6-4.カトリック教会と教会婚姻法

更新:2016-05-01 掲載:2016-04-23 作成:三成美保

【年表】キリスト教の成立~宗教改革(1517)

*【年表】ヨーロッパ中世(500~1500)

○前7-6世紀 ゾロアスター教の成立(ユダヤ教に影響)

前586 ユダ王国滅亡

○前6世紀 ユダヤ教の成立→「旧約聖書」の完成

○紀元前後 イエス生まれる。イエスによるユダヤ教の改革。

Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498).jpg

「最後の晩餐」Leonardo da Vinci (1452-1519)

30頃 イエスの処刑・「復活」→キリスト教の成立

45頃 ペテロ、パウロによる伝道(カトリック教会ではペテロを初代のローマ教皇とみなす)

64 皇帝ネロによるキリスト教徒迫害(ペテロ、パウロの殉教)

○2~8世紀 教父時代(教父=2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々)。四大ラテン教父(アンブロジウス、ヒエロニムス、アウグスティヌス、グレゴリウス1世)。

○初期の教会には、女性司祭が存在した(ワインガーズ『女性はなぜ司祭になれないのか』2005年)

○2世紀末 「新約聖書」編纂
【概説】キリスト教とセクシュアリティ(三成美保)

303-304 皇帝ディオクレティアヌスによる大迫害(皇帝崇拝を強制し、従わないキリスト教徒を迫害)

313 ミラノ勅令(キリスト教の公認)

325 ニケーア公会議(アタナシウス派を正統とし、アリウス派を異端とする)

三位一体説(父と子と精霊は一体である)

381 三位一体説(アタナシウス派)を確定

390 アンブロシウス、テッサロニキの虐殺につき、皇帝テオドシウス1世を難詰、悔悛するまで陪餐停止

392 皇帝テオドシウス1世による異教禁止令(キリスト教の事実上の国教化)

397-398 アウレリウス・アウグスティヌス(354-430)『告白』

400頃 ヒエロニムスのラテン語訳聖書(ヴルガータ)成立

ヒエロニムス(デューラー画1514年)Albrecht Dürer: Hieronymus im Gehäus, 1514

431 エフェソス公会議(ネストリウス罷免)=マリアを正式に「神の母」と認める。

496 クローヴィスの受洗により、フランク族の王侯貴族がカトリックに改宗。しかし、フランス王国の民衆一般はゲルマンの神々を信仰し続ける。

ヌルシアのベネディクトゥス(画:フラ・アンジェリコ)

529 ヌルシアのベネディクトゥス(480?-547?)、モンテ=カッシーノに修道院(ベネディクト派修道院)を開く(「祈れ、働け」)

590-604 教皇グレゴリウス1世

635 ネストリウス派(景教)の宣教団が唐の長安に到着→保護され、広まる→845 「会昌の廃仏」により弾圧されて衰退。

726 聖偶像論争はじまる(~843)
ビザンツ帝国で偶像破壊運動を阻止したのは、2人の皇后(皇帝コンスタンティノス6世の摂政母后エイレーネー、皇帝レオン5世の皇后テオドラ)であった。(『読み替える(世界史編)』91頁)

756 ピピンの寄進(教皇領のはじまり)

795-816 教皇レオ3世

910 クリュニー修道院の建設(修道院改革運動の中心となる)

931頃 修道院改革運動のはじまり

955-64 教皇ヨハネス12世

989 「神の平和運動」はじまる

○11~12世紀 マリア信仰がさかんとなる。その一方で、教父たちの女性嫌悪説教もさかんにおこなわれた。(『読み替える(世界史編)』107頁)

1054 東西教会の分裂

1073-85 教皇グレゴリウス7世グレゴリウス改革)=聖職売買禁止・司教の妻帯禁止など

1077 カノッサ事件→聖職叙任権闘争
【女性】叙任権闘争と女相続人たち(三成美保)

1088-99 教皇ウルバヌス2世

Roman de la Rose(14世紀)の写本中のアベラルドゥスとエロイーズ

1090?/1100? – 1164 女子修道院長エロイーズ(フランス。神学者アベラールとの恋愛で有名。学者であり作家でもあった)(『読み替える(世界史編』101頁)

1095 クレルモン公会議で十字軍提唱

1096 第1回十字軍(~1099)
【女性】十字軍時代の女性たち(富永智津子)

1098 シトー派修道院の設立(ベネディクトゥスの教えを実践し、森林原野を開墾)

1098 -1179 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり神秘家、作曲家。ドイツ薬草学の祖ともされる)(『読み替える(世界史編)』102-103頁)

ビンゲンのヒルデガルト 『道を知れ』の挿絵。 神からの啓示を受けているヒルデガルトと、書記のフォルマール。 この絵は修道女達によって描かれたとされる。

「12世紀は、西洋文化における大転換期であった。秘蹟論と教会法が確立した結果、キリスト教が人びとの尼津上生活にまで浸透していったからである。」(三成:『歴史を読み替える(世界史編)』92頁)

1119 テンプル騎士団の結成

1122 ヴォルムスの協約(聖職叙任権闘争の終結)

1139 第2ラテラノ公会議、聖職者の妻帯を禁じる

1140 『グラティアヌス教令集』成立→教会法の成立・教会婚姻法の成立
※7つの秘蹟=洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・婚姻
※教会による「婚姻目的」論=「生殖・姦淫防止・相互扶助」

【法制史】教会法(三成美保)
【史料・解説】グラティアヌス教令集(三成美保)

1146 第2回十字軍

1189 第3回十字軍(~1192)

1197 第4回十字軍(~1204)

1198-1216 教皇インノケンティウス3世(教皇権の絶頂期)

○13世紀 教会裁判所の成立
※婚姻事件(婚姻の成立・婚姻の無効など)は教会裁判所で裁かれる。

1206/07 アッシジの聖フランチェスコ(本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone、1182年 7月5日 – 1226年10月3日)回心

1207-1231 テューリンゲンのエリザベート(聖エリザベート)

1208 アルビジョワ十字軍(~1229)←異端カタリ派の拡大
※異端運動には女性が積極的に関わった。

1209 パリ大学の認可

1209  フランチェスコ修道会(托鉢教団)の設立(教会財産を否定)

1212 キアラ(クララ)が家を出て、フランチェスコの活動に参加→「クララ会」の始まり

【解説】フランチェスコ会ー3つの修道会

フランチェスコ会は、同時代に設立されたドミニコ会と同じく、居住する家屋も食物ももたず、すべてを他者の喜捨にたよったため、「托鉢修道会」と呼ばれる。フランチェスコ会は、清貧と禁欲の生活を理想とし、従順・清貧・貞潔を掲げるベネディクト会戒律とも共通していたが、清貧をより徹底した。他の多くの修道会と同じく、フランチェスコ会もまた3つの修道会からなる。①男子修道会(第一会)・②女子修道会(第二会)・③一般信徒(在俗者)のための第三会である。
①男子修道会
男子修道会の起源は、1209年頃アッシジで成立し、1210年に教皇インノケンティウス3世によって口頭認可された「小さき兄弟団」である。「小さき兄弟団」の会則は、1223年に教皇ホノリウス3世から認可された。フランチェスコの死後、「小さき兄弟団」は穏健派と厳格派に分かれて対立し、それは精霊派(スピリトゥアーレ)と修院派(コンヴェントゥアーレ)の対立となって数世紀の間続いた。フランチェスコは、もとは学究生活を清貧に馴染まないものとして退けていた。しかし、周囲の説得で神学研究が行われるようになり、フランチェスコ会は、スコラ哲学の一大拠点として機能していくことになった。ボナヴェントゥラ(1221年?-1274年)、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266年?-1308年)、オッカムのウィリアム(1285年-1347年)などが有名である。
②女子修道会
女子修道会の第二会は、1212年にキアラ(クララ)が家を出てフランチェスコの活動に加わったことを起点とする。女子修道会の会則が教皇から認可を受けるのは1253年であり、キアラが死ぬ直前であった。キアラの下に女性達は手仕事で生計を立てて、病人の世話などを行い「貧しき貴婦人たち」と呼ばれたが、今日ではクララ会と呼ばれている。
③第三会
一般信徒(在俗者)のための第三会は1221年に設立された。小さき兄弟会の分裂を避けるための組織化が図られていた時期に、「純朴な人々のための小さな共同体」という性格を留めさせておきたかったフランチェスコの意図を汲んで、ウゴリーノ枢機卿の提案で作られたとされる。しかし、教皇庁の利害に奉仕する属人的かつ修道士的な一種の民兵団として利用された側面もある。

【女性】アッシジのキアラ(クララ)(1194 – 1253)

聖人(1255年列聖)。キアラは、聖フランチェスコへの忠誠で知られ、「もう一人のフランチェスコ」とよばれることもあった。
キアラは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アッシジで生まれた。母オルトラーナは後に娘の修道院へ入った。
1210年、キアラはアッシジの路上でフランチェスコの説教を聞き、感動した。1212年、18歳のキアラは親が決めた結婚を拒否して家出し、聖フランチェスコに指導を受けて修道生活に入った。やがて、尼僧アグネス(ボヘミアのアグネス:もとボヘミア王女:1211–1282)とも親交を結ぶ。聖キアラの尼僧たちは各地を移動せず、修道院の中で祈りと労働を日課として暮らした。当時、女性が各地を転々とすることは、世間から非常に厳しく見られたからである。

1215 第4ラテラノ公会議

1216/17 ドミニコ修道会(托鉢教団)の設立・可(異端審問を担当)

1223 フランチェスコ修道会認

1231 異端審問制度のはじまり(糾問主義

1245 第1リヨン公会議

○13世紀半ば~16世紀半ば 女教皇ヨハンナ伝説が流布(『読み替える(世界史編』93頁)

1267-73 トマス・アクィナス『神学大全』

1294-1303 教皇ボニファティウス8世

1303 アナーニ事件

1309 教皇のアビニヨン捕囚はじまる(~1377)

1311 教皇クレメンス5世の教令(在俗女子修道会=ベギン会の禁止)(『読み替える(世界史編)』93頁)

1312 テンプル騎士団の廃止

1348 プラハ大学創設

1347-1380 シエナのカタリナ(ドミニコ会第三会の在俗尼僧:1461年列聖)

【女性】シエナのカタリナ(1347-1380)

280px-Catherine_of_Siena聖人。禁欲の行(断食など)を実践し、教会大分裂を憂えてさまざまな仲介を行った。教皇等とかわした300通以上の手紙は、初期トスカーナ文学の傑作の一つとみなされている。1970年、教皇パウルス6世は、聖カタリナ(シエナのカタリナ)と聖テレサ(アビラのテレサ:1515ー1582)に教会博士の称号を贈った(女性初)。

※アビラのテレサ:神秘主義者、『自叙伝』を執筆。

1378-1417 教会大分裂(シスマ)ウィクリフ、フスの教会改革運動

1414-18 コンスタンツ公会議(フス派を弾圧)

1415 フスの火刑

1431 ジャンヌ・ダルクの火刑(『読み替える(世界史編)』98-99頁)

1431-32 バーゼル公会議

1492 ユダヤ教徒追放令(強制改宗令)(スペイン)
【女性】ユダヤ人女性グラツィア・ナスィ(1510-1569)とイベリア半島のユダヤ人追放(三成美保)

1512-17 第5ラテラノ公会議(公会議首位説を非難)

1517 宗教改革

バチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂とその広場 Panoramabild der Vatikanischen Museen, des Petersplatzes und der Vatikanischen Audienzhalle (von der Kuppel des Petersdomes aus gesehen), zusammengesetzt mit Stitch-Software aus 8 Einzelaufnahmen.