母性愛と科学  

掲載:2016-08-03 執筆:小川 眞里子

1.はじめに

世を挙げて少子化対策ということで、出生率が話題にされ、女性には子どもを持つよう期待がかかる。とくに近年話題にされる妊娠適齢期という押し付けは大いに問題である。まるで子どもさえ持てば、あとは本能とも言うべき母性愛によって子どもは育つがごとく安易に考えられている。経済的基盤を形成する確かな将来的見通しもないままに、女性に出産を急がせるのはまったく現実的ではない。果たして母性愛は本能か。ここでは母性について、歴史を振り返り考えてみたい。

母性愛の簡単な定義は『広辞苑』によれば、子に対して母親がもつ先天的・本能的な愛情という。したがって母性愛と母性本能はほぼ同義として扱うことが出来るし、そもそも母性と称するだけにしても、愛と無縁の母性というのも考えにくいので、母性も母性本能もともに母性愛として論じることが出来そうである。実際ダーウィンの進化論関係の著作を見ても、動物の場合に母性愛と言えば擬人化していることになり、おおむね母性本能という言葉で論じられる。人間の女性の場合に、母性本能とか母性愛とか言うことが出来そうである。多くの観察事例を集めたダーウィンの興味深い論考は、第4節で論じることとする。

その前に、西洋の子育ての様子を簡単に探り、続いて、子育てをする動物に付けられた奇妙な分類名に関するエピソードを紹介したい。子どもの世話をする動物は哺乳類以外にも見られるが、身体に育児のための特別な身体的機能(乳腺)をもつ動物は他になく、それは雌では性的成熟につれて発達し、分娩後に乳汁を分泌する。日本語の哺乳綱に相当する正式なラテン語分類名は、乳房mama (複数形mamae)に由来する Mammaliaであって、乳腺を意味するのではない。乳腺は哺乳動物すべてに共通であるが雄では痕跡的で、乳房については一般に哺乳動物でも雄には発達しないし、カモノハシやハリモグラのように下等な哺乳綱(単孔類)では雌にも乳房や乳首の発達は見られない。それらの赤ん坊は母親の胸にある乳腺開口部から分泌される乳汁を舐めて育つ。構成員の過半数が乳房をもたないのに、かくも奇妙な分類名が定着した背景には、母性愛にかかわるどんな力が働いたのだろうか。その経緯について、第3節で説明することにしたい。

母性という神話子どもの養育に有益な母乳が出るからといって、その事実をもって女性には母性本能があり、母性愛があると結論付けることが出来るだろうか。この点を徹底的に解明しようとしたのが、バダンテールの『母性という神話』である。本稿では母性愛を生物学的観点からも歴史的にたどって、最後にそれが神話に過ぎないことを述べる。それでいて母性愛に限定することなく、祖父母や父親からの愛も一杯に受けて子どもは育ってほしい。男女が性役割分担に陥ることなく子どもが育っていく社会こそ望ましい。

2.西洋近世の子育て事情

ここで見ておきたいのは、西洋近世における子どもの扱いである。その原点とも言える研究書は、1960年に刊行されたフィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』(アンシャンレジーム期の子供と家族生活)である。一般的に子どもが母親の愛情の対象となるのはずっと後になってのことで、7から8歳までの子どもは動物と変わりない扱いを受けていたという。これを受けて、当時かなり大きな社会的評判を得たエドワード・ショーターの『近代家族の形成』の第5章「母親と子ども」も、「母親が幼児の養育に心を砕くようになったのは、近代になってからのことである。伝統社会では、母親は、2歳以下の幼児の成長や幸福には無関心であった。」という文章から始まる。ショーターのこの著作は1970年代のものであるが、その後1983年にポロクによって『忘れられた子どもたち:1500-1900年の親子関係』が出版され、その第1章「過去の子どもたち ―子どもの歴史に関する文献」でアリエスに始まる20年間ほどの歴史研究がレヴューされている。比較的主流とされたのは、「子ども期は今日の核家族とともに、比較的最近になって社会が作り出したものである」という認識である。もちろんポロクは19世紀以降の子ども観の変化についても詳しく扱っているが、差し当たり必要なのは18世紀半ばまでである。この基本的認識から起こった変化の要因について次節では探ろうとしているのである。

子どもがどのように捉えられていたかについては上述の如くであるが、それでは子を産んだ母親は子どもをどのように扱っていたのだろうか。上述の記載では、子どもに焦点が定められていて、母親の子どもに対する態度、すなわち母性愛について端的に語られているわけではない。そこでここからは、少し母性愛の方から考察をしてみたい。子育てと言えばもっと明確に母子で登場するかのように思うが、たとえば二宮宏之「七千人の捨児 ―十八世紀パリ考現学」でも、捨児が嫡出子か私生児かということが重大な問題として取り上げられていたり、捨児の父親の職業ひいては経済状況などが問題にされたりしているが、意外に母親の姿が見えにくい。もちろん産婆のところからの運び屋などの話しからすると、出産間もなく捨児養育院に送り込むとなると、当然母親が見捨てている訳であるが、あまり明確には語られていない。

それにしても、毎年パリで洗礼を受ける新生児が2万人という状況で、そのうちの7千人の捨児というのも恐ろしい数字である。しかし、先に述べたように子どもを捨てるという事実だけでは母子関係は今一つ明確でないので、当時の赤ん坊の扱われ方にもう少し踏み込んでみよう。自分で授乳しないこと、スワドリングという巻きオムツ、長時間におよぶ子どもの放置、子どもの死に対する無関心といったことが挙げられよう。先に捨児を話題にしたが、もう少し親の側にゆとりがあれば、子どもを里子に出すことが一般的であった。バダンテールによれば、里子の習慣が都会のすべての階級に浸透するのは18世紀になってからで、貧しい者から裕福な者まで、大都市であろうと小さな町だろうと、子どもが田舎に送られるのは一般的な現象であったということだ[1]。そして子どもを預かる田舎の乳母は貧しく栄養は悪く十分な乳も出ないとなると、自分の子はもっと安い値段で他の乳母に預けて、里子料金の差額を稼いでいたようだ。

鳥光美緒子は『母性神話の成立―ヨーロッパ世界の母子関係の歴史から』のなかでスワドリングについて述べ、「スワドリングは全身巻き付けるのに時間もかかり、一度巻いてしまうと何週間 [何時間?]もそのまま[2]。当然、衛生状態はよくない。時にはぐるぐる巻きにしたまま子どもを釘につりさげて働きに出たりということもあったらしい。」と述べている[3]。確かに釘につりさげておくことはあっただろうし、それでも泣き止まなければジンやウイスキーを少量の飲ませることもあっただろう。阿片でさえ用いられることもあり、スワドリングもつけたままのことはあったようだ[4]。以上のように育児環境は今日の常識からは考えられないような劣悪な物であった。これに類する記録に満ち満ちていれば、そのように断定して当然に思われるかもしれないが、ただし誰がそうした記録を残しているかに注意すべき点もある。これらの事だけから昔の母親は子どもを愛していなかった断定してしまうにはやや問題も残る。愛の観念が必ずしも現代と同じでなければ、母性愛の欠如と単純には言い切れないだろう[5]

鳥光は、啓蒙家たちが母乳を勧め、スワドリングを非難するのは、必ずしも人道的な観点からではなく、ひたすら乳児死亡率の観点からだったのだという。

当時、捨て子養育院などの施設は公的費用で維持されていた。このため、それらの施設での高乳幼児死亡率は、国家にとっていわば、費用の無駄である。母乳政策を推進して、できるだけ捨て子数を減らすことが望ましい。

鳥光は捨て子養育院の乳児死亡率を経済的問題に帰着させているが、もっと全般的に乳児死亡率を下げるために、すべての母親に向けて母乳保育を奨励する運動が展開されることになったのである。その点を、次の第3節で見ることにしよう。

3.ママリアという分類名の誕生

前節では17世紀、18世紀の母子関係を概観したが、本節では少し具体的な文言を追っておきたい。ルソーは『エミール』(1762年)の第1編で当時の子育ての有様について色々と意見を並べているので、まずはそれから眺めておこう。引用の最後は邦訳の頁を示している。そうした彼自身が自分の子を捨て子にしていた事実は良く知られているが、それは置くとして[6]、ルソーが冒頭で力説しているのは、諸悪の根源は女性が自分で子育てしないことである。

母たちがその第一の義務を無視して、自分の子を養育することを好まなくなってから、子供は金でやとった女に預けなければならなくなった。(35頁)

子どもに乳をやることをやめてしまったばかりでなく、女性は子どもを作ろうともしなくなった。それは当然の結果だ。母親の仕事がやっかいになると、やがて完全にそれをまぬがれる手段をみつけだす。・・・こういう習慣は、そのほかにもある人口減少の原因ともあいまって、来るべきヨーロッパの運命を予告している。・・・ヨーロッパは野獣の住むところになるだろう。(37頁)

女性の義務は疑うことができない。ところが人々は、女性がその義務を無視しているのに同調して、子どもを自分の乳で育てようと、他人の乳で育てようと、同じことではないかというようなことで議論をたたかわしている。この問題は医者がその審判者になるべきだが、・・・・(38頁)

ところが、母親がすすんで子どもを自分で育てることになれば、風儀はひとりでに改まり、自然の感情がすべての人の心によみがえってくる。国は人口がふえてくる。・・・・家事は妻のなによりも大切な仕事になり、夫のなによりも快い楽しみになる。(40頁)

前節で述べたように、18世紀のヨーロッパ社会はきわめて高い乳児死亡率を特色としていた。18世紀半ばパリやロンドンといった都会では、乳母制度全盛期に当たり、ルソーやキャドガンといった識者は、高い乳児死亡率を下げるにいかにして女性たちに自身の子供の世話をさせるべきかを模索し嘆いていた。産業革命が進行し、人手が重要になり、また植民地でも多くの人材を必要とした。厄介者だった子どもは必要な人手を満たす貴重な存在となり、捨て子も一定程度の年齢になれば植民地や軍隊へ送り込むべき有意な人材となり得たのである。

スウェーデンのカール・リンネは博物学者として大変に有名であるが、実は開業医でもあって、かねてより乳母制度には反対しており、自分の妻にも7人の子どものすべてを手元で妻の授乳によって育てさせた。彼は、1752年に乳母制度の弊害を説く論文を執筆し、自分の子供から母乳を奪う女性の蛮行と、喜んで自分の子どもに乳を与える大きな獣の優しい世話とを比較対照することによって、次に述べる分類項目名を暗示していた[7]。また初乳の価値に気づいている医師もいて、出産後まもなく、我が子を田舎に里子に出してしまう慣習に疑問を呈していた。

ちょうどその18世紀半ば、博物学者の間では、西洋で2000年の長きにわたって使用されてきたアリストテレスの分類名である四足動物(Quadrupedia )が問題にされていた。動物を足の数によって分類しようとすると、4本足というのはわかり易そうであるが、4本足をもつ動物はトカゲやワニのように卵を産むもの、あるいはカエルのように水の中でオタマジャクシとして成長したりして、一般の我々に親しい犬や猫とはかなり様子が違うものも含まれることになる。さらに犬や猫と同じように母親の乳を飲んで育つコウモリやクジラはどうなのであろうかといった疑問も生じる。そこで、四足動物に代わる分類名が色々と模索され、今日において哺乳綱という動物分類項目を等しく遺漏なく括ることのできる分類名がいくつか提案がされた。たとえば胎生動物 Viviparaとか被毛動物 Pilosaである[8]。そのような候補の1つとして、スウェーデンの博物学者カール・リンネは、ママリア(Mammalia)という動物分類の綱名を提案した。ママリアはこれを直訳すると乳房を持つ動物ということで、乳房動物あるいはおっぱい動物ということになる。彼はこの分類名を自身の『自然の体系』第10版(1758年)に四足動物に代わって登場させた。

その一方で、リンネは人間をもこの動物分類名のもとに置いたのである。当時はまだ人間は神の理性を分かち与えられた特別な被造物と考えられおり、一般の動物分類の中に位置づけるなどということはあるまじきことであった。しかし、これが人間の女性も、雌トラや雌ライオンのように自分の子どもは自分の乳で育てるべきであるというメッセージに繋がり、私たちもママリアの一員という自覚を促すことになったのである。このようにして、動物の母親の子育てから、女性の母性愛を正当化することになったのである。ママリアという分類名は、18世紀の女性も自分の子どもは自分で育てるべきという強力なメッセージと共に18世紀の社会が選び取った分類名として誕生したのである。

4.ダーウィン進化論と母性愛

前節では、母親が子を慈しみ母乳を与えるのは、まさしく彼女の身体すなわち大きな骨盤と豊かな乳房という身体に由来するものであることを見た。そうした女性の身体は、まさしく神の被造物であって、身体の要請というのは、まさしく神の命じるところと一致して考えられるのであり、それゆえ絶対的な説得力をもったに違いない。身体の見事な合目的的性は、自然神学を説くウィリアム・ペイリーがもっとも強調する点で、それこそが神の御業を確信することのできる、動かぬ証拠である。

時代が19世紀後半になり、神による説明から、神を棚上げし自然な説明へと移行し変化するとき、母性愛はどのような説明のされ方をしたのであろうか。次にダーウィンの著作を中心に、進化論と母性愛ということで検討してみたい[9]

ダーウィンは1859年出版の『種の起源』第7章で本能を扱っているが、とくに母性本能を扱っているわけではない。しかし、1871年になって人間の進化を扱った『人間の進化と性淘汰』(The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex)を発表すると、主として第2章と第3章で「人間と下等動物の心的能力の比較について」を論じる中で母性本能について論じており、母性本能には少し検討すべき点がありそうである[10]。本論最初に断ったように、母性本能は母性愛とほぼ同等に扱うものとする。というのもダーウィンは、母親の愛情についても少しは論じているが、それよりずっと多く母性本能(maternal instinct)について論じているからである。また母性愛という言葉から「愛」という文字を取り去って母性としても、「母性に目覚める」とか「母性を発揮」というのは、ほぼ母性本能や母性愛と同義である。ただしダーウィンは母性に相当するmotherhood という言葉は使いっていない。この点については『人間の由来』のコンコーダンスを見てみて確認することができる[11]。ちなみに母性愛に相当する表現は、the love of the mother という形で1度だけ登場する。前置きはこのくらいにして、それでは具体的に見てみよう。

ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』の第2章では、本能といってもいくつかに区分でき、そのうちのいくつかを人間も共有していることを述べている。

人間も下等動物と同じ感覚を持っているので、その基本的な直観は同じであるに違いない。また人間も自己の保存、性愛、母親の新生児に対する愛情、新生児が乳を吸う能力など、いくつかの本能を下等動物と共有している[12]

それに続けて彼は、われわれが本能と思っているものが、実は学習の効果であるとも考えられることを指摘している。例えとして類人猿が毒のある植物を食べないのは、「自分自身や親の経験から、どんな果実を食べるべきかを学習しているのではないとは言いきれないだろう」と述べている。ダーウィンの本能と学習に関する洞察は、けっこう重要である。母性愛も近年の多くで学習の効果は強調されるからである。

そのように論を進めて、ダーウィンは動物が複雑な精神的営みをもつこと、勇気を振り絞るとか、手の込んだ復讐をするとか、人間精神だけが孤立して存在するのではなく、下等な動物にもそれらの萌芽的行動が見られることを述べている。そしてウィリアム・ヒューウェルの『ブリッジウォーター論集』から次の文言を引用し、動物であれ人間であれ母親が子供に示す愛情の行動原理が等しいものであると論じている。

どこの国の女性にもしばしば見られる感動的な母親の愛情の話、および動物の雌での同様な話を読んで、どちらの場合でも行動の原理は同じだということに異議をとなえるものはいないだろう。

これについてダーウィンは、サルが自分の赤ん坊にたかるハエを追い払ったり、自分の子の顔を洗ってやったりする観察事例を紹介している。

しかし、第3章になると、まず先に動物の母性本能が語られ、そこでは2つの本能の比較がされているのが興味深い。ダーウィンはイワツバメで渡りの本能は母性本能に打ち勝つという。渡りの本能はあまりに強いので、イワツバメは、秋になると育ちが遅くてまだ養育の必要がある幼鳥を巣に残したまま渡りに出てしまうことがあるという観察を報告している。母性本能はきわめて強いものであるが、自己保存の本能が母性本能を凌駕していることがあるという[13]。これも人間の母性愛を考える上で示唆的である。

もちろん命の危険にさらされているわが子を救うために、自分の命を顧みることなく行動に出る話は、母親に限らないし、対象もわが子に限定されるわけではなく、他人の場合も成人の場合もあろう。しかし、その様な咄嗟の事例でないならば、母親が自ら生き延びるために子を捨てることは十分ありうることとしてわれわれは良く知っている。

5.母性愛という神話のこれから

これまで見てきたように、母性愛というのは如何なる状況にも左右されることのない女性に本来的に備わった本能といった類のものでないことは明らかであろう。バダンテールの『母性という神話』に寄せた荻野美穂の解説は、以下のように記されている。

いわゆる「母性愛」は本能などではなく、母親と子どもの日常的なふれあいの中で育まれる愛情である。それを「本能」とするのは、父権社会のイデオロギーであり、近代が作り出した幻想である。

筆者も概ねこうした理解に賛同するものであるが、20世紀末から人間のさまざまな行動について、さらに科学的なアプローチもなされようとしている。本論「母性愛と科学」としているので、最近の研究を踏まえた科学的知見についてもう少し紹介しておこう。

たとえ本能でなくても、人間の母性愛という行動には遺伝子からのアプローチと、ホルモンからのアプローチが考えられる。遺伝子からのアプローチとしては、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』がもっとも機械論的な説明であろう[14]。母親の献身的な子育ても、遺伝子レベルで見れば自己の遺伝子の50%を受け継ぐ子どもを育てることは、利他的に見える行動も実は自己遺伝子の生き残りをかけたきわめて利己的な行動ということになる。しかし、そうであるなら父親も自己の遺伝子の50%を提供しているのであるから、もっと子育てに関心を向けるべきということになろう。それぞれの祖父母についても、4分の1ずつの遺伝子を継承する孫に祖父母愛はなくてはならないことになる。しかし、遺伝子は顕著に利己的とも思えない。もっと過激には、fosB遺伝子欠損マウスが子育てしないといった情報は、まだメカニズムが十分解明されているわけではないが、子育て行動に何か遺伝的関係もありそうであるが、積極的な子育てや愛情という形には結びつかない。

ダーウィンが示したような自己保存本能の対極ともみられる親の利他的な行動として、親の子に対する投資として知られる行動もある。天敵が卵や雛のいる巣に近づいたとき、天敵を巣から遠ざけるために囮となって子を守る動物の行動が知られている。さらには、カバキコマヂグモのように、卵から孵った子グモに自分の体を生きたまま食わせてしまう例もあって、広く動物界を見ると、ややドーキンスの生き残りをかけた利己的遺伝子の戦略も無視はできない気がするのである。

さて次に、母性愛の物質的なベースとしてあげられるホルモンを見ておこう。出産育児に重要な働きをするホルモンとして注目されているのは、オキシトシンである。しかもオキシトシンは女性専用のホルモンではなく、男性の脳でも作られ、他者への信頼感や愛着とオキシトシンとの関係について研究が進められているところである。『母性と社会性の起源』で「育てる・育てられる ―母仔間コミュニケーションによる生物学的絆形成―」の著者 菊水は、オキシトシンの働きについて、その活性が養育行動と正のフィードバック関係にあると述べている。荻野が「母親と子どもの日常的なふれあいの中で育まれる愛情」と述べている通り、「生みの親より育ての親」と言い習わされてきたこととも一致するのである。菊水は養育行動と愛着行動を超えて、子が成長後にさらに世代を超えて正のフィードバックを体現することを見ている。

エーリッヒ・フロムが「母親の愛は無条件であり、どこまでも子を守り、包み込もうとする。母親の愛は無条件なので、制御できるものでも獲得できるものでもない。・・・それらはすべて母なる地球の子どもなのだから」と書き記したのは1956年のこと[15]。バダンテールはこうした母性愛の見方を1980年に書き換えた。遺伝子やホルモンの情報が加わってきても、根本的なところで歴史が示す真実には変わりはないであろう。

参考文献

NHKスペシャル「生命大躍進」制作班 『NHKスペシャル 生命大躍進』 NHK出版 2015年。

アン・オークレー『主婦の誕生』岡島茅花訳 三省堂 1986年。

菊水健史「育てる・育てられる」関一夫編『母性と社会性の起源』(岩波講座 コミュニケーションの認知科学 3) 岩波書店 2014年。

ロンダ・シービンガー『女性を弄ぶ博物学』小川眞里子・財部香枝訳 工作舎 2008年。

エドワード・ショーター『近代家族の形成』田中俊宏ほか訳 昭和堂 1987年。

チャールズ・ダーウィン『人間の進化と性淘汰Ⅰ』長谷川真理子訳 文一総合出版 1999年。

リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(増補新装版)日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳 紀伊國屋書店 2006年。

二宮宏之「七千人の捨て児」二宮宏之『全体を見る眼と歴史家たち』木鐸社 1986年

鳥光美緒子『母性愛神話の成立』広島県女性会議 1992年。

サラ・ブラファー・ハーディ『マザー・ネイチャー ―「母親」はいかにヒトを進化させたか―』上 早川書房 2005年。

エリザベート・バダンテール『母性という神話』鈴木晶訳 ちくま学芸文庫 1998年。解説:荻野美穂

平井信義編『母性愛の研究』東京 同文書院 1976年。

リンダ・A・ポロク『忘れられた子どもたち ―1500-1900の親子関係―』中地克子訳 勁草書房 1988年。

本城靖久『十八世紀パリの明暗』新潮選書 1985年。

ルソー『エミール』今野一雄訳 岩波文庫 1962年。

図1. パリの里子斡旋施設

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Valerie A. Fildes, Breasts, Bottles and Babies: A History of Infant Feeding, Edinburgh Univ. Press, 1986, p. 153.

図2.ロンドンから里子を引き受けていた近隣教会区

2 お

Valerie A. Fildes, Breasts, Bottles and Babies: A History of Infant Feeding, Edinburgh Univ. Press, 1986, p. 154. 一番外側の円の向こう側にほぼケンブリッジ(向かって右)やオクスフォード(向かって左)が位置する。今日ですら、ケンブリッジとロンドン間は約1時間を要し、18世紀当時においては、親が訪ねていくような距離ではない。

[1] バダンテール『母性愛の神話』鈴木晶訳 ちくま学芸文庫 1998年 84頁。

[2] スワドリングを外さないで何週間もそのままというのは少々信じがたい。何時間もの誤植か。丸一日おむつを交換することもなくということはあったようで、乳も十分に飲ませてもらっていないということなのだろう。

[3] 鳥光美緒子『母性愛神話の成立』広島県女性会議 1992年。

[4] 本城靖久『十八世紀パリの明暗』187頁の記載は以下の通り。グルグル巻きにされているため、呼吸は困難だし、血液の循環は阻害される。しかも巻くのは結構手間がかかるため、一度巻くとそのまま一日中ほったらかす不心得な乳母も少なくないわけで、そうした赤ん坊は糞尿まみれで、身動きもならず、一日中泣きわめいているというありさま。

[5] 鳥光美緒子 前掲書 8頁。

[6] 下宿屋の娘テレーズとの間に生まれた子どもを、渋るテレーズを説得して捨児養育院に送り込んだ。ルソーの『告白』によれば、それから1755年の第5子に至るまで彼はすべて養育院に送り込んだ。二宮「七千人の捨児」参照。

[7] リンネのMammaliaという動物分類名誕生の顛末は、ロンダ・シービンガー『女性を弄ぶ博物学』第2章「哺乳類はなぜ哺乳類と名付けられたか」を参照。

[8] 胎生動物や被毛動物という分類名も提案されたが、大きな支持はえられなかった。ちなみに日本語の「けもの(獣)」は「毛物」であり、哺乳動物の特色を上手く言い当てている。

[9] リンネが1707-1778年に対し、ダーウィンは1809-1882年で、ちょうど一世紀の隔たりがある。平井の『母性愛の研究』第1章「2. 母性行動」では、動物の行動については「母性愛にもとづく行動」とは言わずに、たんに「母性行動」と呼んで区別し、母性という言葉もかなり中立な用法を示している。平井によれば、動物の母性行動を人間のそれと同じに見てはならないのであり、動物の母性とのアナロジーで人間の母性が言われていたことは終止符を打つべきであるとしている。十分に理解できる事柄であり、筆者もその点の留保は十分心してかかるべきと考えている。

[10] ダーウィン『人間の進化と性淘汰Ⅰ』翻訳は2巻本。参照したのは第Ⅰ巻である。

[11] Paul H. Barrett, Donald J. Weinshank, Paul Ruhlen, and Stephan J. Ozminski, eds., A Concordance to Darwin’s The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex, Ithaca and London: Cornell Univ. Press, 1987.

[12] 『人間の進化と性淘汰Ⅰ』41頁。

[13] ダーウィンはそれに続けて、以下の様に述べている。母鳥が長い旅の終わりに達し、渡りの本能が消えたときには、どんな強い後悔の苦悩が彼女らを襲うことだろうか? もしも彼女らが高い知的能力を備えていたならば、寂しい北の地で、自分のひなたちが寒さと飢えで死んでいく光景が、繰り返し心をよぎるのを防ぐことは出来ないだろう。

[14] ドーキンス『利己的な遺伝子』とくに「第7章 家族計画」参照。

[15] このフロムの言葉を第7章の題辞に引いているハーディーは、第7章の最後で、「女性が自分の赤ん坊を本能的に愛するというのは事実ではない。・・・どんな哺乳類においても母親の関与は少しずつ表出してくるものであり、つねに外部の刺激に影響を受けているのである。・・・子育てそのものが、育てられることを必要としているのである。」と述べている。これは菊水の「育てる・育てられる」とも一致するものである。