
Article #1:“A Draft Sequence of the Neandertal Genome,” by Richard E. Green and colleagues.
Article #2:“Targeted Investigation of the Neandertal Genome by Array-Based Sequence Capture,” by Hernán A. Burbano and colleagues.
出典:http://www.eurekalert.org/pub_releases/translations/sci050710jp.pdf

(4)石器時代の区分

旧石器時代の区分 年代 特徴 人類
前期旧石器時代 260万年前 ~30万年前 ハンドアックスがひろく用いられた。 ホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流。
中期旧石器時代 30万年前
~3万年前
剥片石器が出現した。 ネアンデルタール人が広がった。極東アジアの中期石器文化は、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された可能性が大きいとされる。
後期旧石器時代 3万年前
~1万年前
石器が急速に高度化、多様化した。 クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流。

(5)人類の起源と移動

人類の移動(http://de.wikipedia.org/wiki/Ausbreitung_des_Menschen)

(6)洞窟壁画(現生人類クロマニョン人)

ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群の位置

世界遺産テンプレート

ラスコー洞窟壁画は、世界遺産「ヴェーゼル渓谷の先史的景観と装飾洞窟群」の1つに指定されている。今は保存のため、閉鎖されている。
アルタミラ洞窟壁画も、世界遺産に登録されている。こちらも保存上の理由から、非公開である。

絵は、光の届かない洞窟の奥深くに描かれており、何らかの呪術的目的をもっていたのではないかと考えられる。
顔料は、粘土・酸化鉄・動物の脂肪(粘りけを出すため)などから作られた。

アルタミラ洞窟の位置

世界遺産テンプレート

①ラスコー洞窟壁画

ラスコー洞窟 (出典)https://de.wikipedia.org/wiki/H%C3%B6hle_von_Lascaux

ラスコー洞窟壁画(南西フランス)は、17,300年前頃のものと推定されている。旧石器時代のもので、クロマニョン人が描いた。絵の数は2000点ほどに及ぶ。

Lascaux 03.jpg

Lascaux 04.jpg

②アルタミラ洞窟壁画

5 Planta de la cueva de Altamira.jpg

アルタミラ洞窟 (出典)https://es.wikipedia.org/wiki/Cueva_de_Altamira

アルタミラ洞窟壁画(スペイン北部)は、ソリュトレ期に属する約18,500年前頃のものと、マドレーヌ期前期頃の約16,500年前~14,000年前頃のものが含まれる。洞窟の長さは約270mほどである。落石により入り口が封鎖された結果、保存された。
これらの壁画は、1879年に、この地の領主(法律家・アマチュア考古学者でもある)マルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵(Marcelino Sanz de Sautuola)の12歳の娘マリアによって偶然発見された。

12 Vista general del techo de polícromos.jpg

(7)旧石器時代の日本

約2万年前の氷河期最後の更新世後期の日本の高度地図:海面上の地域・○植物の生息していない地域・ 海:黒細線は現代の海岸線を示す (出典)https://ja.wikipedia.org/wiki/旧石器時代の日本

4万年前までには、ホモ・サピエンスは日本に到達していたと推測される(溝口2011:p.122)。

旧石器時代(200万年前~1万年前)
1949年、相沢忠洋が、岩宿(現・群馬県みどり市)で関東ローム層中から旧石器を発見した。日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。砂原遺跡(約12万年前)で前期旧石器、金取遺跡(9~8万年前)で中期旧石器が発見されている。現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代に残されたものである。

縄文時代(約1万5,000年前~約2,300年前)
中石器時代ないしは新石器時代に相当する。かつては、縄文時代には稲作はなかったとされていたが、最近の考古学的研究により、縄文時代における稲作の痕跡が多数確認されている。

弥生時代
前1000年頃あるいは前300年頃(見解が分かれている)~後3世紀中頃までの時代(次の時代を古墳時代という)。農耕が安定的に開始した。

【年表5】日本史①古代1(600以前)

【参考文献】

溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』ソフトバンク新書、2011年
大貫・前川・渡辺・屋形『世界の歴史1』中央公論社、1998年

世界史Ⅰ

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