【法学8】優生保護法(1948-1996)

更新:2015-11-24 掲載:2014.11.23 執筆:三成美保

関連項目→*【GLⅢ-8-2】戦前~戦後日本の優生法制(三成美保)

(1)優生保護法から母体保護法へ

・優生保護法は、1948年に制定された(昭和23年法律第156号:昭23・7・13)。前身は、国民優生法(昭和15年法律第107号)である。優生保護法は1996年に改正され、優生条項を削除して、母体保護法(平成8年法律第105号:平8・6・26)と改称された。
・中絶規制法には、①「適応規制モデル」(中絶可能な条件を定める)と②「期限規制モデル」(無条件に中絶可能な期限を定める:「12週」を中絶可能とする場合が多い)の2種がある。歴史的には、①「適応規制モデル」から、②「期限規制モデル」への移行が顕著である。優生保護法も同法の改正法である母体保護法も、①「適応規制モデル」にあたる。

●国民優生法(1940年)

ナチス断種法をモデルにして制定された。

●優生保護法(1948年)

→優生保護法(制定当初の条文)→【史料】優生保護法(1948~1996年)
→優生保護法(改正履歴)
→優生保護法の改正(1949~1955年)について(概要)http://www.soshiren.org/yuseihogo_01.html
※「経済的条項」は1949年改正により追加された。
→優生保護法「改悪案」(1972~1974年)について(概要)http://www.soshiren.org/yuseihogo_02.html

●母体保護法(1996年)

→母体保護法(現行条文) http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO156.html
(※政府による法令データ提供システムはこちら→http://www.e-gov.go.jp/index.html
→母体保護法(法改正)(「優生保護法の一部を改正する法律」平成8年法律第105号)http://hourei.hounavi.jp/seitei/hou/H08/H08HO105.php
→『日本産科婦人科雑誌』(同雑誌のバックナンバー・抄録についてはこちら→http://www.jsog-oj.jp/)における母体保護法の解説(『日本産科婦人科雑誌』61巻11号研究コーナー掲載:2009年11月) http://www.jsog.or.jp/PDF/61/6111-602.pdf
日本産科婦人科学会(学会HPはこちら→http://www.jsog.or.jp/

(2)ハンセン病者に対する断種政策(日本)

「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書」(厚生労働省)2005年3月、財団法人日弁連法務研究財団、ハンセン病問題に関する検証会議
※近代以降の日本におけるハンセン病法政策の展開とその問題点についてまとめている。非常に有益な資料である。

第7 ハンセン病政策と優生政策の結合(PDF)pdficon_large

→同上(別冊)「被害実態調査報告」

2-7 園内結婚と優生政策(PDF)pdficon_large

各種資料

https://i0.wp.com/www.nih.go.jp/niid/images/idwr/kansen/k2011/2011-13/img13k/kansen01.gif?resize=318%2C198

ハンセン病患者数http://www.nih.go.jp/niid/images/idwr/kansen/k2011/2011-13/img13k/kansen01.gif

●ハンセン病
ハンセン病の原因は、らい菌(Mycobacterium leprae)である。らい菌は、結核菌と同様に抗酸菌の仲間で、1873年(明治6年)にノルウェーの医師ハンセンによって発見された。感染性はきわめて低く、遺伝性はない。潜伏期間が長く、また、感染してもほとんど発病しない。発病した場合、末梢神経に障害をもたらすが、発症のあり方は非常に多様である。臓器を冒すことはほとんどなく、死に至ることもほとんどない。
ハンセン病は、かつては「癩(らい)病」とよばれたが、1950年代から「ハンセン(氏)病」への改称が進み、1996年にらい予防法が廃止されたあとは、「ハンセン病」に統一された。1943年にプロミンが治療に有効であることが確認され、治療法が確立していく。つまり、日本で優生保護法(1948年)がハンセン病を優生学的不妊手術の対象にしたとき、すでに世界ではハンセン病への認識は激変していた。
→【参考】ハンセン病とは?(国立感染症研究所)

→【参考】国立ハンセン病資料館

(3)「不幸な子どもの生まれない運動」

●「不幸な子どもの生まれない運動」
「不幸な子どもの生まれない運動」は、1966~1974年に兵庫県で実施された政策である。とくに、1972~74年にかけて妊婦に出生前診断(羊水検査)を奨励し、ダウン症などの障害をもつ胎児を見つけて中絶するよう推進した。「青い芝」などの障害者団体の批判をあびて、事業は中止に追い込まれた。

「障害者基本法・第三章障害の予防関連:「不幸な子どもの生まれない県民運動」についての資料」(尾上委員)(内閣府第20回障がい者制度改革推進会議議事次第:平成22年9月27日)

→【史料】兵庫県「不幸な子ども」の定義(1971年)

o1不幸な子ども_ページ_3

兵庫県資料(尾上委員提出資料3頁)

【関連ページ】
【法学8】バイオテクノロジー・出生前診断(三成美保)