【特論5】Ⅰー①民俗学的調査方法としての原住民法廷記録の研究(アフリカ社会とジェンダー:富永智津子)武内進一氏によるコメントあり
【特論5】Ⅰー① R. De Z. ホール「民俗学的調査方法としての原住民法廷記録の研究」『アフリカ』第11巻4号、1938年,412~426頁
(R. de Z.Hall, "The Study of Native Court Records as a Method of Ethnological Inquiry" Africa, Vol 11, No 4. 1938)
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原住民法廷(native court)の裁判記録は、原住民の法律(law)や慣習(custom)の宝庫であり、扱いかたによっては、民俗学者にとっても行政官にとっても貴重な資料となる。本論文はタンガニーカ領の事例を扱う。その証言や判決の詳細な記録の作成は、それが法廷に過大な重荷となるという理由から、現段階においては要求されていない。最低限、原告と被告の名前、案件の簡単な陳述書、首長か村長か村落評議会の議長が務める法廷の責任者によって署名された短い判決文が要求されているだけである。このような状況ではあるが、裁判記録の研究は、少なくとも、人びとに法廷へと足を運ばせた社会的不和のタイプとそれぞれの相対的な頻度;異なるタイプの訴訟の裁き方、つまり、社会に対する犯罪として裁いたのか、それとも家族や個人に対してのみ効力を発揮するような裁定だったのかどうか;当該社会の特徴を示す何らかの一般的な指標などを示せるだろう。証拠物件や証言の概要やそこから導かれた判決を含むこのタイプの記録は、アフリカ社会を知る最も貴重な資料であるといえよう。
ただし、こうした資料がいくら入手できたとしても、そこから得られる情報は限られている。おそらくどの地域においても、紛争の大部分は法廷には持ち込まれずに、家族会議や村落の長老たちによって解決されているからである。さらに、原住民法廷は社会的安定が脅かされた時にのみ利用されるのであって、そうした社会の否定的側面から、社会の肯定的な側面を議論するのはあまり生産的ではない。にもかかわらず、ある一般的な指標は見えてくるはずである。もし見えてこなくとも、一連の尋問が提示され、事実が明るみに出され、説明されているはずである。それらは、さもなければ闇に葬られるか理解されないかもしれなかったはずのものなのだ。重要な事は、証言の変化が提示されている可能性が見出されることである。それらは、言語で明確に語られるか、もしくはさらなる研究のための資料を提供することを示す形で見出される。
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こうした可能性を示している事例は、タンガニーカ領北西部のブギフィ(Bugifi)首長国の裁判記録である。その事例というのは、これまでの民俗学者があまり注目してこなかった慣習に関するものである。つまり、収穫後の畑に残った雑穀の茎(millet-stalks)を食べさせるために、農民が自分の牛、あるいは他の人から預かっている牛を放牧する前に、首長が自分の牛を放牧する権利があるかどうかをめぐる問題である。裁判記録は、8人の農民が、自分たちの牛を追い払ったツチ人に対する不満を法廷に持ち込んだ事例を記録している。このツチ人は、首長が放牧する前に農民たちが牛を放牧したから追い払ったのだと答えた。牛を追い払うように命令されたのかと判事に問われたツチ人は、昔からの慣習と首長への義務にしたがって行ったのだと答えている。しかし、農民の訴訟には新しい考え方が見られ、それが、土地と牛が農民たちのものであるという理由で原告の訴えを認めるという判決を導き出している。この訴訟は、その内容の豊富さにおいて例外的であるが、その他のもっと規模の小さな事例も参考になる。
このようなやり方で、私は1929年から1931年にかけてブギフィに滞在していた間に原住民法廷記録の価値をはっきりと認識させられたのである。この間、私は裁判の一般的な原因が何であるかを明らかにし、通用している法律の概念を究明するために、1924年から1930年末までの記録に目を通した。7年間で850件の訴訟に判決が出され、さらに法廷外で決着したかもしくは訴追手続きミスや出訴期限の理由で却下されたものが225件存在した。850件の訴訟のうち、ほぼ4分の一にあたる訴訟が牛の契約に関するもので、約6分の一は婚姻に関する訴訟、そしてその他の6分の一が「原住民権利規定」(Native Authority Ordinance) 違反、7分の一が人的あるいは物的財産に対する犯罪、そして残りは土地、遺産、財産への侵害、その他の負債関連であった。
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これらのうち、婚姻に関する訴訟がもっとも充実している。これらは、どのくらいの情報を集められるか、何が欠けているか、プリミティヴな法律を修正するために近代的(latter-day)概念は効果があるかどうかを見極めるための基礎資料となる。この問題に立ち入る前に、まず、ブグフィ首長国が象徴的にではあるが、牧畜民のツチ貴族を首長とし、人口において多数派である隷従民のフツ農耕民を支配下に置く社会であること、第二にブグフィ社会にはヨーロッパ人による行政支配とは全く別個の、内的な変化をもたらす強い力が働いていたことを付記しておきたい。その変化に立ち入ることは、本論の射程外であるが、ツチとフツの相対的地位が急速に変化しつつあることについては、かいつまんで紹介しておきたい。つまり、両者の相対的地位の変化は、フツが労働者となったり(主としてウガンダで)、最近コーヒー栽培に着手したりすることを通して、経済的な富を手に入れるチャンスを掴んだことによって引き起こされているのである。この変化は、部族組織の不安定化を意味した。首長は、フツの経済的自立を、自分の権利を脅かすものと見ている。一方、フツはこうした首長の権利を抑圧とみなしているのだ。この対立は、首長の精神的な未熟さと行政本部からの首長国の距離(徒歩で4日)ともあいまって、「原住民アドヴァイザー」という形でのチェックシステムの導入を植民地政府に余儀なくさせた。このシステムは、1930年代初頭まで続いた。その後、首長の本拠地の近くに開設された行政支部が、首長の側に改善がみられたため、常時監督していたアドヴァイザーの制約なしに首長に首長国を治めるチャンスを与えるべきだという結論を出している。こうしたアドヴァイザーは、全部で3人いたが、ブグフィ社会にとってはいずれもよそ者だった。一人は、ヴィクトリア湖畔のブコバ出身者、二人目は、ウルンディからやってきてブグフィに長年住み着き、かなりの尊敬を集めていたアラブ系の人物、三番目は、性格のよいブコバ県の出身で、首長の教育に最大の努力をした。これら3人は、原住民の法律や慣習にではなく、すでにヨーロッパ人の統治体制によって導入された異なる犯罪概念や首長の抑圧を軽減するための一般的な指示に従って、正義を行使する義務を課されていた。しかし、その解釈は、アドヴァイザーが育った場所の法律のシステムや当時の行政官の性格や判断にも左右されていた可能性がある。いずれにせよ、ある時点での土着のシステムとの齟齬は、フツの地位の変化ともあいまって、予期されていたはずのことだった。
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ブグフィ社会における婚姻システム(原住民法廷の記録から)
婚姻の通常の手続きは正式な婚約から始まる。それは女性の家族のメンバーによって効力を与えられ、彼女自身かもしくは公に認められていない人物による契約は無効となる。
- 事例:ある娘が自分で選んだ男性に結婚を申し込んでくれるよう隣人に頼んだ。結婚を了承した男性は婚資を隣人に支払った。しかし、娘の父親がそれに反対して訴訟を起こし勝訴。隣人は受け取った婚資を返却するよう命令された。
- ある男性が妹を誘惑した男性を訴えた事例。訴えられた男性は、妹も結婚に同意したと反論。しかし法廷は、女性の母親や兄弟はおろか、いかなる証人もいなかったとして、この同意は不法だと判断した。
しかし、経済力を持った男性が、この規則を無視した事例がある。
- 娘を誘惑した罪に問われた男性が、自分はその娘との結婚を希望しており、娘の親族を誰も知らない上、自分には通常の手続きを省くに足るだけの経済力があると申し立てた事例。彼は罰金を課されたが、婚資を支払ってその娘と結婚することを許可された。法廷は、娘がこの男性との結婚を望まないならば、罰金の額を増やすと付け加えた。
女性の代理人としてふるまった上記の隣人は受け取った婚資を返却しただけで済んだ。しかし他の事例では、父親の了解を得ずに結婚したとして投獄されたものもいる。
婚約はかなりの時間の拘束を伴う。
-
事例:婚約をさせはしたが相手の男性が結婚を遅らせていたため、父親が婚資を取り戻して、他の男性に娘を嫁がせた。
- ある男性と婚約していた娘が、それを解消して他の男性に嫁いだ。初めに婚約した男性は8年間も婚資を探し求めており、婚約は解消するに値すると判断された。
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少女が親族にではなく、首長や彼の部下に従わねばならない場合がある。たとえば、首長が育てた少女を結婚させたとしてその父親を訴えた事例がある。なぜこの少女が首長の手元で育つことになったかの記録はない。また、娘たちだけを残して死んだ男性がいて、その残された娘たちが村長に引き取られた事例がある。娘たちを結婚させる権利をこの村長と争った娘たちの親族は勝訴したが、裁判記録には、この事例は過去の部族の慣習とは異なっていると書かれていた。
婚資は通常結婚前に引き渡されるが、必ずしもそうではない場合もある。例えば、次のような裁判事例があった。
- ある男性が妻の兄から婚資の支払いを求めて提訴された。兄は、妹がひどい扱いを受けているのを見たというのである。男性は支払いを拒んだため、法廷は結婚を解消し、妹を兄のもとに返した事例。
- 逃げてしまった妻の親族が、夫から婚資を返却するよう訴えられた事例。しかし、実際には婚資の返却はなされなかった。
婚資が支払われなかった場合、女性の親族が訴える権利は制限される。
- ある男性が結婚し、2人の男の子をもうけたのち、妻を実家に戻した。妻の親族は、彼女を実家に戻す正当な理由はないと主張し、彼女を引取り、改めて支払われていなかった婚資を支払うよう求めた事例。法廷は、この訴訟は、少なくとも10年前に行われているべきであったとして、原告を敗訴とした。
婚資を受け取る者は、女性の親族の年長者だけに限らない。2人の姉妹が結婚した事例では、(父親が死亡していたので)兄が二人の婚資を受け取ったが、法廷は、彼の取り分は一人分だけであり、弟がもう一人分を受け取るべきだと判断した。一般的に言って、婚資が個人のものとなるのか、それとも家族の複数のメンバー間で分配されるのかを示す事例はない。
結婚は女性の親族にとって、ある程度商業的な取引とみなされている。
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- 事例:ある女性の兄が婚資として受け取った牛を売却する権利を主張した。その理由として彼は、女性と牛との交換が、彼と夫との間の取引を完了させたことになると述べた。
- 10シリングと鍬6丁の負債を帳消しにすることを前提に、ある男性が娘の結婚を了承した。
- 病気になったために実家にもどった女性が医者の治療を受け、治療費を支払わなかったために女性が医者のものとなった事例が2件。(1件目は医者が彼女と結婚、2件目は医者が女性を他の男性と結婚させ、婚資を受け取っている。)
しかし、これには、必ずしも女性の視点が入っているわけではない。夫が婚資を返還した結果として親族のもとに戻った女性に関する事例が数件あるが、その中のひとりは、冷遇されたことに耐えかねて戻ったのだと陳述している。
法廷で裁かれた婚姻関係の訴訟の大部分は、婚資の額に関連していることを記録は示している。それらは、渡された資財の種類においても、その価値においても、きわめて多様である。婚資には、牛、ヤギ、現金、鍬、地酒、布、銅のブレスレットが使われ、その額は牛9頭から鍬1丁まで幅がある。これらを額の高いものから表にし、記録からわかる範囲で同額のものを並べた(1頭の雌牛は2頭の雄牛に相当し、子牛より額が高い;雄牛一等は10シリングもしくは11シリング、または2頭のヤギと2シリングに相当;ヤギや4シリングか5シリングに相当;鍬1丁は地酒1ポットもしくは1シリングに相当)結果は次の通りである。
【牛がメインの婚資の事例(訳者注ーツチの慣行)】
- 9頭の雌牛
- 3頭の雌牛(2件)
- 2頭の雌牛、3本の鍬、地酒3ポット
- 2頭の雌牛(3件)
- 9丁の鍬、地酒46ポット
- 1頭の雌牛、1頭の子牛、3本の鍬
- 1頭の雌牛、3本の鍬、地酒18ポット
- 1頭の雌牛、15本の鍬
- 20シリング、地酒20ポット
- 8頭のヤギ、1本の銅のブレスレット
- 1頭の雌牛、7本の鍬、地酒7ポット
- 1頭の雌牛、11本の鍬、地酒1ポット
- 1頭の雌牛、5本の鍬、地酒5ポット
- 1頭の雌牛、1頭の雄牛
- 1頭の雌牛、2本の鍬、ビール6ポット
- 1頭の雌牛、7本の鍬(2件)
- 1頭の雌牛、6本の鍬、地酒1ポット
- 1頭の雌牛、4本の鍬、地酒3ポット
- 1頭の雌牛、6本の鍬(2件)
- 1頭の雌牛、5本の鍬(4件)
- 1頭の雌牛、地酒5ポット
- 1頭の雌牛(13件)26本の鍬(要求された本数に対して、8丁のみが納められた)
【鍬がメインの婚資の事例(訳者注―フツの慣行)】
- 7本の鍬、地酒27ポット
- 11シリング、地酒14ポット
- 1頭の雄牛、3シリング、地酒2ポット
- 10シリング、地酒6ポット
- 1頭のヤギ、6本の鍬、2シリング
- 13本の鍬
- 8本の鍬、地酒5ポット
- 12本の鍬
- 8シリング、3シリング相当の布
- 10シリング
- 10本の鍬
- 9本の鍬
- 4本の鍬、地酒5ポット
- 1頭のヤギ、2本の鍬、地酒1ポット
- 7本の鍬
- 4本の鍬、地酒3ポット
- 1本の鍬、地酒5ポット
- 2本の鍬、3シリング50ペンス相当の布
- 5本の鍬(2件)
- 4本の鍬(2件)
- 1本の鍬
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このリストを分析すると、牛のみか、牛に鍬や現金や地酒を添えて支払われた婚資が42件。それ以下になると、数少ない例外はあるが、鍬のみの婚資か、鍬に地酒が添えられた婚資というごく標準的なやりとりが見られる。このレヴェルのものは27件。牛以外の婚資件数と牛を含む婚資の数量的関係は、重要だとは思われない。原住民法廷における婚姻訴訟の料金は2シリングで、2~3本の鍬の婚資しか支払えない男性に対しては、この料金の支払いは免除されている。
分析結果をまとめるとつぎのようになる:
- 牛のみでの婚資の支払い・・・・・・・・・・・・・20件
- 牛と鍬による婚資の支払い・・・・・・・・・・・・10件
- 牛と地酒による婚資の非払い・・・・・・・・・・1件
- 牛と鍬と地酒による婚資の支払い・・・・・・・・8件
- 牛と地酒と現金による婚資の支払い・・・・・・・2件
- 鍬のみでの婚資の支払い・・・・・・・・・・・・・11件
- 鍬と地酒による婚資の支払い・・・・・・・・・・6件
- 鍬と現金および布による婚資の支払い・・・・・・・1件
- 鍬と現金による婚資の支払い・・・・・・・・・・・1件
- 鍬と布による婚資の支払い・・・・・・・・・・・・1件
- 鍬とヤギとブレスレット、ヤギと鍬と地酒、ヤギと鍬と現金による婚資の支払い・・・それぞれ1件ずつ
牛のみの婚資と鍬のみの婚資という明白な支払い基準がみられるが、牧畜民ツチと農耕民フツが構成する象徴的な社会システムとこれらがどのように関連しているかは、さらなる調査が必要である。それを考察する方法がある。例えば、牛のみで婚資を支払った富裕なフツ人がいるかどうか。
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もしいるとしたら、彼らはツチの家族と結婚して両者の社会的な隔たりを狭めることになっているのか。それともツチの標準的な婚資の慣行を取り入れて単にフツの富裕層の誰かと結婚しているのか。さらに牛と鍬を取り混ぜた婚資の意味は何か。それは、ツチがフツの家族に婚入する際に、自分たちの標準的な婚資とフツの標準的な婚資とを取り混ぜているのか。それとも、富裕なフツが、ツチの標準的な婚資を取り入れているのか。いずれにせよ、多様化が進行していることは確実だ。この点に関し、3頭の雌牛という特別な婚資を支払っているのが、首長のクランメンバーであるという事例と、雌牛の婚資の支払いをめぐる訴訟で女性の父親が牛が用意できないので11本の鍬で折り合った事例は明らかにフツにちがいないという事例を除き、法廷の記録は参考にならない。
現金が婚資の中心を占めている事例が7件、現金のみの婚資の事例が1件ある。この婚資の現金化は1928~30年に初めて現れている。現金による婚資の事例は、負債の取り立て訴訟において、1924~6年に一般的だった鍬が1927年には現金に置き換わったことと正確に符合している。婚資の支払いにおいて、7件のうち5件の裁判が鍬から現金に変わり、この変化が結婚の商業的取引の意味合いを強めたのかもしれない。父親が10シリングと地酒6ポットの負債の返済のために娘を手放した事例についてはすでに紹介した。一方、20シリングという大金が登場する訴訟において、牛を基準とすることが非難されたかどうかは知りたいところである。
婚資としての地酒がどのような機能を果たしているのかは、裁判記録からはわからない。ここで調査した裁判事例の3分の1にだけ登場する地酒が、他の場合には無関係であったといえるのかどうかを示すものは何もない。もし無関係でなかったとしたら、なぜ、ある場合にはそれが登場し、他では登場しないのか。
女性の家族が所持している婚資は必ずしも手を付けてはならないというものではない。
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- 事例:ある女性の兄が婚資として支払われた雌牛をなくしてしまい、彼女の夫が訴訟を起こしたが、裁判所は棄却。女性は夫と暮らしており、両者間に離婚問題は起こっていないゆえ、取り上げる必要はないと判断された。
- すでに紹介した事例だが、妻の兄が婚資として支払われた雌牛を売ってしまったため、妻を追い出し、婚資を取り戻すために訴訟を起こした事例。兄は雌牛を売ったことは認めたが、妻と彼自身の間に離婚問題が起こるような理由がないとして、原告は敗訴した。それゆえ、彼は妻を取り戻した。
婚姻関係が終了した時点で、特別な例外はあるが、婚資はすべて返却される。雌牛が含まれている場合には、生まれた子牛も返却分に入る(裁判記録に3件の事例あり)。しかし、婚資として支払った雌牛が産んだ3頭の雄牛の返却を求めて訴訟を起こした男性の場合、この雄牛がすべて死んでしまっていたということがわかり、敗訴となった。
婚資をすべて返却しなくてよい状況とは以下のとおりである。
(a) 離婚時に妻が子供を生んでいたか、妊娠している場合。
- 事例:婚資だった4本の鍬の返却を求めた訴訟。裁判所は、子供がいるということで3本の鍬の返却に減額。
1頭の雌牛、7本の鍬、地酒7ポット、およびいくらかの脂身の婚資の返却を求めた裁判。裁判所は女性が離婚時に妊娠しているとの理由で、1頭の雌牛と鍬のみの返却に減額。
(b) 妻が妊娠中に死亡した場合。
- 妻の死亡によって、女性の父親が婚資を返却するよう訴えられたが、妊娠中の妻の死亡は夫によって殺されたも同然だとして、婚資の返却は免除された。
(c) 妻が病気で死亡した時の事例。ただし、結婚時に妻が病気だったり健康が優れなかったわけではなく、実家に戻ったのが夫のせいではなく、実家に戻って病気になって死んだ場合。
- 事例:結婚した時にすでに健康ではなかったとの理由で寡夫が婚資の返却を求めて提訴。死亡した妻の父親は、夫は結婚時に妻の具合が悪いことを申告しなかったこと、妻は夫の家で死んだことを理由に婚資の返却を拒否。裁判所はこれを了とし、寡夫の訴えを退けた上に、死亡した妻の衣類や装飾品を父親に返却するよう命じた。
- 家を建てずに妻の兄の家に同居していた夫が、しばらくして妻の兄と口論になり、妻を連れて家を出た。ところが妻は病気になり兄の家に戻ったが、そこで死んでしまった。夫は妻の兄に婚資の返却を要求したが、彼は妹を追い出したのではなく、彼女が死んだのは夫が家を与えなかったからだとして返却を拒否。裁判所は兄の申し立てを了とし、夫には婚資の返却を要求する権利はないとの判断を下した。裁判所は、女性が死亡したというだけの理由で婚資を返却する必要はないと付記している。
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- 3番目の事例は、子供を出産したのちに死亡した女性の事例。死亡の状況は説明されていない。雌牛1頭の婚資に加えてその後に生まれた7頭の牛の返却を要求した寡夫には村落会議で5頭の牛を、妻の父親には3頭の牛がそれぞれが配分された。その後、寡夫は子供にミルクを与えるために義父の取り分のうち1頭を手元に引き取った。今、彼はその牛を所有する権利を主張している。裁判所は、寡夫は妻を失ったが、彼女の父親は子供を失ったとの理由で、村落会議の決定を追認した。
(d) 夫が正当な理由なく妻を追い出したり、捨てた場合。
- 事例:ある男性が婚資として支払った雌牛を取り戻し、妻を家から追い出した。その上で、残りの11本の鍬の返還を要求。裁判所はこれらを彼から没収するとの判決を下した。
- ある男性が雌牛1頭と7本の鍬の婚資のうち、7本の鍬の返還を妻の兄に求めた。兄は妹であるこの妻が病気の時に医者に連れて行くと言って連れ戻し、そのまま返さなかったからである。裁判所は、夫がこの機会に雌牛を取り戻して妻を捨てようとしたとして鍬を要求することを認めなかった。
- ある男性が婚資として支払った6頭の雌牛とその後に生まれた1頭の子牛の返還を要求。ところが、妻が5人の子供を産んだ後で夫は彼女を置いて移住してしまったこと、そして彼女は今なお再婚もせずに夫の帰りを待っていることがわかった。双方の言い分を聞いたところ、夫は妻ではなく雌牛が欲しいことがわかり、判決の結果、夫は雌牛も妻も失った。
寡婦となった女性が、死亡した夫の後継者の保護下にとどまることを望まず、自分の親族と暮らしたいと申し出た場合、婚資は返却しなくてはならない。しかし、このことは夫が死亡した時点で申し出なければならない。それを怠って、寡婦が夫の親族の下を離れて再婚した場合、新たに生まれた子供を成長したあかつきには最初の夫の家族のメンバーとするという条件のもとで再婚が認められる。また、死んだ息子の妻が実家に戻ったのち、その妻を慮って、婚資の返還要求を放棄するという事例もある。
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離婚に際して、子供の養育権は常に夫にある。もし、夫が死んだ場合、その権利は夫の遺族に受け継がれる。しかし、例外が記録に残っている。女兒のみを残して死んだ場合には、その子らは村長の保護下に入れられた。養育権はしばしば父系の確認手続きを伴う。その意義については、人びとによって完全に了解されている。
- 事例:ある男性が離婚した元妻の新しい夫を、婚資の支払いならびに再婚後に彼女が産んだ子供は離婚時に妊娠していたので彼の子供であるとして養育権を主張して訴訟を起こした。裁判所は、妊娠していた期間を計算し、その子の父親は新しい夫であると判断した。
- 死亡した父親の息子が、母親と一緒になった男性を、母親が連れて行った生後4ヶ月乳児とその後生まれた子供の養育権を主張して訴訟を起こした事例。新たに生まれた子供も、夫の死亡時に彼女が妊娠していたから父親の子供であるというのが理由である。裁判所は、授乳している女性が妊娠することはないとして、年上の子供の養育権のみを認めた。
- 3人の男性の間で父権をめぐっての裁定が必要となった事例もある。
乳離れしていない乳児は、乳離れするまで母親のもとにとどまることになる。そうでない場合、母親のかわりに子供を育てた母親の親族もしくは新しい夫は、子供の養育費を要求できる。ある事例では、ヤギ1頭が支払われ、他の事例では、半量の雌牛のミルクと3本の鍬が支払われた。
子供の養育権を勝ち取った男性の遺族は、その子供が女児の場合、その子の婚資を受け取る権利を入手する。ただし、寡婦が自分の親族のところに戻って女兒が結婚年齢に達するまで育てた場合には、その養育にかかった費用は差し引かれる。
- 事例:上記の事例において、雌牛1頭と5本の鍬の婚資から、ミルクと3本の鍬が差し引かれた。
- また、他の事例においては、ある母親が跡継ぎの息子を残して実家に戻ったのだが、その時、夫は子供ではなく彼女の衣類のみを要求したことを不満として女性の親族が提訴したが敗訴に終わった。
また、ある男性が正気を失ったので、妻は3人の子どもを連れて他の男性のところに去った。この3人の子どもの内2人は女の子だった。新たな夫はこの女の子の一人を結婚させ、もう一人を婚約させた。この契約は両方とも解約され、この夫は罰金を課された上、子供たちの養育費として受け取っていた14本の鍬をそれぞれの父親に払い戻した。
離婚の理由はさまざまである。裁判記録は、次のような夫による離婚の原因を明らかにしている。
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- 性的不能
- 気が狂う
- 妻に衣類を与えない
- 耕作放棄
- 食料を与えない
- 徘徊
- 食料庫を自由に使用させないで、自分で計量して妻に与える
- 拒食
- 妖術の嫌疑
- 継続的な侮辱と暴力
- 妻の親族から婚資を取り上げる行為
離婚の危機に直面する3つの事例: 婚資として受け取った雌牛が①死んだ場合、②盲目になった場合、③双子の子牛を産んだことがある場合ーそのような雌牛を婚資として贈るのはタブーとされている。おそらく、双子の到来は喜ばれないために、双子を産んだ雌牛を見た妻に影響を与えるかもしれないと考えられており、双子の呪いを除去するために呪医に支払う料金が必要となる。
妻に関わる離婚原因:
- 仕事や料理をしない
- 病気がち
- 夫を捨てる場合ー自分の親族のもとに帰る場合と他の男性のもとに逃げる場合がある
不倫が離婚理由として挙げらることはないが、裁判事例で、不倫相手の男性が罰せられ、妻は夫の元に戻ったという記録が1件ある。
女性や女性の親族が離婚を求めて訴訟をおこすのはまれである。通常、妻が結婚生活に不満を抱いたなら、彼女は父親か兄のもとに戻る。父親か兄は、両者の不和を平和的に解決する努力をする義務がある。もし、解決されない場合には、彼女は実家にとどまるか、他の男性と結婚する。これが夫による訴訟に至る場合があるが、女性が即刻他の男性と結婚する場合が多い。
裁判所は問題を整理し、出来る限り婚姻関係を維持させようとしている。
- 事例:夫から逃げた妻が、夫によって訴えられた。彼女は夫が衣類を支給してくれないし、食料もいちいち測って渡すほどケチであると抗弁した。裁判所は、夫に2枚の木ノ皮の衣類と寝るためのマットを妻に与えるよう指示した。
- ある男性が、婚資として受け取った2頭の雌牛を他の場所に移したところ、怒った妻は彼の元を去り、他ところに行って再婚した。裁判所は、妻の結婚が無効だと宣言した時にただちに雌牛を戻せば、妻を取り戻すことができるとした。
- 夫がひどい仕打ちをするので妻が実家に逃げ、父親が彼女を他の男性と結婚させた。裁判所は、夫が彼女に衣類をあたえると約束することを条件に、夫のもとに戻ることに同意させた。
p.424
夫が婚資として支払った牛を取り戻す裁判事例はかなり頻繁に見られる。しかしこのことによって結婚が解消されることは決してない。この場合、男性と女性の関係はむしろ婚約状況に戻るようだ。
完全に婚約状態に戻っていないか、まだ行動が起こされていない場合、裁判所は、婚約状態に戻さないよう薦めている。
- 事例:妻が逃亡し、父親は娘を再婚させた。夫は婚資を取り戻したが、裁判所に訴える前に義父と話し合いを持たなかったとして、裁判費用を没収された。
- 女性の父親が、婚資として支払われた雌牛の品質が悪いとの理由で雌牛を送り返し、健康な雌牛の支払いを要求して訴えを起こし、勝訴した。しかし彼の行いは好ましくないとして裁判費用は没収された。
- 妻を連れ去ったとして夫が義父を訴えた。義父は夫が娘に衣類をあたえなかったために娘が病気になったので実家に戻り、夫の了解のもとに実家に滞在しているのだと答えた。このことは夫も認めたが、義父が和解のステップを踏まなかったとして裁判費用は義父が支払うことになった。
- 母親のところに逃げていった妻を、夫が取り戻そうとして訴えた。彼は勝訴したが、訴訟を起こす前に母親と話し合いを持たなかったとして、裁判費用は夫が支払うこととなった。
- ウガンダに行っていて留守の間に妻の母親が妻を別の男性と結婚させてしまったとして夫が訴訟を起こしたが、妻は単に実家で夫を待っていただけだということがわかり、裁判費用は夫が支払うことになった。
正当な理由なくして妻を追い払おうとした夫が、婚資の一部を没収されることはすでに述べた。一方、充分な理由なくして夫のもとにもどらない妻に対しても裁判所は同情はしない。
p.425
- 事例:衣類をくれないからとの理由で妻が夫の元を去った。しかし、彼女は父親に何の不満も伝えていなかったため、裁判所は彼女に、夫のもとに戻るよう命じた。
- 嫌な臭がすると言って夫が家を出ていったとして妻が実家にもどったが、裁判所は妻に夫のもとに戻るよう命じた。
- 夫が耳がきこえないからとの理由で実家に戻った妻も同様に夫のもとに戻るよう命じられた。
- 夫が性的に不能だと訴えた妻に対して、裁判所はその証拠はないとして却下。
未婚の女性を誘惑した男性は、その女性の父親に賠償を支払わうことになる。例えば、そのようにして少女が”だめにされた”として賠償を命じられた事例がある。しかし、既婚女性を誘惑した男性の事例、あるいは夫から逃げた女性を進んで受け入れた男性の事例では、そのようなきまりはなく、状況によって判断される。通常、男性が罰せられるか、注意をうける。
- 事例:夫を捨てて他の男性のもとに走った妻が、彼女の意志に反して、夫のもとに連れ戻された事例では、くだんの男性に罰金が課され、もし再び彼女を受け入れるならば投獄されるだろうと告げられた。
- 他人の妻を誘惑した男性が、その妻の父親に婚資を支払う用意があると申し立てたが、裁判所はその妻に夫のもとに戻るよう命じ、誘惑した男性は罰金を課され、夫に賠償を支払った。
- 夫を捨てて他の男性のもとに走った妻が夫に呼び戻された事例。その男性は罰せられた。
- その他注意だけで結審した事例が4件あった。
不倫相手が罰せられることなく、女性が夫のもとに戻る事例。
- 事例:不倫相手の子を妊娠してしまった妻が、夫は彼女に食べ物も衣類もあたえないし、いつも出歩いていて、彼女を妖術使いだと非難していると申し立てたにもかかわらず、夫のもとに戻るよう命じられた。(裁判所は、おそらく妻が申し立てた夫の素行については懐疑的だったと思われる。)生まれた子どもは元の夫の所有となったが、くだんの男性がどうなったかについての言及はなされていない。
なお、おそらくは夫の過失があったからだと思われるが、不倫相手の男性が夫が支払った婚資を返済して、女性を合法的な妻とした事例もある。
p.426
- 事例:妻に暴力をふるった夫が、妻の親族が会いにやってきた機会をとらえて、妻をおいだした。妻は夫のもとに戻らずに他の男性のもとに行った。その男性は婚資を賠償するよう命じられた。
- 夫を捨てた妻が、今、他の男性の子どもを妊娠している。夫は生まれてくる子どもか婚資のどちらかを貰えばよいという。裁判所は、子どもは夫の子どもではないことを認め、婚資の支払いを命じた。
妻の親族が夫の留守か、もしくは夫を置いて実家に帰っている間に妻を他の男性と結婚させてしまったという事例が数例ある。ここでも、初めの婚姻もしくは二番目の婚姻が崩壊していたかどうかが決め手となる。これらの検証には、妻の意見が無視されることはない。例えば、はじめに夫の言い分が取り上げられた判決が出されたが、その後妻が夫のもとに戻りたくないと言ったために、事は二転三転し、結局、妻の意見によって判決は修正された。
首長が婚資の牛を横取りしたために、結婚が崩壊した事例が数例ある。
- 事例:首長が婚資の雌牛を取り上げてしまったために実家に戻った妻の事例。
- ウルンディからやってきた男性が、婚資として雌牛を支払ったが、ウルンディの住民によって盗まれた牛の代償として、首長はこの婚資を差し押さえるよう命令した事例。
- 首長のこうした権利は、妻を取り替えたいと思っている夫によって利用されている。夫は、婚資の雌牛とその2頭の子牛を首長が取り上げるよう計らい、妻を実家に追いやってしまった。この裁判は夫の敗訴に終わっている。
最後に、一夫多妻について言及しておく。それが家庭内の不和を引き起こした事例が2つある。一つは、第二夫人を迎えようとしていた夫に怒った第一夫人が、夫に暴行を加えた事例。もうひとつは、第一夫人に妖術をかけた嫌疑で夫が第二夫人を縛り上げ、もし第一夫人が死亡したならお前を殺すと威嚇したとして夫が裁判所に連れてこられた事例。さらに、第一夫人の選り好みがもとで、重い罰金を課された夫の事例がある。つまり、夫はすでに二番目の妻を迎えるべく婚資を支払っていたが、第一夫人はそれを了承しなかった事例である。すでにその女性と結婚の約束をしていた夫は、怒った婚約者とその父親に裁判所で顔をあわせることになった。(翻訳:富永智津子)
[コメント]武内進一氏(日本貿易振興機構亜細亜経済研究所・ルワンダなど中部アフリカの政治経済学を専攻)による上記論文へのコメントです。研究者による論文とはいえ、帝国主義陣営の「白人」によるアフリカ社会の分析であり、それをわれわれが現在、どのように読み解き、どのように研究資料として利用できるかについての貴重な示唆をいただいた。
1.タンガニーカ東部の首長国だが、ブルンジ人が居住しているとのことで、ブルンジ人の婚姻に関する資料として読むことができる。
2.論文から、1920年代半ばから後半にかけての婚姻システムの実態がある程度浮かび上がる。婚資、養育権、離婚などについて裁判記録が整理・紹介されており、資料的価値がある。
3.婚資の現金化が進んでいるなど、社会変容の実態がわかることも興味深い。
4.ツチとフツの関係については、両者を対立的な関係にある集団と捉えたうえで、その関係の変容を論じている。しかし、両者がそもそも対立的な集団であり、その関係が近代化の中で変容した、といった見方が妥当かどうかは疑問である。本論文も、当時一般的であった機能主義的見解に影響されていたということだろう。