【特論】パルテノン・フリーズのペプロス・シーンとペリクレスの市民権法(桜井万里子)

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図1(2012年10月30日、桜井撮影)

桜井万里子(掲載:2014.5.30)

昨年10月末にロンドンを訪れた。中村るいさんと東京芸大美術解剖学研究室の方々によるパルテノン神殿フリーズ彫刻の12神の立体模型を大英博物館に展示する作業に、同じパルテノン・プロジェクト(代表者は筑波大学長田年弘教授)のメンバーのひとりとして立ち会いたいという思いに駆られてのことだった。しかし、大英博物館所蔵のパルテノン・フリーズを調査する機会を得た以上、このフリーズについて歴史学の側から考えてみてはどうかと思い立った。特に興味を持ったのは東面のペプロス・シーンである。これについては、美術史の分野で長年にわたり多くの研究があるが、歴史学の分野からこのシーンを再考してみたいと考えたのである。

パルテノン・フリーズのテーマは、パンアテナイア祭の行列であり、祭りの中心は女神アテナへのペプロス(聖衣)の奉献である。ペプロス奉献の場面はフリーズの東面中央に、オリュンポスの12神のあいだにはさまれて位置する。神々はこの場面に背を向けて座っているため、神々の世界とペプロス奉献という人間に属する世界とは隔絶されている印象を受ける。そして、この度の12神の立体模型はその印象をより強めてくれた。

ペプロス・シーン(図1)には、左に3名の女性、右側に1名の成人男性と1名の少年(ただし、少女説もある)の計5名の人物が描かれている。これら5名はどのような役割を担った人たちなのか。この問題に関する美術史分野の研究はすでに詳細を極めていて、専門違いの私が入る余地はない。ただ研究の現状は把握しておかなければならない。これまでの研究では、中央の成人女性はアテナ・ポリアスの女神官あるいはアルコン・バシレウスの妻バシリンナ、成人男性はアルコン・バシレウスあるいはゼウス・ポリエウスの神官、という2種の解釈がある。できるだけ美術史の研究成果を尊重しながらどちらの解釈に従うべきか、考えた。中央の成人女性は5名中もっとも重要度が高いとみられ、そうであれば、バシリンナよりもアテナ・ポリアスの女神官とするほうが妥当と思われる。パルテノン神殿そのものがアテナ・ポリアスのために建立されているのだから。一方、アテナ・ポリアスの女神官の右の男性については、アテナとともにポリスの主神であるゼウス・ポリエウスの神官であるとみるSourvinou-Inwoodの解釈(『西洋古典学研究』LXI(3月に刊行予定)掲載の桜井担当の書評参照)にひとまず従っておくが、アルコン・バシレウスという見方も捨て難い。

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図2(2012年10月30日、桜井撮影)

しかし、私の最大関心事は、アテナ・ポリアスの女神官の左側に描かれている2名の少女である。2人については、大別すると、①椅子持ち(ディフロフォロイ)(図像では2人の少女が頭上に運ぶ物がクッション付きの椅子(diphros)のように見えるところから)②アテナ女神のためのペプロスを織る役目を担う名門出の少女たち(アッレフォロイ)、の2解釈がある。アッレフォロイについては、パウサニアスが、「彼女らはある期間を女神の元で過ごし、祭礼当日がやってくると、夜中に次のような役を演ずる。アテネの女神官の授けるものを頭に載せて運ぶのだが、授ける側の女神官も自分の授けるものが何かを知らず、運び役の少女たちにもわかっていない。Pausanias 1.27.2-3.(馬場恵二訳)」と述べている。そして、①、②のうち最近では②説のほうが優勢であるようだ。何故ならば、ディフロフォロイは供犠儀礼に伴う行列に参加する少女たちで、アリストファネスの喜劇などでは従者として描かれている(したがって、彼女たちの身分はメトイコイか奴隷)が、パルテノン・フリーズのなかで最も重要なペプロス・シーンにそのような劣格の人間が描かれるとは考えにくいからである。図像のみから判断するならば、ディフロフォロイ説もあり得るだろうが、背景にある社会的関係を考慮に入れるならば、②説のほうが妥当であろう。ただし、大英博物館で観察した少女たち、特に右側の少女が左手に持つ棒状のもの(図2)が椅子の脚かランプの柄(B.Wesenberg,”Panathenische Peplosdedikation und Arrhephorie. Zur Thematik des Parthenonfrieses, JdI110(1995), 157-164.の解釈)か、私には判断し難しい。頭の上に載せて運ぶ物についても同様だが、パウサニアスの叙述にあるように女神官の授ける何か秘密の物を運んでいるアッレフォロイとみなすほうが矛盾は少ないように思える。しかし、その場合、民主政をより徹底化させる動きが進むなかで、名門出身の少女たちをフリーズの中でも最も重要なペプロス・シーンに登場させることの意味は何なのだろうか。

パルテノンの建造工事は前447年に始まった。「ペリクレスの市民権法」が成立した前451年からわずか4年後のことである。この法は、アテナイ市民とは両親ともアテナイ人である者に限るとするもの(伝アリストテレス『アテナイ人の国制』26.4.)だが、その目的は、『アテナイ人の国制』が「市民の増加にかんがみ(村川堅太郎訳)」と理由付けているような「人口増加抑制」であったのかどうか、大いに疑問視されており、いまだこの法制定の目的について定説はない。この法の成立以前には母親は外国人であっても生まれてきた男の子はアテナイ市民資格に何の問題もなかった。そのような市民はmetroxenosと呼ばれた。クレイステネス、テミストクレス、キモンがそのような例として挙げられている。ここから私は、この市民権法の成立で国外から妻を迎えられなくなったエリートたちが、国内の市民の娘たちを婚姻の対象とせざるを得なくなり、一般市民の娘たちの価値が高まったこと、それゆえに彼女たちのポリス共同体の構成員としての自覚が高まったこと、を想定した。

ところが、最近の市民権法に関する研究であるJ.H.Blok, “Pericles’ Citizenship Law: A New Perspective”, Historia 58(2009), 141-170は興味深い新解釈を出している。ポリスの祭儀を司る神官または女神官は特定のゲノス(親族集団)の成員だったが、彼らは国の神事(hiera)に関与する存在であるので、そのようなゲノス成員の婚姻はアテナイ人同士のそれでなければならなかった。外人女性を妻として娶る市民はゲノスの成員ではなかったというのである(ただし、テミストクレスは例外らしい)。ペリクレスは市民権法導入によって、全デーモス(市民団)を一つの大きなゲノスに格上げし、このゲノス(つまり全市民)から選出される神官職を創設しようとした。こうして制定された民主政の原則にかなった神官職の一例がアテナ・ニケの女神官である。このような市民権法成立の歴史的背景として、前460年代末からのスパルタとの確執と前454年のエジプト遠征の壊滅的失敗とがもたらした市民の自信喪失が指摘される。市民権法によって市民全体がひとつのゲノスにまとめ上げられ、全体が底上げされたことで市民の自信が回復するという結果がもたらされた、とブロクは推測する。

上に紹介したブロクの仮説に従うならば、「ペリクレスの市民権法」によってアテナイ市民の娘たちは、たとえ下層の出身であっても、上層市民とともに一つのゲノスの成員であるという一種の幻想を抱くようになった。ペリクレスの市民権法は、そのような幻想のアイデンティティを抱くことを市民とその家族に促したのである。そうであれば、一般市民あるいは下層市民の娘は、上層市民の娘にのみ認められる役目を彼女たちが祭儀で果たす様子を見ても、そこに差別の構図を見ずに、自分の仲間の活躍として見ることができたであろう。アッレフォロイは依然として名門出の娘たちがその役を果たしたのだが、アクロポリスに登ってパルテノンを仰ぎ見、次にペプロス・シーンに眼を移したアテナイの少女たちは、違和感なく、アッレフォロイを務めている少女たちに自分たちの姿を重ね合わせることができたし、そうであれば、彼女たちはポリスへの帰属意識をより高めたであろう。

アテナイでは、前508/7年のクレイステネスの改革で民主政の基本的な制度が制定され、その後の度重なる制度修正で民主政は次第に徹底化していく。その過程について、政治参加の権利が下層の市民にまで拡大していく徹底民主政への動き、とする解釈がこれまでなされてきたが、むしろ方向は逆で、下層の市民が上昇し、上層の市民と融合しあうまでに到り、その結果、下層市民も上層市民にのみ認められていた政治参加を当然とするようになった、と市民たち自身は意識していたのではないか。パルテノンのフリーズには、そのような理念を象徴する仕掛けが施されていた。ブロクの解釈からは、このようなフリーズの読解が可能となろう。(2013年1月30日)
初出:日本西洋古典学会公式ホームページの「古典学の広場」

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