フランス人権宣言と「女権宣言」ーフランス革命

*【年表】市民の世紀(1776~1850)

●フランス革命と女性(年表)

1748.6/7  オランプ・ドゥ・グージュ誕生。

1755.11/2  マリー・アントワネット誕生(第15子)

1756.5月 アントワネット(1歳)のフランス輿入れが決まる。

1770.5/16  マリー・アントワネット(15歳)と王太子ルイ・オーギュストとの結婚式

1774.5/10  ルイ15世死去。ルイ16世の即位。マリー・アントワネット(19歳)が王妃になる。

1785.8/15  首飾り事件

1789.5/5    全国三部会の開催

1789.6/2    アントワネットの長男ルイ・ジョセフが死去。

1789.7/14  バスティーユ要塞を民衆が襲撃。フランス革命勃発。

1789.8/26 フランス人権宣言採択(⇒*【史料】フランス人権宣言(1789年)全文

1789.10/5~10/6  女性たちがヴェルサイユ宮殿に行進

1790 コンドルセ『女性公民権の容認について』刊行。女性参政権を認めようとしたが失敗。

1791.6/21 国王夫妻のヴァレンヌ逃亡事件

1791 オランプ・ドゥ・グージュ『女権宣言』発表(⇒*【史料】オランプ・ドゥ・グージュ:女権宣言(1791年)全文

1793.1/15  ルイ16世処刑。

1793.5/10  革命共和主義女性協会(en.wik)の設立。まもなく、女性の政治結社の禁止。

1793 9/3~10/16  マリー・アントワネット裁判・処刑

1793.9/3~9/4  マリー・アントワネット裁判(第1回予審尋問)

1793.10/6~10/7  マリー・アントワネット裁判(第2回予審尋問)

1793.10/12   マリー・アントワネット裁判(第3回予審尋問)

1793.10/14   マリー・アントワネット裁判(公開裁判)

1793.10/16   マリー・アントワネット死刑判決。革命広場でギロチン処刑。

1793.11/3   オランプ・ドゥ・グージュの処刑

1795 家庭復帰令

関連

【法制史】フランス革命(1789年)とコード・シヴィル(1804年)(三成美保)

→『読み替える(世界史)』10-3(三成美保)

⇒「フランス革命期の女性」(英語)http://en.wikipedia.org/wiki/Women_in_the_French_Revolution

*【特集12】権利宣言と女性の権利(富永智津子)

参考文献

オランプ・ドゥ・グージュ―フランス革命と女性の権利宣言●オリヴィエ・ブラン『女の人権宣言―フランス革命とオランプ・ドゥ・グージュの生涯』辻村みよ子訳 岩波書店 、1995年
●西川祐子「女権宣言(1791年)と人権宣言(1789年) : パロディの力」中部大学国際関係学部紀要 5, 95-114, 1989-03-01(→PDFはこちら)
●高瀬智子「オランプ・ド・グージュの『黒人奴隷制度』について」→PDFはこちら

●「フランス革命(ポータル:fr.wik)http://fr.wikipedia.org/wiki/Portail:R%C3%A9volution_fran%C3%A7aise