【年表】アフリカ史(1ー②)王国・都市の成立と発展

掲載:2016-05-05 執筆:富永智津子

アフリカ史年表―サハラ以南を中心に(テーマ別・地域別・国別)

*赤字は女性史関連事項

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【王国・都市の成立と発展】

<エジプト古王国>

紀元前3000年ころ~紀元前332(アレクサンドロスによる征服まで)

【女性】古代エジプトの女王と王妃たち(付:年表)
【女性】プトレマイオス朝エジプトと女王クレオパトラ(付:年表)
【女性】アルシノエ2世ー初期プトレマイオス朝エジプトの女王(森谷公俊)

<エチオピア諸王朝>アクスム王国、ザグウェ王朝、ソロモン王朝
  • 紀元前25世紀
    現在のジプチ、エチオピア、エリトリア、北部ソマリア、スーダン紅海沿岸にプント国の成立。プント国の王パラフと王妃アディの肖像が、ハトシェプスト葬祭殿の壁画に残っている。
  • 紀元前2000年ころ
    エリトリア内陸部のガシュ・バルカ地方に遊牧民文化栄える。
  • 紀元前10世紀~紀元5世紀
    エリトリアと北部エチオピア国境付近にダモト王国栄える。大規模寺院の遺跡あり。
  • 1世紀
    アムハラ人を母体とするアクスム王国、このころ歴史に登場。
  • 4世紀半ば
    アクスム王国最盛期。支配領域はアラビア半島にまで拡大。325年(328年とも)、エザナ王、キリスト教(エジプトに主座を置く東方教会系のコプト教・現在は独立して「エチオピア正教会」に改名)に帰依し、国教とするが、ユダヤ教徒も一定数住み着いていた。なお、王はソロモン王とシバの女王(→世界女性史年表)との間に生まれたとされるメネリク1世の血筋をひいているとして正統性を主張。ゲーズ文字を持ち、アフリカで初めて独自の硬貨を製造。首都はアクスム。
  • 365
    アクスム王国
    、クシュ王国を滅ぼし、アラビア半島にも侵入。
  • 5世紀~
    アクスム王国
    、インドと交易。
  • 6世紀ころ
    アクスム王国
    、アラビア半島から撤退。
  • 7世紀以降
    イスラーム教徒に紅海の交易ルートを支配され、アクスム王国の高原への進出はじまる。
  • 9世紀
    アクスム王国の衰退はじまる。アクスム王国が弱体化したあと、ティグレ人の国家「ミドゥリ・バリ」が勃興。
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アクスム王国の遺跡群

  • 1137年ころ
    ザグウェ王朝、アクスム王国に代わって台頭。最盛期はラリベラ王の時代(在位1180~1220)(拠点はラリベラ)。
  • 1270
    アクスム王の血統を受け継ぐと称するイクノ・アムラク(在位1270~1285)、ザグウェ王朝を滅ぼし、
    エチオピア帝国ソロモン王朝の初代皇帝に即位
  • 14世紀前半
    アムダ・セヨン(イクノ・アムラクの孫)の治世に、エチオピア帝国の版図拡大(この頃、ヨーロッパ人によって、エチオピアがプレスター・ジョンの国に擬せられる)
  • 16世紀
    イスラーム教徒の台頭により、長い戦乱期に突入。
  • 1531
    アハマド・グラン
    、ダヴォロ、ショアを征服(~1543年)。
  • 1557
    オスマン帝国の進出イエズス会宣教師の到来。
  • 17世紀半ば
    ファシダラス王のもとで、一時的に勢力回復
  • 17世紀末
    オロモの進出により、帝国の領土が3分の1に減少
  • 1730年ころ
    女帝Mentewwabの治世(~1769年)(→世界女性史年表
  • 1769~1855
    王国の分裂(<親王の時代>)
  • 1850年ころ
    メネリク2世の妻T’aitu Bitoul誕生(1918年没)(→世界女性史年表
  • 1855~1868
    テオドロス2世(本名カッサ:在位1855~68年)、エチオピア中央部を再統一(テオドロス朝)、中央集権化を進める。近代化政策にも取り組む。イギリスとの戦いで敗れ、自殺。

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  • 1889
    旧ショア王メネリク2世の即位(在位1889~1913年:近代ソロモン朝)。現在のエチオピアに近い勢力圏を確立し、イタリア、イギリス、フランスの勢力争いを巧みに利用して独立を守る。このころ、国名を「アビシニア」から「エチオピア」に変更。(にもかかわらず、ヨーロッパでは1940年代まで「アビシニア」という国名をしようしていた)

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  • 1896
    メネリク、第一次イタリア・エチオピア戦争アドワの戦い)でイタリアを破る。
  • 1916
    メネリク2世亡き後、イヤス5世の短い治世を経て、この年、メネリクの皇女ザウディトゥ(→世界女性史年表)、帝位に就く(在位1916~1930)。縁戚のラス・タファリ・マコンネン、摂政兼皇太子として実権を掌握。

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  • 1930
    ラス・タファリ即位し、ハイレ・セラシエ1世(1892~1975;在位1930~1974)を名乗る。近代化政策を推進、1931年に憲法を制定し、立憲君主国となる。

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  • 1935年
    イタリア軍、エチオピアに侵攻(第二次イタリア・エチオピア戦争。~1936)。
  • 1936
    ハイレ・セラシエ1世、イタリア王国によるエチオピア併合により、イギリスに亡命(1941年帰国)。以後、 イタリア国王による兼摂(同君連合)。イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世即位(1936~1941:サヴォイア朝)。ただし、帰国したハイレ・セラシエは「退位したのではなく、在位のまま亡命していた」として、エマヌエーレ3世の即位を否定。(→独立後のあゆみ)

 

<スーダン諸王国>クシュ王国、ノバティア王国、マクラ王国、アルワ王国、フンジ王国、ダルフール王国
  • 紀元前2600年ころ
    ナイル川上流にクシュ王国の前身であるケルマ王国興る
  • 9世紀ころ
    クシュ王国興る
  • 前750年ころ
    クシュ王カシュタ、ナパタを拠点としてエジプトを征服し、第25王朝(エチオピア王朝:前751~前656)を樹立。息子のピアンキ、北は地中海沿岸から南は現在のウガンダ国境までを支配。
  • 前7世紀前半
    クシュ王国、2度にわたりアッシリアの攻撃を受けて、ナパタに撤退。
  • 前571
    クシュ王国
    が首都をメロエに移す。鉄器の使用さかんになる
  • 前300~前100
    クシュ王国メロエ朝
    最盛期
    この頃、クシュ王国メロエ朝の最初の女王Shanakdakheto(紀元前150年頃没)現る(→世界女性史年表
  • 4世紀中葉
    クシュ王国、エチオピアのアクスム王国に滅ぼされる。クシュ王族の人びとは、スーダン中部のコルドファンや西部のダルフールに逃れた。
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クシュ王国の遺跡

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  • 6世紀
    アクスム王国によりクシュ王国が滅亡した後、キリスト教の伝道団が入る。ノバティア、マクラ、アルワの3つの王国がキリスト教を受容し、教会が各地で建立される。
  • 642年、652
    2度にわたりイスラーム軍がヌビアに侵攻、ノバティアを攻略、マクラとの間には和平条約が結ばれ、その後、約6世紀にわたり、マクラとエジプトとの間で交易が保たれた。
  • 13~14世紀
    エジプトのマムルーク朝による侵攻が続き、マクラ王国疲弊。アラブ人との混血が進む。
  • 1315
    マクラ王国にイスラーム教徒の王子が即位、在来のキリスト教文化は衰退し、イスラーム化が進行。アルワ王国も独立を保ちつつキリスト教文化を発展させていた。
  • 1504
    青ナイル川の上流、エチオピア高原との境を出身地とするナイル・サハラ語族のフンジ人、セナールに王国(フンジ王国)を築き、ヌビア最後のキリスト教国アルワを滅ぼす。
  • 17世紀中葉
    フンジ王国
    の最盛期
  • 18世紀中葉
    フンジ王国内の権力争いの中で、軍部クーデタにより王が失墜し、傀儡と化す。
  • 1821
    エジプト軍の侵入により、フンジ王国降伏。エジプトに吸収される。
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ムハンマド・アフマド

  • 16世紀末~17世紀
    現在のスーダン最西部にダルフール王国の前身「カイラ」という名称の王国成立。
  • 18世紀
    南方と西方に勢力を拡大。拡大の途中で多民族国家となる
  • 18~19世紀前半
    内陸部と地中海世界との交易によって最盛期を迎える
  • 1874年
    エジプトにより征服される
  • 1885年
    ムハンマド・アフマドを指導者とするマフディーの乱、この年、エジプト/イギリス連合軍のチャールス・ゴードンをハルツームで戦死させ、マフディー国家を樹立。ダルフールを支配下に組み入れる。
  • 1898年
    エジプト/イギリス軍、マフディー国家を制圧(オムドゥルマンの戦い)
  • 1899年
    マフディー支配の終焉

 

<東アフリカ・スワヒリ諸都市>
  •  紀元1世紀ごろ
    エジプト在住のギリシア人によって書かれた『エリュートゥラー海案内記』にギリシア人によってアザニアーと呼ばれていた東アフリカ沿岸部にラプタという港があり、インド洋交易の拠点であったとの記述が登場。残存している最古の文書。
  • 8世紀半ば~10世紀半ば
    インド洋を取り巻く海域での交易ルートの発展。担い手はアラブ系、イラン系商人や船乗りたち。この頃、東アフリカ沿岸部にイスラームがもたらされる。
  • 10世紀~
    沿岸部の集落が交易拠点として発展。ブラワ(ソマリア)、モガディシュ(ソマリア)、マリンディ(ケニア)、モンバサ(ケニア)、キルワ島(タンザニア)、ペンバ島(タンザニア)、ザンジバル島(タンザニア)といった諸都市の勃興。
  • 12世紀
    (タンザニア)
    キルワ、現在のモザンビーク北部の港町スファーラから積み出されるグレートジンバブウェ産の金の取引を独占。
  • 14世紀
    (タンザニア)
    モロッコ生まれのアラブ人旅行家イブン・バットゥータ、キルワ島を訪れ、「諸都市の中で最も華麗な町のひとつである」との記述を残している。
  • 15世紀初頭
    (ケニア)
    鄭和、マリンディに寄港
  • 1470~1490年ころ
    (タンザニア)
    キルワの衰退
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キルワの大モスクの廃墟

  • 1498
    (ケニア)
    ヴァスコ・ダ・ガマ率いる船団、マリンディに投錨。
  • 1505年
    (モザンビーク、タンザニア、ケニア)
    ポルトガルの海軍提督フランシスコ・デ・アルメイダ、スワヒリ諸都市(スファーラ、キルワ、モンバサ)を掠奪。
  • 1585~8
    (ケニア)
    オスマン帝国のアリー・ベイ総督の東アフリカ遠征。58年にモンバサ沖でポルトガル艦隊により撃退される。
  • 1593
    (ケニア)
    ポルトガル、モンバサを占領。要塞フォート・ジーザスを建造(1595年完成)。
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現在のフォート・ジーザス

  • 1650年頃
    (タンザニア)
    ザンジバルに女性支配者Mwana Mwema登場(→世界女性史年表
  • 1698
    (ケニア、タンザニア)
    オマーンの援軍を得て、スワヒリ連合軍、ポルトガルをモンバサから駆逐。以後、オマーンが東アフリカ沿岸に進出し、支配権を確立。
  • 1728~9
    (タンザニア)
    ポルトガル、モンバサ奪回を試みるも失敗、以後、モザンビーク以南に撤退
  • 1825年ころ
    (ケニア)
    沿岸のパテ島で女性詩人Mwana Kupona誕生。女性訓『ムワナ・クポナの詩』で有名。(→世界女性年表
  • 1828
    (タンザニア)
    オマーンのサイイド・サイード・ビン・スルターン、政治の拠点をザンジバル島に移す。
  • 1844
    (タンザニア)
    オマーン王サイードの娘Sayyida Salme (後にドイツ人と結婚してEmily Rueteを名乗る)ザンジバル島で誕生(→世界女性史年表
  • 1861
    (タンザニア)
    ザンジバル領、オマーンから独立し、「ザンジバル王国」を形成。
  • 1884~5
    欧米列強による「ベルリン会議」後、アフリカ分割の本格化。東アフリカ沿岸部も、イタリア、イギリス、ドイツ、フランスによって植民地化、あるいは保護領化される。

 

 <ヴィクトリア湖周辺の諸王国> 
  • 14世紀末ころ
    (ウガンダ)
    ナイル系牛牧民がヴィクトリア湖北岸から西岸に至る肥沃な地域に侵入し、バントゥー系住民を征服して支配者となる。その中からキタラ王国が成立。
  • 1300~1500年ころ
    (ウガンダ)
    キタラ王国を受け継いで、ナイル語系のビト王族がブニョロ・キタラ王国を建設。その他、ブガンダ王国、トロ王国、アンコレ王国が形成され対抗関係にはいる。
  • 1650年ころ
    (ウガンダ)
    ブニョロ王国最盛期
  • 17世紀末
    (ウガンダ)
    ブガンダ王国の強大化。中央集権的、かつ統治機構も整備された。
  • 18世紀
    (ウンガンダ)
    ブガンダ王国、インド洋沿岸との通商路を開き、アラブ商人との交易を拡大。
  • 1856
    (ウガンダ)
    Muganzirwazzaブガンダ王国の皇太后に即位(1882年退位)(→世界女性史年表

 

<中・南部アフリカ諸王国>
  • 14世紀~
    (コンゴ民主共和国/アンゴラ北部)コンゴ王国、
    コンゴ(ザイール)川の南岸に出現
    →1482年~:ポルトガル人の到来
    →16世紀:ンジンガ・ムベンガ王、カトリックに改宗し、アフォンソ1世(在位1509~1542/3)を名乗る。
    →1526年:コンゴ王アフォンソ1世、奴隷貿易に抗議する親書をポルトガル王ジョアン3世に送るも、のちに奴隷貿易に深く介入。
    →1614年:王位継承戦争勃発、7人の国王が並立(~41年)
    →1684年:コンゴの「ジャンヌ・ダルク」として知られる宗教指導者Kimpa Vita誕生(→世界女性史年表)
    →19世紀末:ベルギーとポルトガルによる植民地化により消滅。

*二つのコンゴとアンゴラ北部は15世紀頃までコンゴ王国の領域だったが、16世紀にポルトガルによる征服を経た後に、19世紀のベルリン会議でベルギー領(現在のコンゴ民主共和国)とフランス領(現在のコンゴ共和国)とポルトガル領(アンゴラの一部)に分けられた。

  • 15世紀ころ
    (ルワンダ、ブルンジ)
    北方から移住していた長身の牧畜民ツチが、先住の農耕民フツと狩猟民トワを支配してルワンダ王国・ブルンジ王国を建設。
    →16~17世紀:ルワンダ王国、ブニョロ王国の侵入により危機に陥るも、逆に勢力を拡大
    →1860年:ルワンダ王国でキゲリ4世即位、最盛期を築く
    →1884年:ベルリン会議後、ルワンダ王国、ブルンジ王国とともにドイツの支配下に置かれる(ドイツ領東アフリカの一部)
    →1918年:ルワンダ、ブルンジ、「ルアンダ=ウルンディ」としてベルギーの国連委任統治領になる。
  • 16世紀
    (アンゴラ)
    現在のアンゴラのンドンゴ王国に関する最初の記述あり。コンゴ王国に服属する国家のひとつだったが、ンゴラ(Ngola)と呼ばれる王の時には、そうした服属国家の中では抜きんでて強大な勢力を誇っていた。
    →1518年:ンドンゴ王、ポルトガルに使者を送り宣教師の派遣を要請。
    →1520年:宣教師が到着するもコンゴ王アフォンソ一世は妨害し、その宣教師を自分のものとする。
    →1560年:ポルトガルから宣教師第二弾が到着(Paulo Dias de Novais, Bartolomeu Dias の孫)するも4年後にポルトガルに引き上げる。
    →1571年:宣教師第三弾がポルトガルから到着。その間にポルトガル王Sebastian一世、アンゴラ王国の征服をもくろむ。
    →1579年:入植していたポルトガル商人がンドンゴの支配者をポルトガルに従属させようとして失敗(ポルトガル―ンドンゴ戦争)。
    →1590年:この頃までに、ポルトガルは再度ンドンゴを攻略しようとしたが、近隣のマタンバ王国と同盟関係を結んだンドンゴは、これを撃退するも、ポルトガルは一部の領土を獲得。
    →1615年:ポルトガル勢力は、当時、遊牧生活を送っていたimbanngala集団を取り込み、ンドンゴ北部にまで領域を拡大。
    →1617年:ポルトガル総督Luis Mendes de Vascondelos、ンドンゴを攻略するも、傀儡政権の樹立に失敗。
    →1621年:ンドンゴ王、妹のNzinga Mbandiをポルトガルの拠点ルアンダに派遣し和平にあたらせる。ンジンガ、多数の捕虜を解放させて帰還。ンドンゴ王、ポルトガルの臣下に下り、年間100人の奴隷を貢納品として納めることになるも、ポルトガル側がこの和平協定を守らなかったことに絶望してンドンゴ王自殺。後継者の息子が暗殺されると摂政だった妹のンジンガが王位を継ぐ(→世界女性史年表)。
  • 16世紀末?
    コンゴ民主共和国)カタンガ州を中心に、ルバ・ルンダ文化圏出現。
    →17世紀初め:ルンダ王国の形成
    →19世紀初頭:通商ルートを押さえたルバ王国の最盛期
    →19世紀末:アラブの奴隷狩り、西欧列強の進出により弱体化
  • 1600年ころ
    (マラウィ、ザンビア、モザンビーク)
    アフリカ南東部でマラウィでマラビ王国最盛期(18世紀初頭に衰退)
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17世紀半ばのマラビ王国の版図(緑はポルトガル領土)

  • 18世紀
    (レソト)
    バントゥー系のソト人、北方より移住し、先住民ブッシュマンを追いやって定着、バスト王国を建設。
    →1868年:イギリス保護領バストランドの成立。
    →1966年:レソト王国として独立
  • 1817
    (南ア)
    シャカがズールー王国を建設。
    →1828年:異母弟のディンガネ、シャカを殺して王位に就く。この頃、ズールーの歴史上、もっとも勇猛果敢な女性として知られるMukabayiの活躍(→世界女性史年表)→1838年:ディンガネ、ボーア人のA.プレトリウスの一行との<血の河の戦い>で大敗。
    →1840年:弟のムパンデ、王位につく
    →1770年ころ:ズールー王国の王女Mawa、甥のシャカとディンガネの統治期に政治的手腕を発揮(→世界女性史年表
    →1873年:セテワヨ、王位につく
    →1776年ころ:シャカの母Nandiの誕生。19世紀に大きな影響力を発揮した(→世界女性史年表
    →1879年:セテワヨ、侵入してきたイギリス軍を撃破するも半年後に捕虜となる。イギリス、ズールー王国を分割統治。
    →1886年:セテワヨの息子ディヌズールー、共和国を樹立
    →1897年:共和国は分割され、それぞれトランスヴァール共和国とイギリス植民地ナタールに併合される。
  • 19世紀
    ザンビア)北東部にパラマウントチーフを擁する兄弟なベンバ王国の台頭。
  • 19世紀初頭
    スワジランド)スワジ王国の成立

 

<グレートジンバブウェと後続諸国>(ジンバブウェ)
  • 紀元前後
    バントゥー人農業社会(農耕・牧畜・鉄器・土器・集落)の到来
  • 700年ころ
    インド洋交易拠点チブエネ(モザンビーク南部)の出現とトウツェ社会の形成、後に集権的国家(900~1250ころ)に発展
  • 850
    リンポポ川中流のシュロダ、交易と牛牧によって興隆
  • 1000年ころ
    後期鉄器時代の幕開け
  • 1075~1250年ころ
    マプングブウェで都市と国家の発展
  • 1250年ころ
    グレートジンバブウェで石の壁建設の開始
  • 1300年ころ
    都市国家グレートジンバブウェの興隆とグレートジンバブウェとの金交易によるキルワ都市国家の繁栄
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グレート・ジンバブウェ遺跡

  • 1450年ころ
    トルワ国の形成、グレートジンバブウェの没落
  • 1490年ころ
    トルワ国とムニュムタパ国の割拠
  • 1505
    ポルトガル、スワヒリ交易拠点スファーラを征服
  • 1628
    王位継承に介入し、ポルトガルの覇権確立
  • 1644
    ポルトガル、トルワ国の内戦に介入
  • 1693
    チャンガミレ国(Rozwi Kingdom、ポルトガル人を高原から追放、96年までにトルワ国を征服。
  • 18世紀初頭
    ムニュムタパ国、ザンベジ川谷に遷都
  • 1830年代前半
    ンゴニ人によってチャンガミレ王殺害される
  • 1840年ころ
    コロロ国(現ザンビア)によりチャンガミレ王国制圧され、4つに分割され、そのひとつをコロロ国の王女Mamochisane (Ma-Muchisane)が統治(→世界女性史年表

(出典:吉国1999)

 

<メリナ王国、サカラヴァ王国群>(マダガスカル)
  • 紀元前350~紀元550
    この期間に、アウトリガー付ボートで東南アジア(ボルネオ)からマダガスカル島への人の移動あり。紀元250年以前には渡来していないとの説もあり。
  • 7~9世紀
    マダガスカル島へ、アラブ商人の渡来、アフリカ東南部からバントゥー系の人びと、マダガスカル島へ渡来。ゼブ牛をもたらす。
  • 15世紀末~16世紀初頭
    ・南西マダガスカルにサカラヴァ王国の起源とされるマルセラナ王朝興る。王族の祖先はアラブ系文化の知識を持った外来の王。土地の女性と結婚して牧畜民を従えることによって、王国を築いた。
  • 17世紀初頭
    中央高地に中央集権的なアンドリアナ王国(のちのメリナ王国)建設される。
  • 1720年ころ
    西海岸のサカラヴァ王国群(ブイナ)、最盛期
  • 1750
    フランス、東海岸のサン・マリー島を占領し、交易所を設置
  • 1824年
    メリナ王国のRadamaⅠ(在位1810~28)、サカラヴァ王国群の拠点マジュンガを攻略、島のほぼ全域を支配下に置き、「マダガスカル王」としてイギリスに承認される。→1838年、サカラヴァ王国群の一部がヌシ・ベ島に逃避。→ザンジバルを拠点としていたオマーン王サイードに援軍を求めるも大きな支援は得られず→1840年:女王ツィウメク、拠点としていたヌシ・ベ島がフランスの保護領となる条約に署名(公的にフランスが批准したのは1841年)。
  • 1828
    女王ラナバロナ1世即位(~1861):
    西欧化を推進した夫Radama1世が晩年に方針を転換、その政策を継承して経済的自立を目指し、キリスト教を禁止、ヨーロッパ人を国外追放とする(→世界女性史年表
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Ranavalona I

  • 1896
    フランス植民地となる。

*『マダガスカル王国』の3人の女王
Ranavalona Ⅰ:1778~1861:在位1828~1861
Ranavalona Ⅱ:1829~1897:在位1868~1883
Ranavalona Ⅲ:1861~1917:在位1883~1897

【参考文献】

飯田卓編『マダカスカル地域文化の胴体』国立民族学博物館調査報告、2012
飯田卓・深沢秀雄・森山工『マダガスカルを知るための62章』明石書店、2013

<西アフリカ諸王国>
  • 7世紀ごろ
    (モーリタニア、マリ)
    ガーナ王国の成立→11世紀前半:塩金交易を基盤に最盛期
    →1077年:モロッコのムラービト朝に攻略され崩壊
  • 7世紀ころ
    (マリ)
    ガオ王国の成立→1500年ころ:最盛期
  • 9世紀
    (マリ)
    ガーナ王国衰退後、現在のマリ共和国の中部に、マリンケ人によって、複数の都市国家が建設される。→1240年ころ:スンジャータ王の支配地域がマリ帝国に発展。
    →1324~25年:マンサ・ムーサ王のメッカ巡礼、マリ帝国の最盛期

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  • 9世紀
    (マリ)
    ソンガイ帝国
    の形成→1010年ころ:イスラーム化の進行
    →1325年:マリ帝国の一地方領
    →1335年:ソンニ王朝はじまる
    →1464年:ソンニ・アリ、ソンニ王朝樹立、マリの支配を脱す
    →1493年:アスキア・ムハンマド、ソンニ王朝を倒し、アスキア王朝樹立
    →1512年:ハウサ地方(現在のナイジェリア)に領土を拡大
    →1591年:モロッコ軍により、ソンガイ帝国滅亡

*マリ帝国やソンガイ帝国の繁栄は、ニジェール川中流に位置した都市トンブクトゥやジェンネの塩金交易に負うところが大きい。ちなみにトンブクトゥは一度も王都となったことはない。ソンガイ帝国の崩壊後、かつての繁栄は失われていった。

  • 9世紀
    チャド)チャド湖北東にカネム王国の形成(現在のチャド共和国)→1085ころ:イスラーム化の進行
    →12~13世紀:サハラ交易の要衝として繁栄
    →14世紀末:ブララに攻撃されボルヌーに移り、ボルヌー帝国と呼ばれるようになる
    →16世紀後半:イドリース・アロマ王のもとで、ボルヌー帝国はカネムを制圧し、最盛期を迎える。イスラーム法を実施した最初の西アフリカ国家となる。この頃、女性支配者Aisa Kili Ngirmaramma(在位1563年頃~1570年)現る(→世界女性史年表
    →18世紀:トゥアレグ人やハウサ人の侵入を受けて次第に弱体化
    →1846年:ウスマン・ダン・フォディオのジハードに対抗できず11世紀から続いたサイファワ王朝倒れる
    →1893年:スーダンから勢力を伸ばしたラビーフにより滅ぼされる。
    (セネガル)セネガル川中流のフータ・トロにタクルール王国
    →1040年:ワール・ジャーベ王、マグリブ商人たちと接触する中でイスラームを受容し、臣民にイスラームへの改宗を強制したため、タクルールの住民は西アフリカで最初の黒人ムスリム集団となった。しかし、イスラームの受容はアラブ人やベルベル人によるジハードから国を守り、交易に有利であるとの判断からであった。
    (盛 2012:34,36)
  • 11~14世紀
    ナイジェリア)南西部にヨルバ諸王国(イフェ、オヨなど)の台頭→11世紀初頭:イフェ王国の台頭
    →オヨ王国の台頭
    →1570年ころ:オヨ王国、軍事力を蓄え、奴隷貿易で繁栄
    →18世紀:オヨ王国、近隣のダホメー王国を支配下に置く
    →1793年:オヨ王国、奴隷狩りのためにイフェに侵攻するも失敗
    →19世紀初頭:イフェ王国、オヨ王国とイバダン人との連合軍によって滅亡
    →19世紀中葉:オヨ王国、ダホメーの離脱やフラニ王国の伸長により経済的基盤を失い解体
  • 13世紀
    (ナイジェリア)
    ベニン王国の形成はじまる(現在のナイジェリア西部州)→15世紀半ば:ウアレ王の時、ニジェール川西岸に領土を拡大し、首都ベニンを整備して要塞化。この頃、青銅製の像が作成されている。→1485年前後:ポルトガル人、初めてベニンを訪問。以後ヨーロッパ人との直接交易はじまる。奴隷、コショウ、象牙などと銃火器との交換。この頃、皇太后iyobaの称号を与えられた最初の女性Idia現る(→世界女性史年表)
    →16世紀:北方の森林地帯に奴隷狩りを拡大。
    →16~17世紀:最盛期
    →17世紀半ば:圧政に対する内乱が頻発し、オヨ王国やダホメー王国など周辺の諸王国の強大化に押されて衰退。
    →1740年:女性司祭Kpojito Hwanjile、実権掌握(→世界女性史年表
    →18世紀末:ベニン王国の崩壊
  • 13世紀~
    セネガル)ウォロフ人によってジョロフ王国出現。のちにカヨール王国、ワーロ王国などのいくつかの諸王国に分裂。→16世紀半ば:カヨール王国、優勢となる。
    →17世紀:イスラーム導師とカヨールの王侯貴族間の対立。王侯貴族の勝利。
    →1882年:フランス、カヨール王国内に鉄道敷設を計画、カヨール王、これに抵抗。
    →1886年:カヨール王、フランスにより殺害され、ウォロフ諸王国の崩壊。
  • 14世紀
    ナイジェリア)北部のハウサランドに7~8の国家の緩やかな同盟による連合都市国家(ゴビル、カノ、カツイナ、ザリアなどのハウサ諸都市国家から構成の形成。→1576年:女王Aminatu即位(→世界女性史年表
    →19世紀のフルベの聖戦で征服され、独立を失う。
  • 15世紀半ば
    (ブルキナファソ)モシ王国の形成→19世紀末:フランス軍の侵入当時、北部にワイグヤ王国、中部にワガドゥグ王国、南部にテンコドゴ王国が存在、植民地統治下においても、フランスはこれらの王制をむしろ強化して統治に利用した。
  • 17世紀
    (マリ)
    マリ帝国衰退後、マンデ系農耕民バンバラ、ニジェール川中流にセグー王国カールタ王国を設立。→19世紀に開始されたサモリ帝国を率いるサモリ・トゥーレのイスラーム改革運動により、解体される。
  • 17世紀
    (チャド)
    東部のスーダン国境地域にワダイ王国南東部にバギルミ王国興る。奴隷貿易で栄える。→19世紀半ば:ワダイ王国、ムハンマド・シャリフ王(在位1838~1858)の時、最盛期。
    →1909年:ワダイ王国のダウド・ムッラ王、フランスに聖戦を宣言(~12年)
    →1912年:ワダイ王国、フランスに降伏。
  • 17世紀初頭~
    (ベナン)
    ダホメー王国、奴隷貿易と軍事力によって栄える。→1894年:フランス軍によって滅亡。
  • 17世紀末~
    (ガーナ)オセイ・トゥトゥ、アサンテ(アシャンティ)民族の弱小国家を糾合してアサンテ王国を形成。首都をクマシに置く。→18世紀初頭:アシャンティ王国、奴隷と金の貿易により繁栄
    →1770年ころ:侵略を試みるオランダ人とイギリス人との間で翻弄されつつも、外交手段を発揮した王女Yaa Kyaa Asantewaa誕生世界女性史年表
    →1824年:アシャンティ王国、ファンティ・イギリス連合軍に勝利
    →1830年ころ:アサンテ王国の皇太后Yaa Asantewaa誕生(1921年没)、イギリスに抵抗した最後のアサンテ王国の指導者(→世界女性史年表
    →1874年:首都クマシ、イギリスにより占領される
    →1901年:イギリスの植民地となる
  • 1725
    (ギニア)
    中西部のフータジャロンに、フラニ人、ジハードによりフータジャロン王国を設立。→1897年:フランスに敗れ崩壊
  • 18世紀(1768年)
    ギニア)フルベ・イスラーム国成立
  • 18世紀初頭 
    ガーナ沿岸部にアカン系ファンテ人の知識人により、イギリス、オランダ、アシャンティに対抗するためにファンテ国家連合が形成される。→1873年:崩壊
  • 1804~08年
    (ナイジェリア)
    イスラーム指導者ウスマーン・ダン・フォディオ(ウスマーン・ブン・フーディー)、ハウサ農民とフルベ農民とを合体させて聖戦を宣言。現在のナイジェリア北部一帯を支配下におき、ソコトを王都にイスラーム神政国家ソコト・カリフ国を建国。→1793年:ウスマン・ダン・フォディオの娘であり、学問に秀でたNana Asma’u bint Uthman dan Fodiyo誕生(1864年没)(→世界女性史年表
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ソコト王国

  • 1848
    (セネガル)
    セネガル川上流に、ハッジ・ウマル、聖戦によりトゥクロール帝国建設.→1860年代に衰退し、かわってサモリ帝国が支配を拡大
  • 1878
    シエラレオネ)内陸部にKpa Mende連合国家誕生(~1906)。創設者はMadam Yoko(→世界女性史年表
  • 19世紀~
    (ギニア)
    ジュラ(イスラーム化したマリンケ商人)のメンバーであるサモリ・トゥーレ、現在のギニアを拠点に勢力を拡大し、3万5000人の兵力と19万平方キロの領土、そして100万人の住民を擁する帝国(「サモリ帝国」と呼ばれる)を創設。→1870年:サモリ・トゥーレ、聖戦(ジハード)開始
    →1886年:サモリ・トゥーレ、イスラーム神権政治を確立
    →1891年:サモリ・トゥーレ、フランス軍に敗れ、東方に移動
    →1898年:サモリ・トゥーレ、フランス軍に逮捕される
    →1900年:サモリ・トゥーレ、流刑地ガボンで病死
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サモリ・トゥーレ

【参考文献】

小田英郎他監修     2010  『新版アフリカを知る事典』平凡社
川田順三編         2009  『アフリカ史』山川出版社
竹沢尚一郎         2014  『西アフリカの王国を掘る―文化人類学から考古学へ』臨川書店
富永智津子         2007(2001)『ザンジバルの笛―東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化』未來社
富永智津子         2015(2008)『スワヒリ都市の盛衰』山川出版社(世界史リブレット103)
バーガー、アイリス/E.フランシス・ホワイト(富永智津子訳)
2004  『アフリカ史再考―女性・ジェンダーの視点ンから』未來社
宮本正興・松田素二
1997  『新書アフリカ史』講談社現代新書
盛恵子      2012  『セネガル・漁民レブーの宗教民族誌―スーフィー教団ライエンの千年王国運動』明石書店
山川「世界現代史」13~16,
1978~1982『アフリカ現代史』Ⅰ~Ⅳ
歴史学研究会編     2001   『世界史年表』岩波書店2001