【現代アフリカ史10】「レズビアン」という選択肢
掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子
ケニア沿岸のスワヒリ都市モンバサのアラブ系住民の事例である。離婚はしたものの再婚はしたくない、しかしイスラーム社会での女性のひとり暮らしは世間が許さない、という状況下で普及したのが、女性同士で一緒に暮らすという選択だった。その背景には、モンバサでは、1910年以降に離婚が急増し、1950年代には50%に達していたという状況がある(Strobel,1979)。しかも、離婚した女性が何とか生活していける環境が整っていたことも離婚率の上昇に一役買っていた。イスラーム社会では女性にも男性の2分の1の遺産相続を認めているし、離婚した女性が商売をすることに対し、モンバサ社会が寛容だったということもある。経済的に自立した女性はこうして誕生した。そうした「自由」を手に入れるために、結婚してすぐ離婚する、という選択をする女性もいたという。未婚のままでいることは世間が許さなかったからである。そういう女性たちが気楽に暮らせる相手として選んだのが、男性ではなく女性だった。1980年代に調査をしたG.シェパードは、アラブ系の住民約5万人のうち、1割にあたる5千人以上が同性愛者(男性同性愛者を含む)との数値を挙げている(Shpherd,1987)。ただし、女性と一緒に暮らしているとはいえ、すべてがレズビアンの関係にあったかどうかは疑問である。
モンバサなどのスワヒリ都市には、「ハニース」と呼ばれる男性の同性愛者がアラビア半島からやってきていたことが知られている。モンバサの男性の同性愛が、そうした影響下で普及したことは容易に推測できる。スワヒリ語でも男性の同性愛者はハニースと呼ばれているのだ。一方、女性の同性愛はどうか。筆者はその回答を持ち合わせていない。ただし、女性の同性愛を意味する単語が「ムサガジ」という純粋にスワヒリ語起源であることを考えると、男性の同性愛の影響下で、独自にモンバサで広まった慣行なのかもしれない。
こうした離婚女性の増加や女性同士のパートナーシップの普及は、いずれも女性の自立度を高める契機となった。男性の視点からすれば、家父長権の低下ということになる。
同性愛嫌悪の強いアフリカにあって、アラブ文化の影響の強い東アフリカ沿岸部の諸都市には、独特なセクシュアリティの文化が開花していたのである。21世紀になり、アフリカ本土からのキリスト教徒のアフリカ人移住者を多く抱える現在のモンバサで、こうした文化が維持されているのかどうか。維持されているとしても、かつてのようなおおらかさは失われていることは間違いない。筆者自身は、同じくスワヒリ都市であるザンジバルで、そうしたひとりの女性に遭遇したことがある。彼女は数名の若い女性と生活を共にしながら、商売を大規模に展開していた。ちなみに、もちろん、ケニアでもザンジバルでも同性愛は非合法である。