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【史料紹介】1938年7月、国王の命令に基づき植民地相により議会に提出された「1935~37年の熱帯アフリカにおける女性の福祉に関する往復書簡」ロンドン、1938年

掲載:2015.10.11  執筆(解説・翻訳):富永智津子

出典:“Correspondence relating to the Welfare of Women in Tropical Africa, 1935-37, Presented by the Secretary of State for the Colonies to Parliament by Command of His Majesty July,1938”, London: Printed and Published by His Majesty’s Office, 1938

【現代アフリカ史】史料①解説

本史料は、ケニアで活動していたイギリス人宣教師のひとりが1935年8月26日付Manchester Guardianに、ケニア人の女性が虐待されているとの投稿をしたことに触発されて開催された会議の議論についての紹介から始まる。この会議を主催したBritish Commonwealth Leagueは、1923年にイギリスの普選運動を支援する目的でロンドンのデモに集結した自治領や植民地の女性たちによって、参政権や男女平等を民族や性別や地域を越えて実現することを目的として設立された団体である。当時のフェミニズムとヒューマニズムのひとつの潮流を象徴している団体である。「コモンウェルス」という限定付ではあるが、そのカヴァーする領域がアフリカにまで及んでいたことには注目してよいだろう。
1935年11月7日に開かれたこの会議では、熱帯アフリカの諸地域における女性がどのような社会的地位に置かれているか、なかんずく、投稿にあったような虐待との関連で、強制結婚が行われているのかどうかが論点となった。注目すべきは、会議には、アフリカ人の立場の代弁者ともいうべきケニア生まれの著名なイギリス人考古学者ルイス・リーキー博士、医者としてケニア在住歴16年におよぶ反帝国主義者のノーマン・リーズ博士、そしてのちに初代ケニア大統領となるキクユ人社会人類学者のジョモ・ケニヤッタが参加していることである。その他に4名のパネリストが登場する。
会議後の1936年6月16日、先の会議の発端となった投書を行った宣教師が再び同じくManchester Guardianに新たな事件に関する投書を行った。それは、隣国のタンガニーカで、強制的に結婚させられ、好きな男性のもとに逃亡したある少女が、追いかけてきた夫を刺殺したという事件である。彼女は起訴され、18か月の禁固刑を科されたというのである。宣教師はその中で、強制結婚は女性の身体と精神に対する暴力であること、同意のない結婚は本当の結婚ではないことを訴え、できれば下院や新聞紙上で討議が行われることを要望するとともに、改善策として、ひとつの提案をしている。それは、結婚登録が行われる前に、結婚申請をするよう義務づければ、意思に反して結婚を強要されているかどうかが明るみに出され、結婚を中止に追い込むことができる、というものである。
宣教師の二度目の投書を受けて、1936年7月22日に下院で質疑応答が行われた。議事録は、質問に立った議員が、植民地相が事態を把握しているかどうかを確認するとともに、植民地相がすべての英領の総督への問い合わせを行うことを約束させた内容になっている。
この質疑討論を受けて、植民地相は、1936年8月17日に通達を出し、以下の5項目にわたる情報提供を呼びかけた。
(a) 強制結婚に事例について
(b) 強制結婚を訴える自由について
(c) 訴えた時の対応
(d) 現行の制度で虐待を防止できるかどうか
(e) (d)の回答がNOの場合、他にどのような効果的な対策が考えられるか
回答を寄せたのは、北ローデシア(現在のジンバブウェ)、ガンビア、ウガンダ、ゴールド・コースト(現在のガーナ)、ニヤサランド(現在のマラウィ)、ケニア、タンガニーカ(現在のタンザニア)、ナイジェリアの8各国である。なぜかソマリランドとザンジバルは除外されている。
回答には、通り一遍のものと、真面目に回答しているものとがある。前者には北ローデシア、シエラ=レオネ、ウガンダ、ゴールド・コースト、ニヤサランドが含まれる。その他の回答にはさまざまな情報が含まれており、同時に、そこからは「間接統治」というイギリスの植民地統治の実態が浮かび上がってくる。

掲載史料(全13点)

No.Ⅰ    1935年11月14日付の新聞East Africaの記事からの抜粋
No.2  Manchester GuardianへのArchdeacon Owenからの手紙(1936年6月16日付)
No.3     1936年7月22日付の下院の議事録からの抜粋
No.4     植民地相から、以下の政府の行政官への通達
No.5       北ローデシア総督から植民地相への書簡(1936年10月9日受領)
No.6     ガンビアから植民地相への書簡(1936年11月23日受領)
No.7       シエラ=レオネ総督から植民地相への書簡(1936年12月2日受領)
No.8     ウガンダ総督から植民地相への書簡(1937年1月4日受領)
No.9  ゴールド・コースト(現在のガーナ)から植民地相への書簡(1937年1月7日受領)
No.10   ニヤサランド(現在のマラウィ)の総督から植民地相へ(1937年1月11日受理)
No.11   ケニア総督から植民地相への書簡(1937年1月25日受領)
No.12   タンガニーカの総督から植民地相への書簡(1937年2月15日受領)
No.13   ナイジェリア総督から植民相への書簡(1937年3月22日受領)

No.Ⅰ 幸福、もしくは奴隷制? 
1935年11月14日付の新聞East Africaの記事「アフリカ女性の地位」からの抜粋

アフリカ女性の地位

博士

ルイス・リーキー博士

先週、British Commonwealth League(訳者注:1923年に男女平等を掲げて普選運動に携わるコモンウェルスの女性たちによって設立され、植民地の女性たちの地位や福祉にも取り組んだ団体)が開催した「結婚と奴隷制」と題するロンドンでの会議で、アフリカ人の結婚とアフリカ人女性の社会的地位についての議論がなされた。
議長を務めたGuy Innes夫人(夫はThe Heraldの編集長を務めたオーストラリア出身のジャーナリスト)は、ケニアにおける妻への虐待の事例に関する8月26日のManchester GuardianへのKavirondo(訳者注:英領ケニアのヴィクトリア湖北部の行政区)在住のArchdeacon(助祭長)Owenからの手紙がこの会議を開催するきっかけとなったとの説明を行い、Owenの手紙に書かれていた「結婚生活から逃亡した女性が鞭打たれた」事例と、「複数の妻を持っている夫から3度逃亡したが、家族が引き取ることを拒否したため、その都度つれもどされた女性」の事例を紹介した(訳者注:Owenの任地Kavirondoでは、3度逃亡すると、妻の父親は婚資を返却して、娘を引き取る義務があった)。
議長は、British Commonwealth Leagueとしてはすべてのアフリカ人の結婚が女性の同意なしに行われているとは思わないが、ほとんどの結婚が娘の同意なしに行われていることは否定しがたく、女性の結婚生活は奴隷状態に近いと言わざるを得ないと述べ、Kavirondo Native Councilsの中にはこのような状況を考慮して結婚登録制度の導入を進言したものがあるとのOwen助祭長の手紙の一部を紹介した(訳者注:結婚登録制度を強制的なものにするか、任意にするか、あるいは導入するかどうかが、この時期、問題となっていた。)
一方、L. S. B. Leakey博士(訳者注:ケニア生まれの著名な考古学者。タンザニアのオルドバイ渓谷で200万年前の人類の骨を発見したことで有名)は、ケニアの問題を議論するにあたり、次のような重要なポイントを念頭に置くべきだと主張した。
第一に、すべての部族(訳者注:ここでは、tribeの訳語として「民族集団」ではなく「部族」を使用する)はそれぞれの性、結婚、女性の地位に関する慣習をもっており、ある部族で起こったことを基準に全体を判断することはできないこと。
第二に、ある土地で理想的だとみなされた女性像が他の土地にも当てはまるとは限らないということ。たとえばイギリスは必ずしもフランスと同じことを目指してはいないし、フランスの目的とするものはおそらく、キクユのものとは違う。それゆえ、人びとが望んでいることを奪い、人びとが望んでいないことを与えるような変化や規定を押し付けないように注意すべきであること。
第三に、宣教師は、一般大衆とは異なるごく少数のクリスチャン、つまり部族法や慣習を放棄してクリスチャンになったアフリカ人を相手にしており、そうしたごく少数の人びとだけを対象とした事柄に、過大な重きを置くべきではないということ。

ヨーロッパ人とアフリカ人の結婚

最後に、イギリスの婚姻法や慣習はイギリスの男女の恩恵と幸福に寄与してきたといえるのかどうかと、Leakey博士は以下のように問う。

  • イギリスの婚姻法や慣習は結婚における平等や幸福をもたらしてはいない。植民地政府が母国で理想的な結果をもたらしていない婚姻法を東アフリカのアフリカ人に強制することは最大の不幸である。法律を制定することは、法律を変えさせたり廃止させたりすることよりはるかに容易だし、悪法は、慣習法とは異なる影響を与えるはずだったとしても、法のない状態より苦痛や不正の原因になるかもしれない。
  • アフリカ人の結婚はDistrict Officerの裁判所に登録されるべきだと主張する人々は、そのことが意味することを理解していない。ケニアの3大部族の家族生活や部族法や慣習について、かなりの知識を持っている私からすれば、アフリカ人の既婚女性の地位が理想的だとは言わないが、平等と自由という観点からみれば、いわゆる文明化したイギリスの既婚女性の地位よりいくつかの点でましであると確信している。
  • ケニアのほぼすべての部族の既婚女性は、イスラームの影響を強く受けている土地を除き、イギリスの女性より保護されている。イギリス法の下では、男性が妻を支配している。しかし、東アフリカのほとんどの部族では、女性の意思に反して同居を強いる男性は嘲笑され、追放されることもある。妻であるということは、彼女の意思に反してセックスを要求する権利を夫に与えるものではない。アフリカ人は誰でも1人以上の妻を持っているという間違った情報も流れている。複数の妻を持つ男性は、ごく少数なのだ。結婚に付随するやりとりの意味を表面的にしか理解しない人々は、妻を「売買」していると誤解している。いわゆる購入価格と言われているものは、夫の品行や妻の安全を保証する一種の婚姻保険のようなものなのである。
  • 寡婦の地位は、しばしばアフリカの婚姻制度の最悪の部分として引用される。イギリスでは、寡婦が相続されると聞かされた人びとは、まっとうな(もしくは間違った)憤りを感じる。夫が死ぬと、その兄弟か親族の男性が寡婦を相続するが、実際に相続されるのは、彼女に衣服や家や食料を与える責任なのである。彼女の意思に反して同居する権利を相続できるというのはありえない。寡婦の産んだ子供は死亡した夫の子供と考えられるが、子供の生物学的父親を誰にするかを選ぶのは寡婦なのである。寡婦が相続者として主体的に選んだ夫の兄弟やその他の親族の妻もしくは愛人となることは珍しいことではない。強制や圧力がかけられることの方が珍しい。
  • 昨今、クリスチャンと結婚するならむしろ望まない男性とでも結婚させてしまおうとする動きが見られる。政府による保護が提供されているが、望まれないイギリスの婚姻制度をアフリカ人に強制することが解決策なのではなく、現在の状況を引き起こしている原因を探り、それを除去することが重要なのだ。原因は通常、アフリカ人の生活を脅かしている経済問題にある。ケニアにおけるその最悪の原因のひとつは売春である。British Commonwealth Leagueが提供できる最大のサーヴィスは婚姻制度に介入することではなく、登録によっては簡単にチェックできないこうした最悪の原因と闘うことである。

以上のように述べたLeakey博士は、最後に、KavirondoのLocal Native Councilの中に、おそらく地方の役人や宣教師の圧力を受けて、結婚登録を急がせたものがあることに対して、強い遺憾の念を表明している。Councilはしばしば脱部族化したアフリカ人によって占められており、かれらは一部の脱部族化した共同体にとってのみ利益のある登録を推奨している。しかし、登録制度は大多数の部族のメンバーにとっては重荷以外のなにものではないのだ、と。

アフリカ人の結婚に対するLeys博士の見解

Norman Leys博士(訳者注:1904~20までmedical officerとしてケニアに在住、植民地主義、帝国主義、人種主義、を強く批判)の報告書は、会議の議長が読み上げた。博士は、女性は夫を選ぶ自由を与えられるべきだと信じている人びとは、その考えはほぼすべての国にとって革命的だと考えられるということを理解すべきだという。世界のほとんどの結婚は、家族の問題であり、部族生活を送っている大多数の少女にとって、夫を与えられるということはけっして奇妙なことではない。最近、南アのEconomic Commissionは、婚資の制度はアフリカ社会の方向舵であり、それなくしては座礁してしまうと報告している。どの新しい家族も、未来のための何らかの経済的物資のやりとりで始まり、それが夫の品行方正の保証となるのだという。決められた結婚相手の男性を拒否することは、少女の家族が重要な財政上の契約を拒否することを意味しているのだ。それゆえ、なぜ部族の慣習法が少女に拒否することを禁じているかを知ることは簡単だが、東アフリカで生活していた時、婚約した男性を拒否し、自分で選んだ男性と結婚することにこぎつけた少女の事例を少なからず見聞きしたことがあると、博士は述べている。
しかし、恋愛結婚がきわめて珍しいこともアフリカの現実だが、結婚が両親によって取り決められる部族社会の結婚が、われわれのような制度の下での結婚と全く同じく幸福につながることも認めなければならない。新しい影響をもたらしているのはキリスト教宣教団や学校、あるいは近代産業であり、そこでは、家族ではなく個人が生産の単位となっている。こうした新しい影響は、若者が自分のパートナーを両親ではなく自分で選ぶよう鼓舞しているが、多くの人びとはこの変化が部族の法や慣習を遺棄するものであり、好ましくないと考えている。
イギリス政府は、部族主義を放置しておくという政策を捨て去り、部族主義を脱しようとする人々を勇気づけ、支援すべきである。それが、アフリカ人居住地域における昔の生活のやり方を徐々に葬り去り、町の住民に健全な環境、個人所有、自由な生活を提供することになるのだ。

「相互に矛盾」するアフリカ人への助言者

Jomo Kenyatta 1978.jpg

J.ケニヤッタ

Alison Neilans嬢(訳者注:イギリスの普通選挙運動家。3度逮捕拘禁されている)は、British Commonwealth Leagueのために、Owen助祭長が提起した問題を質問形式にしてアフリカ中に送付した。問題の本質は、アフリカが家畜を基準とした経済制度から貨幣を基準とした制度に移行し、妻の「分割払い購入制度」(hire-purchase system)が導入されるにつれて、男性の女性に関する見方がおぞましいものに変化するかどうかという点にあった。
Julius Lewinは、もしOwen助祭長が挙げた事例がイギリスの裁判所で審議されたなら、男性の行為は非合法とされ、女性に有利な判決が出されるだろうと述べ、さらに慣習法の下での離婚理由はイギリスの法律より多様であり、キリスト教にのっとった結婚をする前に、アフリカ人は、イギリスにおけるキリスト教式の結婚のおぞましい結果についての情報を与えられるべきだと発言した。イギリスの法律のもとでより、アフリカの法律にしたがって結婚するべきだというのは、彼の考えである。Owen助祭長が紹介した事例に関しては、ケニアの法廷で審議されるのがよいだろう、ただし、法廷は男性が女性を無理やり拘束することができないというイギリスの決定を支持するだろうと彼は信じている。
Macgregor Ross夫人は、ケニア政府はアフリカ人の少女に最良の教育を受けさせるべきだと提案した。さらに、十分に教育を受けたアフリカ人がいるにもかかわらず、立法府(Legislature)にたったひとりのアフリカ人メンバーもいないことを批判した。また、Kavirondoで金鉱が発見されたことをもっとも不幸な出来事だったとする夫人は、アフリカ人は教育によってのみ、結婚に関するアフリカ人女性の問題に対処できるようになると述べた。
キクユ人でもあるJohnston Kenyatta氏(訳者注:ジョモ・ケニヤッタの名で知られるのちのケニア第一代大統領。社会人類学者でもある。クリスチャン)は、彼自身の父親とオジが戦死した時、宣教師だったもうひとりのオジは、2人の寡婦に対する責任を相続するつもりでいたと述べた。実際、宣教団の規律に反して、彼は彼女たちのために自分の小屋のすぐそばに小屋を建てた。彼は自分の妻の他に、2人の寡婦の責任を引き受けたのである。オジとは同居してはいないが、2人の寡婦はまだ同じ村に住んでいる。
Kavirondoにおけるアフリカ人女性への鞭打ちの事例については、事例自体が誇張されているが、いずれにせよ、アフリカ人共同体全体をひとつの孤立した事例で判断すべきではないと彼は考えている。イギリスの結婚制度の下で、時には自殺に追い込まれる人びとがいるが、アフリカではそういうことは有り得ない。「アフリカ人が必要としていることは、経済的な解放である。あなた方には大きな問題の解決に手を貸して欲しい。小さな社会問題は自分たち自身で解決するだろう」と彼は述べた。
さらに、キクユ人の結婚はドラマのように行われる、とKenyatta氏は語る。花婿の親族の女性たちは、畑で働いている少女を「拉致」し、連れ去る。この計略は花嫁も了解ずみなのだ。これこそが、Owen助祭が見たもののようである(笑)、と。
「アフリカの問題に関心のある方々は、助祭長の手紙のようなものを読んで扇動されるべきではない。事を冷静に運び、問題の原因を突き止めたら、それだけでも大きな貢献になると思っている。今、周りを見回しても、アフリカ人の女性はいない。ロンドンにはアフリカ人の女性は大勢いるし、彼女たちの見解を確認する必要があなたがたにはある。」
ここで、議長から発言があった。そうしたアフリカ人の女性に出席するように招待状をだしたのだが、ひとりも返事をくれなかった、と。
W. Macmillan教授(前Witwatersrand University教授で、自身を脱部族化したMacmillanと称していた)は、アフリカ人女性の健康についての話があまりでなかったことを嘆いた。キクユ人の悪習のひとつが、女性が動物のように荷物を担がされていることであり、彼はその証拠として、ある女性の場合、90ポンドの体重しかないのに、120ポンドの荷物を何マイルもの山道を運んでいるという事例を挙げた。教授はさらに次のような意見を述べた。
・アフリカの後進性の主要な原因は、健康の問題である。それが、彼らを政治的にもケニアにおける難しい状況に追い込んでいる。ヨーロッパ人入植者の不満にこたえる最上の方法は、別の不満を対峙させることである。こうして、ある政治的勢力ともうひとつの政治的勢力の間のバランスを引き出すことによって、ケニア政府は両者から自立した立場を維持できるのだ。
・また、教育改革も必要だ。ベチュアナランドの明るい兆しは、女性の教育である。ベチュアナランドの共学の学校には、67名の生徒が学んでおり、そのうち66名が女子で男子は1名である。男子が少ないのは、牧畜を生業としており、男子は放牧のためにたびたび村から何マイルも離れたところに行かねばならないからである。
「女子教育のための支援をお願いします。もっと大勢のMiss Shawをアフリカに送ってください。全体として社会を強化することによってのみ、虐待に対応することができるのです。私はフェミニストではありません。私はヒューマニストです。ヒューマニストと文明化の原則は、それが破られた時には強制されるということなのです」というのが、Macmillan教授の締めの言葉だった。
Kenyatta氏は、もし、Macmillan教授がキクユ女性に質問したら、彼女たちはできるだけ多く運ぶと答えるだろう、という。それというのも、彼女たちに与えられたライセンスは、森から木材を一回だけ運び出すことが許可されていたからなのだ。彼女たちの重い荷は、キクユ部族の慣習によってではなく、文明化によって課されたものなのである。
Leakey博士は、議論に答えて、女性が意思に反して鞭打たれないような土地がどこにあるのかと尋ねた。ケニアのアフリカ人女性はそのような扱いに対して、District Officeかもしくはアフリカ人首長のどちらかによって法的に保護されてきたし、その法は完全に公正だった。問題は、既存の法が実施されるかどうかだけだと語り、「もし文明化がわれわれに、あなた方の離婚法や死刑やさまざまな犯罪に対する罰則(パン一切れを盗んだだけで3か月の懲役といったような)を押し付けるならば、もし、それが理想の文明化というならば、私はむしろアフリカ人のやり方を選択するだろう」と述べた。
この会議については、Matters of Momentを参照されたい。

No.2  ケニアにおける結婚
    「ヤギと引き換えに結婚させられることに抵抗する少女たち」

Manchester Gurdianの編集長へ
編集長殿
昨年、アフリカの結婚の野蛮な慣習に関する記事を取り上げて下さりありがとうございます。私は、ひどく抵抗しながらも、「結婚」のために強制的に引き立てられていく少女たちの事例を紹介しました。彼女たちの抵抗にもかかわらず、男性たちは、少女の親族に「婚資」として何頭かの牛もしくやヤギを支払ったことを理由に、この結婚の正当性を主張して
いるのです。J. Kenyatta氏は、部族の慣習はこのような方法で少女が結婚を強制されることを認めていないと書いています。
East African Standardは、タンガニーカのKekweという名の18歳の少女の裁判について報告しています。アフリカ人のやり方で、彼女の親族は男性から婚資を受け取ったのですが、彼女はこの男性を嫌悪しているのです。彼女は好きな男性のもとに逃亡し、追いかけてきた男性を彼女の親族の前で刺したのです。不幸なことに、男性は死んでしまいました。彼女は殺人で起訴され、18か月の禁固刑を宣告されました。
18歳のKekweが彼女の家族や部族が認めた結婚であるにもかかわらず抵抗したという事実は、彼女が身体と精神を守る権利を持っていることを示していると思います。このような状況の下で、ナイフで男性を刺す時に、適度な力加減をするほどの冷徹な心を、誰が持てたというのでしょうか?私はKekweも、何千人もの少女を貶めた野蛮な慣習の犠牲者のひとりだと思います。(私が先日の手紙で言及した少女は、その後死亡しています。)Kekweには嫌っている男性から身体を守る権利がないのでしょうか。彼女の身体を所有する権利を得るために何頭かのヤギを支払ったというのが男性の唯一の正当化の理由なのです。以前の手紙の中で、私は「ある状況の下では、結婚を躊躇している女性にとっては、アフリカの結婚慣行はある種の奴隷制だ」と書きました。アフリカ人の社会生活について、このような批判ができるまでには、長いアフリカ経験が必要でした。私は、アフリカ人の慣習を弁護しようとしましたが、少女たちの苦悩を見聞きするにつけ、その意欲を失いました。
イギリスには、すぐれた女性たちがいます。そのひとりであるWinifred Holtby嬢(訳者注:イギリスの小説家・ジャーナリスト・フェミニズト)は真のアフリカ人女性の友人でした。彼女を失ったことをこころから残念に思います。彼女は、去年私がこの問題をあなたのコラムで最初に取り上げた時、手紙をくれました。彼女は死ぬまでいかにして「絶望的な状況」を改善する手助けができるかを考えていました。British Commonwealth Leagueが手を貸してくれることを希望しています。
無理やり結婚させられる時、アフリカの少女たちが感じる侮辱感は言葉にできません。よく「たったのアフリカ人のこと」といわれますが、彼女たちの苦悩は、イギリスの少女たちの苦悩と変わりません。この新聞の読者にもそれを理解してもらいたいものです。Kekweがナイフで刺したとき、彼女はいかなる精神状態だったのでしょうか?
アフリカ人の少女たちの長年の痛みを癒すに、時は熟したということを信じる理由があります。イギリスの世論は、植民地省の流れを決定づけるものとなるかもしれません。もし、イギリスの影響力のある人びとが、わたしがそうであったように、われわれの支配の下で少女たちが怒りを爆発させることが可能であるということを信じきれないならば、下院や紙上でのKekweの事例報告の補足記事の中でいくつかの質問をすることができないでしょうか?わたし自身は熟知していない状況については書くわけにはいきませんから。
貴紙には大変感謝しています。貴紙は1932年にKavirondoに手を差し伸べてくれた最初の新聞社です。貴紙は、ケニアのアフリカ人のための進歩的な政策を常にサポートしてくれました。イギリスにおけるアフリカ人の友人たちが、計り知れない奉仕をしてくれたという事実があります。しかし、貴紙の読者の中には、こうした悪しき側面を公にすることはアフリカ人の利益にならないと考えている者がいます。彼らは、このような記事はアフリカ人の経済的・政治的発展を支援しようとは思っていない人々に、その言い訳を与えてしまうと恐れているのです。彼らは、当面、このような悪しき慣行自体は正しいことなのだと言うでしょう。
その間にも、アフリカの多くのKekweたちに何が起きているのでしょうか?改善策は難しくはありません。アフリカ人が雑穀やメイズに取りついて収穫物にはびこる有害な雑草を放置しておくことを罪に問われるならば、スティグマと呼ばれる有害な雑草をはびこらせることについてもアフリカ人に巨額の罰金を科すことができます。われわれは、アフリカ人は常にスティグマを抱えているがそれはかれらを傷つけてはいないという言い訳に注意を払う必要はないのです。われわれは、綿花が決められた期日までに収穫されないばあいには罰金を科しています。われわれは、アフリカ人の抗議にもかかわらず、ためらうことなく経済的な政策を実施しています。結婚登録をするよう義務づけられている部族の権威者に、結婚に先駆けてその旨を伝えねばならないという単純な法律が施行されれば、少女たちが意思に反して結婚を強要されているかどうかを述べるチャンスが与えられるでしょう。
アフリカ人の少女のために、同意のない結婚は真の結婚ではないことをアフリカ人に教えなければならなりません。
1936年6月16日、ケニア、キスムにて
助祭長 W.E.Owen

No.3 下院
   1936年7月22日付の公文書からの抜粋

タンガニーカ(結婚に関する慣習)
下院議員のRathbone嬢は植民地相に、タンガニーカのKekweという少女が、彼女の意思に反した結婚を両親から強要されて、相手の男性を殺害した罪で、最近18か月の禁固刑を受けたということを知っているかどうか、タンガニーカやアフリカの他の英領植民地に、部族長に事前に結婚の通知をすべきという法律を施行することを考えているかどうか尋ねた。部族長は結婚登録をすることになっており、少女が結婚を拒否する場合には登録をしないこともできるし、アフリカ人の少女たちの強制結婚を防止する他の手立てを講じることもできる立場にいるというのである。
Ormsby Gore氏(訳者注:イギリスの外交官、保守党議員):下院議員が言及した事例については新聞で知っているし、私はすべての英領の女性たちは強制された場合には部族長に訴える自由があり、部族長はしかるべき対応をするだろうということを理解している。さらに、私は英領の総督に、現行の対応が虐待を防止するに十分なものであるかどうか、もし十分でない場合には、いかなる対応を考えているかを問い合わせている。
Rathbone嬢:その特別な事例に関して、助祭長のOwenがすべてを熟知していることをご存知なのでしょうか?彼は植民地の慣習について膨大な知識を持っており、Owen氏と連絡をとり、彼の証言を取り上げるつもりでしょうか?
Ormsby Gore氏:先に述べたように、新聞で見ています。Manchester Guardianへの助祭長からの手紙でした。彼がKavirondoについて豊富な知識を持っていることは確かです。ほとんどのアフリカの部族では、強制という昔の考えは完全に除去されています。

No.4 植民地相から、以下の政府の行政官への通達

1. ケニア
2. ウガンダ保護領
3. ニヤサランド
4. タンガニーカ領
5. 北ローデシア
6. ナイジェリア
7. ゴールドコースト
8. シエラ・レオネ
9. ガンビア
Downing Street
17th August, 1936

各位
最近、Rathbone議員が下院で私に行った質問のコピーをここに同封します。それは、アフリカ人女性の強制結婚を防止するために、英領アフリカの政府が起こすべきアクションに関する質問です。質問への返信用コピーも同封します。

2. この質問はタンガニーカで最近起こったアフリカ人少女の殺人に関する裁判から出されたものです。わたし自身はその裁判についての報告書をもっていませんが、6月16日にKavirondoの助祭長OwenがManchester Guardianにあてた手紙のコピーを同封します。アフリカ人女性の結婚に関する一般的な問題は、昨年の11月に行われたBritish Commonwealth Leagueの会議で議論されました。その時の議論については、East Africaに抜粋が掲載されていますのでコピーを見てください。

3.私は、この種の問題を一般化するのは無謀なことだということを理解しています。状況はひとつの植民地の中の部族間でも非常に多様であること、意思に反してアフリカ人の少女に結婚を強制するプレッシャーの程度や虐待の度合いは誇張されている可能性があることも同様です。同時に、以下の点について可能な限りの情報を提供していただけたら、感謝いたします。
(a) 強制の事例(何らかの肉体的強制を伴う)が頻繁にみられるかどうか。
(b) 強制が試みられた時、女性はDistrict Officerか他のしかるべき役所などに訴える自由があるかどうか。また、実際にそのような権利が自由に行使されているかどうか。
(c) そのような訴えがなされた時にどのような行動が通常とられるのか。
(d) 現行のシステムは深刻な虐待を防止するのに十分であると思われるかどうか。
(e) もし(d)の回答がネガティヴな場合、実施可能で効果的な他の方法は考えられるかどうか(たとえば、部族長などによる強制的な婚姻届など)。

4.同様の文書をすべての東アフリカと西アフリカの植民地と保護領に送付します。ただし、ソマリランドとザンジバルを除きます。
W. Ormsby Gore

No.5 北ローデシア総督から植民地相への書簡(1936年10月9日受領)

閣下
アフリカ人少女の強制結婚という問題に関して報告させていただきます。現在、奴隷制が廃止され、アフリカ人の少女が自分の意思に反して結婚を強制されることはほとんどありません。少女の両親が強制しようとすることが時には見られますし、少女が結婚に際して両親や保護者の意向を拒否することもあります。しかし、強制された場合に、少女がNative Authorityや、必要ならばDistrict Officerに訴えることをためらわないようになり、そんな場合には結婚は許可されません。現在の状況は深刻な虐待を防止するに十分であると思っています。実際、少女があまりにも自由になり、両親の真っ当な忠告を軽蔑する傾向があることを、むしろ心配しています。
2.アフリカ人の結婚登録に関しては、最近のProvincial Commissionerの会議で、Native Authorityによる任意の結婚登録が推奨され、Sir Hubert Youngは、この推奨に関するNative Authorityの見解を収集するよう命じました。その報告が届くのを待っている段階です。しかし、登録は強制結婚を防止することではなく、Native Authorityが望んでいる結婚の絆の強化を目的としていることを申し添えておきます。
Charles Dundas
総督代理

No.6 ガンビアから植民地相への書簡(1936年11月23日受領)

閣下
アフリカ人の少女の強制結婚に関する1936年8月l7日付の書簡を拝受しました。
わたし自身は最近赴任したため、質問に答えられるような知識は持ち合わせていません。そこで、私のアドヴァイザーに回答してもらうことにします。

2.ガンビアで強制結婚が行われていることは否定できないが、それらがすべて明るみに出されているわけではないので、その頻度などについて推定するのは難しい。身体的な強制、つまり、少女が受け入れるまで両親が虐待することはまれであり、むしろ道義的な強制という形をとることが多い。たとえば、少女がずっと年長の男性と婚約させられ、成長した時点で相手の男性に対して嫌悪しか感じない場合、父系社会のあらゆる圧力が彼女にかけられるのである。村長は、彼女の行為が伝統的権威への抵抗と映り、男性たちは彼女が男性支配に対して反抗しているとみなし、彼女の家族は娘が親のいうことに従わないと非難する。その結果、多くの場合、娘は抵抗することをあきらめ、結婚を承諾することになる。

3.もし、少女の抵抗の意思が固い場合には、Commissioner of ProvinceかNative Authorityに訴えることができる。しかし、強制結婚の事例がリストに上ることはまずないし、少女が不満を訴えたとしても、それによって、むしろ彼女自身がスティグマを抱えることになる。つまり、訴えた結果、彼女はかえって家族や年長者の怒りを買い、他の男性と結婚するチャンスを失うのだ。結局、彼女は自分の意思を通そうとした代償を、もっと悪い形で支払わされることになる。こうしたことを考慮すると、女性たちはCommissioner やそのほかの役所に訴えるのを控えざるを得なくなる。

4.そのような訴えがなされ、事実関係が立証されれば、結婚は中止となる。虐待もしくは誘拐といった身体的な虐待が行われた場合には告発することができる。もし、結婚が中止されたら、女性の家族は男性に婚資を返還することを要求される。もし結婚が完了していた場合には、その結婚は無効となる。しかし、その場合、強制があったことを証明することが重要となる。というのは、女性は自分の意思で結婚したにもかかわらず、強制的に結婚させられたと訴えることによって、離婚の原因が自分にある場合の罰則を受けずに結婚を無効にしようとしているかもしれないからである。

5.こうした点を考慮すると、CommissionerやNative Authorityに苦情を訴える自由があっても、それが常に深刻な虐待を防止できるとは限らないことがわかる。欠陥はアフリカの結婚の慣習にあるのであって、苦情を聞き取る手続きにあるのではない。手続きや強制的な結婚登録の法制化が、部族の慣習を守ったために被るこうした苦しみをとり除くことはできないのだ。導入された法令が強制結婚に対して厳しい制裁を課したとしても、家族によって執り行われた契約から逃れるためにこうした法令を利用する女性は、社会的な追放という苦しみを背負うことになるかもしれない。望まない結婚を拒否する自由は、女性の権利として存在するし、人びとに知られてもいる。この権利の行使と「強制結婚」の段階的な消滅は、個人の自由の尊重、とりわけ、父系的な権威からの自由を、教育を通して学ぶことによってのみ実現できる。

6.今の状況は、1世代前の状況と同じではないし、ガンビアにおける女性の解放に向けての歩みは、年ごとに進歩している。この進歩は、何世紀にもわたって父権が支配し、保守主義が深く根付いている農耕社会に衝撃を与えている。保護領の行政官は、女性たちが要求する自由に警戒感を持つ年長の人びとから、度重なる警告を受けている。この過渡期に際して、法令による介入や変化を促進しようとする介入は、現在、ようやく動き出している変化に最悪の影響を与え、実際、改革を遅らせることになるかもしれない。

7.それゆえ、すでに動き始めている文明化という目に見えない力学によって、徐々に女性の解放が実現しつつある現在、いかなる介入も避けることがきわめて重要であると考える。この文明化の力学は、同時に強制結婚を防止するために現在採られている手続きを強化することにもつながると考えている。
W. T. Southorn
総督

No.7 シエラ=レオネ総督から植民地相への書簡(1936年12月2日受領)

閣下
アフリカの少女の強制結婚を防止する目的で英領アフリカの政府が採るべきアクションに関してRathbone議員が下院で提言した1936年8月17日付の質問のコピーを拝受しました。

2.パラグラフ3の5つの質問に関してProvincial Commissionerから、次のように回答するようアドヴァイスを受けました。
(a) この国においては、強制の事例はみられない。
(b) もしも強制され、Paramount Chiefから納得のいく解決策が得られない場合には、
女性たちは自由にDistrict Commissionerに訴えることができる。しかし、そのような訴えがなされたことはない。
(c) したがって、(d)と(e)は起きていない。

3.Southern ProvinceのCommissionerは次のように付け加えた:-
「シエラ=レオネでは、嫌いな男性との結婚が求められた場合、家族は強制しない。家族が強制力を働かすのは、夫と妻の意見が対立し、妻が実家に戻ってしまうような時である。原則として両親は婚資を返却することを躊躇し、妻である娘に夫の元に戻るよう圧力をかけるのである。しかし、もちろん、これは結婚の神聖性を維持しようとするものであり、未婚の少女を好きでもない男性と強制的に結婚させることとは同じではない。」
Henry Moore
総督

No.8 ウガンダ総督から植民地相への書簡(1937年1月4日受領)

閣下
アフリカの少女の強制結婚に関する8月17日付の貴殿の書簡にお答えいたします。

2.受け取った情報から判断すると、ウガンダでは、強制結婚の事例はきわめて稀であることが明らかになった。
しかし、高度に文明化した社会と同じく、時には強制結婚もみられるが、女性がDistrict Officerかもしくは部族長などに訴えることは自由である。すべての案件は部族やクランの長老によって審議され、強制力が加えられた場合には、加えた人はlocal native courtで裁かれる。アフリカ人の長老たちは、このような事例を深刻に受け止めており、この態度は、強い世論とも共鳴して、少女を強制的に結婚させるという慣行は、今やまれにしか起きていない。

3.現行の法令とその施行が、起こるかもしれない虐待に対する効果的な防波堤を提供していることに満足している。結婚の強制的な登録は、他の理由で、すでにふたつのDistrictで制度化されており、任意の登録はふたつのその他のDistrictで実施されている。しかし、現在、この制度を保護領の他の地区に広める必要があるとは考えていない。

4.British Commonwealth League主催の会議で、あるスピーカーが指摘したように、今のアフリカにおける深刻な問題は、伝統的な道徳の崩壊であり、売春の横行である。部族の慣習は、結婚との関連で時おり虐待や不正義をもたらすかもしれないが、それが崩壊することによって、それ以上に悪い結果が生まれる可能性がある。というのは、アフリカの女性にとって最大の危機は過剰な規制ではなく、過剰な自由(license)なのである。
P. E. Mitchell
総督

No.9  ゴールド・コースト(現在のガーナ)から植民地相への書簡(1937年1月7日受領)

閣下
アフリカの少女の強制結婚の防止に関する1936年8月17日付の貴殿の書簡にお答えい
たします。

2.この問題についての注意深い調査の結果、以下のように回答いたします:―
(a) 強制を伴う事例が頻繁に起きているとは思われないこと;
(b) 強制的に結婚させられそうになった場合、女性はDistrict Commissionerに訴えを起こす自由が認められており、そのような権利は自由に行使されている;
(c) 強制結婚はアフリカ人の慣習とは相反するものであり、訴えがなされた数少ない事例においては、世論に重点が置かれたDistrict Commissionerの裁判所における議論の公開によって、満足のいく調整がなされている。
(d) 現行のやり方は、深刻な虐待を防止するに十分機能している。
Arnold Hodson

No.10 ニヤサランド(現在のマラウィ)の総督から植民地相へ(1937年1月11日受理)

閣下
アフリカの少女の強制結婚に関する8月17日付の貴殿の書簡にお答えいたします。

2.ご要望の質問に回答する前に、この件について、ニヤサランドの慣習に関して、いくつかの一般的な状況を説明しておきたい。

3.アフリカ人の結婚の慣習は、大まかに言って、母系の部族のものと父系の部族のものと
のふたつに分けられる。

4.母系のシステムでは、結婚は両家族の合意によって取り決められる。婚資はやり取りされない。しかし、契約をする両家の親族―通常は2人―が会って正式な契約を結ぶ。そのために、少女自身の同意が常に必要とされる。その後、夫は妻の母親の住む村に家を建て、そこに移り住む。彼は、家族の一員として受け入れられる前に、義母のために畑を耕したり、その他の義務を果たしたりせねばならない。その後、もうひとつの正式な合意がなされるまで自分の村に妻を連れて帰ることはできない。このように、男性の地位は従属的であり、結婚がうまくいくかどうか、あるいは子供たちと一緒に暮らせるかどうかは、妻と妻の家族への彼自身の行いの良し悪しに依存していると言える。最初から妻は夫の上位に位置し、少女が自分の意思に反して結婚を強要されることはまずない。ましてや身体的な強制は決して起きない。おそらく、より文明化した地域で見られるように、両親が、相応しいと思われる結婚相手を娘に薦めるとか、娘が特別な感情を持っていない男性と結婚するよう説得するということは起こりうるが、他に好きな人がいる場合には、娘が同意しないことははっきりしている。

5.父系制度の下では、婚資が渡され、それぞれの親族を正式の立会人とした結婚が執り行われる。少女の同意は母系制と同じく必要とされる。結婚後、妻は夫が自分の村に建てた家に住む。以前には結婚の契約時に用いられていた牛のかわりに、今は現金が妻の親族に支払われる。このお金には夫が妻を大切にすることを保証するという意味があり、夫が妻をないがしろにしたために離婚に至る場合には、夫に返却されない。女性は常に自由であり、結婚の立会人は、彼女の不平不満をいつでも聞いてくれることになっている。母系制度におけるように、少女の意思に反した結婚を強制できるようなチャンスはほとんどない。充分な婚資を支払えるリッチな男性との結婚を承諾するよう娘を説得しようとする両親もたまにはいる。しかし、同じような状況で、娘に結婚するようせまる両親は、世界中のどこにでもいるし、こうした婚資が支払われたとしても、そこからは何の利潤も生まれないということは覚えておく方が良い。つまり、父親とその親族は娘の結婚の際に婚資を受け取るが、息子の結婚に際しては婚資を調達しなければならないから、娘の結婚によって得た婚資が息子の結婚のための婚資に使われることはよくあるのだ。一般的に言って、ニヤサランドのアフリカ人女性の地位は高く、結婚に際しての強制は憤りを招き、native courtが強制を認めることはない。すべては、母親として尊敬されている女性の利益を守るよう仕組まれているのである。

6.夫を亡くした妻が夫の相続人によって相続されるというレヴィレートについても言及しておきたい。この慣習はまだ行われているが、その目的は寡婦の生活を保障することにあり、寡婦の意思に反して相続人との同居が強制されることはない。寡婦の多くは年配の女性であり、彼女たちを支えるのが相続人の役目なのである。しかし、まだ結婚できる年齢の寡婦が相続人と夫婦になることを望まない場合には、寡婦が選んだ男性と結婚させてやるのが相続人の義務となっている。

7.結論として、以下の諸項目を第3パラグラフの質問への回答とする。
(a) 身体的な強制の事例や強制と本当に言えるような事例は起きていない。この点に関して、ニヤサランドの少女は、今日の若いイギリス人女性と同じように主体的であり、しつけをされねばならないという状態ではない。また、両親の圧力に対して何らかの抵抗を示した事例は、おそらくイギリスよりニヤサランドのほうが少ない。
(b) ほんの些細な強制が感じられると、少女は必要ならば、Village Headman かNative Authority、もしくはDistrict Commissionerに訴えることを躊躇しない。
(c) この類の訴えがNative Courtになされ、強制の事実が確認された場合、現行の方法で強制を防止することができる。
(d) この問題は起こっていない。しかし、多くのNative Authorityは、自発的に結婚の任意登録制度を導入したことを附記しておく。この傾向はさらに広がると思われるので、わたしは、強制的な登録は必要だとも望ましいとも考えない。

Harold B. Kittermaster
総督

No.11 ケニア総督から植民地相への書簡(1937年1月25日受領)

閣下
意思に反して少女が結婚を強いられる状況がどの程度存在するかについての情報を提供せよとの1936年8月17日付の書簡に関し、詳細な調査を行った結果、次のように回答します。

2.ここでは、それぞれのポイントを別々に回答する。最初は;―
(a) 強制(おそらく何らかの身体的強制を伴う)とよべる事例が頻繁に見られるかどう
かについて:―

この点に関しては、部族がまだ開発の段階にとどまっているかどうか、文明化の影響や個人主義の覚醒が部族の慣習を破りつつあるかどうかによって多様である。一般的に、未開部族の場合、強制は、個人的な暴力というよりむしろ、確立されている慣行が生み出している。一方、ある程度文明化した部族の場合、一時期頻繁に見られた強制は、今はほとんど見られない。たとえば、ルオ、キシイ、バントゥー・カヴィロンド、キプシギスといった部族が居住するNyanza Provinceでは、最近、強制の事例は劇的に減少し、現在ではほとんど見られない。キクユ、カンバ、エンブの居住地であるCentral Provinceも同じである。一方、メルの場合、部族の慣習によって、少女は父親が選んだ男性と結婚しなければならない。その際、結婚する両家の同意が必要とされているが、少女への強制が見られることは疑いない。時には、結婚をためらっている少女を捕まえて夫として選ばれた男性の小屋に運ぶ、ということも起きている。一般的なメルの少女は父親の意思に抵抗しない。好きな男性との結婚をあきらめて父親が選んだ男性と結婚しなければならないという苦難を乗り越えるために、少女は父親の意思に従っていったんは結婚し、その後短期間のうちに夫を捨て、恋人のところに移るという方法をとる。メルの慣習によれば、実家を離れて他の男性と暮らし始めると、父親の強制力は娘には及ばなくなる。したがって、父親は、婚資を返却せざるを得なくなるのである。

3.Nyanza ProvinceのルオとCentral Provinceのキクユ(とおそらく他の部族の間でも)の女性は常になにがしかの躊躇を、尊敬の象徴として示すことを期待されている。この掠奪婚の痕跡は、夫の村に連れ去られる時にみせる少女の抵抗のシーンに投影されている。それは、ツエツエバエ対策に従事していたある行政官の次のような文章と関連している:―

「最近、ある少女が文字通り暴れて金切声をあげながら、わたしのキャンプに運ばれてきてショックを受けた。私は少女に冷静になるよう諭し、彼女を無傷のまま実家に送り届けた。翌日、彼女はひとりで戻ってきて、金切声をあげる彼女を運んできた男性とキャンプで暮らしているのを見つけた。それは、わたしが村長の前に夫婦の両親族を連れて行き、結婚の任意登録をさせた直後だった。私は、少女の抵抗は慣習婚の儀礼の一部だったことに気付いた。わたしの介入はわたし自身を除けば、すべての人々にとっては余興だったのである。」

私は、この行政官以外にも、同様の場面に出くわして誤解した人がいると思っている。

4.Coast Provinceにおいては、強制結婚は頻繁には行われていないと考える。ただし、ディゴとドゥルマでは、自分の夫を選ぶ少女の自由が制限されるというやや異常な(unusual)結婚の慣習が見られる。このふたつの部族の場合、母系と父系が共存していること、イスラームの影響を受ける中で、ディゴの慣習とイスラーム法とが奇妙な混淆をしていることが指摘できる。
ディゴとドゥルマは、もともとは母系制社会であり、次第に父系に移行しつつあるとはいえ、まだ母系の名残を強く残している。母系制のもとでは、父親とオジに拒否権はあるものの、少女は夫を自分で選ぶ。最終決定権を持っているのはオジである。女性は理にかなった自由を与えられており、父親とオジの拒否権もそれなりの機能を果たしている。
父系制度は外来の制度であり、奴隷制時代にその源をたどることができる。戦闘で捕虜になった他の部族の女性は奴隷として売られ、購入した男性の資産にされた。こうした女性の子供たちは父親の親族に組み入れられ、父親の財産のすべてを継承できた。奴隷の女性の場合には、母方のオジを考慮する必要がないからである。この慣行が時代とともに、ディゴとドゥルマの女性にも適用されるようになり、婚資として牛を支払う結婚の形態が広まったのである。夫が妻や子供に対する支配権や、自分の子供に資産を相続させる権利を手に入れることのメリットを見抜くのは素早かった。貪欲な父親やオジは、高額な婚資にも惹きつけられた。母系制のもとでの結婚では6~8ポンドの金額だが、父系のやり方だと、牛10頭が手に入るのだ。リッチな人は、娘を夫のクランに取られてしまうので、父系のやり方で娘を結婚させたがらないが、イナゴや旱魃や飢饉などによって暮らしがひっ迫すると、父系のやり方での結婚が増加する。その場合、少女は親が選んだ男性との結婚を強制される。もし少女が反抗すると、身体的な強制力が加えられることもないわけではない。この報告書の後半で、この制度の悪しき部分を取り除くためにどのようなアクションがとられるべきかを指摘したい。

5.先に、沿岸部のディゴの慣習とイスラーム法との混淆について言及した。婚資はどちらの制度でも見られ、イスラーム法によれば、少女は自分の感情とは関係なく、父親が選んだ男性と結婚する以外に選択肢はない。

6.ドゥルマ社会の場合、少女がまだ幼いうちに婚約させられるということがしばしば見られる。母方のオジは、通常、経済的状況の切迫した中でのみ、このような婚約を行い、少女は未来の義父が婚資を支払った時点で、義父に引き渡される。この慣習は、少女が成熟した時点で入手されるはずの婚資の保証として現金や牛が渡されるという非常に修正された形態でしか存続していない。ドゥルマの慣習を、ディゴが行っているようなより人道的な慣行に沿った形態に変えようとする試みが、世論の後押しもあり、Local Native Councilによってなされている。

7.その他の部族の場合、文明化の度合いに応じて強制結婚の頻度も異なっている。しかし、もっとも未開な部族とされているトゥルカナには、全くゼロではないにしても、強制結婚という慣行が存在しないということは興味深い。これはトゥルカナが婚姻における貞節を徳のひとつとはみなしていないという事実と関係があるかもしれない。

8.それでは、二番目のポイントに移ろう:
(b) 強制が加えられた場合、女性にはDistrict Officerかその他のしかるべき機関に訴える自由があるのかどうか、そして、そのような事実があった場合、権利を自由に行使しているかどうか。

強制されたとの訴えがDistrict Officerになされることはまれである。強制結婚は、いくつかの部族では行われていることがわかっているから、両親がそうしないよう圧力をかけているとしか言いようがない。また、こういうことには介入せず、女性の従順さは自然にかなった適正なものであるとの世論の力学も、それに加担している。

9.3点目は:-
(c) 通常、このような訴えがなされた時、どのようなアクションが採られるのか?

一般に訴えはDistrict Commissioner に直属のNative Tribunalで審議される。最近Teita DistrictのNative Tribunalで審議された事例では、夫に90シリングの罰金が科され、女性は自分が選んだ男性と結婚することが認められた。妻が夫のもとを逃げ出したSouth Kavirondo Districtの事例では、Native Tribunalは通常、妻に夫のもとに戻るよう命令するが、3度逃亡すると、父親にもとに送り返され、父親は婚資を払いもどすことを強要される。

10.この件は、4点目と5点目と関連するので、このふたつについては一緒に回答する:-

(d) 現行の方法が深刻な虐待を防止できていると思うかどうか?
(e) (d)の回答がNOの場合、他にどのような方策(たとえば、部族長などによる強制的な登録)が望ましいと思うか?

本報告に書いたことに照らして言えば、(d)への回答は、既存の方策は非アフリカ人にとっては個人の自由の深刻な侵害と思われるような事件を防止しないと言わざるを得ない。というのはアフリカ人がこのような事件が起きる制度を容認しているからである。同時に、現状では、政府による過激な介入が必要だとは思わない。それどころか、そうした介入は最悪で、しかも望ましくない影響をもたらすかもしれない。深く根付いた部族の慣習の扱いは細心の注意をはらわねばならない。突然、両親の支配権を除去すれば、悲劇的な結果をもたらすだろうし、部族の社会システムを揺るがすことになるかもしれないからである。外部からの影響力や宣伝で支えつつ、部族が、内部から立ち上げた自然な成長と考え方によって変化していくのが望ましい。政府がこれまで行ってきたのはこうした考えに沿ったものであった。これとの関連で、植民地のMarriage and Divorce lawsがいかに機能しているかを諮問するため1926年に設置された委員会は、アフリカ人の結婚登録を規定した法令の導入を提言したが、Government-Councilは、まずLocal Native Councilに諮問すべきだとの見解に達した。その結果、Local Native Councilの中には、結婚の任意登録を含むStandard Resolutionを採択したものがあるが、この登録制度が何らかのメリットがあるようには思えない。そのコピーを以下に掲載しておく。

それ以来、North KavirondoとKiambu のLocal Native Councilは、結婚登録の強制化を目標としてこのResolutionを採択した。私は、Native Authority Billがこのような決議をさせるような事項を含んでいることに、貴殿の注意を喚起しておきたい。時代の推移とともに、経済的社会的発展の間接的な影響によって、North KavirondoとKiambuの事例にしたがうLocal Native Councilがでてくるだろう。しかし、事を急ぐのは致命的であり、このような手続きが導入される前に、社会的な慣習やそれぞれの部族の民俗的な状況が考慮されねばならない。たとえば、ディゴやドゥルマの事例が示しているように、この問題に対する正しいアプローチは、結婚登録制度の導入ではなく、母系制度のもとで少女が享受している自由を、父系制度のもとで結婚させられている少女にも適用することであり、それにむけての決議を行うべきだとLocal Native Councilに説得することなのである。

11. この書簡の中で、かなり長く状況を説明してきたが、アフリカ人女性の地位の問題は、最大の注意と同情をもってアプローチすべき事柄であることをご理解いただけたら幸甚です。
A.de V. Wade
総督代理

(Standard Resolutionについては省略)

No.12  タンガニーカの総督から植民地相への書簡(1937年2月15日受領)

閣下
1936年8月17日付の、アフリカの少女の強制結婚の質問に関して、全タンガニーカ領への調査を実施し、その結果をここにご報告します。少々、回答が遅れましたが、この問題の重要性が、広範な調査の結果、明らかになったように思います。

2.貴殿の書簡にもあるように、タンガニーカ領の多様な状況を考えると、この類の質問の回答を一般化するのは無謀である。しかし、タンガニーカ領における結婚の慣習について最低限言えることは、夫を選ぶ際、両親の意向に重点が置かれているということである。もちろん、19世紀末頃まで、ほとんどの若い女性がこのやり方を受け入れていたということは、驚くべきことではない。さらに、少女が両親が選んだ男性との結婚を拒否し、それを部族の長老がサポートするという慣習があるということは、一般論として言っておいてよいだろう。

3.問題の核心については、タンガニーカでの20年以上の経験と知識のあるSenior Provincial CommissionerのBagshawe氏が的確に説明してくれている:-
「両親が選んだ男性と結婚させるために、ある程度の強制力が行使されているのは疑いない。しかし、この強制力は道義的なものであって、同じような強制力はアフリカ人以外の社会でも行使されている。私は何年も身体的な強制については聞いたことがないし、今のアフリカ人一般の意見としても、そうした強制を容認しているとは思わない。もし、本当に身体的な強制力が行使されるとしたら、年配のアフリカ人に限られるだろう。ほとんどがクリスチャンである若い世代は、宣教師に報告し、宣教師はもよりの行政官が報告を受けたかどうかを確かめるだろう。しかし、若いアフリカ人女性が結婚に関して両親に執拗に抵抗することはあまりない。彼女たちは両親に従い、そして結局は駆け落ちする。両親は、駆け落ちされれば、婚資を払い戻さねばならないことを知っている。そのために両親は、娘が断固として結婚に反対するならば、その結婚を娘に強要しない。これは強制を排除する有効な方法であり、女性はそうやって自由を手にできる。花婿による「掠奪」は結婚儀礼の一部であり、多くの部族が行っている慣習である。花嫁の「抵抗」は前もって仕組まれたものであり、本当の強制と誤解されるべきではない。
女性はもちろん強制される結婚をふくめ、行政官や部族の法廷に不満を自由に訴えることができる。部族の法廷はそのような案件に対して、女性を最大限保護している。女性がなぜ特定の男性と結婚したくないのかというそのつまびらかな理由を、公開の法廷で面と向かって聞ける男性は少ない。
強制結婚に関する女性の訴えを受理した行政官が採る通常のアクションを説明するのは難しい。いずれの案件も、部族の慣習法や慣行を含め、事実関係に基づいて決定される。長年の経験から、嫌っている男性から身体的な自由を勝ち取ることができないアフリカ人女性を見たことはない。通常の手続きは、がっかりしている花婿もしくは夫に、もし可能ならば、女性に支払ったすべてのものを取り戻してあげ、花婿あるいは夫は、彼女に対してもう何も要求しない、ということを両者に告げることである。これが、深刻な虐待を防止するに充分な手続きであるとわたしは考える。」

4.貴殿が情報の提供を要望しているポイントに関しては順次扱うのがよいかと思う:-
(a) 回答はNO. 結婚は両親によって取り決められる。通常、ひとり以上の候補がいるので、娘の意向が考慮されるのが一般的である。未開部族では、両親の意向は絶対で、それが問題視される事はまずない。娘の反対は両親によって抑え込まれるのが一般的であり、娘は両親に抵抗するより、結婚に同意し、あとで、何らかの理由を付けて離婚の申し立てを行う。その場合、両親は婚資を返却しなければならない。したがって、両親は気に入らない男性との結婚を娘に強要することを手控える。これは、強制に歯止めをかける実際的な方法であり、女性もそれに気づいている。
部族が文明化すればするほど、両親の支配力は減少し、家族や部族の長老たちが、若い世代は慣習を尊重せず、次第に勝手なふるまいをするようになっていると憂慮する状況になっている。こうした状況においては、好ましくない結婚をするようにとの両親の説得が効を奏することはまれである。

(b) YES. 女性が結婚を拒否する権利は、一般的に言って、部族の慣習によって認められており、自由に行使されている。女性の拒否権が認められない事例が、わずかではあるが行政官に知られているが、女性はその他の方策を熟知しており、部族の長老たちも進んで女性をサポートしている。
訴えは通常まずNative Courtになされ、その後、district Officerへの上訴も可能であるが、直接District Officerに訴えることもできる。

(c) 訴えを受理した時点で、Native Courtは離婚を許可し、本当に強制力が行使されたなら、罰するだろう。最近の事例では、強制力を行使した方が、3~6か月の拘禁の罰を受けている。

(d) YES. ただし、制度がない状況では、虐待という珍しい事例を完全に排除することはできない。

(e) これは、厳密に言えば、貴殿の書簡にあるような条件の下では起きていない。しかし、次のようなコメントは必ずしも的はずれではないだろう。
Native Administrationによる強制的な結婚登録は強制結婚の防止にはたいして効果がないだろう。というのは、登録は結婚が完了してからなされるからである。強制的な登録はいくつかのNative Administrationによって採用されているが、書面に記載されるのは支払われた婚資の額のみであり、それに関する争いはより簡単に決着がつけられている。不当な影響を防止するための計画的な結婚の強制登録は、現実的には思えない。Arusha Native Authorityは、Arusha人の少女とMasai人の男性との結婚の強制的な登録制度を導入したが、これは、高額の婚資に目がくらみ、両親が、他の部族の男性との結婚を娘に強制することを防止するためであった。しかし、わたしが思うに、Waarushaの長老たちは、この制度を導入することで、結婚によって女性を他の部族に奪われるのを防止するということを望んでいたのであって、強制的に結婚させられる娘の感情にはほとんど関心がなかった。
女性の地位を保全するために、結婚や婚約の強制的な登録制度の導入の試みは必要とは思われないし、推奨もできない。アフリカ人の支持がなければ、また、その導入がアフリカ人によって主体的に行われなければ、目的を達することはできないだろう。

6.貴殿はKekweの裁判についての報告を望まれている。それについては裁判のすべてを記したものを別に用意したので、そちらを参照されたい。
Harold MacMichael 総督

(訳者注:裁判記録については省略。ただし、Kekweは殺人罪で15か月の強制労働をともなう禁固刑となったことのみを附記しておく)

No.13 ナイジェリア総督から植民相への書簡(1937年3月22日受領)

アフリカ人少女の強制結婚に関する1936年8月17日の貴殿の書簡に関し、ナイジェリア全土からの報告に基づき、以下のように回答します。全般的な印象は、非常に安心できるものであります。

2.強制が行われていること、まれには身体的な虐待もみられることは否定できないが、そのような事例は次第に減少している。昨今は、両親の娘への支配権の強さより、むしろその縮小が懸念されているのが実情である。

3.イスラーム教徒の多い地域において人びとが信奉しているイスラーム法は、後見人による強制は認めていないが、両親の強制は認可している。ただし、一度も結婚したことのない少女に対してだけである。しかし、慣習法は、両親が結婚儀礼を執り行うことを認めているが、結婚が完了する前に結婚の取り消しをすることを認めている。一般的に、娘が逃亡して、より拘束性のない形の結婚を望むのではないかという心配が、道義的な説得による強制や両親の強い反対の結果から生じる不安への歯止めとなっている。

4.Northern ProvinceやSouthern Provinceの部族のほとんどは、婚資と幼児婚の制度を持っている。この制度は、多かれ少なかれ、道義的な強制を伴う。婚資は通常、娘が小さい時に支払われ、後になって娘が結婚を承諾しない場合には、両親は受け取った婚資のお金を返却しなければならないからである。しかし、娘は拒否する権利を与えられており、人びとが好ましいと思わない事例を除き、娘の意思に反して結婚が強制されることはない。

5.結婚した娘が夫のもとを逃げ出した場合には婚資を返却しなければならないという事実は、次第に娘の夫を選ぶ際の両親の態度に影響を与え始めている。さらに、婚約した娘が結婚前に未来の夫の家族を訪問するのは、一般的な慣行であり、そのようにして娘は未来の夫の性格を知るチャンスを与えられている。その結果、娘が婚約を破棄したいとの意向を示した場合、よほど特別な事情がない限り、両親も未来の夫も結婚に固執はしない。純粋に現実的な観点から、両親も未来の夫も、成長した娘への両親の支配力は、望まない結婚を永久に支え続けることはできないことを知っているのだ。未開にしろ、ある程度文明化しているにしろ、どの部族もそのような事柄について、何らかのデリカシーと、両親と子供との間の自然な愛情を持っているのだ。こうした一般的な特徴は、個別の事例に関する考察を行っている人びとからは見過ごされがちである。
6.意思に反して結婚を強制された場合、娘は部族長やDistrict Officerに訴える自由を与えられており、その権利は自由に行使されている。そのような訴えがなされた場合、事を穏和に調停する努力がなされる。それに失敗した場合、結婚契約を廃棄する手続きが、Native Courtで進められることになる。

7.現行のやり方は、深刻な虐待を防止するに充分であり、強制結婚の事例はほとんど起こらなくなっているという報告を受け取って、わたし自身満足している。両親が娘を意に沿わない男性と強制的に結婚させるという、貪欲さや残酷な行為が絡んだ事例は、疑いなく起きているが、そのような事例は例外的なものであり、通常は当局が情報をキャッチしている。そのような悪しき事例をすべて排除するためには、世論の形成が唯一の確実な方法であり、その方向に向かって事は進展している。

8.最近の調査とその後のミッションによるアフリカ人の結婚と離婚に関する調査の間に、結婚の登録の可能性についても議論された。その結果、登録に賛成しない地域において、強制的な登録制度の導入は成功しないが、任意登録はそれなりの目的にかなっており、いずれはその受理に道を開く可能性を持っていることが示された。

9.以下が、貴殿の書簡の第3パラグラフの質問への回答です:-
(a) 本当の強制の事例はまれであり、その傾向は強まっている。なかでも身体的な強制はきわめてまれであり、そうした事例は各人に当局に知らされている。
(b) 女性は、強制された場合、District Officerやそのほかの役所に訴えることができ、この権利は自由に行使されている。
(c) そのような訴えがなされた場合、穏和な解決にむけての調停がなされる。それに失敗すると、離婚がNative Courtによって認められる。
(d) 私は、現行の手続きが深刻な虐待を防止していることに満足している。
(e) 深刻な虐待は起きていないが、任意の結婚登録は、世論がその意義を認めている地域では奨励されてよい。悪しき慣行の除去は、人びと自身の態度の変化を通して、内部から主体的になされるべきであり、人びとがまだ受け入れる準備のない法令や外国の規則によってもたらされるべきではない。
B. H. Bourdillon
総督
(翻訳 富永智津子 2015年10月)