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アフガニスタン
【アフガニスタンの歴史】長年の他民族による支配の後、1747年ドゥラーニー王朝成立。バラクザイ王朝(1826~1973年)下の1880年、英国の保護領となるが、1919 年独立を達成。1973年7月共和制に移行後、1978年4月軍部クーデターにより人民民主党政権成立。1979年12月ソ連の軍事介入のもとカルマル政権成立。1986年5月ナジブラが書記長就任。1989年2月ジュネーブ合意に基づき、駐留ソ連軍の撤退完了。1992年4月ムジャーヒディーン・ゲリラ 勢力の軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊し、ムジャーヒディーン政権が成立するが、各派間の主導権争いにより内戦状態が継続。1994年頃から、イスラム への回帰を訴えるタリバーンが勢力を伸ばし、1996年9月に首都カブールを制圧、1999年までには国土の9割を支配するに到った。2001年10月よ り、米国同時多発テロ事件を機とする米・英等によるアル・カーイダ及びタリバーンに対する軍事行動が行われ、12月には北部同盟等がタリバーン支配地域を 奪還した。アフガニスタン各派の代表は今後の和平プロセスに関する合意を達成し(ボン合意)、2002年6月にはこの合意に基づき緊急ロヤ・ジェルガが開催され、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立した。ボン合意の要請を受け、安保理決議により国際治安支援部隊(ISAF)の設立が承認さ れ、アフガニスタン国内の治安維持について同国政府を支援することになった。その後、憲法制定ロヤ・ジェルガの開催により、2004年1月に新しい憲法が 制定された。同年10月9日に第一回大統領選挙が行われ、カルザイ大統領が当選(12月7日、大統領就任式典)。2009年8月、第二回大統領選挙が実施 され、カルザイ大統領は当選の要件である過半数の得票に届かなかったものの、対立候補が決選投票を辞退したために再選(同年11月19日大統領就任式 典)。2014年の第三回大統領選挙は、4月5日の第一回投票と6月14日の決選投票を経ても当選者が決まらず、決選投票で劣勢となったアブドッラー・ア ブドッラー候補(元外相)支持者が、アシュラフ・ガーニ候補(元財務相)側による不正投票を厳しく追及して投票結果を受け入れなかったことから、事態が緊 迫化した。ケリー米国務長官が二度カブールを訪問し仲介に乗り出した結果、9月29日、ガーニ候補が大統領、アブドッラー候補が新設の行政長官のポストに 就任して政治権力を分け合う国家統一政府(National Unity Government)が発足した。アフガニスタン史上初めての民主的な政権交代が実現した。2014年末、ISAFからアフガニスタン治安部隊に治安権 限が委譲され、翌2015年からアフガニスタン政府が自らの治安に責任を負うことになった。 (出典)日本外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/data.html#section1 |
前700頃~後565 古代
565~1504 中世
1504~1973 近世・近代
1504 バブールがカブールに到着。
16~17世紀 3つに分割支配
16~17世紀 アフガニスタンは3つに分割支配された。
北部:ブハラ=ハン国
西部:サファヴィー朝(シーア派)
東部:ムガール帝国(スンニ派)
1709ー1739 Hotaki dynasty
1747ー1842 ドゥラーニー王朝
Ahmad Shah Durraniが建国
1826ー1973 バラクザイ王朝
1880 イギリス保護領となる。
1919 独立
1973~ 現代
1973 共和制に移行