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【女性】古代エジプトの女王と王妃たち(付:年表)

古代エジプトの女王と王妃たち(付:年表)

大幅更新(年表追加):2015-12-13 掲載:2014.06.08 作成:三成美保

【年表】古代エジプト

ナイル川流域図

前7000頃 農耕・牧畜の開始

○ナイル下流地域を「下エジプト」、ナイル上流地域を「上エジプト」とよぶ。
○古代エジプトの版図は変化するが、ギザのピラミッドが建設されたころからプトレマイオス朝の滅亡まで、人口はおよそ200~500万人だったと見積もられている。
【参考】現在のエジプトは、国土面積100万平方キロメートル(日本の2.6倍)で、97%が砂漠地帯。人口は、約8000万人(2011年)。

下エジプト

上エジプト

前3000頃 上下(南北)エジプトの統一⇒第1王朝の成立(初代王ナルメル)

女神イシス

古王国(オレンジ色)

前2682頃 古王国時代(第3~第8王朝)

前2550頃 クフ王が大ピラミッドを建造⇒三大ピラミッド

ギザの三大ピラミッド

前2145頃 第1中間期(第9~第11王朝)

前2025頃 中王国時代(第11、第12王朝)

○正妃(称号は「偉大なる王の妻」)が登場。
○身分制のありかた
大人(タイジン)=王族・高級官僚・神官
小人(ショウジン)=下級官僚(書記・代官)・軍人・職人・農民・牧畜民

前1794頃 第2中間期(第13~第17王朝)

○ヒクソスが第15、第16王朝を樹立

前1550頃~前1069頃 新王国時代(第18~第20王朝)

前1549/50~前1298頃 第18王朝

前1549/50 イアフメス(位:前1549~前1524頃)が第18王朝を樹立。生母イアフヘテプ(第17王朝セネケンラー2世の王妃)は、イアフメスが幼かったとき、女王として君臨したとされる。

前1480頃 トトメス2世(位:前1491~前1479頃)の正妃ハトシェプスト(トトメス1世と正妃イアフメスとの娘)、幼少のトトメス3世(位:前1479~前1424頃)の摂政として実権を握る

前1473頃 ハトシェプスト、女王として、内政改革・対外交易を主導

女王ハトシェプスト(在位:正妃~女王:前1490頃~前1457頃)

ハトシェプスト女王

ハトシェプスト女王の葬祭殿

エ ジプトではじめて「ファラオ」を名乗った女性。父王は、第18王朝第3代王トトメス1世(在位:前1503-1491頃) 、母は正妃イアフメス(第2代王アメンヘテプ1世の王女)。夫トトメス2世(在位:前1491-前1479頃)は、妾腹の異母弟であった(キョウダイ婚)。トトメス2世は 早世し、彼の唯一の男子であるトトメス3世(在位:前1479-前1424頃)が次王となる。彼は妾腹の子で幼少であったため、ハトシェプストが摂政とな る。やがて、彼女は、父王トトメス1世が在位中に自分を後継者として共治王に指名していたと主張し、戴冠式を敢行、以後22年間、トトメス3世の共同統治 者となった。ハトシェプストとトトメス2世の長女ネフェルラーが、トトメス3世の最初の正妃である(キョウダイ婚)。

男装したハトシェプスト

→『読み替える(世界史篇)』35頁

前1455頃 トトメス3世、エジプトの版図が最大となる。グラーフに王宮(ハーレムを伴う)が築かれる。

前1388頃 アメンヘテプ3世の即位(位:前1388~前1348頃)、エジプトは最盛期を迎える。正妃はティイ

正妃ティイ (前1398頃ー前1338頃)

父は、上エジプトの裕福な土地所有者であり、神官として活躍していた。母も神官。父は、エジプト人ではなくミタンニ王国の平民出身ともいわれる。本来ならファラオの正妃にはなれない血統であるが、アメンホテプ3世に大切にされたらしく他の妃とは一線を画した扱いを受けていた。アメンヘテプ4世の母。第18王朝最後のファラオとなるアイの妹ともされる。政治的に大きな影響力を持った。

アクナーテンとネフェルティティ

前1347頃 アメンヘテプ4世(父はアメンヘテプ3世、母は正妃ティイ)、アマルナに遷都。アテン神を唯一神とする宗教改革を断行。アクナーテン(アクエンアテン)と名乗る。アマルナ様式が発展。正妃はネフェルティティ

 

 

 

 

正妃ネフェルティティ

ネフェルティティの胸像(ベルリン国立博物館)

ネフェルティティは、エジプト新王国第18王朝ファラオであったアクエンアテン(アメンヘテプ4世)の正妃であり、ファラオ・トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)の義母である。

 

 

 

 

 

 

 

 

Tutanchamun_Maske前1333頃 ツタンカーメン(前1341頃~前1323頃:位:前1332頃~前1323頃:父はアメンヘテプ4世、母は父の姉妹)(キョウダイ婚)、アマルナからメンフィスに遷都。アテン信仰を否定。

 

 

 

800px-Ägyptischer_Maler_um_1350_v._Chr._001正妃アンケセナーメン(前1348頃 –前1322以後)

エジプト新王国時代の第18王朝のファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女。実父アクエンアテンの妻であったが、父の死後、異母兄弟である若きファラオ・ツタンカーメンの妻となった(キョウダイ婚)。当初の名をアンケセンパーテン(Ankhesenpaaten)といったが、ツタンカーメンと結婚したさいにアテン神からアメン神に信仰を変えアンケセナーメンと改名した。 ツタンカーメンの早世後は、ファラオを継いだ大神官アイ(祖母ティイの兄弟)の妻となる。アンケセナーメンはアイとの結婚を嫌い、ヒッタイトの王、シュッピルリウマ1世にその王子を婿に迎えて国王としたいとの手紙を送った。シュッピルリウマ1世は、王子ザンナンザをエジプトに送ったが、途中で暗殺された。暗殺したのはアイだという説があるが、他方、アンケセナーメン自身がアイと共謀しツタンカーメンを暗殺したという説もある。(図は、ツタンカーメンとアンケセナーメン)

前1298頃~前1187頃 第19王朝(ラメセス朝)

前1279頃~前1212頃 ラメセス2世

正妃ネフェルタリ

古代エジプト第19王朝、第3代ファラオ、ラムセス2世(ラムセス大王)の正妃。出自は不明。ネフェルタリは、アメン神の神后の称号を持ち、この称号によって、独立した多くの富と権力を授けられた。ネフェルタリは夫ラムセスに深く愛されていたと見られ、王妃の谷のなかにあって、もっとも壮麗な彼女の王妃墓-QV66からもそれが伺える。ラムセスはこの最愛の妻を、「そなたが為、太陽の燿く者」と呼んだ。メリトアモンをはじめ、4人の息子と2人の娘を儲けたが、子のだれも王位にはつかなかった。ネフェルタリは若くして亡くなる。また、彼女の墓所には、ラムセスの次のような詩が書かれている。「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であつた。去りて、しかして余の魂を遙か遠くに奪ひ去りしが故

前1194頃 セティ2世(位:前1201~前1195頃)の死後、幼少の王シプタハが即位。セティ2世の王妃タウセレトが実権を掌握。

前1189頃~前1187頃 女王タウセレト

前1187~前1069頃 第20王朝

前1069頃 第3中間期(第21~第25王朝)

○第25王朝は、南方のヌビア人の王朝であった。

前664 末期王朝時代(第26~第31王朝)

○第27王朝は、ペルシア人の王朝であった。

○第31王朝は、ペルシア人の王朝であった。

前323 マケドニアのアレクサンドロス大王の将軍プトレマイオスがエジプトのサトラップ(州侯)としてエジプトを統治(前323~前306)
2ー5.ヘレニズム時代の社会と女性(付:年表・地図)

前331 アレキサンドリア建設

前304~前30 プトレマイオス朝
【女性】プトレマイオス朝エジプトと女王クレオパトラ(付:年表)

前278 アルシノエ2世(前316 – 前270/260)が実弟プトレマイオス2世と結婚
【女性】アルシノエ2世ー初期プトレマイオス朝エジプトの女王(森谷公俊)

前51~前30 クレオパトラ7世

前31 アクティウムの海戦

前30 プトレマイオス朝の滅亡

●王位継承原理

Amun.svg

アメン神 Typical depiction of Amun during the New Kingdom, with two plumes on his head, the ankh symbol and the was sceptre.

ハトシェプストが王位についた背景には、第18王朝においてかなり明確になった王位継承原理があったとされる。王の姿を借りた国家神アメンが、「アメンの聖なる妻」(正妃の称号)とよばれた正妃と交わることによって、アメンの聖なる血を受け継いだ次王が生まれるとされたのである。このため、王は同腹の姉妹(嫡出姉妹)から正妃を選ぶのが理想とされた。正妃から王子が生まれなかった場合には、庶出王子が嫡出王女と結婚することによって王位継承権を得た。

【参考文献】大貫良夫・前川和也・渡辺和子・屋形禎亮『世界の歴史1-人類の起源と古代オリエント』中央公論社、1998年、464頁を参照。

【参考文献】

高宮いづみ『古代エジプト文明社会の形成』京都大学学術出版会、2006年
A.J.スペンサー(近藤二郎監訳)『図説大英博物館古代エジプト史』原書房、2009年
ジャック・ラカリエール(幸田礼雅訳)『エジプトーヘロドトスの旅した国』新評論、1996年

世界史Ⅰ

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