毎年3月8日は国際女性デー

(執筆:三成美保2014.03.08)

●国際女性デー(International Women’s Day)は、女性の人権保障を記念する日として、1975年に国連によって設定された。毎年、3月8日である。

●【史料】2014年3月7日「国際女性の日」に寄せて―国連開発計画(UNDP)総裁ヘレン・クラークのスピーチ(抜粋) 

「今年の「国際女性の日」は「女性の平等は万人の前進」というシンプルな事実をテーマにしています。女性が完全な平等を享受しない状態で、潜在力を十分に発揮できる国はありません。ミレニアム開発目標(MDGs)の達成期限である2015年が迫り、次なる地球規模の開発アジェンダに関する議論が本格化する中で、とりわけジェンダーの不平等解消や女性と女児のエンパワーメントを通じ、公平な開発を達成しようという機運が高まっています。(中略)ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントの全側面に、私たちの時間と資源を費やすことを誓約しましょう。これは、すべての女性と男性の権利を実現し、より包摂的で持続可能、かつ強靭な世界をつくる唯一の手段です。」(出典:国連開発計画駐日代表事務所HP http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home.html
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起源

●国際女性デーのそもそもの起源は、1904年3月8日である。この日、ニューヨークで女性労働者が参政権を求める運動を起こした。

●これを受けて1910年、コペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議において、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱した。ツェトキンは、スパルタクス団のローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトらと一時行動を共にしたことでよく知られる。

その後の影響

●ロシア:二月革命

1917年3月8日にロシアでおこった二月革命は、国際女性デーにちなむ最大の事件と言われる。国際女性デーにあたる3月8日(当時ロシアで使われていたユリウス歴では2月23日)、首都ペテログラードで女性労働者がデモを起こした。このデモは、男性労働者や兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には革命となって、ロシア帝政が崩壊したのである。

ソ連の女性と家族

●日本:赤瀾会の集会

1923年3月8日、社会主義のフェミニスト団体赤瀾会(せきらんかい)が初の集会を開催した。これは、日本ではじめて国際女性デーにちなんだ催しであった。集会そのものは警察に解散命令を受けたため、赤瀾会は自然消滅する。しかし、社会主義婦人運動は、この日を期して結成された山川菊栄らの八日会に引き継がれた。

参考文献

  • 伊藤セツ著『クララ・ツェトキンの婦人解放論』有斐閣、1984年
  • 伊藤セツ著『国際女性デーは大河のように』御茶の水書房、2003年
  • 川口和子、小山伊基子、伊藤セツ著『国際婦人デーの歴史』校倉書房、1980年