インド中世・近世社会(デリー・スルタン朝~ムガル帝国)

インド略年表(1200-1877)

デリー・スルタン朝

  • 1206-90 奴隷王朝

1526-1858  ムガル帝国

バーブル(位1526-30)

アクバル(位1556-1605)

 

マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム(アクバルの妃、第4代皇帝ジャハーンギールの母)

シャー・ジャハン(位1627-58)

シャー・ジャハンが亡き妻ムムターズ・マハルのためにつくった廟が「タージ・マハル」

シャー・ジャハンと皇妃ムムターズ・マハル(アウラングゼーブの母)

アウラングゼーブ(位1658-1707)

アウラングゼーブ

1600 東インド会社設立(イギリス)

  • 1600 東インド会社創設
  • 1602 ジャワ島バンテンに商館設立
  • 1613
    • インド西海岸スラトに商館設立
    • 日本の平戸に商館設立
  • 1623
    • アンボイナ事件
    • 日本から撤退
  • 1640 マドラスにセント・ジョージ要塞完成
  • 1650 東インド会社の商船が初めて香港に停泊
  • 1661 ポルトガル領ボンベイ、英領に贈与
  • 1696 カルカッタにウィリアム要塞完成
  • 1708 連合東インド会社創設
  • 1711 広東に商館設立
  • 1746 フランス軍マドラス占領
  • 1757 プラッシーの戦い(イギリスがフランスに勝利=イギリスによるインド支配の基礎)、ベンガルにおける会社の覇権確立
  • 1761 仏領ポンディシェリ占領
  • 1765 ロバート・クライブ、初代ベンガル知事に就任

1767 マイソール戦争(南インドの植民地化)

1775 マラータ戦争(中部インドの植民地化)

  • 1773 ウォーレン・ヘースティングズ、初代ベンガル総督に就任
  • 1773 茶法制定。イギリスは北米13植民地での紅茶の販売力強化による会社救済を目指したが、植民地住民の反発に遭いボストン茶会事件が起こる。その10年後の1783年には、アメリカ合衆国が独立することになる。
  • 1808 長崎フェートン号事件
  • 1811 インド軍、オランダ領ジャワ侵攻
  • 1813 インド貿易の独占権喪失
  • 1814 – 1816  ネパール・イギリス戦争(グルカ戦争)
  • 1818 マラータ同盟を解体
  • 1820 マラータ帝国を直接支配地とする
  • 1826 海峡植民地創設
  • 1833 中国貿易の独占権喪失に伴い商業活動停止
  • 1841 アヘン戦争( – 1842年)

https://de.wikipedia.org/wiki/Britische_Ostindien-Kompanie

ラクシュミー・バーイー

1828-1858 ラクシュミー・バーイー

インド大反乱の指導者の一人。中部インドの藩王国(イギリスが植民地統治していた時代のインドでイギリスに従属して一定の支配権を認められていた藩王の領国をさす)の王妃であったが、王が亡くなり、後継者のいない王国は東インド会社に併合するという原則(「失権の原理」=養子相続を認めない藩王国併合政策)にしたがって、王国を失った。私財を投じて集めた傭兵と民衆からなる義勇軍を率いてイギリス軍と戦ったが、戦死した。インド大反乱の英雄と評価されている。

1857-58 インド大反乱(シパーヒーの反乱)

シパーヒー(かつて日本では「セポイ」とよばれた)とは、イギリス東インド会社が現地民から雇い入れた歩兵の傭兵部隊をさす。

1858 東インド会社解散→イギリス本国による直接統治→ムガル帝国の滅亡

1877 インド帝国の成立(ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる=イギリスによるインド植民地化の完成)

1886 インド帝国にミャンマーを編入