目次
フェミニズムの第2の波と「ジェンダー」の発見(三成美保)
2024/03/15 更新(修正) 初出:三成美保『ジェンダーの法史学』勁草書房、2005年、一部改変
(1)フェミニズム
フェミニズムの2つの波
1960年代後半、欧米諸国でフェミニズムが再生した。フェミニズム・ルネサンス以降のいわゆる「フェミニズムの第2の波」がジェンダー概念を再定式化したことはよく知られる。フェミニズムは19世紀を通じて女性参政権や高等教育権の獲得をめざしてきたが、20世紀初頭にそれらが達成され、運動はしだいに低迷した。沈滞をうちやぶったのが、「ウーマン・リブ」Women's Liberation(1960-70年代の女性運動をさす)とよばれる新しい女性解放運動である。1970年代後半以降、19世紀以降のフェミニズムとの連続性と相違を意識的に示すために、ウーマン・リブ以前のフェミニズムは「第1の波」、ウーマン・リブ成立以後は「第2の波」とよびならわされている*(1)。
フェミニズムの多様化
日本におけるフェミニズム/ジェンダー研究成果の現在の到達点を示す『岩波女性学事典』(2002年)のなかで、江原由美子は、「フェミニズム」を「女性解放思想、あるいはその思想に基づく社会運動の総称」と説明する[資料1-④]* (2)。それは、「フェミニズム」の普遍的「定義」が困難であることを表明するものでもある。「総称」という一言は重い。「フェミニズム」には多様な理論と運動が含まれ、それぞれの社会の文化的歴史的背景に即して、理論と運動は異なる展開をとげてきた* (3)。また、運動を内包した結果、つねに最新の実践的課題をつきつけられ、その都度、フェミニズムの新潮流が生まれるとともに、既存潮流も変化していった* (4)。
「フェミニズム」は、一義的定義をすることができない、つねに変容をとげる歴史的諸潮流の複合体を意味する「総称」である。広義の共通点を求めるとすれば、「主体としての女性の形成」を追求する点であろう。しかし、「主体としての女性の形成」をめぐってすら、歴史的に方向性は大きく二分されてきた。フェミニズムはその起源から、「女性」という「性」の「再構築」と「脱構築」という課題のなかで揺れ動いてきたのであり、いずれの課題も重要な実践的意味をもっていた* (5)。
「フェミニズムの第2の波」も一様ではない* (6)。1970年代(ウーマン・リブ期)と1990年代以降とでは、ジェンダーに関する諸概念も、問題へのアプローチ手法もともに大きく異なる* (7)。典型的には、1990年代以降のグローバル化とポストモダン進展のなかで、それまでのジェンダー研究自体にはらまれていた白人女性中心主義や異性愛主義、西洋中心主義が深刻な反省にさらされるようになった。現在、研究の深化・充実とともに問題領域が新たに発掘され、新たな問題領域がさらに諸概念を洗い直し、ジェンダー研究の射程はますます広がりつつある。
「ウーマン・リブ」の展開
ウーマン・リブは欧米や日本など先進諸国で展開された。アメリカでは、ベティ・フリーダン『女らしさの神話*(8) 』The Feminine Mystique(1963年)の出版と全米女性組織NOWの結成(1966年)が画期をなす。フリーダンは、自分を含めた中産階級の主婦が感じる空しさゆえの不安感を「名前のない問題(得体のしれない悩み)」と提起して、大きな反響をよんだ。彼女はまもなくアメリカ最大の女性組織であるNOWを結成して、初代会長に就任する* (9)。
フランスでは、1949年にボーヴォワール『第2の性』が刊行され、のちのフェミニズムに多大な影響を与えることになる。しかし、重要な転換点となったのは1968年、Mouvement de Libe'ration des Femmes=MLF(女性解放運動)の開始である。これはアメリカのウーマン・リブにならってジャーナリズムが命名したものであるが、運動はフランス独自の発展を遂げた。ドイツでも画期はやはり1968年である。学生運動のなかから新しいフェミニズムが生まれた* (10)。
⇒*【序論】歴史学におけるジェンダー主流化(三成美保)
⇒*【総論8】国際社会における21世紀の課題ージェンダー平等に向けて(三成美保)
⇒*【ジェンダー法学1】ジェンダー法学の基礎知識
⇒*【ジェンダー法学2】国際的動向とジェンダー主流化
⇒*【ジェンダー法学3】人権とジェンダー
(2)フェミニズムの3大潮流とその成果
3つの主潮流
「第1の波」のとき、フェミニズムはすでに2大潮流に分かれていた。①リベラル・フェミニズムと②社会主義フェミニズムである。主流を占めた①はさらに、いまで言うジェンダー役割を維持しようとする穏健派とそれを破ろうとする急進派に分かれる* (11)。
「第2の波」のとき、アメリカでこれら2大潮流に③ラディカル・フェミニズムが加わり、ヨーロッパ諸国や日本に急速に広まった。3者は、性差別の根源についての理解、抑圧者・抑圧構造に関する理解の点で、かなり大きな隔たりがある。また、これら3大潮流以外にも、多様なフェミニズムが展開している[資料1-⑥*(12)]。
リベラル・フェミニズム
3潮流のうち、もっとも長い歴史をもち、フェミニズムの原型ともなったのが、リベラル・フェミニズムである。これは、第2波フェミニズムにおいても主流派を占め、法や文化における性的平等の認識を支配した。
全米女性機構の中心勢力をなすリベラル・フェミニズムは、「性的平等」の権利を、「性別に基づき他者と異なる扱いをうけることはないという個人の権利」と定義する。それは、女・男のいずれもが「女」「男」という集団として扱われることを否定し、個人として権利を保障されるかどうかを問う姿勢につながる。したがって、平等が達成されるのは、集団であれ個人であれ、女性が男性と社会的に平等になったときではなく、女・男ともに、個人が自分自身の選択により自己の利益を最大限に追求することができる選択権を保障されたときとされる*(13) 。
社会主義フェミニズム
社会主義フェミニズムは、個人主義を基礎に置くリベラル・フェミニズムとは異なり、女性抑圧の根源を資本主義にもとめる考え方である。したがって、主体としての女性についても、「個人」としての女性を問題視するのではなく、「女性という集団」を論じようとする。他方で、平等化達成のためには体制変革が必要であると考え、抑圧された他の諸集団との連携を重視する。
ラディカル・フェミニズム
ラディカル・フェミニズムは、性抑圧をあらゆる形態の抑圧の根源とする考え方(性支配一元論)をとり、男性を抑圧者とみなし、女・男の利害は競合・敵対すると考える。リベラル・フェミニズムや社会主義フェミニズムが、女・男の協力関係を築こうとするのにくらべると、むしろ、女・男の分離を前提としたうえで、「女性という集団」の独自の存在意義を強調しようとする(差異派・分離主義)。体制変革を求める点では社会主義フェミニズムと共通するが、労働条件等の改善で満足するものではない。しばしば示威行動に打って出て、メディアや催し(ミス・コンテストなど)のジェンダー・バイアスを公然と批判した。
ラディカル・フェミニズムは、さまざまな意味で第2波フェミニズムを決定づけた。とりわけ、ジェンダー研究やフェミニズム的な実践活動の発展は、ラディカル・フェミニズムの成果によるところが大きい。発想の根本的転換をせまるスローガンの提起(「個人的なことは政治的である*(14) 」The Personal is Political、「意識覚醒*(15) 」consciousness raising)、既存概念の組み替え(家父長制*(16) )、新しい問題関心へのアプローチ(身体、セクシュアリティ)、実践への関心(女性に対する暴力、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ*(17) 、フェミニスト・カウンセリング*(18) )などが、その代表的なものである。これらの問題提起や実践的な課題にむけての理論化は、リベラル・フェミニズムにも受け入れられ、やがて司法や立法の改革につながっていくことになる。
⇒*【総論2】家父長制とジェンダー(三成美保)
⇒*【総論3】アジアの家父長制(小浜正子)
⇒*【特集6】生殖コントロール・妊娠中絶
(3)ジェンダー・セックス・セクシュアリティ
日本における「ジェンダー」概念の導入ーイリイチのジェンダー概念
日本で最初に「ジェンダー」という語が翻訳導入されたのは、1984年、イリイチの著作を通じてである*(19) 。イリイチの著作の主眼は、産業化の進展とともに、前近代における男女のジェンダー役割が否定され、「ユニセックス化」が進展することへの批判にあった。「概して男は、女のやるしごとをやれるものではない* (20)」というのが、イリイチの基本的な考え方である。ジェンダー役割の固定化を理想化するようなイリイチのジェンダー理解が、フェミニズムのジェンダー理解とはまっこうから対立することは明白であろう。このため、日本ではジェンダー概念をめぐって、その後多くの誤解が生じることになった。
ジェンダーがセックスを規定する
「ジェンダー」はフェミニズムが発明した新しい造語ではない。それはもともと言語学用語であり、男性語・女性語の区別をさした。しかし、「フェミニズムの第2の波」のなかで、独自の意味をおびはじめる。「ジェンダー」は、「自然的・生物学的性差」をあらわす「セックス」sexの対語として、「文化的・社会的性差」を示す語として用いられはじめたのである*(21) 。
「ジェンダー」と「セックス」の関係については、ある時点で認識が完全に変化した。初期には、「セックス」と「ジェンダー」を峻別し、「セックスがジェンダーを規定する」と理解された。しかし、このような考え方は生物学的な男女二分法を前提としており、それ自体がジェンダー・バイアスにからめとられている。生物学や精神分析学の研究により、「ひと」が生物として必ずしも男女に二分されるわけではないことが明らかになったからである* (22)。
1980年代以降、フェミニズムの「ジェンダー」概念は大きく変わる。「セックス」と「ジェンダー」の不可分の関係に着目したうえで「ジェンダーがセックスを規定する」と主張されるようになったのである。その先駆的研究とみなされ、「フェミニズムの新時代を、広くはっきりと告げた* (23)」のは、バトラー『ジェンダー・トラブル』(1990年)である*(24) [資料1-⑦]。
今日の精神医学では、「ジェンダー・アイデンティティ」gender identity(性同一性=性における自己認知)は、①「中核性同一性」、②「性役割」、③「性的指向」sexual orientationの3要素からなるとされる*(25) [資料1-⑧]。ひとりの人間のなかで、「セックス」「ジェンダー」「セクシュアリティ」の3要素は不可分にむすびついており、社会のなかでさまざまに誘導・抑圧される結果、個人のストレスをよびおこす。ジェンダー研究は、こうした抑圧メカニズムの考察を重要な研究課題としてひきうけた。
その過程で、1990年代以降、フェミニズムの従来の枠組みに対して根本的な批判がつきつけられる。①異性愛主義に対する批判、②白人女性中心主義に対する批判である。①の正面にたったのはクィア理論であった。それは、多様な非異性愛の存在を認めて異性愛主義の偏向を問題化しようとした* (26)。②は、欧米によって植民地化されたアジア・アフリカにおけるフェミニズムの進展をうけて展開する。たとえば、買売春をめぐって、それを「セックス・ワーク」とよび女性の職業選択権の一つとして保障しようとする欧米フェミニズムと、買売春にともなう人身売買や、経済格差にもとづく欧米男性によるアジア・アフリカ女性への性的搾取などを糾弾しようとする第3世界フェミニズムとでは真っ向から利害が対立した* (27)。こうして、フェミニズム自体がパラダイム転換を余儀なくされたのである。
【史料】バトラー『ジェンダー・トラブル』(1990年)
「そもそもセックスとジェンダーの区別は、<生物学は宿命だ>という公式を論破するために持ちだされたものであり、セックスの方は生物学的で人為操作が不可能だが、ジェンダーの方は文化の構築物だという理解を、助長するものである。…セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。…ジェンダーは、それによってセックスそのものが確立されていく生産装置のことである。」(訳:27-29ページ)
セクシュアリティ
「セクシュアリティ」sexualityの語義は必ずしも自明ではなく、訳語も統一されていない。斉藤光によれば、「セクシュアリティ」という語自体が、強い歴史性を帯びている。英仏では「セクシュアリティ」という語は19世紀に生まれた新語であり、19世紀末に「セックス」とは異なる現在の意味を帯びるようになる*(28) 。そのさい、「セックス」が、「生き物という存在に根ざす、雌雄的な、基本的に可視的形態的差異を中心として意味が構成」されるものであるとすれば、「セクシュアリティ」は、「人間の強力な、情動的な、そしておそらく身体的快楽と関係する、心身内的な他者存在指向の傾向性を中心として、それと関連する行為を含む」ものとされた*(29) 。上野千鶴子は、より簡明にこう定義する。それは、「性にかかわる欲望と観念の集合」であり、「人間の性行動にかかわる心理と欲望、観念と意識、性的指向と対象選択、慣習と規範などの集合をさす*(30) 」。
これらの研究が示唆するのは、「セクシュアリティ」は、社会によって規定されるものであり、身体と他者との関わりをその本質に含むということである。この語が19世紀末に可視的身体的差異としての「セックス」とは異なる語義を獲得したことは、「セクシュアリティ」抑圧・隠蔽装置の強制力がゆるんだことの証であろう。「セクシュアリティ」研究は、いまや、「近代」が封印してきた歴史に焦点をあてるという観点から、社会学や歴史学分野を中心に多彩なかたちで進められている。
日本の法学・法史学は、これまで、家族法(貞操義務)や刑事法(姦通罪・買売春)の文脈で個別的に「セクシュアリティ」関連事項を論じてきた。今後は、個別法規範をつらぬく「セクシュアリティ」規範の総体を検証して抽出し、社会秩序統制手段としてそれがいかに稼働したのか、また、そこに歴史的変化をどのように認めることができるのかを問うことが求められると思われる。
注
* (1) 「第1の波」は、ヨーロッパでは18世紀末~20世紀初頭、アメリカでは1840年代~1920年代のフェミニズムをさす。
* (2) 井上、上野、江原、大沢、加納編『岩波女性学事典』(岩波書店、2002年)、399ページ。
* (3)多様なフェミニズムについて、簡便には、江原由美子・金子淑子編『フェミニズム』(新曜社、1997年)所収の諸論文および巻頭の見取図参照。
* (4) 公的機関との関わり方も一様ではない。アメリカでは議会への圧力団体化したフェミニズムもあれば、「穏健な動員」とよばれる運動もある。政党・国家機関で責任あるポストを獲得した北欧諸国、公的機関とほとんど関わりを持たずに草の根運動的な広がりをみせるイギリスに対し、日本では「女性学」にはじまる学術的伝統が強い。
* (5) 2つの方向性のなかで、しばしば、女性たち自身に「平等か、差異か」という選択肢がつきつけられた。2つの方向性は、本来的には対立しあうものではない。「差異」は「同一性」の対語であり、「平等」の反対語は「不平等」であるからである。
* (6) ヤスミーヌ・アーガス「主体としての女性-1960-80年代のフェミニズム」(フランソワーズ・デボー編『女の歴史Ⅴ、20世紀2』藤原書店、1998年)は、第2波フェミニズム前半期の欧米で展開した法と政治の改革をめぐる状況を簡明に描いている。
* (7) 1970年代と1990年代のヨーロッパにおける女性学の相違については、メアリ・エヴァンズ(奥田暁子訳)『現代フェミニスト思想入門』(明石書店、1998年)を参照。
* (8) 邦訳名は、ベティ・フリーダン(三浦冨美子訳)『新しい女性の創造、改訂版』(大和書房、2004年、第1版は1965年刊)。
* (9) 有賀夏紀『アメリカ・フェミニズムの社会史』(勁草書房、1988年)、195ページ。
* (10) 主要国におけるフェミニズムの展開について、簡便には、井上洋子・古賀邦子・富永桂子・星乃治彦・松田昌子『ジェンダーの西洋史』(法律文化社、1998年)を参照。
* (11) ドイツについては、田村雲供『近代ドイツ女性史、市民社会・女性・ナショナリズム』(阿吽社、1998年)、姫岡とし子『近代ドイツの母性主義フェミニズム』(勁草書房、1993年)。
* (12) 有賀美和子『現代フェミニズム理論の地平-ジェンダー関係・公正・差異』(新曜社、2000年)、江原・金井『フェミニズム』、江原由美子編『フェミニズム論争-70年代から80年代へ』(勁草書房、1990年)、大越愛子『フェミニズム入門』(筑摩書房、1996年)、リサ・タトル(渡辺和子監訳)『新版・フェミニズム事典』(明石書店、1998年)、マギー・ハム(木本喜美子・高橋準訳)『フェミニズム理論辞典』(明石書店、1999年)、ソニア・アンダマール他(奥田暁子監訳)『現代フェミニズム思想辞典』(明石書店、2000年)、『岩波女性学事典』。
* (13) Becker, M., Bowman, C.G., Torrey, M., Feminist Jurisprudence Taking Women Seriously. Cases and Materials,1994, P.20.
* (14) 1970年のハーニッシュ論文により定着したスローガン。近代的公私二元論に対する根本的批判を含んでいた。Hanisch,C., The Perspnal in Political, in:ibid.,Notes from the Second Year,1970.
* (15) 1960年代末にファイアストーンが創設したコンシャスネス・レイジング・グループにはじまるもので、ラディカル・フェミニズム分析の核心をなすにいたった方法をさす。シュラミス・ファイアストーン(林弘子訳)『性の弁証法-女性解放革命の場合』(評論社、1972年)。
* (16) ケイト・ミレット(藤枝澪子他訳)『性の政治学』(ドメス出版、1985年)。
* (17) 「万人が保障されるべき性と生殖に関する健康と権利」をさす。1994年のカイロ行動計画(国連の国際人口・開発会議にて採択)に取り入れられた。
* (18) 「フェミニスト・セラピー」ともいう。男性を中心とした心理発達モデルや治療法を批判し、女性の心理的破綻をフェミニズムの視点で理解・治療しようとする実践活動をさす。1969年にアメリカ心理学会(APA)外部でAPAメンバーのフェミニストが女性のための心理学会(AWP)を設立したのに端を発する。AWPメンバーは、1970年ころからフェミニスト・カウンセリングの実践を開始し、「アサーティブ・トレーニング」という自己主張をすることに主眼がおかれた。
* (19) I.イリイチ(玉野井芳郎訳)『ジェンダー-女と男の世界』(岩波書店、1984年)。
* (20) イリイチ『ジェンダー』140ページ。
* (21) タトル『新版フェミニズム事典』140ページ以下。ジェンダーとセックスの概念的区別を最初に行った研究者の一人として著名なのは、アン・オークレーである。江原由美子『フェミニズムのパラドックス』(2000年)、38ページ。
* (22) 1970年代半ばにマネーとタッカーによる性診療外来の治療から自然的性差の「連続性」が確認され、①「セックス」と「ジェンダー」には「ズレ」があること、②人間にとって決定的な性別は「セックス」ではなく「ジェンダー」であることが明らかにされた。J.マネー、P.タッカー(朝川新一訳)『性の署名』(人文書院、1979年)、上野千鶴子「差異の政治学」(岩波講座『現代社会学11:ジェンダーの社会学』岩波書店、1995年)、4ページ以下。
* (23) 江原、金井編『フェミニズムの名著50』(平凡社、2002年)、394ページ。
* (24) J.バトラー(竹村和子訳)『ジェンダー・トラブル-フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(青土社、1999年)、27-29ページ。
* (25) 土場学『ポスト・ジェンダーの社会理論』(青弓社、1999年)、47ページ以下、および、『岩波女性学事典』、296ページ参照。
* (26) たとえば、『実践するセクシュアリティ』(動くゲイとレズビアンの会、1998年)、『クィア・スタディーズ'97』(七つ森書館、1997年)、伊藤公雄『男性学入門』(作品社、1996年)、同『<男らしさ>のゆくえ-男性文化の文化社会学』(新曜社、1993年)。また、井上輝子他編『日本のフェミニズム別冊、男性学』(岩波書店、1995年)をも参照。
* (27) 若尾典子氏の一連の研究を参照。
* (28) 斉藤光『セクシュアリティの社会学』(1996年)、227ページ。他に、田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ』(岩波書店)、岩波講座『現代社会学10、セクシュアリティの社会学』(1996年)を参照。
* (29) 斉藤『セクシュアリティ』226ページ以下。斉藤によれば、日本語では、前近代まで「性」は「人の生まれつき」「ものの自然の成り立ち」「心」を意味し、近代以降の意味における「性」は「淫」や「色」と表現された。「性」が現在の意味を獲得するのは、「sex=『性』という訳語のトンネル」[斉藤、同上、232ページ]を通じてであり、ほぼ明治30年代以降のことである。斉藤光「overview セクシュアリティ研究の現状と課題」(岩波講座『現代社会学10』)228ページ以下参照。
* (30) 『岩波女性学事典』293ページ。