目次
13-12.「新しい女」・モダンガールと消費文化
19世紀の女性ファッションについては→*【図像】コルセット
●『読み替える(世界史編)』から(13-12)
◆「新しい女」イメージの登場(姫岡とし子)
「「新しい女」は、家庭を守り、男性に依存して生きるという当時の女性像に対抗し、自己の人生を自らの手で切り開く女性たちであり、日本では平塚らいてうら青鞜社に集まる女性たち、イギリスやアメリカの女性運動家たちが、こう呼ばれた。1920年代にドイツのベルリンに登場した「新しい女」は、自立心旺盛で男性に依存しない生活を送っているが、フェミニストではない。彼女たちは若い独身のホワイトカラーで、第一次世界大戦以前と較べて大幅にふえた事務員やタイピスト、デパートの店員などとして働いていた❶。断髪、真っ赤な口紅、ミニスカートという挑発的なファッションで颯爽と街を闊歩し、仕事をこなして経済力をもち、ダンスホールや映画館を謳歌し、スポーツで身体を鍛え、自分ののぞむ相手と恋をし、喫煙までする彼女たちは、あたらしい時代のモダニティと、あらたに獲得した女性の自由と自立を象徴する存在だった。」(以下「イメージとしての「新しい女」とその実態」は略)」
◆東アジアの「新しい女」とモダン・ガール(小浜正子)
「1910~20年代の中国、台湾、朝鮮では、近代的な学校教育を受けた女性が「新婦女」「新女性」と呼ばれた。教育を受ける機会のない多くの女性とも儒教的教養を備えた「才女」とも違う「新女性」たちは、男性に伍して社会で働いたり近代的な教養や衛生知識を身につけた良妻賢母となったりすることが期待された。やや遅れて日本で「モガ(モダン・ガール)」、上海で「(「)摩登女郎(モダン・ガール)」の語が流行する。化粧石けんやマニュキアの広告に登場するモダン・ガールの像に引きつけられた女性によってアジアの都市でも消費社会が拡大し、同時に広告の中の女性の身体は性的対象として見られる存在となっていった。」(以下「新式チーパオのイメージ」は略)
○中国の「新しい女」についてはこちら⇒*【特集8】新女性と職業―経済的自立を目指して(中国女性の100年⑦)
○「新しい女」に関する参考文献はこちら→*【文献リスト】モダンガール・「新しい女」(1920年代)
●「新しい女」図像
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●参考文献