【現代アフリカ史17】制定法と慣習法

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

ここでは、結婚、相続、そして離婚というジェンダー秩序に関係する家族法に限ってみてゆくことにする。

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ブルキナファソ

アフリカ諸国の多くは、独立に際しては新たに憲法を制定し、民法に関しては、植民地時代に導入された制定法を引き継いだ。独立後に制定され、かなりの部分、国際的基準にのっとった形式が整えられている憲法に対し、植民地時代から引き継いだ民法は、植民地時代の価値観を残しており、憲法との齟齬が多々見られる。アフリカ各国は、鋭意、民法の改訂を試みているが、その足を引っ張っているのが慣習法である。一国に囲い込まれた民族の数だけ、慣習法があり、それを廃止するのは困難だからである。しかも、アフリカ人自身が、あまりに西欧的な価値観を民法に取り入れることに反対するということもある。とりわけ慣習法で問題なのは、妻には動産の所有権はあっても、土地などの不動産の相続権がない社会が多いことである。この慣習を手放したくない男性は多い。だが、ケニアでは2010年に新憲法を公布し、はじめて男女平等の相続権を明記した。しかし、これによって、直ちに状況が変化することはないが、植民地下で増加した離婚女性やシングルマザーの家父長権への反乱が、男性優位の慣習法を揺さぶっていると、小馬は分析している(小馬徹,2014)。法律が社会を変えるのではなく、人びとの選択や意識の変化が社会やジェンダー構造を変え、それを法律が下支えしていくという展開をここに見ることができる。

結婚と離婚に関しても同様の事が言える。複数の婚姻形態が認められている中、結婚は近代法で、しかし離婚は慣習法で・・といった有利な選択する男性がいることが問題となっている。しかし、すでに見てきたように、親族のネットワークの中でしか生きるすべのない女性にとっては、共同体的な保護はまだ必要である。子供も同様に、拡大家族の間を頻繁に移動させながら育てる社会は多い。それが、ストリートチルドレンの出現を抑えてきた。

ここでは、これ以上紹介する余裕はないが、もう一点、補足しておくと、タンザニアでは、2年以上の同棲実績のある場合には結婚と認めるという規定が1971年の改正婚姻法に定められた。これは、実態に則して法改正を行った事例である(The Law of Marriage Act,1971,Part 8:160)。

制定法にも慣習法にもイスラーム法にもジェンダー視点からすると、それぞれ問題があり、それぞれ利点がある。しかし、比較すると、女性に不利な多くの問題を抱えているのは慣習法であることは、ガーナ大学のアフリカ人女性法律家も認めている。慣習法を成文化する試みがなされた時、複数の民族が共存している国では実際には不可能である以上に、男性に有利な方向で成文化されることを恐れた女性たちが反対したという事実は、この女性法律家の見解が正しいことを証明している。ただし、成文化されていないための男性裁判官の恣意的なさじ加減の問題も指摘されている(Bowman&Kuenyehia, 2003:1,3)。

いずれにせよ、民法を女性の権利を守る方向で整理する模索はアフリカ各国ですでに始まっている。その際、慣習法をどのように位置づけるかは、これまで見てきたような流動的な状況の下では難しい。植民地下でも、状況に応じて柔軟に対応できる慣習法は成文化せずにアフリカ人の裁量を尊重したというケニアの事例(Shadle, 1999)からも推測できるように、新たなジェンダー秩序の構築がともなわない性急な改定が、かえって混乱を生みだすことは、歴史が証明しているとおりである。

そうした中、独立後、一挙に慣習法を廃止し、法を一元化した国がある。ブルキナファソ(Article 1966, Personsand Family Code)やコートジボワールである。ブルキナファソでは、夫婦の権利の平等性、個人の自由の尊重、拡大家族の介入の排除などが規定されている。ただし、実際には、この近代法を慣習法でバランスをとりながら裁判が行われているという(Cynthia Grant Bowman/Akua Kuenyehia, 2003: 87)。ここでは、コートジボワールの事例をもう少し詳細に見てみよう。

【現代アフリカ史18】コートジボワールにおける法と女性

【現代アフリカ史16】『女性憲章』