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【法学】(判例)七生養護学校事件(性教育)
掲載 2015.02.13 執筆:三成美保
●七生養護学校事件とは?
七生養護学校事件は、2003年に東京都教育委員会と都議3名が、東京都立七生養護学校における性教育に対して行った介入をめぐる民事裁判である。2件の訴訟が提起された。
①都教委の処分が教育への不当介入に当たるとして都教委及び東京都議会議員3名に対して損害賠償を求める訴訟
②元校長が本件を理由とする降格処分の取り消しを都教委に求める訴訟
訴訟の原告(元教員)やその支援者の間では、中止された授業の名称に由来する「こころとからだの学習」裁判(「ここから」裁判)(⇒「こころとからだの学習裁判」支援サイト(⇒http://kokokara.org/)との通称が使用されている。
●東京弁護士会による警告
東京都教育委員会の都立七生養護学校の性教育に対する処分に関連する警告書(要約版)(2005年1月24日)
東京弁護士会は、東京都教育委員会に対し、都立七生養護学校に関する事案につき、以下の警告を発した。
【資料(引用)】東京都教育委員会の都立七生養護学校の性教育に対する処分に関連する警告書(要約版)(2005年1月24日)(ただし一部の引用)
⇒警告(要約版)について全体はこちら⇒http://www.toben.or.jp/message/jinken/post-179.html
事案の概要
都立七生養護学校には、知的障害のある子どもが通学しており、以前から障害のある子どもに対しての性教育実践を重ねてい ました。しかし2003年7月4日、東京都教育委員会(以下「都教委」といいます。)及び都議会議員(以下「都議」といいます。)らが新聞記者を同行し同 校を訪れ、同校の性教育にかかわる教員らを直接強く批判するなどの事態が発生し、その直後同校で性教育に使用されていた全教材類について、都教委による回 収管理が行われました。さらに都教委は同校教員らに対し、不適切な性教育を行ったとして厳重注意を行いました。その後同校では、それまで行われていた性教 育が実施できない状況になっています。本件は上記の経緯により同校の性教育を行うことができなくなったことなどについて、人権侵害であるとして当会に人権 救済申立がされたものです。
警告の趣旨
1. 東京都教育委員会は、2003年9月11日東京都立七生養護学校の教員に対して行った厳重注意は、「不適切な性教育」を理由にするものであって、このことは子どもの学習権およびこれを保障するための教師の教育の自由を侵害した重大な違法があるので、これらを撤回せよ。 2. 教育委員会は、同委員会に保管されている七生養護学校から提出された性教育に関する教材一式を、従来保管されていた七生養護学校の保管場所へ返還し、同校における性教育の内容および方法について、2003年7月3日以前の状態への原状回復をせよ。 3. 教育委員会は、養護学校における性教育が、養護学校の教職員と保護者の意見に基づきなされるべき教育であることの本質に鑑み、不当な介入をしてはならない。 以下、警告の理由については、東京弁護士会の該当サイトを参照⇒http://www.toben.or.jp/message/jinken/post-179.html
●訴訟②
- 「こころとからだの学習裁判」支援サイト(⇒http://kokokara.org/)に七生養護学校訴訟の資料が掲載されている。
- 2009年3月12日 東京地裁判決(要旨)はこちら⇒http://kokokara.org/pdf/shoko/hanketsu_20090312.pdf
- 2011年9月16日 東京高裁判決(全文)はこちら⇒http://kokokara.org/pdf/shoko/kokokara_kousai.pdf
- 2013年11月28日 最高裁
●性教育のパラダイム転換
日本の性教育は、欧米や台湾などに比べても非常に限定的であり、実践的ではない。七生養護学校の性教育は、障害をもつ子どもたちに人形を使ってからだの仕組みを教えようとする実践的なものであった(「からだうた」)。
欧米では「包括的性教育」が主流となっており、低学年の児童に対して具体的・実践的な性教育が実施されている。その目的は、①親や親族、教師などの身近な人から性暴力(性的虐待やセクシュアル・ハラスメント)にあわないように自分を守る方法(NOと言う力)を教えること、②性感染症に対する正しい知識を身につけさせること、③LGBTIなどについて学び、性にもとづく差別が人権侵害にあたることを教えること、そして、④望まない妊娠(中絶)を避けるための知識や方法を学ばせることなどにおかれている。すなわち、性教育の本質は、「性=人権」の立場から、自己と他者の性を尊重すべきこと、多様な性暴力から身を守る手段を教えることにある。
社会の多様化にあわせて、最近では「性教育のパラダイム転換」が説かれ、「性的自己形成」理論が登場している。
【資料(引用)】池谷壽夫「最近のドイツにおける性教育をめぐる論争と性教育の課題」『現代性教育研究ジャーナル』41号(2014年8月)
「60~70 年代はセクシュアリティの社会的タブー化を背景にして、青少年にはどのような情報がどの年齢段階で与えられてよいのかが争われた。この段階の性的啓発では一面的に認知的なものが中心であった。80~90 年代には、男女関係の変化、多様な性的生活形態の承認の高まり、性暴力や性病(とくにエイズ)の防止が課題となり、それらのテーマで焦点になったのは、性的な自己決定であった。性的啓発は性教育に組み込まれた。しかし今日では、男女や多様な性的生活形態の平等がヨーロッパの権利となり、HIV や暴力の防止は性教育の実践の確固とした要素となり、性的自己決定は多くの若者にとっては自明となっている。今や根本問題は、「こうしたコンピテンスと自己決定を達成してきた人々にわれわれは何を提供できるのか。どのような性教育への寄り添いがポストモダン社会において彼らに合っているのか」となる。この問いに答えるために、「性的自己形成」が提起される。
この「性的自己形成」の特徴の1つは、自己決定と学習中心である。ヴァルトルが《Bildung》を用いるのは、伝統的にこれには人格の形成とくに自己形成が含意されているからである。すなわち、「人格(主体)は世界の内容(客体)を自ら獲得するのであって、教育者はこの過程にただ寄り添うだけである。Bildung 概念はしたがって、学習者に与して、自己決定的な学習形態と自律の促進を強調する。」こうして「性的自己形成」においては、子ども・青少年は自分の性的発達の独自な主体としてとらえられる。2つ目は、「性的自己形成」がそれ自体価値を持つということ、つまりセクシュアリティをそれ自体価値あるものとして認め促進することである。3つ目は、「性的自己形成」は具体的なもので有用だということである。ここでは内容豊かな新たな性文化を創り出すことが重視されている。4つ目は、「性的自己形成」は全体的な人間の(自己)形成だということである。したがって、「性的自己形成」はすべての人生期とすべてのコンピテンスレベル(①認知レベル、②情動レベル、③行動レベル、④エネルギーレベル、⑤実践のレベル、⑥より深い身体レベル)に関わり、人間の存在の全体性のなかでのセクシュアリティの意義に関する問題に取り組む。最後の特徴は、「性的自己形成」は政治的なものだということである。セクシュアリティと社会は相互に影響を及ぼし合うので、性的自己形成もまた政治教育なのである。こうした広いパースペクティブのもとで、「性的自己形成」は、「民主主義社会における成熟した市民の、自己決定的で情報を与えられ実践的に有能なライフスタイルの統合的な構成要素」になることが目指されている。」